♦️222の4『自然と人間の歴史・世界篇』近代地質学の確立(ハットン、18世紀)

2021-06-06 21:30:55 | Weblog
222の4『自然と人間の歴史・世界篇』近代地質学の確立(ハットン、18世紀)


 ジェームズ・ハットン(1726~1797)は、イギリスの化学者にして、地質学者だ。


 幼くして父を失う、エディンバラ大学卒業後、法律事務所に勤める。まもなく同大学に戻り学び直す。その後はパリ、ライデン各大学で医学と化学を学ぶ。
 1749年には、医学の学位を取得する。塩化アンモニウムの製造工場を建てる。それらを務めながらも、次第に岩石学、鉱物学への関心を深めていく。


 イギリスのみならず、ヨーロッパ各地の地質調査を行う。1それらを踏まえ、地下の熱と圧力により地表ないしその近くの地層の変化が起きるという火成説を唱え、天変地異説や、地球上の岩石はすべて海からの沈殿物からできているとする水成説を批判する。そのあたりを盛り込んだ主著としては、「地球の理論』(Theory of Earth 、1795)が 有名だ。


 実地調査に明け暮れるうち、後に「ハットンの不整合」と呼ばれる地層(いわゆる露頭)を、スコットランドの南東部エディンバラ周辺の海岸線、シッカーポイントで発見する。
 そこでは、下位には垂直にそそり立つのが約4億2500万年前のシルル紀グレイワッケ砂岩層が見られる。そしてその上に、緩い傾斜でもって重なっているのが約3億4500万年前のテボン紀古赤色砂岩層がのっかかる形となっている。


 また、火成論者を主張していくうちには、18世紀中頃まで幅をきかせていた自然哲学というか、当時の宗教的世界観と対立していく。こちらは、旧来からの「地球年齢6000年説」などよりも地球の年齢が非常に古いことを示し、地質学が従来のキリスト教的「若い地球」観に代わる新しい地球像をいう。


(続く)

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♦️361の1の2『自然と人間の歴史・世界篇』地球の気候変動(ミランコビッチ理論、1920)

2021-06-06 10:12:32 | Weblog
361の1の2『自然と人間の歴史・世界篇』地球の気候変動(ミランコビッチ理論、1920)

 ミルティン・ミランコビッチ(1879~1958)は、数学者にして、地球物理学者だ。当時のセルビアの生まれ、8歳で父を失い、17歳の時一家はウィーンに引っ越す。

 地球の気候が周期的に変化する、その背景には何があるのだろうかと考えた。そして数学者らしくというか、綿密な研究を積み上げて、というのは、約2万年から約40万年をかけての地球軌道の変化を繰り返すという説を唱えるに至る。
 
 もう少しいうと、 (1) 地球の公転軌道は離心率が円(0)から楕円(0.005~0.06)へと約 10万年と約40万年の周期で変わる。それというのも、軌道が真円に近ければ近日点と遠日点の差は小さい。反対に離心率が1に近いほど、近日点と遠日点の差は大きくなる。

 (2) 地軸の傾斜角は22.1°(度)から24.5°の間を約4.1万年の周期で変化する。それの理屈については、地球儀を見ると、軸が傾いているのがわかろう。さらに視野を広げてのこの角度は、公転軌道面(黄道面)に対する自転軸の傾きを示している。もし、この傾きがなければ(黄道に対して垂直であれば)、一年を通じて太陽の南中高度は変化しない、つまり季節の変化がないことになろう。反対に、かかる角度が完全に横倒しであれば、どの地域も一年のうち半年は昼だけ、残りの半年は夜だけになってしまうだろう。

 その(3) としては、地球自転の歳差運動というのがあり(地球が、完全な球体ではなく、赤道方向が南北方向よりも大きい、みかんのような形をしているため)、これによって各季節の地球と太陽との間の距離(いわゆる近日点)は約1.9万年と約2.3万年の周期で変わるという。というのは、回転している物体の回転が弱まると軸が傾く。しかして、傾いた軸は、円形を描きながらゆっくりと、首を振るように回転する様を歳差といい、コマを回してみると、グルーリ、グルーリとなって、いくではないか。大きなものては、地球の自転運動にも歳差がある訳であり、現在のところ、この自転軸が一回転する周期は2.3万年だという。

 すなわち、離心率に地軸の傾き、それに歳差運動という地球軌道の 3要素の長周期変動によって、その時代の北半球の夏の太陽放射量が決まるのだという。ひいては、そのことにより、いつの頃からか氷河期の区割りの中での、氷期と間氷期が繰り返されるというのだ。

 ちなみに、ミランコビッチは、この自説を裏付けるのに、ドイツの気象学者ウラジミール・ケッペンやウェゲナーとも何かしら連絡していたようだ。例えば、1922年秋にケッペンからの手紙において、ケッペンがミランコビッチに、自身の手による13万年間の日射量復元カーブを60万年間に拡大することを依頼していたという。
 そういう意味合いからは、ミランコビッチの天文学的要因を掲げての気候変動説は、隣り合わせで地球気象に関係して研究していた他の学者たちとの間で、成長していったといえなくもないようだ。(その辺り、詳細には、横山祐典「地球46億年気候大変動ー炭素循環で読み解く、地球気候の過去・現在・未来」講談社ブルーバックス、2018など)

(続く)

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