新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月17日 その2 イスラム教徒問題

2019-03-17 15:55:29 | コラム
長い年月のアメリカ人との付き合いの中で感じたことは:

この度のニュージーランド(NZ)でのオーストラリア人のモスク襲撃で思ったことは、敢えて白人という表現を使うが、白人たちのイスラム教徒たちに対する嫌悪感というか差別意識とでも形容したいような嫌い方を、改めて見せつけられたような気がした。彼らは決して自発的にイスラム教徒たちを嫌悪するような言動はしないが、9.11以降はかなりハッキリと言う人も出たと思う。それは「世界史をチャンと勉強すれば解ること」と、嘗て商社の中近東駐在経験者に説諭されたことと同じような気もするのだ。

また、オバマ大統領が選ばれた頃には、そのこと自体とは意味が違うが「200数十年前にアメリカが建国された頃にはイスラム教徒などいなかったし、現時点でも必要などない」というような極端だとも言いたいような意見を述べる人もいたことはいた。お断りしておくが、トランプ大統領はこんな事を言われたのではない。

私は転身後には、いや、その前の日本の会社の頃からも「営業職にある者はその客先との折衝という仕事の中で政治と宗教を話題にしてはならないし、その話題に持って行かれたら必ず回避すること」と厳しく教え込まれていた。それ故に、少なくともアメリカの会社でイスラム教は言うに及ばず、キリスト教徒関連の話題にも触れたことはなかった。故に、彼らのイスラム教徒とその教徒に対する本音は聞いたこともなく、知らないと言った方が正確かと思う。

ある専門家はあのNZでの銃撃は移民に対する抵抗というか嫌悪感の表れと解説していたが、彼ら白人はそこまでイスラム教徒に対する見方をしていたのかと改めて認識させられた。そのイスラム教徒はここ新宿区百人町まで来て頂けば数多く見られるのだし、彼らは現時点では穏やかに彼ら自身の為に店を構えて営業し勝手気ままに振る舞っている。私はこの街で彼らにあからさまに嫌悪感などを示した人がいた例を知らない。だが、何となく何とも言えない妙な予感のようなものはあるのだが。



安倍総理の後継者は

2019-03-17 11:08:25 | コラム
四選ありかなしかの問題ではあるまい:

二階幹事長の予期せぬ「余人を以て代えがたし」発言があって、俄に安倍総理の四選ありかなしかの議論が発生してきた。二階幹事長が本当は如何なる人物で何が狙いかなどは私には解るわけはないが、そういう視点からこの国内外の情勢が難しい時期にあって、後継者を決めて欲しくはないと思って聞いた。

国内の情勢を見れば「人口減少と少子高齢化」があり、「好景気が続いたと歓迎される割りには(経営者の判断が悪いのか内部留保にばかり専念し)賃金の上昇が鈍き未だにデフレ気味の状態から脱却し切れておらず」、「(黒田日銀総裁は)金融緩和と低金利状態に固執し」、「マスコミと野党連合は政権のあら探しこそが我が使命と心得て、憲法改正阻止に奔走し」等々の状況が続いている。安倍内閣もこれらに懸命に戦ってこられたが、後継首班も引き続きこれらの処理に当たっていかねばなるまい。

だが、それと同等乃至はそれ以上に頭を使い労力を惜しんではならない事項に「外交問題」があると思う。安倍総理は四方八方に気を配られて世界中の多くの国とその首脳との外交に専念された効果は確かに完璧ではなかったと思うが、挙がっていると思う。中でも世界中で最も難物かと私が思っているトランプ大統領との間には恐らく世界のどの指導者にも出来なかった好関係を確立されていたと評価して良いと思っている。

しかし、現在の世界には「一筋縄ではいかない」、「独断専行型であり」、「強権発動型であり」、「自国第一主義であり」、「自らの任期を恣意的に決めてしまう独裁者である」、「固有のイデオロギーに凝り固まっている」等々の「個性が豊かである」などという簡単な表現では表しきれない強力な大統領なり、総理大臣なり、国家主席等々が多過ぎると言えると思う。しかもここに掲げたような表現が当て嵌まるような指導者を頂く諸国が、皆我が国の主要な関係先におられる状態なのだ。

私はこのような国内外の先の読みが難しく、如何なる手段と姿勢でその指導者たちと付き合って良好な間柄を築き上げていくべきかが容易ではない時期にあっては、外交面では未だ嘗てなかったような手腕を発揮できる政治家こそが次代を担って欲しいと考えたくなるのだ。安倍総理はこれまでに内政面ではアベノミクスと黒田日銀総裁を活用されての異次元の金融緩和等々で実績を残された上に、外交面でも八面六臂の活躍で我が国の価値を高めてこられたとは思う。だが、未だ道半ばではないかと見る向きもあるのだ。

であれば、私は次の総理大臣は諸外国の一筋縄では付き合いきれない首脳に対して一歩も引かずに、可能ならば通訳を介さずとも1対1の交渉をしようではないかというほどの「外国と外国人慣れした、そこに度胸が備わった」人物であって欲しいと思うのだ。私は永年「英会話の上達に重要な点の一つに慣れと度胸がある」と唱えてきた。外交の面でもこの要素は必須であると同時に、付き合うべき相手の国の文化と思考体系にも精通しておくべきなのだ。経験上からも言うのだが、その点を弁えておかないと「なんでこういう齟齬を来したのか」と首をかしげる事態が発生するのだ。

と、ここまで言ってくると「石破茂氏は不適格だ」と言っているかの如くだろう。と言うことは「外務大臣を長く経験された岸田文雄氏こそが」と主張しているように聞こえるかも知れない。問題は岸田外交が安倍外交ほどの成果を挙げていたかということであると思う。だが、そこを云々するよりも「誰であっても、実際にその任に当たらせてみないことには、その力量のほどは解らないのだ。私は「如何なる任務でも仕事などは誰にでもやらせて見れば出来るものだ。だが、やらせてみるまでは結果は解らないのだ。但し、その人物次第で成果が異なってくるだけのこと」と唱えてきた。

私をアメリカの会社に転進させる切っ掛けを作った日系カナダ人のGN氏は“良き聞けよ。Nobody is indispensable.なのだ。「自分以外にこの仕事が出来る者などいない」などと自己過信した時点でその人物は終わりなのだ。”と常に説いて聞かせてくれた。このGN氏の説を当て嵌めれば、自民党の内部には必ず、石破氏や岸田氏を凌駕する隠れた逸材がいるかも知れないのだし、この両氏にしたところで、実際に一国の指導者ともなれば、二階幹事長が読み切れなかった能力を秘めているのかも知れないのだ。

だが、安倍総理の後を引き継ぐのはそれほど簡単なことではないだろうし、国の内外の情勢は現時点よりも遙かに難しい局面に向かって行くと予測できる。次を狙うのならば「その時代を乗り切っていけるだけの力量を備えておくこと」に十分に意識して研鑽を積んでおくべきであり、禅譲などを期待している時ではないように思えるのだ。何しろ、我が国はアメリカとは違って、ある日突然思いがけない外部から上司が登場する文化というか国ではないのだから。