私は羽生結弦の選出を疑問に思っている:
マスメディアは羽生が練習中に転倒して負傷して以来、全日本選手権に出場できなくともオリンピック代表には選ばれるとの予測を流し続けてきた。あれでは恰も協会の意を帯して土壌作りをしてきたかのようだ。私は我が国の各種の競技団体は長年こういう選抜方式を繰り返してきた事を大変好ましくないと思ってきた。こんな事を言えば、恐らく批判されるだろう事を覚悟で言っている。
昭和20年の中学入学以来大学を経て社会人になってからの運動部とその競技の経験者として、私は「負傷乃至は怪我をする者は何処かに至らざる点があるか、欠陥がある選手だ」と信じるようになった。陳腐な言い方としては「無事これ名馬」というのがあるではないか。何も未熟なだけではなく、精神的に緩んだとことがある者は、思わぬところで怪我をするものなのである。
私は羽生の輝かしき実績は十分に認めるし、何やら物の怪に憑かれたような技術的だけではなく精神的な高みを目指している、野村萬斎にまで教えを請うような練習の仕方にも、世界的な名手として一定以上の評価はしている。だが、その過程に於いて余りにも重大事故になってしまう負傷が多いのも気懸かりだった。それはあるいは極限までに達しようとする努力の中では止むを得なかったのかも知れないとも見做してはいるが。
だが、私はマスコミが勝手に協会の意向を忖度したのかどうかは知らないが、仮に全日本を欠場してもオリンピック代表に選ぶという考え方には到底賛成できないのだ。オリンピックには我が国から3名まで枠があるが、そのうち1名は予選(と言っても良いような全日本)に自己責任で負傷した為に出ない羽生が予め選ばれているかのようなやり方は不公平だと思う。
しかも、羽生がこれから先何処まで回復するのかは私には「推定」としか見えないし、これから先来年の平昌オリンピックまでに彼がもう一度故障しないという保証が何処にあるのかとも、協会には尋ねてみたい衝動に駆られる。オリンピックで我が国の代表の優勝させたし気持ちは悲しいほど解るし、その希望を羽生に託したい願望も解る。
だが、それでは3名の枠を目指して、負傷も故障もせずに昨日までの全日本選手権に出場していた連中の努力をどうする気かと思っている。懸命に演技して第3位に入った無良に対して「公平且つ公正無比」と協会は言い切るつもりかとも問いかけたい。私は各種の団体の「実績を考慮し、3位以内に入賞できそうな者」を選ぶ方式は採らない。
いっそアメリカ式に最終予選での一発勝負の方が余程フェアーだとすら考えている。過去の実績は過去のことだ。そうすれば無良君の努力も報われるのではないかとすら考えている。
故に、私はその競技しか知らずに、と言うか世間を知らずに育ち、その結果として協会に残った古き時代の名手たちが、現代の近代的練習方で鍛え上げられてきた若者たちを、古き時代の尺度で選んでいくのは如何にも時代遅れであり、古池の中の蛙に過ぎないと思う。何れまた、マラソンなどの種目では「日本人1位」などという屁理屈が出てくるのだろう。もう好い加減にしようぜ。
マスメディアは羽生が練習中に転倒して負傷して以来、全日本選手権に出場できなくともオリンピック代表には選ばれるとの予測を流し続けてきた。あれでは恰も協会の意を帯して土壌作りをしてきたかのようだ。私は我が国の各種の競技団体は長年こういう選抜方式を繰り返してきた事を大変好ましくないと思ってきた。こんな事を言えば、恐らく批判されるだろう事を覚悟で言っている。
昭和20年の中学入学以来大学を経て社会人になってからの運動部とその競技の経験者として、私は「負傷乃至は怪我をする者は何処かに至らざる点があるか、欠陥がある選手だ」と信じるようになった。陳腐な言い方としては「無事これ名馬」というのがあるではないか。何も未熟なだけではなく、精神的に緩んだとことがある者は、思わぬところで怪我をするものなのである。
私は羽生の輝かしき実績は十分に認めるし、何やら物の怪に憑かれたような技術的だけではなく精神的な高みを目指している、野村萬斎にまで教えを請うような練習の仕方にも、世界的な名手として一定以上の評価はしている。だが、その過程に於いて余りにも重大事故になってしまう負傷が多いのも気懸かりだった。それはあるいは極限までに達しようとする努力の中では止むを得なかったのかも知れないとも見做してはいるが。
だが、私はマスコミが勝手に協会の意向を忖度したのかどうかは知らないが、仮に全日本を欠場してもオリンピック代表に選ぶという考え方には到底賛成できないのだ。オリンピックには我が国から3名まで枠があるが、そのうち1名は予選(と言っても良いような全日本)に自己責任で負傷した為に出ない羽生が予め選ばれているかのようなやり方は不公平だと思う。
しかも、羽生がこれから先何処まで回復するのかは私には「推定」としか見えないし、これから先来年の平昌オリンピックまでに彼がもう一度故障しないという保証が何処にあるのかとも、協会には尋ねてみたい衝動に駆られる。オリンピックで我が国の代表の優勝させたし気持ちは悲しいほど解るし、その希望を羽生に託したい願望も解る。
だが、それでは3名の枠を目指して、負傷も故障もせずに昨日までの全日本選手権に出場していた連中の努力をどうする気かと思っている。懸命に演技して第3位に入った無良に対して「公平且つ公正無比」と協会は言い切るつもりかとも問いかけたい。私は各種の団体の「実績を考慮し、3位以内に入賞できそうな者」を選ぶ方式は採らない。
いっそアメリカ式に最終予選での一発勝負の方が余程フェアーだとすら考えている。過去の実績は過去のことだ。そうすれば無良君の努力も報われるのではないかとすら考えている。
故に、私はその競技しか知らずに、と言うか世間を知らずに育ち、その結果として協会に残った古き時代の名手たちが、現代の近代的練習方で鍛え上げられてきた若者たちを、古き時代の尺度で選んでいくのは如何にも時代遅れであり、古池の中の蛙に過ぎないと思う。何れまた、マラソンなどの種目では「日本人1位」などという屁理屈が出てくるのだろう。もう好い加減にしようぜ。