新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

NHK籾井会長対民主党階猛代議士

2015-03-20 09:04:17 | コラム
品位に欠ける言い争い:

頂門の一針の主宰者・渡部亮次郎氏はテレビをご覧になっていないと承っています。その方が幸せかも知れません、こんな醜態を見ないで済むのですから。だが、昨今、各局が競って採り上げる元はと言えば小沢一郎の子分であった民主党の階猛がNHKの籾井会長を締め上げる、嘗ての左翼学生の集団の吊し上げを想起させるような質問の連発には「ウンザリ」という以外の表現が思い浮かびませんでした。

この有様を見ても、民主党は左翼というか古き悪しき労働組合の延長線上にあるかのような他社(他者?)の如何なる些細な弱点をも見つけ出しては、その点をここを先途と責め立てるだけの全く政治的には無意味なことに貴重な時間を浪費させて我が事成れるとする集団であったことを、今この21世紀にあっても立証しているという時代錯誤振りに呆れました。

この一件は籾井会長か秘書かハイヤー会社に請求先を明確にして発注していればこのような事態にならなかったと思うのだ。また階猛はしきりに会長を非難するが、苟もNHKの会長が伝票処理がどうなっているかにまで気を配るものかくらいは、銀行勤務をした彼が解らないはずはないだろう。それでも、籾井氏追い落としのためとあれば、言い募るイヤらしさが際立っていた。下品である。

また、私が知る限りの大手商社の出身者は皆所謂「如才のない」且つ「礼節正しき」ビジネスマンだったのですが、今回階の標的にされた籾井会長は、言うなれば「如才があり過ぎる」かの感が深いのです。あのハイヤー代の一件を以て、NHKの予算の審議に応じないと言いたげな民主党は「矢張り民主党は民主党で、何年経っても進歩もも変化も出来ないな」と痛感した次第です。

余談ですが、Wikipediaによれば階猛は東大出身で日本長期信用銀行に勤務した経験があるとか。あのような銀行員がいた銀行は如何なる組織だったのかと思わずにはいられませんでした。

3月19日の出来事

2015-03-20 09:01:10 | コラム
3月19日の気になったニュース:

先ずは自分のことから。18日にはリハビリテーションに行ってきて難なく課題をこなし、気分爽快で帰宅した。19日の午前中にはこれならば回復も遠い先のことではないかと思わせてくれたほど快調だった。だが、一寸慢心したのか昼食をやや食べ過ぎた感があり(と言っても健常者ならばその倍くらいは軽く平らげた程度だが)、夕方かにはやや胃腸の調子が落ちてしまった。それでも朝夕の血圧は正常値で、心臓の状態は落ち着いていたと信じている。

チュニジアのテロ:
Tunisia(敢えて発音通りにカタカナ表記すると「チュニージア」でアクセントが「ニー」に来るが)でのテロ行為が最大の驚きだった。しかも邦人から3人もの犠牲者が出たとは何ともいたましい。心からお悔やみ申し上げる次第だ。

この種の事件が起きると報道では判で捺したかのように「一般のイスラム教徒は”イスラム教とは”が疑われることを迷惑に思っている。イスラム教は決してそういうテロをするような教えではない」と聞かせている。そうであろうし、またそうであって然るべきだとは思う。しかし、現実は如何ともしがたいところにまで来てはいないのかと思ってしまう。

また、テレビ局が多用する所謂専門家たちは「これから先はイスラム教圏内では常に安全だと思う場所に身を置くよう万全の注意を」などと曰うが、何処か安全かなどが単なる観光の旅人に直ぐに解るなら苦労はないのではないのか。私はそれでもこれまでに、アメリカが主体であったが世界で21ヶ国(入国のスタンプを捺されれば1国と数えてだが)を歩いてきた。

だが、何処に行っても安全だ等と思ったことなどなかった。そこで安心もせず油断せず、常に四方八方を注意していたものだった。それが当たり前で、我が国のような安全さが何処に行って転がっている国などあり得ないのであると思っているのが当然だ。その我が国だって場所によってはひったくりだってコンビニ強盗だってあるではないか。

私は安全などというものは自分の責任で確保するべき事だと心得ておくべきものだと固く信じている。我が国の治安の安全基準は諸外国にはあり得ないと思っているべきだと言っておきたい。確かにパック旅行中にフィレンツェでは例の少年たちが新聞用紙で隠してくる泥棒に出会ったが、その時少しも慌てず?日本語で大声で一喝して退散させた。バルセロナでは自由行動開始の3分後に”ウエストポーチ”をつけたご婦人が後ろから抱え込まれて全部中身を抜き取られた。

余談だが、当方浅学非才にしてチュニジアと言われても、1942年にトランペットのDizzy GillespieがピアノのFrank Paparelliと共作したジャズの名曲”A Night in Tunisia”くらいしか知識がなかった。「アラブの春」と言われた動きは報道で承知していたが、チュニジアと聞いて頭の中には「チュニジアの夜」が先ず浮かんできた。そこかあれほどの観光名所として自らの無学を恥じたニュースだった。

ハリルホジッチ新監督が:
話は一寸変わるが、このフランス語を話している(のだろう)新監督が日本代表のメンバーを発表した。来日する前に我らが代表のヴィデオくらいは協会から提供されていただろうし、その後に何試合かを見ていたのだろう。何れにせよ、あの短期間で新機軸を打ち出す選手を選ぶのは物理的にも難しかっただろうとは思う。だが、2億を円超える年俸を提供されたと報じられている以上、私は言い訳は通用しないと言いたいのだが。

結局、彼が選べたのは前任者とそのまた前任者の好みというか評価とさして変わっていなかった。これは仕方がないだろうとは思う。と言うのは、今の我が国のサッカーの水準からすれば、あの顔触れしか選びようがないほど日本的なサッカーしか出来ない者が育っているのだから。落胆させてくれた者も選ばれていた。それはGKの川島。あれは何度も指摘したが実績からしても顔付きがお怖いだけのヘボである。新監督の英断で落として欲しかった。

遠藤を落としたのは、女子の佐々木監督がアルガルペカップの代表から澤穂希を外したのと同じような「中」英断だろうとは理解する。彼の上手さは誰にでも解っているのだが、そうかと言って何時までも彼に依存していれば世代交替にもならないし、後継が育っていないという歴然たる事実がある。今のJリーグのような小さく纏めてリーグで勝とうというサッカーをやっていれば、遠藤を抜く者が育つ訳がないのだ。

だが、W杯予選の場合だけでも遠藤を使わないと苦しいのではないかな。新監督は敢えてその危険性を採ったようだから、「英断」も中くらいと評価した。他には一体何処で何をやっているのかと思っていた、足があれだけ速い永井を選んだ着眼点を面白いと思った。これなどは監督の好み次第で選手が活かされるか伸びずに終わるかの好例になる気がする。

何れにせよ、協会が批判を浴びながら選んできた監督が最悪でもW杯で16強以上に残れるようになるまで育ててくれることを切に祈るだけだ。予選リーグ突破だけならば過去に実績があるので、彼を選んだ意味がないと断じたい。新監督がフェアープレーがけがサッカーではないという辺りまで、国際基準を叩き込むというか教え込むかが心配なのだが。