新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月12日 その3 「通訳を介して語る方が無難である」との選択

2021-04-12 13:59:42 | コラム
松山英樹は優勝後のインタビューは日本語で答えていた:

TBSの中継ではマスターズ優勝決定後の別室でのインタビューでは、松山英樹はアメリカ人の通訳を介して語っていた。そこには、グリーンのブレザーを着た大会主催者側から2人、前回の優勝者のダスティン・ジョンソン、他に観客の代表者だったかが1人同席していた。私は10年近くもアメリカにいる松山英樹は敢えて通訳の助けを依頼したのか、大会側が気を利かしたのか、あるいは松山が英語で答える自信がなかったのの何れだったのかと、判断に迷った。正直に言えば、彼らの中で彼ほど長く暮らしていれば、日常生活に不自由しない程度の英語力は備わっているのが普通の事だと認識している。

このような公開の場というか公式の席で自分で話をする事を採るか、あるいは安全を期して通訳の介在を採るかは、かなり難しい選択であり判断であると思う。この事について語る前に、私の経験を述べておけば、私はこれまでの人生で何方かに通訳をお願いせねばならないような難しい局面に立たされた事はなかった。回顧談になるが、1970年代の事だったか故田中角栄氏の裁判で証言に立ったユーナイテッド・ステイール(現ユニマットか)社長の日系アメリカ人、シグ・カタヤマ氏は日本語は私たちと同じように話せる方だったが、英語でしか語らなかった。この会社は我が社と同じビルの同じ階にあったので、私は何度もカタヤマ氏が社員たちと普通に日本語で話し合っておられるのを聞いていた。それだけに、何故英語で押し通されたのが解らなかった。

そこで、これまでに何度も引用してきた我が社の日系人で、カタヤマ氏とも日常的に会話をしていた日本語の能力は我々と遜色がないと見ているJ氏に「何故カタヤマ氏は日本語が普通に出来るのに、英語で語るのか」と尋ねてみた。J氏は「私でもあのような公式の場面では、日本語で語ろうとは思わない。ほぼ絶対に表現を間違える事がないと自信がある英語にする」と答えてくれたのだった。「だからこそ、カタヤマ氏も同様に考えておられるのだろう」と補足された。正直に言えば、私は「ウーン」と唸らせられた。と言うのは、私がアメリカでそういう場に立たされれば、90%に近い確率で英語で話す事を選んだろうからだ。だが、そう言われて考えれば、通訳に間違いない能力の方が付いて下されば、日本語で語る方が過ちは犯さないだろうと考えたのだった。

例えば、かのイチロー君は最早アメリカ暮らしは10数年に達していると思うが、彼がテレビ等で英語で話している場面が出てきた事がない。だが、伝え聞く所では、彼は十分に英語で意思表示が出来るだけの力を備えているのだそうだ。松山英樹も長くアメリカで彼らのなかで過ごして来たのだから、それ相応の英語力は備わっていると思う。そこで、カタヤマ氏やJ氏のような考え方が出来る境地に至っていれば、先ほどの場面のように通訳を介在を願い出たのだろうと解釈する事にした。彼は優勝者の表彰式でも同じ通訳の方に並んで貰って、全部日本語で挨拶していたが、「サンキュー」だけは2度ほど英語で叫んでいた。賢明な対処であったと受け止める事にした。

個人的には「アメリカ人の中に入って、そもそも自分の母国語ではない英語で話している事には、相当長い間『もしかして、自分はとんでもないおかしな言葉を使っているのではなかろうか』との恐怖心に苛まれてきたのだった。」だが、時が経つにつれて慣れと度胸が備わってきたし、彼等アメリカ人が場面場面で使う適切な表現を覚えて真似る事が出来るようになってからは「くよくよしても始まらない」と、割り切っていけるようになった。とは言っても、踏んでいた薄氷の厚みが少しだけ増した程度で、恐怖感は残っていた。英語で話している事には、こういう難しさを伴うものであると回顧しておく次第だ。



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