日本における陽明学の先駆者として有名な中江藤樹。、近江国(滋賀県)出身で、近江聖人とたたえられた藤樹だが、9歳のときに、祖父・徳左衛門の養子となって、米子に来た。祖父は150石、藤樹も100石を相続しているので、一応は上級武士といったところである。やがては、脱藩して、近江に戻るのだが、彼の青春の地は米子であった。
米子市役所からそう遠くないところに、「中江藤樹先生成長の地の碑」がひっそりと建っている。碑の側に植えてあるのは、藤の木。近江の藤樹生家の樹から株分したものだそうだ。
○関連過去記事
・米子のマンホールの蓋(米子のお散歩4)
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