新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月29日 その2 結局は私の英語論になってしまったか

2017-12-29 15:30:07 | コラム
語論か私の英語論になってしまったか:

国文学者のKS氏から

英語ネイティヴではない英語ユーザー」が飛躍的に増え、英語ネイティブを数的に圧倒していく流れは止められないよう印象も受けます。そこのあたりを、貴方がどのようにお考えなのかお教えいただけると嬉しく存じます。」

との難しい質問が来てしまった。そこで、何とか答えて見ましたが結局は「言語論」か「私の英語論」になってしまったかのように纏めてみたのだった。一寸長くなってしまったが、敢えてご紹介する次第。

第1部:
私は自分から言うのもどうかと思いつつも、敢えて言わせて貰えれば日本人には珍しい部類に入るかも知れない高校や大学の頃からの「英語の実践的ユーザー」の1人として、アメリカ人の会社の中でも20年以上を過ごしてきました。その間では何度か申し上げたように「英語で話す時には頭の中のギアを日本語→英語のようにシフトして一切日本語で考えることなく、極力英語だけで考えるようにしていました。

ここでは仕事上で通訳という仕事が入った時が最も面白くもあったと同時にstressful でしたし、疲労したと思います。面白いという意味は「通訳という仕事は結局は自己陶酔であり、他の誰にこういうことができるかとでも思っていないと出来ない仕事だと思っていた」だからです。

話が本筋から逸れるかも知れませんが「通訳は実は楽な仕事である。それは自分で考える必要はなく、誰かが考えた事を別な言語に入れ替えれば済むのだから」とも言っていましたが、そういう状態が何日も続くと frustration を起こして「好い加減に俺にも考えさせてくれ」となって、精神状態が不安定になります。

即ち、通訳では頭の中を完全に空白というか真っさらにしておいて、話し手が言うことを素直に受け入れるようにしないと直ちに別な言語に変えられません。それは、如何なる矛盾がある発言でも、その矛盾のままで別な言語にしてあげるというのは、かなり面倒な作業だからです。自分の感情を入れたり、反応してはならないという意味です。

そこで英語ユーザーに話を戻せば、私は東南アジア、韓国、中国、アメリカ、欧州ではUK、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリア(バチカン)、オランダ(Netherlands)、スペインと歩きましたが、南米とアフリカにはついぞ行く機会がありませんでした。結論めいたことを言えば、「ある程度以上英語で自分の思うことが言えるユーザーになっていれば、兎に角何とかなると言えるだろう」でしょうか。ここに当てはまる英語の表現は I know how to express myself in English. であって、I can speak English. とは次元が違うと思います。

欧州では街の中で英語が通じなくて困った経験はドイツのデユッセルドルフだけでした。フランスでは俗説の「フランス人は英語が出来ない」というのは真っ赤な嘘だと知りました。パリでお世話になった船社の支店長の秘書さんとは、何不自由なく英語で話していました。彼女は「フランス政府が外来語の混用を禁じたのは誤りである。フランス語は言葉の数が少ないので、圧倒的に多い英語から借用しないことには上手く表現が出来なくなるのだ」という意見を堂々と披露しました。その見識に感心して聞きました。

イタリア、スペインの両国では買い物でもレストランでも「誰か英語が解る人は?」と英語で言い続けていれば、必ず誰か出てきて対応してくれました。Netherlandsのアムステルダムでは何処に行っても全く英語だけで通用する国だと知りました。ラテン系の言語は英語を知っていて形容詞が名詞の後ろに付くという特徴が解れば、何とか看板や標識の意味が取れるようになりますし、スペイン語には英語のような不規則な発音がないので比較的真似しやすい言葉だったと思っています。

中国では上海で地下鉄の駅で青年男子に「どの電車に乗るべきか」を路線図を見せただけで無言で尋ねたら、Are you Japanese? と聞かれて、目的の駅まで案内してくれる間「英語」での会話の練習台にさせられました。しかし、彼は別れ際に See you later. と言ったのには、我が国では教えていないだろう事が言えていると、遺憾ながら印象的でした。彼の英語力は我が国の教育では達し得ない領域にありました。

同じ上海でレストランでまさかと思いつつも「英語が解る人はいるか」と言っていたら、若いウエイトレスが現れて最後まで我々のテーブルに付き添ってくれました。彼女は光栄にも私をアメリカ人と勘違いして英会話の練習の絶好の機会だと思った由でした。彼らは度胸がありましたが、これは会話上達の一つの条件でしょう。

韓国人には英語力が高い者たちが海外に出ていますが、ソウルでも何処でも日本語の方が使い勝手が良いようで、高齢者には日本語で話が出来るのは歴してから考えて当然でしょう。韓国では財閥や会社のオウナーたちが子弟を米国に留学させているし、国家的に英語の教育をする機関を設けていると聞きましたが、市中では余り英語は普及していないという印象。一般論としては、遺憾ながら我が国の水準を超えた英語力がある者が多いようです。私は問題点は「我が国の英語教育の至らなさにある」と断じざるを得ないと思っております。

ここまでで申し上げたことは「世界中何処に行っても英語が話せれば何とかなる」のは事実だと思うが、その英語が続に侮蔑的に言う車夫馬丁のそれか、支配階級にも通じるものかで、その有効性(有用性)が大きく変わってくると思います。下層階級が如何なる言葉を使っているかを全く教えていない様子の我が国から、例えば米国に行くと、私が繰り返して指摘してきた「沢尻エリカの Oh, shit!」 のように、swearwordに飛びつく結果になるのです。

でなければ、何度も採り上げてきた「例えば grow という言葉を知らずにChildren become big. のような表現をした人がいたように無知か無教養をさらけ出す英語になる危険性があります。要するに「学校教育でキチンとしたものを教えていない限り、『何とか通じた』と喜んでいるような、およそ native speaker とは縁遠いような恥さらしの英語を English だと思い込んで自信を持って世界中に出歩く結果のなる」と思うのです。

でも、我が国では「通じれば良い」と思っているようだと、アメリカで軽蔑される pidgin English のような英語擬きを話す傾向は続く気がします。それに忘れてはならないことは「native speaker の英語が支配階層か、トランプ様の支持層のようなプーアホワイト以下かどうかを見抜けるように勉強できていないと、海外に出て恥をかく結果になる」というのが結論かと思います。

第2部:
ここで方向を変えて「駄目な英語」を採り上げてみます。それはJRを始めとして多くの鉄道会社が採用している車内放送のアナウンスをしているクリステル・チアリ(フランス人で日本生まれか)の酷くて品格に欠けた英語です。具体的には Please change your trains here for 何処何処 と言う時に彼女は for に強烈なアクセントを置いて「フォオアー」と言うことです。冗談じゃありません。ここにはアクセントはなく、精々「フ」程度にするのが本当の英語のイントネーションです。

こんな程度の常識もないフランス人を雇ったJRの英語知らずも問題だと思いますが、追随した私鉄も英語に関しては無学であり無教養だと思います。この点は私が常連の投稿者の如きである渡部亮次郎氏主宰のメルマガ「頂門の一針」にヨーロッパに住んでおられる日本の方が一時帰国されて投稿されて「酷い英語」と酷評されました。

しかしながら、我が国の英語教育では for のような前置詞にアクセントは来ないとか、動詞の前に来る to にもアクセントを付けずに精々 「t」だけを言うといったことを教えていないようですから、仕方がないのだと思っております。これらのアクセントを知らないことが「下層階級の英語」と見做されかねない危険性があることになる訳です。アメリカ人だって、ここまで心得ている者は支配階層にのみにいると言って誤りではないと思うのです。

あのクリステル・チアキのアナウンスを聞かされて「国辱的だ!」と思う者が増えてくるような英語教育が出来る教師がどれほどいるのでしょうか。尤も、私はあれを真剣に聞いておられる同胞がどれほどおられるかと思っていますが。

これ以外には「連結音」を知らないことも「英語を知っているか知らないかの程度」を示します。韓国語には連結音があって、例えば「5千元」は「オ・チョン・ウオン」なのですが、話す時には「オチョノン」に聞こえます。我が国ではラグビーでは turn over を、アナウンサーも解説者も一様に「ターン・オーバー」と言っています。だが、英語ではnとo を連結させて「ターン・ノーバー」と聞こえるように言うのが常識です。

この連結音も学校教育では教えていない模様です。例えば、There is ~. は「eの前のrとI を繋いで「デアリイズ」のように聞こえるのが普通です。これは同じ連結音でも r-linkingと呼ばれています。私は往年の上智大学で千葉勉教授に「連結音やr-linking を知らないとは無教養を示す」と厳しく指導されたものでした。

こういう細かいことをnative speaker たちに尋ねても、答えられない場合が多いと思います。私は彼らに「お前は学者だから知っていると思うが」と言ってこういう事柄を尋ねられたことが何度かありました。これは自慢ではなく、自国語の細かい点は教えて貰う機会などなく育ったということでしょう。私がもしもアメリカ人に「日本語の動詞の活用を教えてくれ」と言われたら謝ります。

故に、私は「英語をnative speakerに教わるよりも、私のような現場で苦しんだ経験者に尋ねる方が意味がある。何故ならば、native speakerたちは日本人が如何なる事で悩んでいるかは解らないから」と主張するのです。





相撲協会と文在寅大統領

2017-12-29 09:03:43 | コラム
>矢張りか:

昨28日の夜はテレビに全く食欲を刺激する番組がなかったので、暫く振りに本当のステレオのセットでCDを聞こうと思い立った。実は、PC部屋のミニコンポが昨年だったかに故障してからは全くBGM無しで作業していたのだった。

沢山ある(?)CDの中から無作為に取り出したのが「1979年のチック・コリアとゲアリー・バートンのチューリッヒ・コンサート」と「ビル・エバンスの1950年代のコンピレーションもの」の2枚だった。この2枚を約2時間、ソファーに寝そべって聴いていた。私の場合は音楽を聴いていると何とか無心になって、色々と発想が湧いてくるのだが。

そこで浮かんだことの一つが、余り関心のなかった相撲協会内の内輪揉めというのか、私の見立てでは「八角とやらば何とか言う検察官上がりを手下(イヤ指導者か)にして、如何にして貴乃花を抹殺するかに腐心しているだけのこと。何れは権力を持っている八角の勝利に終わる」だったが、その通りになったというニュースの馬鹿馬鹿しさだった。マスコミの連中だってそうなると見通していたはずなのに、連日連夜の大騒ぎ、ご苦労なことだった。

次は午前中に纏めておいた韓国の文在寅大統領の不可逆的合意に対する結論。実は、一昨年末だったかに岸田元外務大臣がユン外相と取り纏めたこの合意を韓国は必ずチャラにしようとするだろうと予測していた。果たせるかな、選挙キャンペーンで公約に掲げていた文在寅は「破棄するのか」と記者に問いかけられて「今は言えない」と誤魔化していた。

こういう輩に取り合う必要など全くない。安倍総理も河野外相の堂々と文在寅にその非を指摘して、かかる国際的信義にもとる事を速やかに撤回させて、合意の通りに実行せよと迫るだけで良いと思っている。場合によっては平昌オリンピックなどの不参加だってあり得ると思っている。

まさか、韓国との国交断絶までは考えていないだろうが、アメリカとDPRKの間が一層急を告げそうな事態にある時に、かかる不安定な材料を持ち出す文在寅は本当に困った指導者だと思っている。同じ事を言うが、文在寅が相手では「直接に、貴君はこういう過ちを犯している。我が方は絶対に受け入れない。速やかに合意の内容通りの実行を」と迫る以外に何をする必要もないだろう。