新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私の英語論

2016-08-17 07:30:25 | コラム
kazk様

コメントを頂き有り難う御座いました。私の考えをあらためて述べていきます。


先ずは結びに書いておられた
「小生の知り合いの名人に言わせるならば、日本語と英語はPCでいうならばOSが違うくらいの差がある。だから、本当の英米理解なんてできっこないよ、でした。英語を喋ってる時と日本語喋ってる時は別人格だよ、とも。だから理解してるとも言えんのだよと。だから、自分は良い翻訳者にはなれないな、でした。」

大筋でその通りかと思います。それが文化と思考体系の違いの違いであり、それを如何に克服するかが大きな課題です。私も、私の周囲におられた大手のアメリカメーカーの代表者だった方々にも「日本語で話す時と英語では人格が変わるというか、性格までが変わるほどの能力を備えた」人が何人もおられました。「良い翻訳者」の件は別途触れます。

先ずお断りしておかねばならないことは、私はアメリカのエスタブリッシュメントとわたりあったのではなく、彼らの会社に入り、彼らの思想・哲学・文化と思考体系を学習して、彼らの為に対日輸出に22年半携わってきた者です。偶然の機会と何度も形容したことで、アメリカ紙パルプ・林産物業界の最大手の会社に転身しました。そこが我が国にいては想像できなかったエスタブリッシュメントの世界だったとは知らずに。

そこで61歳でリタイヤーするまに先ず出会ったのが「文化と思考体系の違い」という厚くて高い壁で、それが乗り越えるべき壁であり、その方法はどういうものかを探り当てるのに10年以上を要しました。その経験から1992年に「日米企業社会における文化の違い」と題したプリゼンテーションを本社の事業部全員に対して行い、対日輸出というか日本と付き合うのだったならば、最低でもこれくらいのことを弁えて訪日せよと語りかけました。

参考までに壁の中の要素で最大のものいくつかを挙げれば「二進法的思考体系で断定的にものを言う」、「彼らの辞書には妥協という字はないこと」、「これを言うことで失うものはないという論争と対立を恐れない姿勢」、「学校でdebateを教育されてきており、contingency planを用意して議論の場に臨んでくること」等々でしょう。

私が19年を過ごした会社は売上高の最高到達点が2兆円を超えた会社で対日輸出がアメリカ全体の対日輸出の10%を占め、ボーイングに次いでアメリカ第2位だった年もあった会社でもこの程度でした。逆に我が国の海外に進出しておられる会社の駐在員の方々にも、こういう話をして差し上げたものでした。相互の理解といっても、私は不十分だと思ってました。その理由は「外側から(例えば留学や駐在で出来る経験)見る外国」と「内側から彼らの一員として知り得る外国の文化と思考体系」は全く別のことだと言っているのです。

私はそういうことを知り得たことを誇りに思っている訳でもなく自慢もしません。ただただ、あの組織の中で生き長らえていく為には如何なる知識が必要かを知り得ただけです。そういう苦労を重ねた方々の中には、私が言わば盗んだというか”I picked it up myself.”とでも表現したい方法で学んだというか、私が「そういうことだったのか」と、知り得た違いがいくらでもありました。私が申し上げたいことは全て”firsthand information”でもあり、secondhandではないという意味です。

私が生涯最高の上司と称える10歳年下の副社長兼事業本部長には「日本に来て仕事をすると『文化と思考体系の違い』という凸凹道を歩くことになる。その道路を平坦となるようにならして、貴方が恰も完璧な舗装道路を歩いているように思わせるのが私の仕事の一つ。Leave the matter up to me.」と言ったものです。そこには「文化と思考体系の違い」を弁えた通訳の技術も入ってきます。自分から申し上げますが、光栄にも私の通訳を聞きに関係ない部署から会議に参加する商社の若手もいました。

色々と教えて下さった多くの達人の海外でのご経験に異論を挟める材料の持ち合わせはありません。だが、仰っていることはご自身の経験ではなく伝聞だと解釈するのは誤りでしょうか。私は自分の経験した信じないという一種の視野狭窄のような時があります。だが、物事は経験して初めて学べると思っております。

また、先ほども触れましたように、私は知らずしてエスタブリッシュメントの世界に入ってしまいました。何処の国に行ってもそういう階層はいるものです。だが、我が国からたとえ重要な案件でアメリカの取引先との交渉に赴かれても、彼らの家庭の中にまで入る機会を得て、彼らの家族までを含めた夕食会などで、腹蔵なき仕事上の意見交換だけではなく、西洋美術、文学、歴史、趣味趣向を語り合える機会は容易には訪れないと思います。ましてや、個人的な旅行かパック旅行でアメリカの家庭まで訪問する機会も、エスタブリッシュメントの人たちに会えることもまた希でしょう。

話を英語に戻しますと、私は何度か述べましたが、アメリカ式とUK式の中間を目指し、正調としてはアメリカ西海岸のアクセントを目指しました。それが通じるとか通じないではなく、何か「これが自分の英語による表現力と発音である」を身につけておくべきだと思っております。その発音はUK、オーストラリア、カナダでは”beautiful English”と言われ、アメリカ人には「典型的アメリカ英語」と評されました。それは「中間点を選んだことと、英連邦でアメリカ英語を嫌う」という背景があると思っております。

私は何れにせよ、カタカナ的発音だろうと何だろうと、文法的に正確で平明な言葉を沢山使って自分の思うところを、たとえ難しい内容でも、表現できるようになることを目指すべきだと主張しますし、教える場合にもそう言ってきました。正直なところ、英語を日常的に使っていた世界を離れて早くも22年。偶にテレビ等で聞こえるQueen’s accentは聞き取りにくくなりました。アーア。


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