いやあ懐かしい響きだなあ。
いつ以来だろう。遠足というか、field trip。今日は Edukation の最後の授業。インディアナ州との境に近い町に、ユニークな教育をしている学校があるということで、出かけてきた。先生と、もう一人のメンバーと、教育201 のクラスから一人の男性、そして、先生の妹さん。妹さんは、スペインに行って教育学の勉強をされたという。
朝7時前に集合。先生の豪華な車に載せて頂いての遠足になった。これが最初で最後の遠足になる。
最近は、新年を迎えたときと同じだけど逆の現象が起きている。新年を迎えると、なんでも初がつく。今は、引越しを前に、何でも最後がつく。最後の遠足だ。
学校はユニークだった。小学校だから、幼稚園から5年生までを対象にしてるらしいが、建物が三つに分かれていた。幼稚園、1-3年生、4-5年生。それぞれが立派に小学校として成り立つくらい、立派なものだった。
いろいろと面白い取り組みもあった。しかし、子供というのは、どの国もあまり違いがないのかもしれない。先生の悩みは、子供達が数学と化学に弱いこと、本を読まないこと。どこかの国と似ているでしょう?
読書では、子供達の意欲をかりたてるために、ポイント競争があった。それぞれの本には、難易度にあわせて ポイントが提示してある。子供達はいつ借りて、いつまでに読んだかを、コンピューターで管理される。9週間の期限のなかで、誰が一番ポイントを稼いだかを競う。それだけではなく、本の内容をきっちり理解しているかのテストが行われる。テストのポイントも点数になる。
誰がテストを作るのですが?と、聞いてみた。テストがある本を購入するらしい。コンピューターで試験を受ける。
子供達は9週間の後、映画とポップコーンパーティを開いてもらう。
私は正直唖然とした。テストをする? 読書のロマンも夢も打ち砕く作業だと正直感じた。
一つの本を読んででる答えってなんだろう。国語の長文読解に似ている。
私は高校の時、作者の意図は?とか、作者の気持ちは?という、問いに、自分が感じたことを書いた。それが間違いだと言われると、何か納得できなかった。漢字には正しい答えがあるだろう。指示語にも正答があるかもしれない。
しかし、本から、何を読み取るか、何が作者の意図かに、誤答、正答があるのだろうか。
小学生の子供達に動機付けは必要かもしれない。でも、本来の読書の楽しさを、子どもたちは失ってしまうのではないかと、危惧した。本は自由に読んでいいし、発想の自由がなくて、どこに読書の楽しみがあるのだろうか。
子供達の前に人参を放り投げるのは止めて欲しい。競わせることで創造性は出てこないと、直感で感じる。でも、論拠はない。ただ、もっと正攻法で行こうよ、と、私はおもった。子供達を信じるべきだとも思った。
しかし、自分達のやり方に自信をもたれている方に、異論を唱えるのは難しい。というか疑問を提示することもできなかった。
素直にはいはいと頷いてきた。なんだ、日本がどうの、USがどうのと、以前に書いたが、同じではないか。一人で納得ができないと、反対の意思を示した、三男を改めて尊敬した。
ひとつのことに関しては異論ありだったが、面白い取り組みは随所に見られた。おいおい紹介いたします。
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