新450◻️◻️『岡山の今昔』岡山人(19~20世紀、常の花寛市)

2021-06-18 22:37:34 | Weblog
新450◻️◻️『岡山の今昔』岡山人(19~20世紀、常の花寛市)


 常の花寛市(つねのはなかんいち、1896~1960)は、明治〜昭和期の力士にして、第31代横綱、それに、 日本相撲協会理事長を務める。


 岡山市西中山下の生まれ。本名は、山野辺寛一という。どの位の年齢から、相撲、そして力士を志したのだろうか。明治42年には、出羽海部屋に入門する。


 翌1910年(明治43年)に初場所、大正6年には、新入幕を果たす。1924年(大正13年)1月には、めでたく第31代横綱に昇進する。

 1930年(昭和5年)には、これを引退する。通算成績は、「221勝58敗8分6預」という。そのスタイルとしては、速攻の技能派力士で優勝10回を数える。

 いわゆる「春秋園事件」後の戦時中には、相撲協会理事長に推され、戦中戦後の苦境に臨んだという。


 1957年(昭和32年)には、日本相撲協会のあり方が国会で取り上げられる。これがこじれてであったろうか、問題に発展したときは、国技館内で自殺を図ったと伝わる。
 とはいえ、大相撲の復興の基をリードしたことで知られており、理事長在任中初の還暦記念の土俵入りを行う。


(続く)

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新468◻️◻️『岡山の今昔』岡山人(20世紀、布施健)

2021-06-18 22:12:14 | Weblog
新468◻️◻️『岡山の今昔』岡山人(20世紀、布施健)

 布施健(ふせたけし、1912~1988)は、弁護士で、検事でもある。備前市の生まれ。子供の頃養子に出て布施姓になる。


 1936年(昭和11年)に、東京帝大法学部を卒業する。1937年(昭和12年)には、検事に任官する。


 戦時中をはさんでは、甲府地検、東京地検、最高検、東京高検検事長を経て、1975年1月には検事総長へと、トントン拍子の階段を上ったことになろうか。


 そして1977年3年に退官する。この間、戦前のゾルゲ事件の被告、ブランコ・ド・ブーケリッチの取り調べを担当、下山事件では主任検事を務める。
それからもうひとつ、布施には希代の大事件との関わりがあった。それというのは、検事総長就任後に発覚したロッキード事件を担当する。しの過程では、政治の圧力に屈せず田中角栄元首相の逮捕を敢行する。


 ちなみに、当時この事件を担当していたメンバーの一人、堀田力(ほったつとむ)氏は、後にこう述懐しておられる。

 「米国の国務省、司法省、証券取引委員会(SEC)などと捜査資料の引き渡しについて交渉するため、二月二十六日、隠密裏にひとりでワシントンに飛んだ。三木首相は、資料を公開するよう求める親書をフォード大統領に送っていた。
 反応をワシントンで探ると、米政府は「資料公開はプライバシーを不当に侵害する恐れがある」として消極的だとわかった。そこで、日本の検察が秘密裏に資料をもらい、捜査して起訴するという正規の手続きを通して、事実を公表するのはどうか、という線で押した。米政府はこれに乗ってきた。

免責与えて口開かす

 このときの米国側のキーパーソンである司法省渉外部長は、偶然にも、大使館勤務のころ、家族で付き合っていた仲。話はツーカーだった。
 安原美穂・刑事局長が官邸への根回しを済ませ、三月二十四日、塩野宣慶法務次官が渡米して日本司法共助協定が結ばれた。これに基づき捜査のカギとなる極秘扱いのSEC資料が、四月十日に届いた。その少し前の二日、田中角栄元首相は、派閥の集会で「潔白宣言」をしていた。
 資料を翻訳していくうち、元首相の名前が出てきた。武者ぶるいがした、と言いたいところだが、実際には気が重くなった。元首相に関する記述が、簡単なメモ程度の内容だったからである。資料に目を通した布施検事総長が「これだけか」と言われた、と聞いた。」(同氏のブログから引用、元の出所べは、朝日新聞、1992.4.11と見られる)

(続く)

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◻️299に合併『岡山の今昔』岡山人(17~18世紀、守屋勘兵衛)

2021-06-18 10:45:57 | Weblog
299に合併『岡山の今昔』岡山人(17~18世紀、守屋勘兵衛)

 守屋勘兵衛(もりやかんべえ、本名は重行(しげゆき)、1649~1730)は、八田村の農家の生れ。
 1700年(元禄13年)に、領内方及び普請方を仰せつけられて、美濃国の堤普請に派遣される。
 1704年(宝永元年)には、藩主長救は、水害の度重なる小田川の大改修を勘兵衛に命じる。小田川河身の変更と堤防新設を手掛ける。川辺から岡田までの新道建設についても、さもあろう。
 それに、領内の検地改め・吉備公墳墓の修理もあろというが、それは支配側からの都合であろう。
 とはいえ、1717年(享保2年)からの岡田藩において起きた新本義民騒動に接して、その解決に尽力したことで、知られるという。かかる事件とは、新本村(現在の総社市新本)の農民たちが共有山の奪還を目ざして起こした百姓一揆のことである。
 その中での役割がどうであったのかは、なかなかうまい史料が見つからないのだが。
 何でも親子二代の土木周りの役柄であるとか。勘兵衛こと重行の代に岡田藩の御領内山方・普請方奉行を命じられているとのこと、そういうことであれば、権力志向でなかったのではないだろうか。

(続く)

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◻️211の2の7『岡山の今昔』岡山人(19~20世紀、井戸泰)

2021-06-18 09:06:10 | Weblog
211の2の7『岡山の今昔』岡山人(19~20世紀、井戸泰)

 井戸泰(いどやすし、いどゆたか1881~1919)は、内科医にして医学者だ。勝田郡奈義町の生まれ。第六高等学校に進学する。
 そこを卒業して、新設の京都帝国大学福岡医科大学(現在の九州帝国大学医学部)に入る。
 1908年(明治41年)に卒業すると、同大学の副手となり、第一内科教室に務める。
 1916年(大正5年)には、助教授になり、内科学第三講座を分担する。

 その前年の1915年1月までには、画期的な発見に漕ぎ着ける。恩師の同学教授、稲田竜吉(いなだりょうきち)とともに、黄疸(おうだん)出血性スピロヘータ病に関する研究を「ワイル氏病病原スピロヘーター確定に関する予報」(第54回九州帝国大学集会にて)発表し、これが、帝国学士院恩賜賞を受賞したという。
 これにより、ワイル病(黄疸出血性レプトスピラ病)の原因たる病原体を発見したという訳だ。

 1918年(大正7年)には、東京帝国大学医学部助教授に転じ、アメリカに留学。帰国後、九州帝国大学医学部教授となる。
 しかし、1918年(大正8年)中に、スペイン風邪に腸チフスを併発して、37歳にして、さらなる夢を実現することかできなかったのは、いかにも惜しい。

 珍しいところでは、病に倒れる少し前、ある人物、かの野口英世との出会いがあり、野口はアメリカに立ち寄った井戸をわざわざ港に出迎えたのだという。

(続く)


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◻️211の28『岡山の今昔』岡山人(20世紀、宗道臣)

2021-06-18 08:34:00 | Weblog
211の28『岡山の今昔』岡山人(20世紀、宗道臣)

 宗道臣(そうどうしん、1911~1980)は、現在流通している少林寺拳法の創始者だといわれる。
 当時の作東町(現在の美作市)の生まれ。
 17歳のとき、中国に渡る。その時、既にどのような技を身につけたいか、その胸に秘めていたのだろうか。とにかく、旺盛な活動をもって、大陸を駆け巡る。

 その間、河南省嵩山少林寺の流れを汲む文太宗老師の知遇を得てその門に入る。この寺は、かのインド僧侶・達磨(中国での呼び名)が「面壁9年」の故事を遺したところだ。

 ちなみに、この寺の由来については、こんな説明があるところだ。

 「西域沙門(しゃもん)に跋陀(ばっだ)というものあり、仏道の実践にすぐれた人で、深く帝に敬信された。帝は詔(みことのり)して少室山(しょうしつさん)の山麓に少林寺を建て、ここに住せしめ、衣食等を給(たまわ)った。」(「魏書」釈老志)
 インド僧跋陀のための寺であった。達磨大師、正確にいえば摩訶釈迦葉(まかかしょう)第28代仏徒菩提(ぼだい)達磨がインドからやってくるのはそれからほぼ30年後のこと、孝明帝の孝昌3年(527年)、海路広東に入り南京(なんきん)から北、長江(ちょうこう)を渡って少林寺に入ったのである。」(鎌田茂雄、NHK取材班「大黄河」第4巻、仏陀の道、日本放送出版協会、1987)

 それからは、「青年の力」とたゆまぬ探求心でもって、同門の技を教えられ、修得していったようである。
 1947(昭和22年)10月には、戦後間もない日本に帰っていたという、一体どのようにして無事帰還したのであろうか。
 日本に帰ってみると、そこは荒れ果てたいたに違いあるまい。それでも、中国で会得した技が、「平和で物心共に豊かな社会をつくりたい」と願う、その社会への還元を思いついた模様だ。
 故郷に近い香川県多度津町において、「力愛不二」、それに「自己確立・自他共楽「を旨と、拳禅一如の「少林寺拳法」を組み合わせての新たな少林寺拳法の境地を創始、少林寺拳法師家となる。以来、自流の教育道を滔々とした流れで歩んでいったようだ。

(続く)

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