新500◻️◻️『岡山の今昔』岡山人(20世紀、上代淑)
上代淑(かじろよし、1871~1959)は、キリスト教の精神を具現化した日本の教育者だ。
愛媛県松山市の生まれ。父は伊予松山藩士であった。明治維新後、大阪に出てキリスト教の牧師になる、その父に従って、家族で大阪に移る。
淑もほどなく洗礼を受け、梅花女学校小学科に入学したというから、家族の影響もあって、キリスト教に入信したものと推察されよう。
卒業後は、先生として強く望まれ、1889年(明治22年)には、岡山のキリスト教系の山陽英和女学校(現在の山陽学園)へ赴任する。
1893年(明治26年)には、アメリカのマウント・ホーリョーク女子大学に留学する。それには、人類愛から来る、「一粒の麦もし地上に落ちて死なずば」(アンドレ・ジッド)のごときひたむきさが、おおきな力を与えたのではないたろうか。
1897年(明治30年)には、バチェラー・オブ・サイエンスの学位を得て卒業し、翌年帰国し、再び山陽女学校の教師として教壇に立つ。
その後も、欧米へ教育事情視察に出かけ、帰国した明治41年(1908)に山陽高等女学校校長に就する。
なにしろ、山陽高等女学校(後の山陽学園大学・山陽女子中学校・高等学校(現在の山陽学園中学校・高等学校)の校長を51年間務めたというから、前人未到の境地を経験したのではないだろうか。養子である上代晧三によって墓碑に書かれた言葉に、「神と人に愛されて其生涯を女子教育の為に捧ぐ」とあるという。
(続く)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆