新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

続・私の英語論

2021-04-21 07:39:22 | コラム
新・私の英語論:

私は英語の勉強法としては永年の持論である「音読・暗記・暗唱」を主張して譲らない。だが、残念ながらこの方法に対する、カタカナ語にすれば「フォロワー」は極めて希のようだ。それはそれとして、今回はあらためて「私の英語観」を採り上げてみようと思う。

先ず強調しておきたいことは「英語とは余所の國の言語である」という重要な点だ。即ち、言葉の他に歴史、民族、風俗、習慣、思考体系が異なる国の言葉であり、日本語とは余りにもその発想が違うと言う事を念頭に置いておくべきなのである。これらの点を忘れて、我が国の学校教育では科学的に恰も数学を教えるように英語勉強させてきた来たのだから、学問としての英語を良く解っている人たちは増えても、自分の意志を思うままに表現できるようにならなかったのは、ごく当たり前の結果だっただ。

上記の点を基調にして「私の英語論」を展開してみよう思うのだ。

先日、私に英語に関して有り難い事にブログの読者から下記のようなご意見が寄せられた。そこには、
「小生の知り合いの名人に言わせるならば、日本語と英語はPCでいうならばOSが違うくらいの差がある。だから、本当の英米理解なんてできっこないよ、でした。英語を喋ってる時と日本語喋ってる時は別人格だよ、とも。だから理解してるとも言えんのだよと。だから、自分は良い翻訳者にはなれないな」
とあった。


私も概ねその通りだと考えている。それが我が国と英語圏の國との文化と思考体系の違いの違いであり、その辺りを如何に克服するかが英語を正しく身につけて、私が好む表現である“I know how to express myself in English.”の境地に到達する為には大きな課題になると思っている。要するに「通じた」とか「通じなかった」という次元を超える為にはただ単に単語を数覚えるとか、英文解釈が上手になるという問題ではないということだ。また、日本語の思考体系から抜け出して、頭の中を英語だけにして英語だけで考えるようにしなさいということでもある。

これは「英語で発想するようになれ」という事でもあるのだ。私自身がそうなれたように、私の周囲の大手のアメリカメーカーの代表者だった方々にも「日本語で話す時と英語では人が変わるというか、性格までが変わるほどの能力を備えた方」が何人もおられた。私も英語で話すか書いている時は日本語とは違う発想に基づいていると思っている。そこで、参考までに日本語とは発想が違う例文を挙げておこう。

The myocardial infarction was the last thing to happen to me.
「まさか、私が心筋梗塞に襲われるとは全く思ってもいなかった」とでもなるだろうか。

This is the way things happen.
「世の中って言うのはこう言うものだ」と訳せば良いと思う。

It was the last thing to see you, here, today.
「まさか、今日ここで君に会うとは思ってもいなかった」という意味になる。

Wrong way.
「進入禁止」か「一方通行出口」の意味だが、アメリカの街中で初めてこの表示に出会った時には面食らった。また、右ハンドルの日本車を見て“Steering wheel is on the wrong side.”と言ったのにも驚かされた。

上記の例文で、幾らかでも相互の発想の違いが分かって頂ければ幸いである。

次に断っておかねばならない事は、私は「彼らアメリカ人の会社に入り、彼らの思想・哲学・言語・習慣というか文化と思考体系を学習し、彼らの為に対日輸出に22年半携わってきた者である」という事。より具体的に言えば、多くの同胞とは別の文化と文明の世界に20年以上も過ごしてきたので、彼らの思考体系に十分すぎるほど影響されているという事。それ故に、私の英語論は我が国の学校教育の英語で育って来た方々には「奇妙な理論」か「理想論に過ぎない」と見えるのだと解っている。では、敢えて伺うが「その私がアメリカ人の中に入って言葉の苦労をしなかったのは何故か」と「我が国の学校教育を経てきた方が思うように話せないのは何でか」にどうやって答えられるのかだ。

「偶然の機会で」とこれまでに繰り返して回顧してきた事で、私は結果的にMeadに継いでアメリカの紙パルプ・林産物業界の最大手の一角を占めるウエアーハウザーに転進したのだった。1975年3月のことだった。そして、そこが我が国で生まれ育った方には想像できなかっただろう支配階層と言うべきか、あるいはエスタブリッシュメントの世界だったとは、正直な事を言えば、その中に入ってしまうまでは全く知らなかった。

そこで61歳でリタイアするまでに先ず遭遇したのが「文化と思考体系の違い」という厚くて高い見えざる壁であり、それはまた何としても乗り越えねばならなかった壁だったのだ。その壁の実態を掌握しない事には、乗り越える方法など見出せる訳がないのだ。実際に、その方法はどういうものかを探り当てるのに10年以上を要したのだった。その経験から1992年に「日米企業社会における文化の違い」と題したプリゼンテーションを本社の事業部全員に対して行った。その狙いの一つには「対日輸出というか日本と付き合うのだったならば、最低でもこれくらいのことを弁えてから訪日せよ」と語りかけることがあった。

参考までに壁の中の要素で最大のものいくつかを挙げれば「二進法的思考体系で断定的に言う」、「彼らの辞書には妥協という字はない」、「これを言うことで失うものはないという論争と対立を恐れない姿勢」、「学校でdebateを教育されてきており、contingency plan(二の矢とでも言うか)を用意して議論の場に臨んでくること」等々だろう。

私が19年を過ごした会社は売上高の最高到達点が2兆円を超えていて、対日輸出がアメリカ全体の対日輸出の10%を占め、ボーイングに次いでアメリカ第2位だった年もあったのだ。それでも日本向けの売上高は2,000億円程度だった。そこで、私は我が国から海外に駐在しておられる方々にも、このような対日輸出の実態を語るようにしていたが、多くの方はここまでのことは承知していなかった。

私は文化や思考体系が異なっているという実態を知り得たことを誇りに思っている訳でもなければ、自慢にもならないと思っている。ただただ、あの異文化の國の組織の中で生き長らえていく為には、如何なる知識が必要かを知り得ただけのことだと考えている。そういう苦労を重ねた方々の中には、私が言わば自然に知り得たというか、英語にすれば“I picked it up myself.”とでも表現したい方法で学んだのである。

我が国にもアメリカにも、大学に「日本とアメリカの企業社会における文化の相違点」などという講座があると聞いたこともない。私が「そういう点が違っていたのだったのか」と、知り得た彼我の相違点はいくらでもあった。私が言っておきたい事は全て”firsthand information”でもあり、secondhandではないのである。解りやすく言えば「伝聞」ではなく、直接に身を以て経験した事柄であるということ。

私が生涯最高の上司と称える10歳年下の副社長兼事業本部長には「日本に来て仕事をすると『文化と思考体系の違い』という凸凹道を歩くことになる。その道路を平坦になるようにならして、貴方が恰も完璧な舗装道路を歩いているようだと感じさせるのが私の仕事の一つである。即ち、お任せ下さいという意味で“Leave the matter up to me.”」と言ったのも同然だった。そこには「文化と思考体系の違い」を弁えた通訳の技術も入ってくるのだ。自慢話になるが、光栄にも私の通訳を聞きたいと、ある商社では担当者ではない若手の部員が会議に参加している事もあった。

私は自分で経験した事柄が非常に重要であるという考え方をしている。それは、他人様から教えて頂くことや、読書等から入ってくる知識や情報も極めて重要だとは勿論弁えている。だが、物事は経験して初めて学べて理解できるのだと思っているのだ。我が国とアメリカの間に厳然として存在する文化の違いなどは、身を以て経験して見ないことには解らないと信じている。

また、先ほども触れたように、私は知らずして支配階層というかエスタブリッシュメントの世界に入ってしまった。私は何処の国に行ってもそういう階層はいるのだと思っている。このような階層にいる人たちの実態に触れる機会は滅多にないと思っている。即ち、我が国からアメリカの重要な案件で出張されても、彼らの家庭の中にまで入る機会を得て、彼らの家族までを含めた夕食会などで、腹蔵なき仕事上の意見交換だけではなく、西洋美術、文学、歴史、趣味趣向を語り合える機会は滅多に訪れないと思う。ましてや、個人的な旅行かパック旅行ではアメリカの家庭まで訪問する機会も、支配階層の人たちと接触する機会も、またあり得ないと思うのだ。この階層に属する人たちは極めて少数だが、実質的にアメリカを支配していることを忘れてはならない。

話を英語に戻してみよう。これまでに何度か述べたことで、私は発音についてはアメリカ式とUK式の中間を目指し、アクセントは正調としてはアメリカ西海岸のそれを目指して来た。英語は通じるとか通じないではなく、何か「これが自分の英語での表現力であり、発音なのである」というものを身につけておくべきだと考えている。私の中間を目指した西海岸式の発音は、UK、オーストラリア、カナダでは”beautiful English”と言われた。そう言われたと言った所、アメリカ人たちには大笑いされて「君のアクセントは典型的アメリカ英語だ」と言われた。それは「中間点を選んだことと、英連邦ではアメリカ英語を嫌うし、アメリカ人たちはQueen’s Englishに好感を持っていないから」という背景があると言って誤りではあるまい。

私は「カタカナ的発音だろうと何だろうと、易しくて簡単な単語と表現を使って、文法的に正確に自分の思うところを、どんなに難しい内容でも、思うが儘に表現できるようになることを目指すべきだ」と主張してきたし、教える場合にもそうあるべきだと言ってきた。正直なところ、英語を日常的に使っていた世界を離れて早くも27年。偶にテレビ等で聞こえるQueen’s accentどころか、慣れ親しんできたアメリカ人の発音すら聞き取りにくくなってしまった。月日の経つのは恐ろしいものだと、今更ながら実感させられている今日この頃だ。




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