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新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

マスコミの「キス報道」騒ぎに思う

2015-03-11 08:38:56 | コラム
日・欧米の文化の相違を知らないとは言わせない:

我が国のマスコミ(出版社とテレビ局もと限定しても良いか?)は「キス」、それも人目につく場所というか公共の場でのそれ)を採り上げて騒ぎ立てる傾向が顕著だ。私は、記憶が正しければ、これはかなり珍妙な現象だと論じたことがあった。彼等テレビ局は出演させたタレント(=芸人のことだろう)等に「ファースト・キスは何時だった」と愚にもつかぬ事を聞き出して嬉しがっている。

今回は中川侑子政務官が週刊誌の槍玉に挙げられた。解りやすく言えば、イヤ私の理解では、我が国のマスコミの「中では」(流行語に迎合したつもりだが?「マスコミの認識では」で良いか)「キス」は恰も性行為の一部の如きで、他人の目につく場所で行うなどはとてつもない不道徳であるかのようなのだ。でるから、感化された読者も視聴者もそう認識していても特段不思議ではないと、私でさえ考えている。何れにせよ、中川侑子政務官には何かが欠けていたと言えると思う。

さて、文化比較論である。先ずはマスコミの「知っていても言わないのか」あるいは「そういう違いを知らずして naive (これは正しい使い方で貶しているのだ)にも「キスした。何と言う倫理観と性道徳の認識の欠如かと騒ぎ立てている至らなさだ」と断じたい。彼らとても欧米の社会と家庭内では「キス」は多くの場合単なる「挨拶」の一部であって、そこから先に何らかの「行為」が始まる前提ではないことくらい解っているはずだ。

この辺りにも彼等が標的にしている層が何処かが見えてくるではないか。見下されている方々が、それを歓迎すると読み切っている姿勢がイヤらしい。私は彼等マスコミの全員がこの程度の相違点を知らないとは思っていない。知らんふりが怪しからんのだ。

私の場合はアメリカの例しか経験がないが、良く知り合った間柄の中では軽く口と口を触れあって挨拶することは普通にあるし、「ハグ」(=hug)で頬をつけ合う挨拶は日常的なことだ。だが、初めてそれを同僚の奥方に「握手のような他人行儀な間柄ではあるまい」と強制?された際には、当時連載中のエッセイに「魂が千切れて宙に飛んだかと呆然となったほどの衝撃があった」と書いた。衝撃には勿論「性的要素」などは皆無だった。

また数え切れないほど(宿泊も含め)滞在したアメリカの家庭では家族間での「いってらっしゃい」と「お帰り」と「お休み」のキスなどは、見慣れて(聞き慣れてしまえば)何とも感じなくなるし、尋ねてきた娘の交際相手などとかわすハグとそれ以上の挨拶は、寧ろ彼等の文化を知る絶好の機会と捉えて眺めていたものだった。そこに「性行為」関連のものを感じ取ったことなどなかった。「挨拶」だけのことだ。

そういう文化だと現場で学習出来た私は幸運だったのだろうが、そういう種類の道徳関連の文化がない我が国では、どうやら「キス」をそのようには理解も認識も出来ていないようであるのは、私は仕方がないことだと思うようにしている。そういう「文化の違い」はこれから先に時間をかけるか、啓蒙する側(学校教育課あるいは余り頼りに出来ないマスコミか?)が、徐々にでも「違い」を一般大衆知らしめる努力をするべきかな等と考えている。

だが、これは木に登って魚を求めるような詮ないことかなと思わざるを得ない。何れにせよ、何かを勘違いした「キス」騒ぎはテレ朝の「何これ珍百景」にでも採り上げさせたい「文化の相違」の知識の欠落か(知らんふり)だろうと思うのだ。苟も政治家を目指す者たちには、党内で「性道徳と文化の相違」のセミナーでも開催すればどうかな。

価値観の変化を憂うの弁

2015-03-09 10:49:54 | コラム
若者の価値観の変化を嘆く:

「頂門の一針」の主宰者・渡部亮次郎氏はテレビを見ないと言われるので、私の嘆きに共感をお持ちにならないかと思う。最近2日ほどのテレビの特集を見ていて、言い過ぎだと覚悟して言えば、嘗て言われた「一億総hakuchi化」の如きことがここまで進んだのかと、何とも言えない思いだった。

中島みゆき大先輩:
まず最初が帯広柏陽高校という北海道の有力な進学校の卒業式で起こった、同校卒業生の歌手・中島みゆきを騙った偽祝辞の一件から。それは中島の名を騙った祝辞だったのだが、中島作の「時代」という歌を全員で歌うという行事にからんだ案件だった。そこまでには何ら価値観の問題はないかのようだが、テレビには「同校の大先輩の中島さん」という説明が入っていたのだ。

卒業する3年生だか在学生だか知らないが、その大先輩の曲を卒業式で合唱しようと練習を重ね、その風景のDVDを中島に送ったという筋だった。そこに付け込んだ偽祝辞が来たという事件?のようだった。

私が価値観の変化を言うのは「中島みゆきが尊敬に値する大先輩で、その人が作った歌を大勢で歌おう」という古き良き?時代に育った私には想像も出来ない価値観が、今時の高校生の間にはあること、教員もその辺を共有しているという点だ。私には到底共感出来ない価値観だと思った。

そういう価値観が蔓延るのならば、何時か貶して何人かの読者に叱られた桑田佳祐の母校・鎌倉学園などでは彼がものにした名曲を年がら年中歌って大先輩に敬意を表していなければならないのではないか。今時の子供たちの価値観の中心には芸能人が鎮座まします時代になったのかと、1933年生まれの私には理解不能だと慨嘆しているのだ。

EXILE:
次は私にはその下品さに辟易させられている歌が中心なのか踊りの集団なのか見えてこないEXILE(こんな字かな?)の一員であるアフリカ系の混血児が、母校である郁文館夢学園(?)だったかを訪れた時の話しだ。私でもこの集団がテレビ等が好んで採り上げる人気集団であるくらいは承知させられている。だが、その大先輩の訪問を間近に見た女生徒が感極まって泣き出したのだ。

この辺りに今時の高校生の価値観を見せつけられた気がしたのだった。テレビの影響の凄まじさを思い切り見た気がして毒気を抜かれた。芸人が彼等の価値観を決めているというか中心にある恐ろしさを見たのだった。だからこそ、テレビは余勢を駆って歌舞伎役者をあそこまで持ち上げて「これでもか」と言わんばかりに礼賛するのだと思わずにはいられないのだ。テレビ局とても歌舞伎の生い立ちを知らない訳ではないと思うが。

ラッスンゴレライ:
3番目は「ラッスンゴレライ」だった。これが何かを説明するのもウンザリだが、所謂一発芸に属するだろう吉本所属の漫才のネタだ。この2人が出身校である大阪府下の吹田の中学校を訪問したのだった。生徒たちは大歓迎だったのは「価値観の変化」からすれば驚くには当たるまい。だが、本当の驚きは学校側が道徳の授業だとか称して全校生を一堂に集めて、その舞台で漫才をやらせたのだった。これが迎合でなくて何だろう。

私には最早驚く余力は残っていなかった。これがテレビ文化の発展が導き出した現代の子供たちの価値観なのだと再確認出来たのから。私(我々?)の目から見れば「ミーハー」は斯くして養成されているので、それが民度にまで影響していると言えば過言かな。

最近の海外での出来事の考察

2015-03-07 08:58:42 | コラム
中国と韓国という国を考える:

*中国人妊婦のアメリカへの出産渡航団:
観光旅行名義でアメリカに渡る中国人妊婦に対して、アメリカはカリフォルニア州の警察が摘発に乗り出したと報じられている。アメリカで生まれれば両親の国籍如何に関わらずアメリカ国籍が得られる事は言わば周知の事実だろうと考えている。だが、私はそれを集団で利用(悪用?)しようという発想が出て来ること自体に、中国人の遵法精神の欠如と自己中心の考え方があると思わずにはいられない。

それだけではない。私は彼等の発想はこの世は自分を中心に廻っており「自分のためになれば何でも好き勝手にやって良い」と思う中華思想の発露の如き凄さすら感じるのだ。換言すれば「自分のためになることをやって何が悪い。アメリカになそれを許す法律があるではないか。それを最大限に活用するのだ」という確信犯の如きだということ。

そういう他国の法律をものともしない未成熟なものの考え方に対する対抗手段が、既にオーストラリアやカナダで中国からの無秩序な移民を制限しようという動きになって現れているし、彼等の自国の統治者を信じていないものの考え方と、自分たちの利益を重視する思考体系がイヤというほど現れているではないか。私が遺憾に思う点は、我が国のマスコミの報道姿勢には「かかる事実を伝えるだけで、何かを怖れているのか批判のかけらもないこと」があるのだが。

*韓国・ソウルで駐韓アメリカ大使が襲われた:
安重根を礼賛する国のことだから、こういう途方もない事件が起きるかも知れないかと、あらためて認識させられた次第だ。私はこのこと自体の批判を展開しようというのではない。ニュースを見て驚愕したのは、アメリカ大使が臨場される場での警戒態勢の不備を指摘したいのだ。言うなれば、国際的常識の欠如だろう。

話を変えるが、往年のW社では8代目CEOのGeorge Wが訪日する際には、必ず200~300名の顧客の社長級及び取締役ないしはそれ以上の幹部をご招待してリセプションを開催していた。会場はオークラか帝国のホテルの大広間を利用していた。余計なことかも知れないが、我々社員は神経を磨り減らされるような行事だった。そこにはある時にアメリカ大使がお出でになったことがあった。

その時は開始の2時間近く前からキチンと身なりを整えた優れた多くの体格の人たちが無言で入って来て、そこまで子細に点検し調べる必要があるのか
と言いたかったほど会場を隅から隅まで入念に厳重に検査して去って行ったのだった。また、大使がお出でになった時にはその周囲をSP(なのだろうが)が取り囲んでいたのは言うまでもないこと。私は「海外からの要人の警備にはこれで当然だろうな」と思って感じいって眺めていた。

だが、ソウルのあの場面ではそこまでの警戒態勢が整っていなかったようだったし、負傷した大使が会場を出られた際にも彼の周囲には警察官は愚かアメリカ大使館のその任に当たっているべき人の姿さえ見えなかったのには、警備体制に大いなる疑問を感じざるを得なかった。何処かで何かが抜けているとしか思えなかったのだ。

話は変わるが、私は1999年頃だったか、時の総理・小渕恵三氏がプレスクラブに入ってこられたのを入り口で見たことがあった。車が玄関に着く前から警戒態勢が始まり、総理はその姿が見えないほど多くの警備の者に囲まれて物凄い速度で歩いて一気にエレベータホールの向かって行かれた。安全だと思われている我が国でもこれくらいの警戒態勢が整えられていた。過剰かも知れない。だが、これで良いのだろうが、一方の韓国では・・・と思うのだ。

韓国で私が寧ろ感心?してしまったのは、あのリッパート大使の被害を報じた外務省報道官は遺憾の意を表したが我が国流の謝罪の言葉が全く出てこなかった点だった。あれが「同盟国だと称する駐韓アメリカ大使を自国民が襲ったことに対するあるべき姿勢だと思っている国か」というのが偽らざる感想だ。

アメリカの民主党を笑う

2015-03-06 15:27:13 | コラム
笑止の沙汰だ:

最近最も笑えたニュースの一つにアメリカで「与党である民主党の議員に『TPPで関税無しの輸入品が入ってくればアメリカ国内の雇用を失う恐れがある』と主張してTPP反対を言い出している」というのがあった。笑わせるのも好い加減にしろと言いたい。そもそも経験上も知識としても、私は「アメリカ基本的に輸出国ではないし、国際市場に疎い」と繰り返し述べてきたし、「頂門の一針」にも以下のような投稿もしたし、自分のブログにも掲載したし、機会があれば多くの場でこの点を強調して語っても来た。

以下に取りあえず昨年2月のブログから引用しておく。

>引用開始
私はこれまでに何度もアメリカにはTPP交渉の一環として関税の撤廃などを言う資格があるのかと指摘してきた。その根拠はもう何年も前からアメリカの商務省は製紙業界の請願を受けて中国、インドネシア、韓国等からの印刷用コート紙に高率の反ダンピング税と相殺関税を賦課してアメリカ市場から閉め出していたし、中国やドイツ(アジアの国ではない、念のため)等からの店頭のレシート等に使われる感熱紙にも関税をかけて締め出した実績があるからだ。

アメリカ政府がやってきたことは自国の国際競争力が衰えた産業の立派な?保護であり、TPPの理念だか理想だかとは正反対の方向にある。流石に国際貿易委員会はコート紙への関税の賦課は撤回を促したようだ。だが、こういうことをやりながら良くも聖域なき関税撤廃などと言えるものだと感心している。私はまさか経産省やJETROがこのアメリカの保護政策を知らないとは思っていない。甘利大臣はこういう点を交渉の場には持ちだしておられないのだろうか。

それだけではない。私が何年前だったか、この件を当時のizaのブログにエントリした際には全く何処からも反応がなかった。それは何方もTPPに関心がないのか、あるいはアメリカの製紙産業の横暴だと言いたい振る舞いに興味を持たれなかったかの何れかだろうと勝手に解釈していた。この関税を請願したアメリカ最大のコート紙のメーカーはこの努力も虚しくChapter 11の申請に至り、その手続き終了した後のごく最近に言わば最大のライバルとの経営統合にまで落ちぶれてしまった。
>引用終わる

ここには当方の専門分野である紙パルプ産業界を例に採ったが、アメリカという国の人たちは自己防衛のためとあらば、形振り構わず関税を賦課するような手段をお採り願いたいと、連邦政府に請願するのだ。こういう保護貿易というか、高圧的な姿勢を平然と採るのが民主党政権の得意技だ。よもやオバマ大統領は足下の商務省がこういう政策を採っているとご存じではないと思えないのだが、如何なものだろう。

しかも、依然として我が国等にTPPの早期決着を迫っていながら、与党内部から苔むしたような懸念、即ち、「安値の(無関税の?)他国の優れた製品が輸入されれば、自国内の雇用が危うくなる」等という50年以上も前に蔓延ったようなことを臆面もなく言い出しているのだ。もっと解りやすく言えば「彼等は事ほどさように国際貿易市場の事情に暗い」のである。

幸いにも、私は海外の事情と市場に精通せざるを得ない対日を含めて輸出に専念した会社に長年奉職したので、アメリカ企業の「輸出に対する考え方」を知り得た。だが、そういう機会を得なかった日米の一般人や議員さん方は現在の一部の民主党議員の海外音痴の背景が解らないのではないかと懸念する次第だ。だからではないが、ここに敢えて1年前の記事を引用して「アメリカとは」とを説く次第だ。

要するに、私の主張は「アメリカとアメリカ人を国際的な事情に精通した国や経済人の集まりだ等と思い込まないように願いたいものだ」という極端だと思われるような説なのだ。誤解なきよう申し上げておくと、当然アメリカにも海外と国内の事情に精通したビジネマスマンは数多くいる事も付記しておかないとフェアーではあるまいが。

15年2月の新宿区の人口

2015-03-06 08:54:27 | コラム
2015年2月の新宿区の人口:

誠に残念なことだったが、私は今年の1~2月は病院で過ごしていたために、2月の新宿区の人口は前年同月との対比とともに進行せざるを得ないことになった。

新宿区役所の“広報新宿”の15年3月5日号によれば、15年2月の人口は1月よりも330人増加していた。だが、対前年同月比では542人と0.16%の減少だった。外国人は対前月比で376人増えて36,392人で、これは対前年同月比では2,009人と5.8%の大幅増となっていた。2月中には日本人が1月との対比で46人の減少だったことと対比すれば、急増と言えるのだろう。即ち、対前年比では区内で増加した人口は外国人だったことになってしまう。

この他に目立った現象に、世帯数の変化があった。即ち、14年2月には201,470だったものが、今年には204,794と対前月比311も増加し、ほぼ人口の増加数と等しかったことだ。外国人の単身者が増えているのかという気もするが、これが具体的に何を意味するのかは、言うなれば所謂専門家の解説にでも委ねたい気がする。

当方は1~2月を病院で過ごしており、2月下旬から再び大久保通りを通って国立国際医療研究センター病院の外来に通い始めたところだ。そこに見えたのは寧ろ意外な現象で、大久保通りでは最早衰退期に入ったと思っていたKoreatownが巻き返しに出て来た様子。晴雨に拘わらず多くの婦女子で賑わっているのだった。既に指摘したが、彼女らの眼中には日韓の政治的関係などは入って来ていないと思わせてくれる。

確かに、一時は東方神起だったかを招いた「イベント」(なんでこんなカタカナ語が罷り通るのだろうか?)に引き寄せられた女子が多かったが、やや往時の賑わいを思わせるほどの人数が歩道を占めていたのだった。

15年2月の人口に占める日本人の比率は88.9%で、昨年の89.4%からは微減だった。外国人の比率は11/1%で14年2月の10.6%からは増加していた。因みに、14年12月の人口は328,182人で、日本人が291,820人で、外国人が36,352人だった。これに見る限り、2ヶ月間に外国人の数に大きな変化がなかったことになる。

参考資料:“広報新宿” 15年3月5日号