Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

HD: LA BOHEME (Sat Mtn Apr 5/Wed May 14, 2008)

2008-05-14 | メト Live in HD
線香花火が消える直前には猛烈な火花を出すように、
私も今週が最終週となってしまったメト2007-2008年シーズンの最後を飾るため、
怒涛の鑑賞スケジュールに突入いたしました。

今日は、オペラハウスで生の舞台を鑑賞したために、ライブ・イン・HD
(ライブ・ビューイング)を見ることができなかった、4/5の『ラ・ボエーム』の公演の映像が
マンハッタンはユニオン・スクエアそばの、リーガル・ユニオン・スクエア
というシネマコンプレックスでアンコール上演されるということで、見に行ってきました。

今日、メトのオペラハウスの方では、ゲルプ氏が来年度の方針を語る!という企画もあって、
質疑応答も多少受け付けてくれるようなので、話も聞きたいし、質問したいことも色々あるのですが、
このアンコールのボエームのチケットの方が早く買ってあったのと、
いくら私のあまり好きでないゲオルギューとはいえ、
ゲルプ氏の顔を小一時間眺めているのと、ゲオルギューを比べれば、
やっぱりゲオルギューに行っておくか、、という消極的な理由、プラス、
もちろん、あの生で観た公演が、スクリーン上ではどのように見えるか、というのを確認するという
超積極的な理由で、こちらのライブ・イン・HDをとることにしたわけです。

ライブ・イン・HDデビューとなった『連隊の娘』を見たウォルター・リード・シアターが、
ちょっとしたリンカーン・センター御用達といった、
地味で堅実な雰囲気を醸しだしているのにくらべ、こちらのリーガルは思いっきり商業用シネコン。
『アイロン・マン』を見に来たキッズに混じって、ポップコーンやら飲み物やらを購入する年長組のオペラ鑑賞者多し。

アンコールなんだから、観に来る人も少ないだろう、、などとたかをくくっていたのに、
開演20分前に到着してみれば、劇場後方の座席は一杯。
仕方がないので、前方の比較的空いていた個所に腰掛けていたら、
すぐ前の列に、奥様と思しき女性と座席についた男性に見覚えが、、。
なんと!この公演でロドルフォ役を歌ったラモン・ヴァルガスでした!!!




座席に腰掛ける前に、”びっくりした?”という感じで、
にかっと真後ろの人に微笑んだりしてましたが、
明かりを落としているせいもあって、周りのほとんどの人が気付いていない様子。
今週、彼はメトの『皇帝ティートの慈悲』に出演中なので、丁度NYに滞在していたわけです。
(その『皇帝ティートの慈悲』の明日の公演には私も観に行く予定です。)
結局、その後も開演直前までぞろぞろ観客が現われ、ほとんど会場はいっぱいになってしまいました。

『連隊の娘』は、同日の公演ではありませんでしたが、まずライブ・イン・HDを観て、
そして生舞台、という順序だったのに対し、
こちらの『ラ・ボエーム』は、生舞台から映画へという逆の順序(そして、こちらは同一日の舞台。)
結論から言うと、私にはラ・ボエーム型(生を先に見て、映画を観る)の方が、
二つを比較するということをしたい際には、有効でした。
連隊型(先に映画を見て実演へ)では、初めにスクリーンで見る際に、
映画の音から舞台の音を推測するしかなく、
また舞台を見てしまうと、映画の時の印象が思いだしにくくなって、両方で障害があるのに対し、
ラ・ボエーム型(先に実演を見る)は、オペラハウスの中で聴いた音が耳に焼付いているので、
映画の画面を観ながら、色々な比較を行うプロセスが連隊型よりも楽でした。

さて、第一幕。
いやー。びっくりしました。
ゲオルギュー、、、、気持ち悪すぎないですか!!??

彼女は、実演の際も、ライブ・イン・HD用に演技を変えるようなことをしていないせいもあって、
(で、私も特に変える必要はないと思ってはいますが)
演技そのものが、大きくなるのはわかるのですが、
日常生活でも誰かに必要以上にオーバーなボディ・ランゲージをされると引いてしまうのと同様に、
このあまりにべたべたとした演技に私は思いっきりひきました。
そう、キーワードは”必要以上に”。
演技が大きいのもいいでしょう。でも、彼女のそれは”必要以上に”大きいのです。

で、そういう直接的かつ反射的な”気持ち悪い!”という側面に加えて、
もう一つ別の”気持ち悪い”側面がありました。
それは、彼女の演技が、全く歌っている言葉とリンクしていないところ。
一生懸命、手や顔の表情を使ったりしているのですが、観ているうちに、
『ラ・ボエーム』の一シーンではなく、ゲオルギューのリサイタルを見ている、
いや、聴かされている、ような気分になってきました。
リサイタルでも、本来はそのオペラの一シーンを見せてくれるような歌と演技を見せてくれるタイプが
私は好みですが、その一方で、リサイタルには、その歌手を聴きにいくという側面もあるので、
ある程度、物語と逸脱した表現も大目に見ることが出来ます。

しかし、この公演は、『ラ・ボエーム』の公演であって、
アンジェラ・ゲオルギューのリサイタルでは、決してない!!!
どうして、自分のつましい生活を語るときに、意味のない大きな手のジェスチャーが入るのか?
(ミレッラ・フレーニがこの役を実演で歌うのを聴いたときには、
本当に訥々と語るような歌と演技で、心に染みたのとは大違い!)
どうして音楽が、ロドルフォとミミが恋に落ちたということを表現しているときに、
まだキャピキャピと、英語で言うflirting(じゃれあって戯れる、というような意)な
動作をしているのか、、、。

で、そういう動作や表情をする、ということは、彼女の解釈自体がそうなので、
当然のことながら、歌唱による表現にまで影響しているのはいうまでもありません。
こんなに落ち着かない気分にさせられるミミ、私はいやだ。
そういった意味で、”気持ち悪い”のです。

しかし、一言、フェアであるために付け加えておくと、
このライブ・イン・HDでは、彼女の声そのものの美質が完全にはとらえられていない気はしました。
オペラハウスで聴くと、もう少しヴェルヴェット的な感触があって、
音が消えた後も空間にしばらく浮いているような良さがあるのですが、、。

一方、ヴァルガスの歌は、かなりオペラハウスで受けたとおりの印象でした。
ルイゾッティが音を鳴らしたがるタイプなので、こういうベタな演目では、
もう少しそれに乗って、心持ち音が延びれば、
歌がよりエキサイティングになる個所があったような気もしますが、それをしないところが、彼らしい。
ある意味、そこが彼の歌の美質でもあるのかも知れないので、微妙なんですが。
しかし、映像で観ると、彼は演技が本当に上手です。
『オネーギン』のDVDを見たときにも思いましたが、このロドルフォも本当に器用に演じていて、
ビジュアル系のルックスではないにも関わらず、演技の方で、
この手の映像化に耐えうる力を持っているというのは、今後、彼の強みになっていくことでしょう。

第二幕

演技でぎょっとさせられたゲオルギューに対し、生の舞台ではアンサンブルを壊しかねないほど
大きな声で歌いまくって、本公演日に私と隣席のおじさんから顰蹙を買っていた
ムゼッタ役を歌ったアルテータは、逆に映画で観る方が全然いい!
ゲオルギューよりも自然で、キャラクターをとらえた表情、体の動きといい、
映像で見る限り、このムゼッタはかわいくってとってもよい。
歌唱の方もマイクが、舞台から遠い座席で聴いているよりは、
他のキャストとのバランスが増幅される前に声を捕らえてしまうのか、
実演で聴いたほどには、他を圧しているようには聞こえませんでした。

実演のレポで書いた、馬のウ○チについては、
上手く馬車や子供たちで隠されて見えませんでしたが、(見えても困る!)
ムゼッタが登場する場面では、帽子の箱を撒き散らした後で、アルテータが
”やだ!どうしよう!!”と、びっくりした表情で口を覆い、
その後で観客の笑いが入っているのですが、ここが、箱がオケ・ピットに転がり落ち、
弦の奏者の方がそれをキャッチしたという場面です。



アルテータの生き生きとした演技に我々観客も引き込まれ、”私が街を歩くと Quando men vo ”に
聴き&観入っていると、突然、画面がブラック・アウト。
真っ黒な画面にのって聞こえるアルテータの声。
え~~~~~。これはちょっとひどいですぅ。観客からも非難轟々。
ほとんどアリアの最後で、やっと画面が戻ってきたのですが、もしや、ゲオルギューの念力?
”私より演技が上手い女はこうしてやる!”ってか?怖い女(ひと)です。

この公演、演出と素晴らしいセットが、キャストに負けるとも劣らず、いや、
もしかするとキャスト以上の売り物だったのかもしれませんが、
残念ながら、幕中の映像では、このニ幕のセットのすごさは伝わりきっていないです。
どうしても、映像の場合、どこかにフォーカスをおかなければならず、
馬が映ったかと思えば、熊が映り、子供の姿に、竹馬で歩くおやじに、、と、
くるくると映像が変わっていくのですが、
この場面のすごさはそれら全部が”同時に”舞台で進行している、というグランドさにあるので、、。
むしろ、ニ幕直前にこのセットを表舞台に移動させてくる映像やスタッフや合唱の人たちの様子、
そして、幕後にそのセットを解体している様子などの方に臨場感が溢れていたような気がします。


第三幕

この幕のゲオルギューの出来は他の幕と比べると、アップで観ていても、決して悪くなく、
今日の上映の中では、変な演技がほとんどなくて、もっとも集中して観れた幕。
一点、残念だったのは、これもテクニカルな問題なのですが、
このシーン、舞台で観ると非常に美しいのですが、光の量が少ないので、
画面にうまく細かい色彩の妙が映し出されず、黒っぽく霞がかかっているように見えていたこと。

そういえば!インターミッション中に行われた司会のルネ・フレミングによる主役への突撃インタビューで、
舞台から引き上げてきたゲオルギューとヴァルガスの、まずはゲオルギューに、
”とっても素晴らしかったわ!今舞台袖で私も見ていたのたですが、
涙が出てきてしまいました”とフレミングがいうと、
ゲオルギューが、”あら、舞台袖に?”そして、その後、私の聞き間違いでなければ、
彼女、”じゃ、私のカバー(代役)に入ってもらおうかしら?”、、。

冗談を言ったつもりかもしれませんが、もしそうだとしたら、演技のみならず、
冗談のセンスも最悪です。
少なくとも同じくらいのキャリアの長さを持ち、人気でも負けていないフレミングに、
自分のカバーに、なんてことを言うのは失礼千万じゃないでしょうか?
人の良いフレミングは、こんなパンチを食らうとは思っていなかったのもあって、
それには特に応じず、次の質問に入っていきましたが、
私なら、”そうね。すぐに舞台から消えていなくなったり、
歌劇場にクビにされる歌手にはカバーの歌手が大切だもの。”
と言ってやるところです。
(注:ゲオルギューは、リハーサルに遅刻したり欠席したり、
自分の、やむをえ”なくない”都合で公演をキャンセルすることで有名。
実際、メトでのこの『ラ・ボエーム』の公演は、このライブ・イン・HDの収録後、
数回、いや一回だったかもしれない、を歌って、後はキャンセル。
また、リハーサルへの欠席事件が、シカゴのリリック・オペラにクビを言い渡される
原因となったのも周知の通り。)

また、フレミングが、
”このミミ役は、病気であることが設定に加わっているのも難しいところですね。
私は一度だけ、この『ラ・ボエーム』を歌ったことがあるのだけど、
あまりに、病気らしくしなくちゃ!と思うあまり、死んだ後まで咳をしてしまいそうになったわ!”
と冗談を言った後、
”あなたはどうやってそんな上手に?何か特別なことでも?”と尋ねると、
アンジェラ、”別に特には。何をやればいいのか、わかっちゃうの。”

・・・。こんな演技で、何をやればいいかわかってると、本当に思っているんだろうか、、。
違った意味で、怖い女(ひと)です。

少なくとも、演技に関しては、ルネ・フレミングの方がゲオルギューより、数倍女優度が高いのに、
この勘違い発言の嵐に、私は座席に座りながら、発熱しそうになりました。

心なしか、ヴァルガスがルネ・フレミングを見つめる目も、
”助けてください、、、ルネさん、、”と言っているような、、。
(ヴァルガスは、『オネーギン』でルネ・フレミングと共演しているせいもあり、
二人の間の会話は、終始、リラックス・ムードでした。)

実際、私のお隣に座っていた老ご夫婦のご婦人の側も、舞台の途中から、
”彼女の歌、私、好きじゃないわ、、”と旦那さんに囁いたりしていたのに、
さらに、この暴言の嵐を聞いて、やれやれと、首を何度も横に振ってらっしゃいました。

今日は、映画館側の技術的な問題も散見され、
今度は、フレミングの児童合唱へのインタビューの途中で、画像・音ともに静止してしまい、
私たち全員、フレミングと児童の静止画像をずっと座って見つめているという奇妙な状態に。
”誰か直してくれー!”と催促する口笛や拍手が飛ぶ中、劇場の関係者が現われ、
”大丈夫、今、機器の具合を確認してますから。”というと、
観客から、”大丈夫じゃないんだよー”という野次。しかし、それでも、今日のお客さんは、
全般に本当におだやかで、ゲオルギューの念力によるアルテータのブラック・アウト事件の時も、
この画像静止事件のさいも、かなり大人しい。
やがて、画像のスイッチを切るために、真っ暗になったスクリーンに、
誰かが携帯電話についている懐中電灯を取り出し、その明かりを使って、
影絵ごっこを始めて、一同なごむ。
特に、ネッシーのようなものが水面を泳ぐように、
スクリーンを水平に横切っていったのには、観客一同爆笑。
そうこうしているうちに、不具合は直され、続きの場面を見ることが出来ました。
こうやって見ていると、フレミングは、こうして子供たちと話しているときは
本当にリラックスしているように見え、
結構しゃべるのが上手な彼女でも、同僚の歌手たちや指揮者にインタビューするのは、
気を遣う、ストレスフルな任務なんだろうな、と、思いました。
それをかなりの頻度で司会役としてこなしてくれている彼女には感謝ですね。

例のおとなりのおばさまと、最終幕の映像が始まるまでお話をしていた折に、
”私はパヴァロッティがロドルフォ役で出演した公演をメトで観たりしているので、
色々とこの公演には思うところもあるのだけど、でも、このテノールはなかなかいいと思うわ。”と、
ラモン・ヴァルガスをお褒めになるので、”彼、すぐ側に座ってますよ。”と言うと、
”え?どこに?”
”私たちのすぐ前の列を左に追っていってみてください。
あの、黒い髪で、めがねをかけている、、、。”と指し示すと、笑いながら、
やおら、私の肩をぴしゃりと叩いて、”やーだ。全然違う人だわよ!”
あんなにまぎれもなくそうなのに、わからないとは、
おばさんが、違う人を見ているのではないかと思って、再度確認すると、
確かに正しくヴァルガス氏を見ているようではあるのですが、、。
まあ、おばさんが信じようと信じまいと、私はどうでもいいんだけど、、と思っていると、
そこにトイレ休憩から戻ってきた旦那さんも交え、
”いえね、この彼女がね、あそこに座ってる男性が、あのテノールだ、って言うんですよ。”
と、まるで、私のことを、頭のおかしい人間のように言うので、やれやれ、、と思っていると、
旦那さんも、”いやー、あれは違うだろう。”
二人揃って、”Are you 100% sure? ”と言ってくるので、200%そうです!と断言したところで、
第四幕がスタート。

それ以来、ラモン・ヴァルガスが画面に大写しになるたびに、おばさまが、
座席に座ってる実物のヴァルガスと見比べているのが、とってもおかしかったです。

ここで少し、ロドルフォの友達たちにふれておかねばなりません。
まず、マルチェッロのテジエ。この人は、アップで見ると、どこか心ここにあらず、というような
表情が多いのは私の気のせいでしょうか?
笑ったりしているところなんかは、生き生きとしていて、とってもいいし、
歌も決して悪くはないのに、どこか血の気が通っていないような、不思議なマルチェッロでした。

コッリーネ役のグラデュス。この人は逆に、演技上手なのだけど、歌のパンチが今ひとつ。
ニ幕のカフェ・モミュスで、ムゼッタが歌い踊る中、横でむしゃむしゃとパンを頬張っている様子は、
あまりに素で、ここまでカメラを意識せずにいられる人もすごいです。
しかし、外套の歌は、オペラハウスで聴いた以上に、細かい部分の音の扱いに、
改善の余地がある個所が多く聞こえました。

ショナール役のケルシー。生舞台では、恰幅のよさばかりが目立ちましたが、
こうやって映像で見ると、彼はなかなか歌と芝居のバランスが良いです。
こういってはとっても失礼ですが、客席から想像していたよりは、
顔の表情が理知的で、映画の方が好印象に残りました。

主役の二人に話を戻すと、ミミがロドルフォとやっと二人きりになって会話を始める場面での、
ミミの言葉、
Ho tante cose che ti voglio dire...
o una sola, ma grande come il mare
(あなたにお話したいことがたくさんあるわ、、
いえ、むしろ、たった一つだけれど、海のように大きなこと、、)
この個所のゲオルギューの表現には素晴らしいものがあって、
今日の公演で、もっとも引き込まれた瞬間でした。
これくらいのテンションの歌を他の場面でも聴かせてくれれば、
彼女の歌をもっと聴きたい、という気持ちになるのかもしれません。

ただし、全般的に、彼女は、歌詞よりもメロディーへの指向が高い、と思います。
それはつまり、同じメロディーでも、違う歌詞がのっていたら、歌い方が違って当然だと私は思うのですが、
彼女は歌詞よりもメロディーに表現を左右させる傾向があるために、
歌詞の違い、状況の違いにも関わらず、同じメロディーが登場する個所では、
表現が互いに似通っていて(どの音を表現の山にするかという選択など)、
この四幕は、第一幕と重複するメロディーが多いので、特にそう感じました。
これは、第一幕でふれた、歌や演技が言葉とリンクしていない、
という点に帰ってきてしまうのかもしれませんが。

ゲオルギュー以外のキャストは、なかなかしっかりとした演技を見せていて、
特にヴァルガス、彼の演技を見ているほうが、ゲオルギューを見ているより、泣けてくる。

これまた、しらじらしいミミの最期の姿(ガクッ、、!って、
小学校の学芸会の芝居でもあるまいに、、)に、映画館から失笑が漏れたものの、
ヴァルガスの演技でカバー。
最後にロドルフォがミミー!と二回叫ぶ場面では、ミミに駆け寄るのではなく、
そばにいたマルチェッロの胸に泣き崩れていたのが、余計、悲しみをそそりました。

終演後、会場から出るタイミングを失ってしまったらしいヴァルガスは、
観客をやりすごそうと地味に隠れていたのですが、ほとんどの人が退出して、
会場に残っている数少ないお客さんにやがて気付かれることとなりました。
中には、”あのメキシコ人のテノール!”と叫んでいる人やらもいて、
映画まで見たんだから、名前くらい覚えようよ、、と思ってしまいます。

お隣のご夫婦も本物だとわかって、さっきまでの姿はどこへやらの大興奮。
奥様は、サインをもらうつもりなのか、旦那さんに、”早くペンを貸して!”と指示をとばしてました。
本人が、あまり気付かれたくない様子だったし、このライブ・イン・HD、
実質の公演以外の映像とインターミッション、それから先に書いたテクニカルな問題のせいで、
かなり上映時間が長く、私もぐったりしてしまったので、
明日の『皇帝ティートの慈悲』ではヴァルガス氏に素晴らしい歌を聴かせていただかないと困る!
そのためにはしっかり休養してもらわねば!ということで、私は声もかけず、
サインももらわず、帰ってきてしまいました。

公演そのものには、若干問題点もあったと思いますが、やっぱり映像作品としては、
非常に良く出来ている、このライブ・イン・HD。観に来て良かったです。


Ramon Vargas (Rodolfo)
Angela Gheorghiu (Mimi)
Ainhoa Arteta (Musetta)
Ludovic Tezier (Marcello)
Oren Gradus (Colline)
Quinn Kelsey (Schaunard)
Paul Plishka (Benoit/Alcindoro)
Conductor: Nicola Luisotti
Production: Franco Zeffirelli
OFF

Performed on April 5, 2008, at Metropolitan Opera, New York

Live in HD viewed on May 14, 2008, at Regal Union Square Stadium 14
Auditorium 8, New York


***プッチーニ ラ・ボエーム Puccini La Boheme***

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19 コメント

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ゲオルギュー (チャッピー)
2008-05-16 20:42:59
うわー、有り得ない程嫌な女ですね、ゲオルギュー。
METの女王であられるフレミング様に何てことを言うのでしょう・・・

どうせ美貌が衰えたら、METからもサヨナラされるだろうから、あと10年の我慢?
キャスリーン・バトルは美声だったけど、ゲオルギューから美貌を取ったら何が残る?
売れっ子の彼女を追い出したシカゴ・リリックは本当に立派です。
返信する
メトからさよならされるといえば、、 (Madokakip)
2008-05-17 13:36:19
 チャッピーさん、

>あと10年の我慢?

え?10年、、、長い(笑)。

私はROHの椿姫で彼女が出てきたときは、むしろ応援していたくらいなのですが、
やはり最近の言動には目を覆いたいものがあります。
プロとして、約束をした以上は、リハにも公演にも
きちんと参加するべきですよね。
私は自分の職場でも、ミーティングやコンファレンス・コールの約束の時間になっても
なかなか現われない人、というのが許せません。
それは共用させてもらっている時間とか、態度も含めて、
他人を尊重するって大事なことだと思います。

この『ラ・ボエーム』、オペラハウスで観ているときも、
何か歌そのものはソリッドなのに、しっくりこない感じがあったのですが、
やっぱりこういう同僚を大事にしない人がキャストに混じっていると、
嫌なエネルギーが放出されてしまうのかなと思います。

しかし、本文で、私が司会なら、アンジェラにこう言いかえしてやる!!と色々書きましたが、
書いた後で、ルネ・フレミングがこの後もきちんとメトで仕事をオファーされるのに対し、
私はすぐに解雇されること、間違いなしです。

むしろ、アンジェラよりも先に、、。
きゃーーーーーっっ!!
返信する
同じものを見ても (娑羅)
2008-05-17 13:50:25
こうも観察力が違うものか・・と、Madokakipさんの詳細なレポを読ませていただいて、改めて感じているところでございます。

最近のゲオルギューに関しては、悪い噂&批評しか聞こえてこないので、すっごく覚悟して見に行ったんですが、最初こそ、彼女の、吉本新喜劇ばりのこてこて演技に「え!?」と思ったのですが、最後はゲオルギュー・ワールドにしっかりハマったようで、「意外といいじゃない♪」と思ったのであります(笑)

さて、そのゲオルギュー様。
来月にはモスクワで、ホロストフスキーとデュオ・コンサートが予定されています。
実は、ホロストフスキーは以前、インタビューで、彼女のことを高く評価しているように語っており、“理想のタチヤーナ”と言っていたこともあるんです。
おそらく、2003年だったか、ROHの『道化師』(ネッダとシルヴィオ)で共演した頃だと思うんですが。

ホロストフスキーはロシアで、「ホロストフスキー・アンド・フレンズ」という企画を行っていて、過去には、フレミング、スミ・ジョーなどが共演しています。
ゲオルギューがロシアで何を歌い、どのような評価をされるのか、とても興味があるところです。
返信する
はじめまして (berry)
2008-05-18 04:56:49
いつも興味深く読ませていただいています。私はNJ在住の学生なのですが、昨年からオペラを見て以来すっかりはまってしまい、学校の合間をぬっては、遠方からはるばるメトに通っております。(家に帰り着くと3時、とかものすごい時間になってしまうので体力勝負です。)

ラ・ボエーム、私は4月15日の公演を見に行ったのですが、もちろんゲオルギューの姿はありませんでした。話のタネに見ておきたかったのですが、がっかりです。「病気」とのことでしたが、何公演もキャンセルするなんて、プロとして失格ですよね。観客の期待と、ものすごい報酬をもらっているはずなのに。

昨日は連隊の娘をみたのですが、フローレスのアンコールはありませんでした。歌い終わった後、なんとなくアンコールはないかな、と思ったのですが、観客はしつこく拍手、でも結局アンコールはないまま次のシーンに進みました。アンコールがあればいい、というのものでもないような気がします。フローレスが歌いたければ歌えばいいし、一度でいい、と思うならそれでいいと思うのです。あと、観客の反応は全体的にイマイチでした。

話がそれますが、私が、観客が一つになって感動している!と思ったのは昨シーズンのストヤノーヴァの椿姫と、先日のエルナーニの公演です。オーケストラと歌がかみあってないところが散見されたのですが、ソプラノの代役のアンジェラ・ミード(メトデビューだったそうです)が大健闘しており、観客が暖かく長い長い拍手を送っていました。ミード、悲しみの場面なのに、思わず笑みがもれていましたよ。あと、フルラネットへの拍手もひときわ大きかったです。私は初心者なので、バスはこんなにすごいのか~!と感動しました。

長くなりましたが、今後も楽しみに読ませていただきますので、よろしくお願いします。
返信する
本当なら今頃は、、/はじめまして! (Madokakip)
2008-05-18 07:27:04
娑羅さん、berryさん、このコメントで続けてお返事しますね。

 娑羅さん、

いえいえ、私はこれで同一公演の二度目の鑑賞なのでそれが大きいと思うのです。
実際、オペラハウスで見えていなかったことがたくさん見えたので(まだまだ見落としているところは絶対ありますが)、
ライブ・イン・HD、行ってよかったです

ゲオルギューは、声と歌唱だけのことでいえば、
力がある人だと思うのです。
私の鑑賞歴で、彼女が歌ってくれる限り(で、最近、
ここが怪しいのですが、、)、
”あちゃー、なんだ、これは?”というひどい出来だったことは一度もなく、むしろ、その安定感というのはすごいものがあると思います。
むしろ、そういう意味では同じビジュアル系だと、ネトレプコの方が、
ずっとムラが多いし、音を大幅に外すことも多い。

もし、あの90年代から、ずっと精進を続けていれば素晴らしい歌手になった可能性もあるのに、
彼女は自分の態度のせいで、みすみすその道をフイにしたような気がしてなりません。
それでも彼女が幸せであれば、私のどうこういう問題ではないのでしょうが、、。
私が彼女に厳しく当たってしまうのは、そこなんですね、きっと。
努力しても、素質がなくて苦労しているのがゴマンといる世界で、
素質があるのに、それを十全に伸ばしていかないのはなんと悲しいことでしょう。

アラーニャによれば、シカゴのリハーサルぶっちも、
”アンジェラは、何度もミミを歌っているんだから、
必要がない。”みたいな理由でしたが、
娑羅さんが紹介してくださった、SFOのサイトの、
蝶々さんのインタビュー画像でラセットが
”オペラに二度と同じ公演はない。
相手役、指揮者、オケ、そして、観客、いえ、その時間さえもが、その日の公演を作っている大事な要素なんです。”
という言葉、本当にその通りだと思います。
だからこそ、少しでもその違う要素やケミストリーの中で、
素晴らしい公演を生み出していくためにはどうしたらいいか、を考えるのって大事ですよね。
違うカンパニー、違うキャストで歌う限り、出来るだけ何度もリハをして、
相手がどういう歌や演奏をする人なのかを知る必要が彼女にはあったと思います。
ミミを今までに百万回歌ったとしても関係なく、
終わりなき精進の世界のはず。
だから、この言葉が出てきたときに、私は、あ~あ、という気持ちでしたね。
主役歌手がこんな全力投球しないことを認める発言をしているときには、
ファンも本気で見る気がしないというものです。
いけない!またまた熱がこもってきてしまいました。

というわけで、彼女の素質を認めるのには、私もやぶさかではないので、
ホロストフスキーがそう言ったとしても、不思議ではないですね。
いえ、むしろ、彼女が全力投球をしてくれるタチアナは見てみたいです。
今の彼女はむしろリサイタルで歌う方がいいような気もするので、
デュオ・コンサートは結構いい出来になるかもしれませんよ!
本当、評価が楽しみですね。


 berryさん、

はじめまして!
ラッシュ・チケットのために何時間も並んだり、
berryさんのように長時間かけてオペラハウスに出かけたり、
という、気合の入った皆さんのお話を聞くたびに、
本当に同胞オペラヘッドとして大変嬉しく、すごい!と感嘆してしまいます。

でも朝の三時、、。きついですねー。
どうぞ、お体だけは壊さないようになさってくださいね。
本当にオペラの鑑賞そのものも長時間勝負ですし、
いい公演も、体調が万全でないと、フルには楽しめないですから、、、。

ゲオルギューに関してはおっしゃるとおりですね。
私の考えについては、上の娑羅さんへのコメントで、
炸裂させてしまいましたので、お読みいただけたら、と思います。

連隊の最終公演は、確か指揮がマルコ・アリミリアートから、
私が”たこ男”と名づけたコラネリの指揮だったのですよね。
(いつも、カラマリと混同してしまう。)
それも、テンションが低くなった原因かも、と、
同じ公演を観にいった私の友人が申しておりました。

ストヤノーヴァの椿姫!!!!
ああ!!!!ここにご覧になった方、しかも、私と同じ感想をお持ちの方を発見し、
すごく、すごく嬉しいです!!!
berryさんが、いつごろからこのブログを読んでくださっているかわかりませんが、
昨シーズンの公演中、私はベストと思っており、

http://blog.goo.ne.jp/madokakip/e/8196af1b4108f18db46e0e90d1fb432d

シーズン末に行う、当ブログの、
Opera!Opera!Opera! Best Moments Awardsにも大賞として選びました。

http://blog.goo.ne.jp/madokakip/e/cd5508466fbe0e17982fe2fcf639b938

ストヤノーヴァみたいな歌手は本当に貴重ですね。
もっと、もっと、メトに登場してほしい歌手の一人です。

一方、『エルナーニ』のミードの代役の件は知りませんでした。
それはいい”事件”をご覧になったですね!!
あれは、私にはちと辛い作品だったので、
そういうラッキーな状況で見たかった、、。

今日はいよいよシーズン楽日の『マクベス』です。
今シーズン、メトのオペラ実演のレポはその『マクベス』が最後になってしまいますが、
この後も、NYフィルのトスカや、ABTのバレエ、等、
いろいろあげていく予定です。
来シーズンも合わせて、またどしどし、コメントをいただけたらと思います。
こちらこそよろしくお願いします





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Unknown (チャッピー)
2008-05-18 10:35:56
ロシア人や旧共産圏諸国の人達は、才能のある芸術家やスポーツ選手に対し、自分達と同じ道徳規範を求めてない印象があります。
以前、在日ロシア人女性からロシア語を教わっていたことがありますが、とあるわがままスケーターのことを話していた時、通信社の東京支局長を務める彼女の旦那さんが「あの人達はスターだから」と言ったのを覚えてます。一般庶民のみならず、旧ソ連時代から海外支局で働き、子供を英国の大学に進学させている特権階級の人にとっても、成功した芸術家やスポーツ選手は別世界の人間なんですね。

だから舞台でのゲオルギューが素晴らしければ、素直に賞賛してくれるでしょう、ロシア観客は。
でも、アメリカではどうでしょう?

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ちょっとピントはズレますが (娑羅)
2008-05-18 16:04:45
>”アンジェラは、何度もミミを歌っているんだから、必要がない。”

そうそう。これを聞いた時は、「そんな理由かい!」って思いましたよ~。

ちょっとピントはズレるかもしれませんが、私が誰かにピアノ伴奏を頼まれて、その相手から、
「私はこの曲何度も演奏してるから、伴奏合わせは必要ないわ。」
って言われるのと同じかも・・って。
そんなこと言われたら、私はきっと青ざめてしまうでしょう・・・。

とある日本人女性バレエダンサーも、何度も踊ってるソリスト級の役を踊る時、主役のダンサーが変わる度に、綿密な打ち合わせをする・・と語っていました。
自分の解釈と、相手の解釈にずれがあったら、観客は「?」と思ってしまうでしょうしね。
それが本当なんでしょう。

”何度もミミを歌っているんだから、必要がない。”
と、仮に思っていたとしても、実際に口に出すということは、それは当然のこと・・って考えですよね?
それに対して、非難の声が上がるとは、根っから思ってないってことですよね?
これは、お金を払って観に行く立場の人間からすると、ガッカリの発言でした。
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映像と生の舞台の違い (yol)
2008-05-18 23:58:00
自分が言って生で観た公演を再度映像で観られるとはなんと理想的。ハッキリクッキリ羨ましいことこの上ない。

興味深かったのは、会場ではうるさく聞こえたアルテータのムゼットが映像ではGoodだったとのこと。

そう、私もレポで書いてあったほどには五月蝿く感じなかったので、映像と生の舞台とはやはり音響も調整されているのだと改めて思った次第です。
(ということはスミスのトリスタンももっと声が小さかった可能性もありなのか?)

もうここまで詳細を知り尽くしているとなると、ヘッドでもナッツでもなくメトの魔物だわ!

でもそんな魔物が1人や2人じゃないんでしょ?

あぁ、恐ろしいわ、NYの街は!
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別格の別格/まさに!/まだまだ全然よ! (Madokakip)
2008-05-19 11:49:43
 チャッピーさん、

なるほど、、スポーツ、芸術で成功している人は、
ビジネスなどにいる特権階級の人をして、”特別”と言わしめるのですね、、。
これで、なんとなく、あの、HDのときのインタビューでの、
アンジェラの言動のほとんども説明されるような気がします。
ロシアでのデュオ・リサイタルの評価は、娑羅さんからの情報を楽しみに待つことに致しましょう!
(娑羅さんはご自身のサイトでも、好きな某ロシアのバリトン歌手のインタビューなら、
意味のわからないロシア語で視聴していても、
全然余裕で一時間聴き続けられます!とおっしゃっておられるすごいパワーの持ち主です。
そのパワーでぜひ、デュオ・リサイタルの評も解読していただくのです!
娑羅さん!楽しみにしていますっ!!)

 娑羅さん、

↑ と、ずうずうしくお願いをしてしまってすみません!
私ももし何か評なんか見つけたら、このコメント欄で紹介させていただきますね!
おっしゃるピアノの伴奏の例、その通りだと思います!!
だから、リハーサルは彼女のためだけではなく、
参加するみんなのためにあるんですよね。
やっぱり、特権階級よりもさらに”特別”な方は何をやっても赦されると、、。
しかし、ならば、まわりのキャストのみんなも同じく”特別”だとなぜ思わないのも不思議。
なぜそこで、私”だけ”が”特別”になる?!ですよね。

 yol嬢、

うんうん、この、実演を見てHDを見るというのは、
かなり理想的だと思いました。
そうなの、私もね、アルテータが出てくるときには、
反射的に耳を押さえそうになったけれど、
声が出てきてびっくり、、”あれ?うるさくない、、、”って。

音響、調節されているのかしらね?
あと、音はボールみたいにあるところまで放物線状に飛んでいくような部分もあるので、
歌手にも、その飛距離が短い人と長い人がいて、
客席にいると、そのボールが落ちる前に座っているか、
後ろに座っているかで、随分声の印象も違うと思うの。
マイクは舞台すぐそばに立てているのがメインになっていると思うので、
声の飛距離はあまり関係がなく、そのせいで、キャスト全員の声が、
割と均一に聞こえ勝ちになるというのも、あるかもしれません。
確かに、スミスの場合、同様のギャップは大いにありうると思うわねー。

あなた、私なんて全然まだまだ。
少しは自分もオペラがわかってきたかしら?と思うたびに、
メトですんごいお年を召したオペラヘッドに会い、
彼らと話してうちのめされるのよ、、。
私なんて、まだまだ雛鳥、歩む道は長いわ、、と。
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プ、プレッシャー(汗) (娑羅)
2008-05-19 13:46:00
ホロストフスキーとゲオルギューのコンサートについては、私ももちろん調べますが、ちょっとプレッシャー
とりあえず、写真は出てくると思います。
フレミング、スミ・ジョーの時も出ましたし。
あと、TVのニュース映像も見つかるかもしれません。
批評に関しては、翻訳サイトで、ロシア語→英語に直してみますが、その英語→日本語への変換は自信がないので、英文のままお知らせするかも

それより、ゲオルギューが突然キャンセルしないか・・・実は、それが一番心配だったりします・・・
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