丸刈り頭に思う事:
20年ほど前のことだったか、丸刈りのことを「スキンヘッド」(=skin head)と呼んで、何となく格好が良いヘアースタイルのように言う傾向があった。先ほど高校野球の坊主刈りが「古式ゆかしく」であるのは措くとしても、個人的には好みではないと論じて思い出したことがあった。
ここでは話が本筋から離れるが、「坊主頭」という言い方は何となく仏教の僧侶たちを「坊主」と敬称も付けずに呼ぶとは失礼ではないかと気を遣って「丸刈り」と言おうと考えたのだ。
そこで「スキンヘッド」だが、広辞苑には「坊主頭(の人)と」あって「1970年代から現れた坊主頭の若者;しばしば人種差別的・右翼的・暴力的な集団を形成する」と説明されていた。カタカナ語を忌み嫌う私は、「スキンヘッド」とはただ単に「丸刈り」では剥き出しなので、格好良く「スキンヘッド」とカタカナ語にした軽佻浮薄な輩の仕業だろうかと解釈していた。
その頃通っていた新宿住友ビルの別館の地下のジムに、見事に剃り上げたようなヘアースタイル(と言ってもヘアーは見えないが)の若きアメリカ人が2~3名入場してきた。何故アメリカ人と解ったかと訊かれれば「仲間とアメリカ語で話していたから」である。彼に「失礼」と断ってから「そのヘアースタイルはskin headと言うのか」と尋ねてみた。
彼が言うには「そういう言い方もあるが、skin headという言葉はconnotationが悪いので好みではない。同じ言うならcrew cutと呼んで欲しい」という事だった。“connotation”とは「言外に意味すること」なので「何を連想させるのか」と押し返すと、“Nazis“と言った。そう言われてみれば、connotationは宜しくないなと理解した。でも「ナチ党の連中は丸刈りだったかな」という曖昧な記憶しか持ち合わせはなかった。
21世紀の現在に、ナチス(のことを本当に見たり聞いたりしていた人がどれほどおられるか解らないが、ナチスを連想させることは好ましくはないと思った。だが、アメリカの青年が言及するとはやや意外だった。でも、crew cutでは「うんと短く切った角刈り」しか思い浮かばないのだ。
そこで言いたいことは「あの青年が甲子園の野球でも観戦に赴いて、高校生たちが古式ゆかしく帽子を取ってお辞儀を交換することから試合に入る『礼に始まり、礼に終わる』様を見れば、日本にはこれほど若いナチスの残党がいるのか」と驚嘆するのではないか等と考えて、一人で受けていた。高野連のお偉方はここまで考えた事はないのだろうが。
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