犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

■日めくり万葉集Vol・2(134)北山に

2012年08月18日 | 日めくり万葉集
NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。

【九月三十日】放映分

北山きたやまに 棚引たなびく雲の 青雲あをくもの 星はなれ行き 月をはなれて
《北山に 棚引く雲は あんたかな 身内の星や 月からはなれ》
                          ―持統天皇じとうてんのう―(巻二・一六一)

【万葉歌みじかものがたり】 し給はまし》

あぁ  なんという 人であったろう
これ ほど 強い人が あったであろうか
沈着 豪気ごうき
それでいて 女人おみなの気も らさない
ここ 飛鳥淨御原宮あすかきよみはらのみやに 大殿おおとのを築き
「神にしあれば」と たたえられ
天皇おおきみ中心の 治世を開き 
自らを 天皇すめらみこととされた方

思えば 始まりは 吉野こう であったか
父天智との 確執かくしつ 亀裂きれつ
われは 夫大海人おおあまを 選んだ
雪降り  寒風吹きすさぶ 道々
手を携えての 逃避とうひであった
東国 での挙兵を目指し 伊勢 美濃への移動
背を越す夏草 襲い来る驟雨しゅうう
信じる 夫に 付き従うての 行軍

共にめた辛苦しんく それがきずなを強くした

やすみしし わが大君の 夕されば し給ふらし 明けくれば 問ひ給ふらし 神岳かむおかの 山の黄葉もみぢを 
《(御霊みたまなられた)天皇おおきみは 夕暮れなると 見てはるで 朝になったら きはるで かみおかもみじ どやろかと》
今日もかも 問ひ給はまし 明日もかも し給はまし その山を ふりさけ見つつ 夕されば あやに悲しみ 明けくれば うらさび暮し 荒栲あらたへの 衣の袖は る時もなし
《今日もきはる 決まってる 明日あすも見はるに 違いない その山仰ぎ 見るたんび 夕暮れなると 悲しいて 明け方なると さみしゅうて 涙流れて 止まらへん》
                          ―持統天皇じとうてんのう―(巻二・一五九)
燃ゆる火も 取りてつつみて ふくろには 入ると言はずや 面智男雲(くもなったひと)
《燃える火も つかふくろに れるた そんなあんたが 雲なったんか》
                          ―持統天皇じとうてんのう―(巻二・一六〇)
北山きたやまに 棚引たなびく雲の 青雲あをくもの 星はなれ行き 月をはなれて
《北山に 棚引く雲は あんたかな 身内の星や 月からはなれ》
                          ―持統天皇じとうてんのう―(巻二・一六一)

そうも してれぬ
われが 皇后となり 内助しての施政しせい
草壁 の手に 天下が 渡るまで
われが 支えねば

時に 朱鳥あかみとり元年(686)九月
天武崩御ほうぎょ 鵜野讃良うのさらら感懐かんかいは 複雑
 ――――――――――――――
崩御ほうぎょ八年後 供養くよう法要ほうようの夜 持統帝夢中ゆめなかでの作歌】
明日香あすかの 清御原きよみはらみやに あめの下 知らしめしし やすみしし 我が大君 たからす 日の御子みこ 
明日香あすかの里の 清御原きよみはら そこを都と 定められ おおさめされた 天皇すめらみこ 天上てんじょう照らす 神の御子みこ
いかさまに 思ほしめせか 神風かむかぜの 伊勢の国は 沖つ藻も みたる波に しほのみ かをれる国に 味凝うまこり あやにともしき 高照らす 日の御子
《何を思われ 伊勢の国 沖の藻なびく 波の上 潮のかおりの けぶる国 おましなされ 戻られん 天上てんじょう照らす 神の御子みこ》 
                           ―持統天皇じとうてんのう―(巻二・一六二)



――――――――――――――――――――
【新しい試みです】
「歌心関西訳」の作成過程をご覧ください。
これなら あなたも 訳せますよ。
<訳してみよう万葉集>へ

【万葉歌みじか物語】はこちら



<万葉歌みじかものがたり>へ




■リンク先