新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ラグビーのルールの変化に思う

2008-03-16 19:22:51 | 200803
日本選手権の準決勝以後だったかに限ったことで、ラグビーもフットボール式(俗称アメリカン・フットボール)のように時計を止めるようになった。これは少なくとも改善である。だが、ロス・タイムとやらが無くなれば、早稲田が逆転で勝てるチャンスが減りはしないか等と嫌味を言いたくなる。

ラグビーは保守的な団体に運営されながら、時代に合わせたのか、種種のルール変更を実施してきた。それなりに評価できる改善もあった。

だが、ライン・アウト、スクラム→モール/ラック、イエロー・カード等々と矛盾を解消する新機軸を出して行く度にフットボールに限りなく近づいてきてしまった。

ここまでの修正に加えて、危険防止策としてヘルメットとショルダー・パッドも導入すればフットボールとほとんど変わらなくなってしまう。

だが、もう一つ変え残されているものがある。それがトライ/ゴールを取られた後のキック・オフを、失点した方が行う点である。

当節のラグビーは規則変更の結果、フットボールと同様に攻撃と守備の区別というか交替が解りにくくなってきた。一旦ボールを確保するとなかなかターンノーバーにならなず、一方的に片方が攻め続けることになる場合が多い。

それはライン・アウトで支えること認めたために、反則でペナルティー・キックを得た側がタッチに蹴り出して、尚かつマイ・ボールでライン・アウトから投げ込めるのである。勿論、相手に取られない工夫をしてだが。

これでは一向に攻守が入れ替わらない。それに点を取られた方がキック・オフをすれば、点を取って優位に立った方がまた攻撃権を取ることになる。

そして、再度トライとなれば片方には永遠に攻撃のチャンスが廻ってこなくなる、理論上は。

この矛盾を解決したのがフットボールで、タッチダウンを取った方が、次のシリーズのキック・オフをする取り決めになっている。すなわち、攻撃権は失点した方に廻っていく仕組み。

今日の試合では沢山トライを取られたサントリーも、キック・オフには工夫を凝らして攻撃権奪還を狙っていた様子だったが、そうとはならなかった。

ラグビー協会はフットボールと同じにならないように配慮して、改善を考える時ではないか?


ラグビー日本選手権

2008-03-16 17:01:29 | 200803

今日は三洋電機対サントリーの決勝戦のテレビ観戦を楽しんだ。その感想を一言。「感想」のところで指の動きが悪く「感動」と出てきたのはご愛敬か?<o:p></o:p>


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好試合:<o:p></o:p>


良いゲームで楽しめた。私が皮肉を込めて言う「日本式箱庭ラグビー」の典型でもあったが、技術的にも戦術的にも高い水準にあったと思う。<o:p></o:p>


特に誰が良かったかと言えばアナウンサーも解説者も指摘していた三洋のSO、ブラウンに尽きる。ニュージーランド代表の経験がある人だそうで、彼だけ異次元でラグビーをやっていながら、ティーム全体の水準に見事に調和させていたのは流石だった。<o:p></o:p>


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日本ラグビーの問題点:<o:p></o:p>


残念だったことは、ラグビーではこういう選手を連れてくると際立った存在として目立ってしまうような、国際的低水準に止まっている感があることだ。<o:p></o:p>


Jリーグでは元ブラジル代表級ないしはそれに準ずる人を入れても、最早ブラウンほど存在感が出てこない段階まで来ている。そこにラグビーの遅れがあると思う。<o:p></o:p>


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サントリーのゲーム・プラン:<o:p></o:p>


サントリーはFWの体格と力を活用して勝つような展開をしていた。それで決勝まで出てきた。これは私が言う「国内のトーナメントを勝ち抜くために小さく纏めた」結果であり、日本代表が体格・歴史・技術・戦法が異なる国際試合ではまだまだBクラス以下に止まる最大の原因であると思う。だが、清宮監督は私のこのような批判を聞いても相手にしないと思う。彼はあの大会で勝つためのティームを作ってきたのだから。<o:p></o:p>


彼が果たして本当にそう考えているかどうかは知る由もない。だが、アナウンサーやスポーツ新聞は常に「国際試合」の心配をしている。ワールド・カップがどうのと直ぐ話題をそこに持って行きたがる。一度清宮監督に訊いてみるが良い「貴方は何を目指しているのか」と。<o:p></o:p>


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水準向上:<o:p></o:p>


とは言え、私もラグビーの水準は上がってきたのは確かだと思う。残る課題は甲子園野球と同様で、何を目指してティームを作っていくかであろう。高校・大学は3年か4年で選手が入れ替わるので、その間に全国大会を目指して小さく纏めなければならないと、指導者は考えるようだ。トップ・リーグは選手の入れ替わりがないのだから、ここでは国際水準を目指したティーム及び選手育成ができると思う。問題は高校・大学で妙に小さく纏められては、社会人の段階で容易に修正できない危険性があることだ。<o:p></o:p>


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排すべき感情論:<o:p></o:p>


ラグビーのことから少し離れるが、今日の中継を担当したアナウンサー(野地といったか?)が「サントリーに怪我人が2名いてそのために思うような試合運びができない」と、再三再四言ったのが耳障りだった。大試合を前にして怪我をするということは、所詮はそこまでの選手ということで、同情することでも取り上げて言うべきことでもない。本当の勝負を知らない視聴者を惑わす危険がある。あれは単なる感情論である。負けた方が弱いのだという原則・鉄則を伝えるべきだった。折角の良い試合を三洋が相手の負傷者のお陰で勝ったような印象を与えたのは不当である。<o:p></o:p>



日米企業社会における文化の違い#16

2008-03-16 07:16:44 | 200803

承前<o:p></o:p>


今回は冒頭、“(16)終わりに”から入っていくが、これは「これまでのような違いの説明が終わること」とご理解賜りたい。次回からは最近のアメリカの状況をM&Aやファンドの進出等の具体例も取り上げて、「違う国であること」を語っていきたいと考えている。<o:p></o:p>


長いことお付き合い頂きまして、誠に有り難う御座います。<o:p></o:p>


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16)終わりに:<o:p></o:p>


何処まで、何が解っているのか?:<o:p></o:p>


1970年代に、すでに故人となられたアメリカとUKの外資の代表者であった2人の大先達と語り合ったことがあった。アメリカの会社のM氏は京大出身。先ず日本の大手製紙会社に就職された後にアメリカの大学でMBAを取られてから日本の会社に戻って大活躍され、アメリカの会社が引き抜かれるほど目立った存在になられM社に転進された。そして、日本代表を務められた。そこからさらに上場企業の代表取締役に再々度転進された一流の国際人であった。そのM氏が「私はアメリカのことが70%は解るようになったが、残る30%の理解が難しくそれ以上に進めない」と言われた。<o:p></o:p>


納得できる発言だった。だが、それを聞いたUKのメーカーの日本代表者だった日系カナダ人のN氏が後刻私に言った。「あのMさんでも勘違いをしている。解っているのが30%、解らないのが70%の間違いだろう。この私だって同じことを尋ねられたら、解っているのは精々2030%と答えるだろう」と。これも解ったような気がした。<o:p></o:p>


 こういう弁解めいたことを言うのは自らの美学に反するのだが、敢えて申し上げておく。長々と如何にもアメリカを知り尽くしたと取られるように言ってきたが、アメリカを解ったと思ったことはない。永遠に勉強中だろう。<o:p></o:p>


私は常にこう言ってきた。「私は確かにアメリカについて知っている。だが、その理解・認識の程度は、普通の日本人としてはよく知ることができたくらいのものである。もしかすると、“群盲象を撫でるが如き”と言うように、あるいは象の胴体か足に触れて『象とはこんなもの』と得々として語っているだけかも知れないと懸念するのだ。だが、それでも尻尾だけを触らせられただけで、象だと思わせられている人よりも少し条件が良いだけに過ぎないかも知れない」と。私は心密かにこのように危惧しているのだ。<o:p></o:p>


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会社は同じではない:<o:p></o:p>


ここまで述べてきたように、同じ「会社」と言ってもこれほどまでに相互の文化が違うのである。二国間や多国間の取引に際して、お互いに会社なのだから同じような基準で事を運び判断し行動する等と、性善説に基づいて勝手に判断しないことが肝心であろう。<o:p></o:p>


アメリカ一国を捉えても彼らは見事なばかりの「性悪説」信奉者であり、謝罪の文化を「尊い」としてはいないのである。ただ単に言語が違うだけの違いではないのは言うまでもあるまい。<o:p></o:p>


 それに、彼らがこちらの立場を理解して、以心伝心で何も言わずとも理解して、尊重してくれるなどと勝手に判断しないことである。彼らは「こちらから言わないことに対しては反応しない」のである。また、繰り返しになるが、何か不味いことを言われた時か、都合が悪い場合に、簡単に「ノー・コメント」などと言わないことである。彼らはこれを「黙認」=「イエス」であると考える人種である。彼らの「これを言うことで失うものはない」精神を偶には採用して、国際場裏では堂々と自己主張をしていくべきである。<o:p></o:p>


以上


続く)<o:p></o:p>


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