ライブ・イン・HDの収録日の『つばめ』を風邪をおして歌ったゲオルギューが、
そのすぐ後に続いた1/13の公演を降板、
代役にモーリーン・オフリンというカバーが入ったことは記事にも書きましたが、
彼女の歌唱はオペラヘッドたちの間でもとても好評でした。
ゲオルギューの歌唱に関しては、彼女はCDも発売されているし、
これからライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)でその『つばめ』を観れる方も多いでしょうが、
このオフリンという比較的知名度の低い代役のソプラノの方はといえば、
私を含め、オペラ好きでも今まで名前を知らなかった、という人が結構多く、
これは、当ブログでご紹介するしかありません。
一幕のアリア”ドレッタの夢”とどちらにしようか迷いましたが、
彼女の歌唱の持ち味がより強く出ている三幕の最後、
つまりこの作品全体のエンディングにもあたる2分間ほどの抜粋を下の画面、もしくはこちらから、お聴きください。
旋回して飛び去るつばめが瞼に浮かぶ最後のAh~つき、
途中で泣きを入れてくれているのは、ルッジェロ役のロベルト・アラーニャ。
もちろん1/13のメトでの公演の音源からで、指揮はマルコ・アルミリアートです。
音の立ち上がりが少し鈍い個所が一、二ありますが
(これが彼女の歌唱の最大の課題かも知れないです)、良い歌唱だと思います。
メトのサブ組織ともいえる、オペラギルドによるサイトの
Standing Roomというファン・フォーラムには、
当日のシリウスの放送最中からスタートしたスレッドに、
以下のような意見があがっていました。オペラヘッドたちの熱い呟きをどうぞ!
「ゲオルギューに代わって、今日の公演はモーリーン・オフリンがマグダ。
アラーニャとは、ゲオルギュー相手の時ほどの火花はないけれど、とてもいい歌唱。
このオペラ、聴けば聴くほど好きになってきた。
他に今日の放送を聴いている人は?」
「同感!とってもいい。オフリン、すっごくいい。」
「今日のオフリンは素晴らしかった!どうして彼女はメトでベル・カントの役に配されないのだろう?
彼女が歌う『清教徒』のエルヴィーラ、『愛の妙薬』のアディーナ(何年か前にメキシコで歌った)、
『リゴレット』のジルダ、『タンクレーディ』のアメナイデを聴いたことがあるけれど、
どれも素晴らしかったのに。
これからメトがもっと彼女にチャンスをあげてくれたらいいなと思う。」
「アラーニャはゲオルギューにしたときのように、オフリンの胸にも頬をすり寄せたんだろうか?」
「劇場で観たが、いい公演だった。オフリンは、ゲオルギューより、
よりシンパシーを感じることのできる、そして私の意見では歌唱の面でも上の、マグダだった。
アラーニャはリラックスしていて、高音が以前よりも良く出ていた。
それから、レイミーの代わりに、ランバルド役でコートニーが入っていたのは嬉しい。
レイミーは残念ながら、そろそろ引退する必要あり。オペラハウスも交代を温かく迎え、
オフリンをサポートしていた。どうか、メトがもうちょっと彼女を頻繁にキャスティングしてあげますように、、。
可能性は薄いと思うけれど。」
「疑いの余地なし。宝石のような公演だった。最初からこの作品はこういう風に聴こえるべきだったのだ。
オフリンの声には、ゲオルギューが持っているコケティッシュでカリスマ的な質は欠けているけれど、
リリコの役に合った声の強さ、自然で楽な発声、澄んだ高音、そして非常に美しいピアニッシモでの高音域、
これら全てを持っている。
私は何度も、リリコおよびレジェロのレパートリーで彼女の歌を聴いているが
(本当に、現時点では、彼女はベテランと言ってもいいくらい)、
いつも聴いてよかった、と思わせる出来だ。
そして、アラーニャときたら!私の理論はこうだ。
もしかすると、彼はあまりにシンパシーを感じやすく、相手の波長に合わせてしまうので、
ゲオルギューが不調で苦しんでいると、自分まで不調になってしまうのでは、、?
とにかく言えるのは、この日の彼は声がきちんとしていて、今までの他の公演とは大違いだったことだ。
いつものように三幕まで調子が安定してくるのを待たなければならない、ということもなかった。
彼は本当に素晴らしく、最後の場面では胸が張り裂けるかと思った。
ブラヴィッシミ!」
<ここから話がライブ・イン・HDの公演についてなどに脱線していくので中略。>
「シリウスで公演を聴き、嬉しくなる出来でした。オフリンを聴いたのは初めてだけど、
もっとメトで彼女を聴きたい。なぜ彼女がアンダースタディでしかないの?
こんなの間違ってる。」
「モーリーン・オフリンのことは、1998年のタッカー・ガラで最高の『慕わしき名は』を聴いて以来、大好き。
そして、ずっと、どうして彼女のキャリアが、いつもすごく良い公演の、すごく良い出来、
という域にとどまったまま、彼女が得るにふさわしいレベルのキャリアにつながっていかないのか、
不思議でたまらない。」
「皆さんの意見を繰り返すのみになるのだけど。自分にとっても、オフリンが歌うのを聴いたのは
初めてだったが、とても良い出来だったと思う。
あのクリスタルのような澄んだ声、公演の最初から最後まで美しかった。
確かにアラーニャは初日やHDの日に比べても、ずっといいコンディションだった。
一言で言えば、素晴らしかった。そして、ファビオ・アルミリアートの素晴らしい指揮も楽しめた。」
「アルミリアート兄弟はややこしいけど、ファビオはテノールで、指揮をするのはマルコの方。」
「かわいい方がマルコ。」
<と、またまた話が脱線していくのであった、、。>
驚くべきは、オフリンに関係のない記述を中略の個所で飛ばした以外、
一切私の方でコメントの取捨選択を行ったわけではないこと。
つまり、”いやー、彼女の歌はまずいでしょう、、”と言った人は一人もいないということになります。
特に有名歌手で主役級の役が埋まってしまいがちなメトでは、
私は以前から、”もっと実力のあるカバーや新進の歌手たちに舞台にあがれるチャンスを!”
と思っていて、ゲルプ氏が支配人になってからしばしば見られるようになった、
有名歌手をもって有名歌手の病欠をカバーする、という、
同じ時期に別の演目で、主役級の役を歌っている歌手たちにカバーさせる方法は
あまり支持していない、
でも、かといって、実際そうたくさんは力のあるカバーがいない、という現実との板ばさみになっていましたが、
まさに、このオフリンのような人こそ、メトがチャンスを与えるべき歌手だと思います。
1/15のNYタイムズに、とうとうメトも現在の経済危機のあおりを受け、
オケ、合唱、大道具という三つの組合に、
10%の減給に応じるようゲルプ氏が働きかけている、という記事(リンクはこちら)が出ました。
私はこういうしけた話が全く嫌いなので、素通りしたい気分なのですが、
上に書いたことと絡めて少しだけ。
ゲルプ氏が、ライブ・イン・HDを導入し、新しい、メトにしては意欲的なプロダクションを
持ってきてくれていることは大変評価します。
しかし、その一方で、あまりにスター・サヴィーな方向にメトが向かいつつあるのは、
私にはあまり良い傾向だとは思えません。
もともとメトはスター・サヴィー度が高いオペラハウスではありますが、
上で書いた有名歌手に有名歌手の代役をやらせるようなやり方も、
オフリンのようないい歌手がいるのなら、コストの面でも、芸術的な面でもマイナスです。
だいたい、”どうせオフリンみたいな歌手はメトに起用されない。”と、
膝元のフォーラムでこぼされていること自体、
最近のメトがとっているキャスティングやカバーの方法に対して我々オペラヘッドが持っている、
不満とあきらめの表出と見て取れます。
それから、ここ二年、観察していてだんだん強く感じるようになり、
以前、どこかで書いたことですが、そろそろ、現在のラッシュ・チケット
(月曜から木曜の平土間席を20ドルで購入できる。ただし、演目やキャストによっては、
何時間も並ぶ。早い者勝ち。席数に限りあり。)やディスカウント・チケットのような、
将来への計画性のない、しかも、完全にパトロンの寄付に依存している、
チケットのばら撒きのようなシステムは再考した方がいい。
大体、平日に何時間も並べるという人たちは層が限られているのであって、
結局いつも同じ人がチケットを手にし、それだって、$20だから観る、という人が多く、
これが将来、ずっとオペラを観に行く層になっていくのか、甚だ疑問。
(もちろん、中にはそういう人もいるでしょうが、、。)
相変わらず、大パトロンたちが多額の寄付金を出し、
日本をはじめ海外から来て下さる旅行者の観客の方たちと、
平日は働かざるを得ない層が支払っている正規(か、それに近い)のチケット代金による収入が、
現在のメトを支えているわけです。
もちろん、ラッシュ・システムでオペラの世界を知った人たちが、
将来、正規の代金を払ってでもオペラを観たいという層につながっていくなら、大歓迎ですが、
そうでなく、いつまでもこれを利用して、その浮いたお金が彼らの別の遊びに消えているだけとしたら、、。
早急に、先につながる観客とそうでない観客を振り分けられるようなシステムに変更することが大切だと感じます。
また、広告やライブ・イン・HDにかかっている費用ももっと切り詰められるのでは?
NY市内では、公演のポスターなどが、バスの車体や停留所、地下鉄の駅などに
掲げられたりしてますが、
いまどき、あんなポスターを見て、じゃ、オペラ観に行こうか、と思う人なんているんでしょうか?
もっと、効率がよく、効果的な宣伝方法があるはずです。
ライブ・イン・HDの、あのカメラの異様なまでの台数の多さも謎です。
実際にオペラハウスにいるとわずらわしいくらいの時があります。
ネトレプコやゲオルギューがいくら美人と言ったって、
彼らの顔をライブ・イン・HDで100の角度から観る必要なんて全くないのに。
(100という数字は誇張ですが。)
また、実際に中継される公演の一つ前の公演も、予行演習を兼ねて、
カメラ付きの設定で公演されることが多く、これらの出費も馬鹿にならないし、
大体、ライブ・イン・HDのためなら、オペラハウスに観にきた人間は、
少しくらいは不便を我慢しろ、とでも言いたげな横柄な態度もおかしい。
オペラは、そもそもは舞台芸術であって、本来は、オペラハウスにいる観客こそが
大事にされるべきはずです。
実際の公演の芸術的なレベルを下げずに、
コストを下げる手段はまだまだ山ほどあると思うのですが。
もう、書いているだけで、こっちまで心が重くなってくるこの話題はこのあたりで止めましょう。
こんなの考えるのはゲルプ氏の仕事ですし。
話を戻すと、ゲオルギューはルックスだけではなく、歌唱力も伴った歌手だと思いますが、
オペラってものは、解釈や歌い方が、数学みたいに答え一つ、でないところが良さなのです。
これからライブ・イン・HDの『つばめ』をご覧になる方が、
ふと上の音源を思い出し、ゲオルギュー、オフリン、二人の歌唱は違ってはいるけれど、
同じくらい素晴らしい、と感じてくださったなら、これほど嬉しいことはありません。
(冒頭の写真はモーリーン・オフリンです。)
そのすぐ後に続いた1/13の公演を降板、
代役にモーリーン・オフリンというカバーが入ったことは記事にも書きましたが、
彼女の歌唱はオペラヘッドたちの間でもとても好評でした。
ゲオルギューの歌唱に関しては、彼女はCDも発売されているし、
これからライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)でその『つばめ』を観れる方も多いでしょうが、
このオフリンという比較的知名度の低い代役のソプラノの方はといえば、
私を含め、オペラ好きでも今まで名前を知らなかった、という人が結構多く、
これは、当ブログでご紹介するしかありません。
一幕のアリア”ドレッタの夢”とどちらにしようか迷いましたが、
彼女の歌唱の持ち味がより強く出ている三幕の最後、
つまりこの作品全体のエンディングにもあたる2分間ほどの抜粋を下の画面、もしくはこちらから、お聴きください。
旋回して飛び去るつばめが瞼に浮かぶ最後のAh~つき、
途中で泣きを入れてくれているのは、ルッジェロ役のロベルト・アラーニャ。
もちろん1/13のメトでの公演の音源からで、指揮はマルコ・アルミリアートです。
音の立ち上がりが少し鈍い個所が一、二ありますが
(これが彼女の歌唱の最大の課題かも知れないです)、良い歌唱だと思います。
メトのサブ組織ともいえる、オペラギルドによるサイトの
Standing Roomというファン・フォーラムには、
当日のシリウスの放送最中からスタートしたスレッドに、
以下のような意見があがっていました。オペラヘッドたちの熱い呟きをどうぞ!
「ゲオルギューに代わって、今日の公演はモーリーン・オフリンがマグダ。
アラーニャとは、ゲオルギュー相手の時ほどの火花はないけれど、とてもいい歌唱。
このオペラ、聴けば聴くほど好きになってきた。
他に今日の放送を聴いている人は?」
「同感!とってもいい。オフリン、すっごくいい。」
「今日のオフリンは素晴らしかった!どうして彼女はメトでベル・カントの役に配されないのだろう?
彼女が歌う『清教徒』のエルヴィーラ、『愛の妙薬』のアディーナ(何年か前にメキシコで歌った)、
『リゴレット』のジルダ、『タンクレーディ』のアメナイデを聴いたことがあるけれど、
どれも素晴らしかったのに。
これからメトがもっと彼女にチャンスをあげてくれたらいいなと思う。」
「アラーニャはゲオルギューにしたときのように、オフリンの胸にも頬をすり寄せたんだろうか?」
「劇場で観たが、いい公演だった。オフリンは、ゲオルギューより、
よりシンパシーを感じることのできる、そして私の意見では歌唱の面でも上の、マグダだった。
アラーニャはリラックスしていて、高音が以前よりも良く出ていた。
それから、レイミーの代わりに、ランバルド役でコートニーが入っていたのは嬉しい。
レイミーは残念ながら、そろそろ引退する必要あり。オペラハウスも交代を温かく迎え、
オフリンをサポートしていた。どうか、メトがもうちょっと彼女を頻繁にキャスティングしてあげますように、、。
可能性は薄いと思うけれど。」
「疑いの余地なし。宝石のような公演だった。最初からこの作品はこういう風に聴こえるべきだったのだ。
オフリンの声には、ゲオルギューが持っているコケティッシュでカリスマ的な質は欠けているけれど、
リリコの役に合った声の強さ、自然で楽な発声、澄んだ高音、そして非常に美しいピアニッシモでの高音域、
これら全てを持っている。
私は何度も、リリコおよびレジェロのレパートリーで彼女の歌を聴いているが
(本当に、現時点では、彼女はベテランと言ってもいいくらい)、
いつも聴いてよかった、と思わせる出来だ。
そして、アラーニャときたら!私の理論はこうだ。
もしかすると、彼はあまりにシンパシーを感じやすく、相手の波長に合わせてしまうので、
ゲオルギューが不調で苦しんでいると、自分まで不調になってしまうのでは、、?
とにかく言えるのは、この日の彼は声がきちんとしていて、今までの他の公演とは大違いだったことだ。
いつものように三幕まで調子が安定してくるのを待たなければならない、ということもなかった。
彼は本当に素晴らしく、最後の場面では胸が張り裂けるかと思った。
ブラヴィッシミ!」
<ここから話がライブ・イン・HDの公演についてなどに脱線していくので中略。>
「シリウスで公演を聴き、嬉しくなる出来でした。オフリンを聴いたのは初めてだけど、
もっとメトで彼女を聴きたい。なぜ彼女がアンダースタディでしかないの?
こんなの間違ってる。」
「モーリーン・オフリンのことは、1998年のタッカー・ガラで最高の『慕わしき名は』を聴いて以来、大好き。
そして、ずっと、どうして彼女のキャリアが、いつもすごく良い公演の、すごく良い出来、
という域にとどまったまま、彼女が得るにふさわしいレベルのキャリアにつながっていかないのか、
不思議でたまらない。」
「皆さんの意見を繰り返すのみになるのだけど。自分にとっても、オフリンが歌うのを聴いたのは
初めてだったが、とても良い出来だったと思う。
あのクリスタルのような澄んだ声、公演の最初から最後まで美しかった。
確かにアラーニャは初日やHDの日に比べても、ずっといいコンディションだった。
一言で言えば、素晴らしかった。そして、ファビオ・アルミリアートの素晴らしい指揮も楽しめた。」
「アルミリアート兄弟はややこしいけど、ファビオはテノールで、指揮をするのはマルコの方。」
「かわいい方がマルコ。」
<と、またまた話が脱線していくのであった、、。>
驚くべきは、オフリンに関係のない記述を中略の個所で飛ばした以外、
一切私の方でコメントの取捨選択を行ったわけではないこと。
つまり、”いやー、彼女の歌はまずいでしょう、、”と言った人は一人もいないということになります。
特に有名歌手で主役級の役が埋まってしまいがちなメトでは、
私は以前から、”もっと実力のあるカバーや新進の歌手たちに舞台にあがれるチャンスを!”
と思っていて、ゲルプ氏が支配人になってからしばしば見られるようになった、
有名歌手をもって有名歌手の病欠をカバーする、という、
同じ時期に別の演目で、主役級の役を歌っている歌手たちにカバーさせる方法は
あまり支持していない、
でも、かといって、実際そうたくさんは力のあるカバーがいない、という現実との板ばさみになっていましたが、
まさに、このオフリンのような人こそ、メトがチャンスを与えるべき歌手だと思います。
1/15のNYタイムズに、とうとうメトも現在の経済危機のあおりを受け、
オケ、合唱、大道具という三つの組合に、
10%の減給に応じるようゲルプ氏が働きかけている、という記事(リンクはこちら)が出ました。
私はこういうしけた話が全く嫌いなので、素通りしたい気分なのですが、
上に書いたことと絡めて少しだけ。
ゲルプ氏が、ライブ・イン・HDを導入し、新しい、メトにしては意欲的なプロダクションを
持ってきてくれていることは大変評価します。
しかし、その一方で、あまりにスター・サヴィーな方向にメトが向かいつつあるのは、
私にはあまり良い傾向だとは思えません。
もともとメトはスター・サヴィー度が高いオペラハウスではありますが、
上で書いた有名歌手に有名歌手の代役をやらせるようなやり方も、
オフリンのようないい歌手がいるのなら、コストの面でも、芸術的な面でもマイナスです。
だいたい、”どうせオフリンみたいな歌手はメトに起用されない。”と、
膝元のフォーラムでこぼされていること自体、
最近のメトがとっているキャスティングやカバーの方法に対して我々オペラヘッドが持っている、
不満とあきらめの表出と見て取れます。
それから、ここ二年、観察していてだんだん強く感じるようになり、
以前、どこかで書いたことですが、そろそろ、現在のラッシュ・チケット
(月曜から木曜の平土間席を20ドルで購入できる。ただし、演目やキャストによっては、
何時間も並ぶ。早い者勝ち。席数に限りあり。)やディスカウント・チケットのような、
将来への計画性のない、しかも、完全にパトロンの寄付に依存している、
チケットのばら撒きのようなシステムは再考した方がいい。
大体、平日に何時間も並べるという人たちは層が限られているのであって、
結局いつも同じ人がチケットを手にし、それだって、$20だから観る、という人が多く、
これが将来、ずっとオペラを観に行く層になっていくのか、甚だ疑問。
(もちろん、中にはそういう人もいるでしょうが、、。)
相変わらず、大パトロンたちが多額の寄付金を出し、
日本をはじめ海外から来て下さる旅行者の観客の方たちと、
平日は働かざるを得ない層が支払っている正規(か、それに近い)のチケット代金による収入が、
現在のメトを支えているわけです。
もちろん、ラッシュ・システムでオペラの世界を知った人たちが、
将来、正規の代金を払ってでもオペラを観たいという層につながっていくなら、大歓迎ですが、
そうでなく、いつまでもこれを利用して、その浮いたお金が彼らの別の遊びに消えているだけとしたら、、。
早急に、先につながる観客とそうでない観客を振り分けられるようなシステムに変更することが大切だと感じます。
また、広告やライブ・イン・HDにかかっている費用ももっと切り詰められるのでは?
NY市内では、公演のポスターなどが、バスの車体や停留所、地下鉄の駅などに
掲げられたりしてますが、
いまどき、あんなポスターを見て、じゃ、オペラ観に行こうか、と思う人なんているんでしょうか?
もっと、効率がよく、効果的な宣伝方法があるはずです。
ライブ・イン・HDの、あのカメラの異様なまでの台数の多さも謎です。
実際にオペラハウスにいるとわずらわしいくらいの時があります。
ネトレプコやゲオルギューがいくら美人と言ったって、
彼らの顔をライブ・イン・HDで100の角度から観る必要なんて全くないのに。
(100という数字は誇張ですが。)
また、実際に中継される公演の一つ前の公演も、予行演習を兼ねて、
カメラ付きの設定で公演されることが多く、これらの出費も馬鹿にならないし、
大体、ライブ・イン・HDのためなら、オペラハウスに観にきた人間は、
少しくらいは不便を我慢しろ、とでも言いたげな横柄な態度もおかしい。
オペラは、そもそもは舞台芸術であって、本来は、オペラハウスにいる観客こそが
大事にされるべきはずです。
実際の公演の芸術的なレベルを下げずに、
コストを下げる手段はまだまだ山ほどあると思うのですが。
もう、書いているだけで、こっちまで心が重くなってくるこの話題はこのあたりで止めましょう。
こんなの考えるのはゲルプ氏の仕事ですし。
話を戻すと、ゲオルギューはルックスだけではなく、歌唱力も伴った歌手だと思いますが、
オペラってものは、解釈や歌い方が、数学みたいに答え一つ、でないところが良さなのです。
これからライブ・イン・HDの『つばめ』をご覧になる方が、
ふと上の音源を思い出し、ゲオルギュー、オフリン、二人の歌唱は違ってはいるけれど、
同じくらい素晴らしい、と感じてくださったなら、これほど嬉しいことはありません。
(冒頭の写真はモーリーン・オフリンです。)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37774842&comm_id=5384
最初は私も書き込んでたんだけど、次第にトピ主に対して腹が立ってきた。
そもそもBarbara Hendrixってオペラ歌手?
好きな演目や歌手も特になさそうだし。
ラッシュチケットで見ようなんて奴はこの程度、っていう見本みたいな例。
そもそも滞在時間が限られてるのに、長時間並んで買うラッシュチケット?
有り得ない!
あはは、まあ、ラッシュ・チケットのようなシステムの実態は、
なかなか日本までは届かないのが現実ですので、
ある程度、質問攻めになるのはしょうがないのかもしれないですが、
もうちょっとご自分で、リサーチなりして、
何を重視して演目や座席を決めたいのか
教えていただかないと、アドヴァイスする方も辛いですよね。
あと、この方がそうだとはいいませんが、
大体、人に全て決めさせる人に限って、
ちょっとしたことで、不満を言うんですよ。
ちなみに、ラッシュの対称にあたっているチケットの一部は、
平土間の端、つまり、partial viewの枠に入る席だったように記憶しています。
おっしゃるとおり、『タイス』や『つばめ』(これ、日本語ではなぜか、
ロンディーヌ、と言っている人が多いのですが、
正しくは、ラ・ロンディネーです。)は
フレミングやゲオルギューが出演することもあって
大人気演目です。
ラッシュだって、皆さん、開演二時間よりも全然前から
並んでおられるはずです。
二時間前から配られる、という意味であって、
二時間前にぱっと売り場に現れて手に入れられる、というものでは決してありません。
私の知り合いの方は、人気演目の場合、
何時間も並んでゲットされていました。
旅行中にそんな風に時間を潰すのはもったいないと個人的には思いますが、
まあ、そんな風に並ぶのもいい経験!と思われる方もいるのかもしれませんね。
>Barbara Hendrixってオペラ歌手
かつてはそうだったんですよ。
私、何を隠そう、初めて実演で観たオペラが
ハンブルクの『リゴレット』で、その時にジルダを歌ったのが彼女でした。
いつの間にかオペラの舞台よりもリサイタルや
CDの方に流れていってしまったのかな?
そういう歌手は他にもいますよね。
でも、この方がおっしゃっている、黒人のdivaっていう定義も、難しいですね(笑)
軽めの声だったバトルみたいな人もいれば
(ヘンドリックスも軽かったですが)、
かつてのレオンタイン・プライスみたいに、
重くてこってり、という人もいますしね、、。
私はラッシュの大罪は、一部の人を除いた買う側に、
あたかもオペラの公演が$20の価値しかないような幻想を与えている点にあると思います。
映画館のように気軽な気持ちで来るから静かに見てくれないし、
(個人レベルではいろんな人がいるでしょうが、
全般的に、携帯の切り忘れ、ざわざわ感が
昔より増したのは疑いの余地なし、です。)
また、オペラを舞台に上げるということ、
歌手が一本通しで主役を歌うということが、
どれほど大変なことか、ということが理解できていない人が多すぎです。
日本ではチケット代が6万とか7万とかするのが高すぎる!といいますが、
しかし、オペラは実際お金がかかるものなのであって、
それを$20というとんでもない破格で観ておいて、
(それも大パトロンの厚意によって、、)
その価値をきちんと理解できずに、
好き&嫌いと、優れているもの&そうでないものを混同した
感想が行きかっているのを見ると、
血管が切れそうになります。
(好き&嫌いは感性の問題ですから、それは私がどうこういうことではないですが、
歌の上手い、下手、というような絶対的なことを語る時には、
聴く方もそれなりにいろんな歌手の歌を聴く義務があると思います。
でないと、歌手の努力が報われないではないですか!)