犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

□家島「歌碑」を訪ねました

2008年04月29日 | メッセージ
平成20年4月29日

  いにしえも 船泊まりせし 家島に
    師の歌碑訪ね 春日過ごしつ


春の日のうららに引かれ 家島を訪ねた
姫路港を出た高速船は 白い航跡を引き連れながら 一路南へ
海路の行く手に 春霞に浮かぶ 低い島影

わが子を迎えるかのように 両腕をいっぱいに伸ばした 尾崎と天神の鼻
それに抱かれた湾入
さらに奥にくびれた入り江 真浦港と宮港
<家島、北の湾入部>

古代よりの 天然の良港たるも うべかりし
そこには すでに朝からの漁を終え 舫われた 船群たち
<真浦港の船群>
<宮港の船群>

屈曲のある護岸の道をたどり 宮神社を過ぎ 浜辺に出ると
天神鼻の手前 波に洗われるかと思われる 浜辺間近に鳥居が見える
目指すべき 家島神社の それだ
<天神鼻の家島神社鳥居>

歌碑は 海辺脇の鳥居の足元にあった
向きを 鳥居正面ではなく すこし左にひねり 海の彼方を眺めている
対岸 室津藻振鼻の「玉藻刈る 唐荷の島に・・・」の歌碑に対しているのだ


   家島は 名にこそありけれ
    海原を 吾が恋ひ来つる 妹もあらなくに

天平八年夏六月 新羅を目指した遣使人たち一行は 
大使を亡くし 副使の罹病で遅れ 新羅に冷遇され
何の成果も得られず 失意の帰路 ここ家島に 船宿り
都まで 旬日のこの島で
待つであろう妻・子のいる家を 島の名に思わず想起しての作歌

   家島言(ゆ)うても 名前ばっかりや
    妻や子を思い出さしといて
      愛(いと)しい妻は ここに居れへんやないか


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