【掲載日:平成22年2月19日】
・・・島山の 宜しき国と こごしかも
伊予の高嶺の 射狭庭の 岡に立たして・・・
【伊佐爾波神社 登り口】

ここ 伊予 伊佐爾波の岡
古来 多くの天皇が 行幸された地
赤人は 思いやっていた
〔この地に 立たれたのだ
古くは 景行天皇と その皇后
仲哀天皇と神功皇后
聖徳太子も 来られた
さらに 舒明天皇と皇后
斉明天皇は 五度の行幸
その度に 歌を捧げられたと聞く
また 近くの湊 熟田津は 新羅征討の折
額田王が「船乗りせむと」の歌を 詠われた所
まさしく 古くして生まれた歌の 揺籃の地
連綿たる 歌の流れ
ここに 源を発していたやも知れぬ〕
皇神祖の 神の命の 敷きいます 国のことごと 湯はしも 多にあれども
《神であられる 天皇の お治めなさる この国に 出で湯仰山 あるけども》
島山の 宜しき国と こごしかも 伊予の高嶺の 射狭庭の 岡に立たして
歌思ひ 辞思はしし み湯の上の 樹群を見れば
《島山立派な 伊予国の 険しい峰に うち続く 射狭庭岡に その昔 天皇が お立ちなり
かつての昔 詠みし歌 捧げし言葉 思われた 出で湯の木立ち 眺めたら》
臣の木も 生ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神さびゆかむ 行幸処
《樅の木ずっと 生え続け 鳥鳴く声も 変わらへん 後の世までも 神秘やで 天皇来られた この地こそ》
―山部赤人―〔巻三・三二二〕
ももしきの 大宮人の 飽田津に 船乗しけむ 年の知らなく
《何時やろか 大宮人が 飽田津を 船出したんは はるか昔や》
―山部赤人―〔巻三・三二三〕
ここに こうして居ることの不思議
それを 感じざるを得ない 赤人

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