新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月23日 その2 努力の天才からの贈り物

2019-03-23 15:45:19 | コラム
何となく違和感を覚えた産経の主張:

産経新聞が「主張」欄にイチロー君の言葉を称えるような表現で「自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーをそそげるので、そういうものを早く見つけてほしい。(以下略)」と子供たちへのメッセージを求められて答えたとしていた。確かに良いことを功成り名遂げた大選手が述べたことは貴重だとは思うが、私には何となく「何となく」の思いがあるもの確か事だった。

それは、今を去ること50年以上も前になっただろうか、日本の会社時代に2期上の年齢になる某国立大学出身の秀才と語り合ったことだった。彼のことはこれまでに何度も採り上げたが、名言や至言が多い人である。当時は(乃至は今でもかな?)スポーツの世界で大いなる成績を挙げた大監督などを招聘してその成功物語を財界人が聞く講演会が方々で開かれていたことを捉えて、お互いの意見を述べ合ったのだった。その際に一致した見解は「それは本末転倒ではないだろうか」ということだった。

即ち、「スポーツという言わば限定された範囲内での成功よりも、国内のみならず世界にも進出して実績を挙げられた傑出した経営者の『成功への道』をスポーツの指導者たちが承って勉強するのが本筋ではないのか」という考え方だった。半世紀も昔のことなので正確な記憶ではないが「経験談を承るのだったならば、例えば松下幸之助であるとか、井深大とか盛田昭夫のような方々から監督やコーチ連中が聴衆になるのが適切ではないのか」というように語り合ったのだった。

今思い出しても、1964年の東京オリンピックで日紡貝塚の大松監督が女子のヴァレーボールで優勝されたような猛練習の話は確かに大いなる感動を呼んだ。だが、「そのある目的を持った猛練習による成功の過程の経験談を伺って、それをどのように会社の成功(大きな利益を挙げること)とか部下や後進の指導に応用すれば最善の結果出るのか」というような議論をしたような記憶もある。即ち、参考にはなるだろうが経営の指針になるのかという意味だったと記憶する。

私はキリスト教の教えではないが「人は死ぬまで努力し向上しようとし続けねばならない」とは承知しているが、それを実践し続けるのは余程の覚悟と強固な意志が必要だと思う。イチロー君があれほどの名選手になった後でも、常に練習を怠らず心身を鍛えておく努力を怠らなかった事は見習うべきだとは思う。だが、常人には容易にやり遂げることはできないことだと危惧する。そういう努力をする姿勢こそがビジネスパーソンたちも模範とすべきだろうとも思うが、私はそういう見習うべき努力をしておられたビジネスパーソンたちを数多く見てきた気もするのだ。


テレビ中継のスポーツ観戦

2019-03-23 09:01:51 | コラム
22日夜の対コロンビアのサッカーに思う:

導入部:
このアパートに先頃惜しくも故人になられた中国地方の野球の名門校で監督を務められ、何人もの選手をプロ野球界に送り込まれたH氏がおられた。何時のことだった「プロや甲子園の野球のテレビ中継をご覧になりますか」と伺ったことがあった。答えは「見ない」であり、理由は「我々は試合進行の全体を見て判断するので、部分的なことしか映し出さないテレビ中継は意味がないと思うから」だった。「なるほど」と思って伺った。

サッカーと野球では試合の進め方がまるで異なるが、高齢者となった私は最早サッカーのテレビ中継を見るしかないのだが、H氏と同様の不満はある。それは、テレビ中継をしているプロデューサーかカメラマン次第かとも思うが、全体が見えず部分的にしか「何がどうなっているかは解らない」のであるから。換言すれば「逆サイドで誰が走っているか、何処にいるか、前方では何処が空いているのか」が解らないようなことが多いのだと言うこと。

サッカー経験者がお解りだと思うが、同一平面上でも全体の動きは瞬時に読み取るか、または自分の所にパスが回ってくる瞬間科寸前に「誰が何処にいるか」くらいは把握しておくべきだし、また瞬時に見ておくことはできると思っている。だが、テレビカメラの動きでは容易にそこまで映し出せないようだし、重要なことである「無駄かも知れないと解っていても、チャンスが来るかも知れないと考えて反対側を全力で走っている者」の存在は先ず解らないのだ。

いきなり講釈になってしまったが、そういう不満はあるものの、昨夜も「もしかして勝てるかも知れない」との淡い希望の下にご贔屓の香川真司が暫く振りに呼ばれた対コロンビアのキリンカップ戦を見ていた。残念ながら淡い期待は淡いままに終わったが、あの顔触れでは「試行錯誤」の段階だろうと思っているので、それほど落胆はしないで済んだ。マスコミの予測では「南野、中島翔、堂安」と香川が合うのかが問題であるようになっていた。私は「彼ら新世代の3人が香川にどう使われるかの問題では」と思っていた。即ち、合わせるのが彼ら3人の務めだということ。

攻撃面:
攻める方から振り返ってみよう。確かに、中島翔はその特徴であるキープ力を活かして動き回ったが、あれは優れた個人技の域を出ておらず、ゲームメーカーとしての働きではないと思って見ていた。しかも昨夜は「機を見るに敏」と評したいような鋭いロング(なのだろう)シュート放って見せたが、遺憾ながら殆どテレビ用語にいう「枠を外れていた」に終わった。その点を別な表現をすれば「決定的なチャンスの形を作り出すタイプの選手ではなく、ここぞという時に別人のゲームメーカーが活かしてやるべき選手なのかなと思わせられた。

南野も堂安も現時点での彼らの持てる力を出せていたとは思うが、その力では南アメリカの強豪を振り切るまでの域には達していなかったということのようだった。だからこそ、途中で交代する結果に終わったと思う。(私の好みではなく未だ力強さが不足していると見ている)大迫を呼べずに出した鈴木武蔵は、昨夜だけの出来で批判すべきではないのかも知れないが、身体能力だけが目立っていたようでは仕方があるまい。何しろ全体が「試行錯誤」段階にあった試合だったから。なお、私には森保監督が香川を20分程度しか使わなかった真意というか意図が解らなかったのも遺憾である。

守備面:
守る方では、吉田麻也も長友佑都のいない4バックは敗れたりと雖も善戦健闘だったとは思う。富安も復帰してきた昌子源は持てる力を出せていたと思う。守屋はJリーグに在籍する選手としては良くやっていたとは思うが、何をしても外国に移籍しないのが解る程度の不正確なのが気になった。私は解説者やアナウンサーが褒めるほど柴崎岳ほど評価できないままになっているのが残念だ。また昨夜は安定していると評価してきた山口蛍の影が薄かったのが不思議だった。

対戦相手:
所で、相手のコロンビアだが、W杯の時は10人で戦わざるをえなかったこともあって「本当に強いのか、上手いのか」を測りかねていた。だが、昨夜の出来では「戦術的には中くらいであり、個人の身体能力と天性かと思わせるほどの球扱いの上手さ」が目立った程度だったようにしか見えなかった。アナウンサーがうるさいほど怖れて見せた「ハメス・ロドリゲス」もあれほど厳しくマークされれば、普通の人に終わらざるをえなかった程度らしいと思って見ていた。

もしかして、彼らは本気で当たってきていなかったのかなと、ふと疑ったほど「上手いな」と感心させられる試合運びがなかった。敢えて極端な表現をすれば「コロンビアも小汚いサッカーをするという点では、中近東の諸国と余り変わらないのでは」という時間潰しをやってみせるは、反則を取られた場面でボールを持ち去って相手に直ぐに蹴らせないような悪さをするのが目立った。尤も、昨夜に限っては、我が方は抜き去っていく相手に足をかけては転倒させるという反則が多かったのが目立っていたが。

結び:
現時点では、森保監督が何時になったら試行錯誤の段階を終えて「最善の代表テイーム」を構成できるかだと思うが、欧州に行っている連中を代表に呼び戻せないような契約をさせないことには、今回の大迫の不参加のような問題が生じるのだと思う。鈴木一朗君は契約には「ホームラン王と取った時」という条項を入れていたそうだ。「まさか」と思う向きもあるだろうが、その危険性(可能性)が皆無ではないと当人は承知していたと聞いた。そういうのが契約社会なのだ。