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◻️299に合併『岡山の今昔』岡山人(17~18世紀、守屋勘兵衛)

2021-06-18 10:45:57 | Weblog
299に合併『岡山の今昔』岡山人(17~18世紀、守屋勘兵衛)

 守屋勘兵衛(もりやかんべえ、本名は重行(しげゆき)、1649~1730)は、八田村の農家の生れ。
 1700年(元禄13年)に、領内方及び普請方を仰せつけられて、美濃国の堤普請に派遣される。
 1704年(宝永元年)には、藩主長救は、水害の度重なる小田川の大改修を勘兵衛に命じる。小田川河身の変更と堤防新設を手掛ける。川辺から岡田までの新道建設についても、さもあろう。
 それに、領内の検地改め・吉備公墳墓の修理もあろというが、それは支配側からの都合であろう。
 とはいえ、1717年(享保2年)からの岡田藩において起きた新本義民騒動に接して、その解決に尽力したことで、知られるという。かかる事件とは、新本村(現在の総社市新本)の農民たちが共有山の奪還を目ざして起こした百姓一揆のことである。
 その中での役割がどうであったのかは、なかなかうまい史料が見つからないのだが。
 何でも親子二代の土木周りの役柄であるとか。勘兵衛こと重行の代に岡田藩の御領内山方・普請方奉行を命じられているとのこと、そういうことであれば、権力志向でなかったのではないだろうか。

(続く)

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