新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日清食品がECOカップ採用だと

2008-03-21 19:31:00 | 200803
何を今更と言いたくなるようなプラスティックから紙製のカップへの変更だ。

環境問題については嘘ばかりだと、中京大の武田教授が書いておられる。誠にその通りで、紙が貴重な天然資源である森林を無駄にしていると見てきたような嘘を言った奴がいたことをお忘れか!

東南アジアの焼き畑農法に驚き、南洋材の乱伐を見てパルプや紙の原料にされていると信じ込まされたそそっかしい人たちは、何とこともあろうにプラスティックに転進していった。石油と木材の何れが"Renewable and sustainable resources"かも知らないで。

そこで年移り人変わり、今度はCO2問題が大きく取り上げられて風向きが変わってきた。その一環がポリエチレン等の製品であるレジ袋の有料化や廃止である。あの時に無定見に紙の袋を止めたのは何処の人たちだったか?

と思えば、今度は「スチロールカップから紙へ」だそうだ。カップ麺が登場した頃に大手印刷業者は真剣に断熱性を持たせた紙カップの開発に努力していた。その際にはその熱意と努力を退けておいて、今度は地球環境だそうだ。

でも良いじゃありませんか。英語の古い諺に"Better late than never"というのがあるのだから。きっと前非を悔いてCO2排出削減に努力されるのだから。

おそらく紙製にした方が経済性も出てくるのではないのだろうか等と、つい勘ぐりたくもなる。


アメリカの資本主義#3

2008-03-21 14:14:44 | 200803

ファンドは何をするか:


サーベラス・キャピタル・マネジメント(CCM)はあおぞら銀行、帝国ホテル、西武グループ等の株主であり、最近でグッドウイルの株式を取得するなど、我が国の市場にも進出してきている投資ファンドである。<o:p></o:p>


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アメリカでも数多くの企業に投資している。その中で私にとってもっとも強烈な印象を与えてくれたのが052月のNewPage Corporation(ニューページ)の設立にいたる紙パルプメーカーへの進出であった。アメリカの紙パルプ業界の上位10社にランクされていたMead Corporation(ミード)はコート紙のような印刷紙では歴史と伝統あるメーカーで、そのライセンスの下にコート紙を生産していた日本の大手メーカーもある。因みに、「コート紙」とは光沢がある紙で表面にクレーを塗布されている。分かりやすい代表的な例を挙げれば週刊誌の表紙のような紙である。<o:p></o:p>


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そのミードが煙草のカートンのような包装容器用板紙の分野に強いWestvaco(ウエストヴェイコ)と合併してMeadWestvaco(ミードウエストヴェイコ)となった。印刷用紙のメーカーであるミードは包装材料の分野でも大きな存在で、コカコーラの瓶を6本纏めて持ち歩ける形式の包材等の昔懐かしい製品も手掛けている特徴があった。そのミードとウエストヴェイコの合併は一見理想的のようだった。<o:p></o:p>


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ところが合併して間もない051月にその印刷用紙部門をCCMに売却すると発表され、2月に新会社のニューページが事業を開始した。それまでに投資ファンドが紙パルプメーカーの株式を買収したことは聞いていたが、インターネット広告に圧され気味の印刷媒体向けの製紙産業の経営に乗り出したのは全く意外であった。<o:p></o:p>


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だが、業界としてはこの進出を歓迎していた様子ではなく、後に世界最大手のインターナショナル・ペーパーが同様にコート紙事業を売却した際にその工場の一つを購入したのが同業のメーカーであったと聞いて「ファンドでなくて良かった」とコメントした経営者がいたくらいであった。<o:p></o:p>


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一寸話題を変えるが、我が国ではマスコミも一部の経営者も外国資本の日本への進出というかM&Aを極度に怖れている節がある。すなわち「乗っ取り」を怖れているのである。その気持ちは解らないでもない。だが、何を怖れるかが間違っている。単に乗っ取られるだけでは、会社も従業員も全て安泰ではないか。経営権を取られることが怖いのか?アメリカのM&Aの後に起きることを考えて貰いたい。それはそんなことではない。買収した会社がコア事業の強化を目指してその会社を買収したのであれば、買い取った会社のそれ以外の事業を何ら躊躇うことなく、何の配慮もせずに売却または閉鎖してしまうことが往々にしてある。不採算事業があれば遠慮会釈無く売り払い、また廃止するのである。これが日本語になっている「リストラ」である。より具体的に言えば事業を辞めれば従業員も要らなくなるという簡単な図式である。<o:p></o:p>


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何かを怖れるならば、この点である。この景気低迷の時期に、ある日突然放り出された人たちに我が国で次の就職口が待っているか?アメリカのように社会通念が異なり、雇用に流動性がある国の人たちが日本の事情に配慮すると思うか?何もファンドでなくても、M&Aで会社の規模が必要以上にふくらんだ場合に、人員削減に手をつけるのが彼らの経営である。常識である。<o:p></o:p>


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話をCCMに戻そう。彼らがミードの生産設備能力を縮小、整理したとは聞いていない。だが、あっと驚くような手段に訴えてきた。それは、ただでさえネットに地盤を奪われて、不振なアメリカの印刷用紙業界である。各メーカーは操短や設備削減などの方法で供給を調節して価格を維持してきた。そこにアジアの新興勢力、中国、インドネシア、韓国が彼らの最新鋭の設備で造りだしたコート紙の輸出を開始した。アメリカは元はといえば世界最大の市場で、需要はまだまだ十分にある。<o:p></o:p>


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問題は「利益が挙がらなければ投資はしない」アメリカの資本主義である。コート紙を生産するマシンが皆古くて、小さくて、遅いこと難点だった。従ってコストは割高であった。そこにアメリカから原料を輸入する新しく、大きく、速いマシンで効率よく生産する低労務費の国の紙が雪崩を打って入ってきたのである。輸入紙が米国市場のシェアーの過半数を抑えんばかりの勢いで浸透していった。<o:p></o:p>


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その状況に対してニューページが打った手は、商務省にアジア三ヶ国は不当廉売=ダンピングであるから厳重調査の上「反ダンピング関税」と「相殺関税」を付加するべしと申請した。連邦政府は慎重審査の上これを認めた。結果して暫定的に中国品には合計で100%を超える課税が決定された。勿論他の2国にもそれほど高率ではないまでも課税と決まった。そして、輸入紙は高値となり輸入が激減した。そこでニューページ自社の価格を輸入紙並みに値上げした。長く引っ張ってきたが、これこそが同社の狙いだったのであろう。<o:p></o:p>


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自国の生産を設備ごと減らし、そこをユーザーが安くても品質も良い輸入紙で補っていた。自分で引いていった市場を輸入紙に狙われるや関税をお上に願い出る始末。私は余りにも定見がない経営方針であると非難・批判したい思い出見ていた。ファンドは何としても利益を確保したいのだろう。彼らは何時の日かニューページを利食いして転売したいのではないだろうか。そのためには輸入紙を排除しておきたかったのだろう。<o:p></o:p>


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資本主義を信奉する以上当然の措置という見方もあるだろう。だが、こういう思想の持ち主が我が国の風土に合うかどうかは考えるまでもあるまい。<o:p></o:p>


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因みに、この行きすぎた高率の関税の賦課は、流石に連邦政府が撤回したことをお伝えして終わる。<o:p></o:p>



九州縦断旅行に思う

2008-03-21 07:47:45 | 200803

320日、1910分に3日間の目まぐるしい九州の旅から帰ってきました。これが19、20日と沈黙していた理由でした。

2
日目、19日にホテル出発時刻を10分遅らせていたら何事もなかったかも知れないと悔やまれた豪雨に見舞われました。その結果ずぶ濡れの青島神社参拝(
見学?)となり、不運な旅となりました。

雨・風・霧で苛まれ、行く先々で何も見えず、高千穂峡は何とか見えたものの、期待の阿蘇は単なる焼き払われた真っ黒な草原でした。やまなみハイウエーも霧の中をただバスが走るだけでした。

しかも行き先ざきで温度の上下に遭い、20日の湯布院散策では雨が止んでいたものの寒さに震えました。傘とレインコートを持参たことが役に立って嬉しくも何ともありませんでした。ガイドさんが旧軽井沢に準えたこの町は、寧ろ角館といった方が良いくらい。地元の産物よりも沖縄から出店したばかりの店が湯布院とは関係ない沖縄のTシャツを売っているのが目立ち、どうもぴんと来ませんでした。

20
日の13時に博多駅に着いた時には雨も上がって気温も上昇、何のことだったやら。ではあっても、朝の出発を10分遅らせていたら1330分発の“のぞみ”には間に合わなかったかも知れないので、「終わり良ければ全て良し」でした。<o:p></o:p>



鹿児島から宮崎を経由して熊本から大分と北上して思ったことは、農業、林業、おそらく漁業で地元民が苦労して挙げた収入を、保険、JAしかも彼らは農産物の販売だけではなく、組合員に機械類や化学薬品を売っていると聞いていますが)等の非製造業がかすめ取っているのではないかということ。「道路を整備しろ」などと言う前の問題が大きすぎる気がしました。

その問題とは、我が国の農業は産業の規模に達せず、魅力に乏しくなり若者に見放されていると聞きます。そこに輸入品の安値に売り負けして益々不振に陥ったようです。後継者もなく苦労しているところに、これらの搾取組織が取り囲んでいる図式のような気がしました。

我が国はもともと山岳・丘陵地帯がそもそも面積の7080%を占めています。中で九州は来てみて再確認できたことは山また山だったことでした。バスの車窓からは林業がある程度以上盛んなように見えました。だが、アメリカの規模にはなり得ず、農業同様に家内工業的に見えました。しかも、輸入品に圧されて久しいものがあります。これは誰の責任だったのでしょうか?<o:p></o:p>


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工業面でも進出し来た大手製造業の工場も少なく、南九州では大きな工場も少なくハンデばかり。北海道よりも条件が悪いといわれる意味がよく解りました。

観光業にしても鹿児島では西郷隆盛に過度に(失礼?)依存しているように感じさせてくれました。これは昨年東北6県を回った際に、同じパックにいた人が「同じことを色々な形で引っ張って観光の目玉にしているのは苦しい状況だ」と会津の白虎隊依存を批判していたことを思い出さずにはいられませんでした。<o:p></o:p>


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私はこれを批判しているのではありません。この東北旅行、静岡県内の旅でも痛感したことですが、観光事業の促進も結構ですが、バスを迎える駐車場の整理を高齢者がぽつんと待っている様子や、高千穂峡の御茶屋でバスの駐車場に案内してくれるシャトルバスサービスの手配を、声を枯らして若者がやっている姿を見て、地方の苦しみをあらためて認識した旅でした。<o:p></o:p>


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東国原知事が如何に県内の特産物の販売促進に頑張っても、所詮は小売業の一部が活気づくだけで、地方に存在する根本的な解決には結びつかないかと危惧しました。日本は何としても内需の喚起ではなく、内需の創造を真剣に考えねばならないのでしょう。東京一極集中を如何に排除していくかでしょう。都内のホームレスが「東京に行けば何とかなると思った」と回顧していることを、政治家も経営者も真剣に聞かねばならないでしょう。



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では、何処で何をどうすれば良いのかということは、私が考えるものではないでしょう。このような国家的な問題を如何にして解決していくかが重要な時期に、あの知事を持ち上げ持て囃して何の役に立つでしょう?<o:p></o:p>


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昭和30年代末に九州出身者が大阪勤務を経て東京本社に転勤してきて言いました「東京の人たち冷たい」と。東京に東京生まれで東京育ちが何%いるでしょうか?東京に来て、学び、そして働くことが人を冷たくしているのだったら、それが東京の問題点でしょうか?<o:p></o:p>