222の4『自然と人間の歴史・世界篇』近代地質学の確立(ハットン、18世紀)
ジェームズ・ハットン(1726~1797)は、イギリスの化学者にして、地質学者だ。
幼くして父を失う、エディンバラ大学卒業後、法律事務所に勤める。まもなく同大学に戻り学び直す。その後はパリ、ライデン各大学で医学と化学を学ぶ。
1749年には、医学の学位を取得する。塩化アンモニウムの製造工場を建てる。それらを務めながらも、次第に岩石学、鉱物学への関心を深めていく。
イギリスのみならず、ヨーロッパ各地の地質調査を行う。1それらを踏まえ、地下の熱と圧力により地表ないしその近くの地層の変化が起きるという火成説を唱え、天変地異説や、地球上の岩石はすべて海からの沈殿物からできているとする水成説を批判する。そのあたりを盛り込んだ主著としては、「地球の理論』(Theory of Earth 、1795)が 有名だ。
実地調査に明け暮れるうち、後に「ハットンの不整合」と呼ばれる地層(いわゆる露頭)を、スコットランドの南東部エディンバラ周辺の海岸線、シッカーポイントで発見する。
そこでは、下位には垂直にそそり立つのが約4億2500万年前のシルル紀グレイワッケ砂岩層が見られる。そしてその上に、緩い傾斜でもって重なっているのが約3億4500万年前のテボン紀古赤色砂岩層がのっかかる形となっている。
また、火成論者を主張していくうちには、18世紀中頃まで幅をきかせていた自然哲学というか、当時の宗教的世界観と対立していく。こちらは、旧来からの「地球年齢6000年説」などよりも地球の年齢が非常に古いことを示し、地質学が従来のキリスト教的「若い地球」観に代わる新しい地球像をいう。
(続く)
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ジェームズ・ハットン(1726~1797)は、イギリスの化学者にして、地質学者だ。
幼くして父を失う、エディンバラ大学卒業後、法律事務所に勤める。まもなく同大学に戻り学び直す。その後はパリ、ライデン各大学で医学と化学を学ぶ。
1749年には、医学の学位を取得する。塩化アンモニウムの製造工場を建てる。それらを務めながらも、次第に岩石学、鉱物学への関心を深めていく。
イギリスのみならず、ヨーロッパ各地の地質調査を行う。1それらを踏まえ、地下の熱と圧力により地表ないしその近くの地層の変化が起きるという火成説を唱え、天変地異説や、地球上の岩石はすべて海からの沈殿物からできているとする水成説を批判する。そのあたりを盛り込んだ主著としては、「地球の理論』(Theory of Earth 、1795)が 有名だ。
実地調査に明け暮れるうち、後に「ハットンの不整合」と呼ばれる地層(いわゆる露頭)を、スコットランドの南東部エディンバラ周辺の海岸線、シッカーポイントで発見する。
そこでは、下位には垂直にそそり立つのが約4億2500万年前のシルル紀グレイワッケ砂岩層が見られる。そしてその上に、緩い傾斜でもって重なっているのが約3億4500万年前のテボン紀古赤色砂岩層がのっかかる形となっている。
また、火成論者を主張していくうちには、18世紀中頃まで幅をきかせていた自然哲学というか、当時の宗教的世界観と対立していく。こちらは、旧来からの「地球年齢6000年説」などよりも地球の年齢が非常に古いことを示し、地質学が従来のキリスト教的「若い地球」観に代わる新しい地球像をいう。
(続く)
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