メト・リング第1サイクルの『ワルキューレ』ヴォータン役の名演で観客に涙させたジェームズ・モリスが、
4/28に、第2サイクルの『ワルキューレ』のシリウスでの放送のゲストとして、
インターミッション中の30分ほどのインタビューに登場しました。
シーズン終盤、リングで盛り上がるメトとのタイ・アップ企画として
(もちろん当ブログの勝手な企画であり、メトはそんなことは露も知らない、、。)
そのインタビューの内容をご紹介します。
ホストのマーガレット嬢を、
アシスタント(とはいえ、この番組の台本を企画しているのは彼なんですが)のウィリアムを、
モリスをで表示します。
ボルティモア出身のジェームズ・モリスがメトで歌い始めたのはたった23歳の時でした。
以来、モーツァルト、ヴェルディ、ワーグナーの作品など、
イタリア及びドイツ・オペラのレパートリーでは並ぶものがないバス・バリトンとして君臨、
そして、今シーズン、メト最多のヴォータン役として15回目のノー・カットのリング・サイクルに
登場中のジェームズ・モリスが嬉しいことに今回のインターミッションのゲストです。
私の方こそ呼んでいただいて嬉しいです。
本当に来て頂いて嬉しいわ!そして、ウィリアム・バーガーもこのインターミッションに一緒に居てくれます。
ちゃんと聴いてますからねー。
”ヴォータン協会”とでもいうような他の歌手との繋がりが絶対にあるに違いない!と思うのですが。
あなたと他のヴォータンうたいが頭をつきあわせて色々相談したり、という場はありますか?
そうそう、それはもうね、結束の固いグループですよ(笑)
良かった点、悪かった点について話し合ったり、、
ポーカーをしたり、、
もちろん、そうやって経験をシェアすることはありますよ。
オペラの世界というのは狭い世界です。色んなオペラハウスに旅しているから、
いつだって、キャストの全員とはいいませんが、どんな演目でも、最低でも二、三人は知っている人と一緒になるものです。
ですから、つい結びつきも強くなるんですね。
そうやっていつも同じメンバーで仕事をするというのも楽しいものかもしれませんね。
毎年毎年世界が狭くなっているように感じますよ。でも、出来ることならば、
昔のように公演先には船や列車で出かけて、一つところでじっくり時間を過ごす、ということをしてみたいものです。
考えてみれば非常に贅沢なことですよね。オペラ歌手がきちんと時間をとって、大西洋を越えて、、。
今では、今夜はこの都市、明日の夜はあの都市、といった感じで飛行機で飛び回る日々ですよ。
本当ですね。このスピードのせいで、歌手のキャリアの一年分位浮いているような感じがしますよね。
でも、あなたはNY中心にキャリアを築いてきた、とはいえませんか?
それはそうですね。メトはいつも私のホーム・ベースでした。
ヨーロッパ、南アメリカ、アジアと、いろいろなところに出かけてはいきますが、
メトこそが私のホームグラウンドです。ですから、出来るだけ、メトで歌いたいと思いますし、
こここそ、自分の家族がいて、子供たちが学校に行っている場所でもありますからね。
でも、私はとてもラッキーだと思います。他のオペラ歌手はいつも旅してますよね。
私の場合は、少なくともメトにいる間は、自分の家のある場所にいるわけですから、、。
なので、ここでは仕事上の生活とともに、プライベートな生活もきちんともてます。
最近の土曜マチネのラジオ放送のため、バック・ステージでお話する機会がありましたが、
その時にも、今回が最後となるオットー・シェンクのプロダクションについて、あなたに色々質問があがっていましたね。
少しそのことをお話ねがいますか。だって、あなたにとっては、、
もらい泣きしろと?(笑)いや、だって話してたら本当に泣けてきますから、、。
もう是非!!ラジオで!!(笑)
『ワルキューレ』の最後ですら、そんなことをしたことがないあなたが!!(笑)
いや、もう本当に半べですよ。
まじめな話に戻ると、本当に素晴らしいプロダクションですね。約25年ですか?メトでかかったのは。
こんなプロダクションは世界でこれだけです。”教科書のような”(リブレットをそのまま視覚化したような)指環ですね。
他はもうほとんどどこも、”コンセプト的”(抽象的な)プロダクションですから。
ワーグナーは他のどんな作曲家よりも多くの、控えめにいっても、
珍妙な解釈のプロダクションを演出家に生み出させた作曲家といえますが、
しかし、このプロダクションはすごくまっすぐで、自然で、開放的で、
見た目にも美しいですし、演じる側の役作りや歌の邪魔にならないですね。
しばしば、よその演出では、声でそのプロダクションと戦っているような気分になるときがあります。
本当にこれを最後にお別れをしなければいけないというのは悲しいです。
もちろん、次の段階に進まなければならない、というのもわかります。
数週間前にピーター・ゲルプ氏と話していたときも、彼が、
”私達は前にすすんで行かなければならないんですよ。”と言っていて、
それで、自分も、ああ、そうなのかもな、とも思いました。
でも、嬉しいことに、壊してしまうわけではないみたいですよ。
彼とも、20年おきくらいに一度は取り出して、数サイクルかけてみたいプロダクションだね、と言っていたんです。
だって、いつだってこのプロダクションはチケットが売り切れていましたからね。
ドイツの人たちを含むヨーロッパの人々がたくさん鑑賞しに来ていましたし、
私がお話させていただいた人は決まってこういいました。
”ドイツにもこんなプロダクションがあったらいいのに、、”と。
もしかしたら、同時に複数の演出のリングがあってもいいかもしれませんよね。
二重リング。いいじゃないですか。メトなんですから、なんでもあり!で。
(笑)でも、きっと前進するべき時なんでしょうね。ほろ苦い気持ちですよ、それは。
来週の公演が私にとって、このプロダクションでの最後の歌唱となりますね。
えっと、5/7ですよね。最後の『ジークフリート』ですね。
そうです、それが最後の『ジークフリート』になります。
なので、来週の月曜、火曜、木曜、これが私にとって最後の指環となります。
何か特別なことが予定されているんでしょうか?
私の知っている限りでは特にありませんが、、
じゃ、余分にティッシュの箱を抱えて舞台に立つくらいですね。
(笑)
ああ、それは(『ワルキューレ』の最後で)良く燃えそうですね(一同笑)
第1サイクルは私も客席にいたんですが、いつもこのシーンの迫力には観客が息をのみますね。
あなたが初めてこの場面をみたとき、どのように感じましたか?
振り返ると、山が真っ赤に燃えて、、
いやー、それはもうすごいですよ。
演じる人間として、この演出にはインスパイアされます、本当に。
自分が本当に演じている人物になったような気分になります。
”神みたいな気分”です(笑)
でも、先にも申しましたとおり、この演出では、プロダクションと戦わなくてよいうえに、
こちらをインスパイアしてくれるんですね。
例えば、『ジークフリート』では、私は舞台の袖から、場の変換場面の様子をのぞいていることが多いのですが、
観るたびに、ノックアウトされます。あまりに美しくて、、。
そうですよね、演出で一番必要なのは自分がその役である、と感じれることですよね。
私はあなたが槍を持ちあげた瞬間、”あ、神だ!”と思いますもの。
そう、とにかくこの演出にはインスピレーションを受けるんですよ。
中にはわざとらしくておセンチだ、と感じる人もいるようですが、
『ワルキューレ』の最後で槍を持ち上げ、自分が煙やら炎やらに包まれていると、
本当に鳥肌が立つんですよ、いつも。
いや、このシーンを悪く思う人はいないでしょう、本当に素晴らしいですから。
何かこのプロダクションから記念の品を持っていくつもりでいますか?
私が欲しいものははっきりしてますよ。
槍ですよね、やっぱり。
いやー、ここでは言いませんよ、ずっと私が槍を欲しがってる、なんてことは(笑)。
まあ、どうなることでしょうね。
移動中の乗り物の中で、槍を手にしてアイ・パッチをしている人がいるな、と思ったらあなただった、みたいな、、(笑)
アイ・パッチは自分のを持ってますんで(笑)、、、
本当に旅行中はずっと持ってるんですよ。
にしても、あるアイテムに体が慣れてしまうと、別の役をやるときにはちょっぴり奇妙な感じがしますね。
そのアイ・パッチなんですが、この演出で使われているものについて少し説明いただけますか?
実はあれはガーゼで出来てまして、ですから、一応、つけていても、
物が見えるには見えるんですが、汚いコンタクト・レンズを着用しているような感じです。
そして、この演出では紗幕が使われている部分が多いので、その紗幕とこのアイ・パッチのせいで、
ほとんどプロンプターは見えないんです(笑)
それどころか、ジミー(・レヴァイン)も、なんか手をひらひらさせてるなーくらいにしか見えなくて、、(笑)
それに加えて、いくつかのシーンは舞台が暗いので、アイ・パッチをつけて歩き回るのは、
結構大変です。
私が初めて舞台でアイ・パッチをつけたのは、ニュー・オーリンズでの『マクベス』のバンクォーでした。
アイ・パッチをつけたら格好いいかな?くらいの気持ちでつけ始めたんですが、
その時はガーゼじゃない、本物のがっちりしたアイ・パッチだったんですね。
驚くのは、いかに奥行きの感覚がなくなるかということです。
舞台ではつまずきまくり、ものの15分ほどもすると頭痛がしてきまして、、(笑)。
ですから、透けて見えると助かります。
私もこれはずっとお聞きしたかったんですが、指環のストーリーの中に、、
& おやおや、大変な質問が来そうですよ。
ヴォータンが片目を失うことについてふれられていますね。
あれは具体的にはどうやって失くしてしまったんでしょう?
色々いわれますが、根本は二つの事柄のコンビネーションだと思います。
これは、リング・サイクル、つまり『ラインの黄金』が始まる前の話になるわけですが、
ヴォータンは自分に"智恵”を授けることになるトネリコの木の枝を切るために、
片目を差し出すわけです。
その枝を手に入れるには、何かを犠牲にしなければならなかったのです。
同時にそれは、同じ剣の両刃でもあるのですが、フリッカとの婚約のために
差し出したものでもあったわけです。
二重の意味があったんですね。
残念ながら、当時はまだ婚約指環の習慣が出来る前のことですからね(笑)
そう、ですから、跪いて指環を差し出す代わりに目玉を差し出した、というところでしょうか。
ぞっとしますね(笑)
先ほど舞台が暗いという話が出ましたが、そうすると、
床のマーキングとか蛍光塗料を使った目印なんかもないわけですか?
そういうものが使われる場合もありますが、このプロダクションではないですね。
セットは床を含めて、すごくリアルですからね。土肌が見えた山、という設定になっていますが、
舞台もその通りです。
小さなこぶ、起伏、峰などがありますから注意しなければなりませんし、
逆にそのように塗料で塗られているけれど、実際には平らな場所というのもあって、
慣れるのにはしばらくかかります。
先週、今日のヴォータン役を歌っているアルバート・ドーマンに『ラインの黄金』のセットを一緒に歩いて見せました。
というのも、これに慣れるのは、リハーサルがないとすごく大変で、
彼は部屋でのリハーサルはしましたが、舞台でのリハーサルをする機会がなかったんですよ。
穴なんかも多いですしね。とにかく、すぐにでも足首を捻挫しかねない場所がたくさんありますよ。
今までにこのセットで怪我をされたことは?あら?こんな質問は良くないかしら?
でも、本当のところをおっしゃってもらって結構ですので。
いや、それはないですね。そのかわり、膝や足首に余計な力が入りますね。
少し前に、オットー・シェンクが来てくださった回があって、
このプロダクションで実際の公演を最後に観たのはいつですか?とお尋ねすると、
”しばらく観てないなー。20年前かな。それぞれの演目のドレス・リハーサルの日が最後だ。”とおっしゃっていたんですが。
私達からすると奇妙な感じがするんですけどね、ドレス・リハーサルしか見てないなんて。
彼はいろいろと忙しい人ですからね。彼自身、優れた役者でもありますし、
私がドイツやオーストリアに行くと、いつもテレビに映ってるんですよ。
とにかく、素晴らしい人です。
知識が豊富だし、どの知識をある場所に持ってくればよいか、というチャネリングの能力もすぐれています。
シェンク氏も交えた今年の指環のリハーサルで、『マイスタージンガー』の話になったんですが、
というのも、あれも彼の演出なんですが、私は一度も直接に彼からの演出指導を受ける機会がなかったんですね。
すると突然、彼が椅子に座って、私がひざまずき、まるで、ヴォータンとブリュンヒルデのようですが(笑)、
彼がその状態で、ニワトコのモノローグのシーン
(注:第二幕第三場のザックスのモノローグ Was duftet doch der Flieder)を、
歌ではないですが、言葉で演じ始めたんですよ。
そのイントネーションや抑揚のつけ方の素晴らしさには、唖然とさせられました。
願わくば、いつか、私がまだ歌える間に、ぜひ、マイスタージンガーで彼と一緒に仕事をしてみたいです。
その様子はまたすごい絵面ですよね。
本当に、私もびっくりです。
約20年前に、彼と一緒にヴォータン役を作り上げて行ったときと、
今、演じられているヴォータンは同じですか?
そうですね。大体同じだと思います。舞台監督から少しずつ違うものを得はします。
この監督からはこれ、あの監督からはあれ、また別の監督からは何も(笑)といった具合に、、。
でも、シェンクと作り上げたものは、すべてにおいて辻褄が合っているんですね。
頭を使う必要がないんですよ。
他の演出みたいに、ブリュンヒルデに囁いているべきときに、
舞台上で走りまわっていなければならない、なんてこともありません。
すべて辻褄が合っているのは、それが各場面の事実と音楽とに基づいているからです。
なので、舞台上の動きを覚えるのも簡単なんですよ。
プロダクションによっては、一年ぶりに戻ってみると、前にやっていたことを忘れてしまっていることがあるんですね。
それは、辻褄が合っていないからなんだと思います。
おっしゃっていること、よくわかりますね。特にワーグナーはそうですよね。
すでに、言葉、音楽でもものすごい量のものを覚えなければならないですしね。
それはもうそうですよ(笑)
物語の論理から始まって、照明、音楽、リブレット、、
観客が考えるヴォータンの見せ場、期待する場面、楽しみにしている場面というのがありますが、
演じるあなたにとっても同じですか?あなたにとって、指環全作品を通して、
一番重要な場面というのはどこでしょう?
いくつかは共通しているでしょうね。『ワルキューレ』の最後の場面、
ブリュンヒルデに優しく語りかける場面、これは誰しもが心待ちにする場面でしょう。
でも、そのほかにも歌っていて、いいな、と思う言葉は色々あります。
”お?この台詞いいな。”という、、(笑)
細かい、もしかすると観客の方の注意をそれほどひかない場面だったりもするのですが、、
というわけで、決してこの作品に関しては飽きるということがないですね。
それ以外にどう説明していいかわかりません。
これはあなたの好きな台詞の一つかな、と思うのですが、
数年前に舞台をみていて、ヴォータンが『ラインの黄金』で虹をかけた後、
フリッカに、”folge mir Frau~ さあ、来て一緒に住まおう、妻よ”と声をかける場面なんですが、
あなたの歌い方がとても感動的で、突然気になるようになりました。
私もあの台詞は大好きです。すごく温かいですね。
ヴァルハラ城に大々的な挨拶の言葉を歌った後、彼女の方に振り向き、
folge mir Frauと歌う、、心が柔らかくなる瞬間です。
二人にとっては初めての住まいでもあるわけですからね。
ええ、でも残念なことに、『ワルキューレ』が始まる頃までには、、、(一同笑)。
二人の間の関係が少しばかり変わってしまっていますね。
夢のようなことはいつかは駄目になるものですからね。それでもいい場面に変わりはありません。
<後編に続く>
4/28に、第2サイクルの『ワルキューレ』のシリウスでの放送のゲストとして、
インターミッション中の30分ほどのインタビューに登場しました。
シーズン終盤、リングで盛り上がるメトとのタイ・アップ企画として
(もちろん当ブログの勝手な企画であり、メトはそんなことは露も知らない、、。)
そのインタビューの内容をご紹介します。
ホストのマーガレット嬢を、
アシスタント(とはいえ、この番組の台本を企画しているのは彼なんですが)のウィリアムを、
モリスをで表示します。
ボルティモア出身のジェームズ・モリスがメトで歌い始めたのはたった23歳の時でした。
以来、モーツァルト、ヴェルディ、ワーグナーの作品など、
イタリア及びドイツ・オペラのレパートリーでは並ぶものがないバス・バリトンとして君臨、
そして、今シーズン、メト最多のヴォータン役として15回目のノー・カットのリング・サイクルに
登場中のジェームズ・モリスが嬉しいことに今回のインターミッションのゲストです。
私の方こそ呼んでいただいて嬉しいです。
本当に来て頂いて嬉しいわ!そして、ウィリアム・バーガーもこのインターミッションに一緒に居てくれます。
ちゃんと聴いてますからねー。
”ヴォータン協会”とでもいうような他の歌手との繋がりが絶対にあるに違いない!と思うのですが。
あなたと他のヴォータンうたいが頭をつきあわせて色々相談したり、という場はありますか?
そうそう、それはもうね、結束の固いグループですよ(笑)
良かった点、悪かった点について話し合ったり、、
ポーカーをしたり、、
もちろん、そうやって経験をシェアすることはありますよ。
オペラの世界というのは狭い世界です。色んなオペラハウスに旅しているから、
いつだって、キャストの全員とはいいませんが、どんな演目でも、最低でも二、三人は知っている人と一緒になるものです。
ですから、つい結びつきも強くなるんですね。
そうやっていつも同じメンバーで仕事をするというのも楽しいものかもしれませんね。
毎年毎年世界が狭くなっているように感じますよ。でも、出来ることならば、
昔のように公演先には船や列車で出かけて、一つところでじっくり時間を過ごす、ということをしてみたいものです。
考えてみれば非常に贅沢なことですよね。オペラ歌手がきちんと時間をとって、大西洋を越えて、、。
今では、今夜はこの都市、明日の夜はあの都市、といった感じで飛行機で飛び回る日々ですよ。
本当ですね。このスピードのせいで、歌手のキャリアの一年分位浮いているような感じがしますよね。
でも、あなたはNY中心にキャリアを築いてきた、とはいえませんか?
それはそうですね。メトはいつも私のホーム・ベースでした。
ヨーロッパ、南アメリカ、アジアと、いろいろなところに出かけてはいきますが、
メトこそが私のホームグラウンドです。ですから、出来るだけ、メトで歌いたいと思いますし、
こここそ、自分の家族がいて、子供たちが学校に行っている場所でもありますからね。
でも、私はとてもラッキーだと思います。他のオペラ歌手はいつも旅してますよね。
私の場合は、少なくともメトにいる間は、自分の家のある場所にいるわけですから、、。
なので、ここでは仕事上の生活とともに、プライベートな生活もきちんともてます。
最近の土曜マチネのラジオ放送のため、バック・ステージでお話する機会がありましたが、
その時にも、今回が最後となるオットー・シェンクのプロダクションについて、あなたに色々質問があがっていましたね。
少しそのことをお話ねがいますか。だって、あなたにとっては、、
もらい泣きしろと?(笑)いや、だって話してたら本当に泣けてきますから、、。
もう是非!!ラジオで!!(笑)
『ワルキューレ』の最後ですら、そんなことをしたことがないあなたが!!(笑)
いや、もう本当に半べですよ。
まじめな話に戻ると、本当に素晴らしいプロダクションですね。約25年ですか?メトでかかったのは。
こんなプロダクションは世界でこれだけです。”教科書のような”(リブレットをそのまま視覚化したような)指環ですね。
他はもうほとんどどこも、”コンセプト的”(抽象的な)プロダクションですから。
ワーグナーは他のどんな作曲家よりも多くの、控えめにいっても、
珍妙な解釈のプロダクションを演出家に生み出させた作曲家といえますが、
しかし、このプロダクションはすごくまっすぐで、自然で、開放的で、
見た目にも美しいですし、演じる側の役作りや歌の邪魔にならないですね。
しばしば、よその演出では、声でそのプロダクションと戦っているような気分になるときがあります。
本当にこれを最後にお別れをしなければいけないというのは悲しいです。
もちろん、次の段階に進まなければならない、というのもわかります。
数週間前にピーター・ゲルプ氏と話していたときも、彼が、
”私達は前にすすんで行かなければならないんですよ。”と言っていて、
それで、自分も、ああ、そうなのかもな、とも思いました。
でも、嬉しいことに、壊してしまうわけではないみたいですよ。
彼とも、20年おきくらいに一度は取り出して、数サイクルかけてみたいプロダクションだね、と言っていたんです。
だって、いつだってこのプロダクションはチケットが売り切れていましたからね。
ドイツの人たちを含むヨーロッパの人々がたくさん鑑賞しに来ていましたし、
私がお話させていただいた人は決まってこういいました。
”ドイツにもこんなプロダクションがあったらいいのに、、”と。
もしかしたら、同時に複数の演出のリングがあってもいいかもしれませんよね。
二重リング。いいじゃないですか。メトなんですから、なんでもあり!で。
(笑)でも、きっと前進するべき時なんでしょうね。ほろ苦い気持ちですよ、それは。
来週の公演が私にとって、このプロダクションでの最後の歌唱となりますね。
えっと、5/7ですよね。最後の『ジークフリート』ですね。
そうです、それが最後の『ジークフリート』になります。
なので、来週の月曜、火曜、木曜、これが私にとって最後の指環となります。
何か特別なことが予定されているんでしょうか?
私の知っている限りでは特にありませんが、、
じゃ、余分にティッシュの箱を抱えて舞台に立つくらいですね。
(笑)
ああ、それは(『ワルキューレ』の最後で)良く燃えそうですね(一同笑)
第1サイクルは私も客席にいたんですが、いつもこのシーンの迫力には観客が息をのみますね。
あなたが初めてこの場面をみたとき、どのように感じましたか?
振り返ると、山が真っ赤に燃えて、、
いやー、それはもうすごいですよ。
演じる人間として、この演出にはインスパイアされます、本当に。
自分が本当に演じている人物になったような気分になります。
”神みたいな気分”です(笑)
でも、先にも申しましたとおり、この演出では、プロダクションと戦わなくてよいうえに、
こちらをインスパイアしてくれるんですね。
例えば、『ジークフリート』では、私は舞台の袖から、場の変換場面の様子をのぞいていることが多いのですが、
観るたびに、ノックアウトされます。あまりに美しくて、、。
そうですよね、演出で一番必要なのは自分がその役である、と感じれることですよね。
私はあなたが槍を持ちあげた瞬間、”あ、神だ!”と思いますもの。
そう、とにかくこの演出にはインスピレーションを受けるんですよ。
中にはわざとらしくておセンチだ、と感じる人もいるようですが、
『ワルキューレ』の最後で槍を持ち上げ、自分が煙やら炎やらに包まれていると、
本当に鳥肌が立つんですよ、いつも。
いや、このシーンを悪く思う人はいないでしょう、本当に素晴らしいですから。
何かこのプロダクションから記念の品を持っていくつもりでいますか?
私が欲しいものははっきりしてますよ。
槍ですよね、やっぱり。
いやー、ここでは言いませんよ、ずっと私が槍を欲しがってる、なんてことは(笑)。
まあ、どうなることでしょうね。
移動中の乗り物の中で、槍を手にしてアイ・パッチをしている人がいるな、と思ったらあなただった、みたいな、、(笑)
アイ・パッチは自分のを持ってますんで(笑)、、、
本当に旅行中はずっと持ってるんですよ。
にしても、あるアイテムに体が慣れてしまうと、別の役をやるときにはちょっぴり奇妙な感じがしますね。
そのアイ・パッチなんですが、この演出で使われているものについて少し説明いただけますか?
実はあれはガーゼで出来てまして、ですから、一応、つけていても、
物が見えるには見えるんですが、汚いコンタクト・レンズを着用しているような感じです。
そして、この演出では紗幕が使われている部分が多いので、その紗幕とこのアイ・パッチのせいで、
ほとんどプロンプターは見えないんです(笑)
それどころか、ジミー(・レヴァイン)も、なんか手をひらひらさせてるなーくらいにしか見えなくて、、(笑)
それに加えて、いくつかのシーンは舞台が暗いので、アイ・パッチをつけて歩き回るのは、
結構大変です。
私が初めて舞台でアイ・パッチをつけたのは、ニュー・オーリンズでの『マクベス』のバンクォーでした。
アイ・パッチをつけたら格好いいかな?くらいの気持ちでつけ始めたんですが、
その時はガーゼじゃない、本物のがっちりしたアイ・パッチだったんですね。
驚くのは、いかに奥行きの感覚がなくなるかということです。
舞台ではつまずきまくり、ものの15分ほどもすると頭痛がしてきまして、、(笑)。
ですから、透けて見えると助かります。
私もこれはずっとお聞きしたかったんですが、指環のストーリーの中に、、
& おやおや、大変な質問が来そうですよ。
ヴォータンが片目を失うことについてふれられていますね。
あれは具体的にはどうやって失くしてしまったんでしょう?
色々いわれますが、根本は二つの事柄のコンビネーションだと思います。
これは、リング・サイクル、つまり『ラインの黄金』が始まる前の話になるわけですが、
ヴォータンは自分に"智恵”を授けることになるトネリコの木の枝を切るために、
片目を差し出すわけです。
その枝を手に入れるには、何かを犠牲にしなければならなかったのです。
同時にそれは、同じ剣の両刃でもあるのですが、フリッカとの婚約のために
差し出したものでもあったわけです。
二重の意味があったんですね。
残念ながら、当時はまだ婚約指環の習慣が出来る前のことですからね(笑)
そう、ですから、跪いて指環を差し出す代わりに目玉を差し出した、というところでしょうか。
ぞっとしますね(笑)
先ほど舞台が暗いという話が出ましたが、そうすると、
床のマーキングとか蛍光塗料を使った目印なんかもないわけですか?
そういうものが使われる場合もありますが、このプロダクションではないですね。
セットは床を含めて、すごくリアルですからね。土肌が見えた山、という設定になっていますが、
舞台もその通りです。
小さなこぶ、起伏、峰などがありますから注意しなければなりませんし、
逆にそのように塗料で塗られているけれど、実際には平らな場所というのもあって、
慣れるのにはしばらくかかります。
先週、今日のヴォータン役を歌っているアルバート・ドーマンに『ラインの黄金』のセットを一緒に歩いて見せました。
というのも、これに慣れるのは、リハーサルがないとすごく大変で、
彼は部屋でのリハーサルはしましたが、舞台でのリハーサルをする機会がなかったんですよ。
穴なんかも多いですしね。とにかく、すぐにでも足首を捻挫しかねない場所がたくさんありますよ。
今までにこのセットで怪我をされたことは?あら?こんな質問は良くないかしら?
でも、本当のところをおっしゃってもらって結構ですので。
いや、それはないですね。そのかわり、膝や足首に余計な力が入りますね。
少し前に、オットー・シェンクが来てくださった回があって、
このプロダクションで実際の公演を最後に観たのはいつですか?とお尋ねすると、
”しばらく観てないなー。20年前かな。それぞれの演目のドレス・リハーサルの日が最後だ。”とおっしゃっていたんですが。
私達からすると奇妙な感じがするんですけどね、ドレス・リハーサルしか見てないなんて。
彼はいろいろと忙しい人ですからね。彼自身、優れた役者でもありますし、
私がドイツやオーストリアに行くと、いつもテレビに映ってるんですよ。
とにかく、素晴らしい人です。
知識が豊富だし、どの知識をある場所に持ってくればよいか、というチャネリングの能力もすぐれています。
シェンク氏も交えた今年の指環のリハーサルで、『マイスタージンガー』の話になったんですが、
というのも、あれも彼の演出なんですが、私は一度も直接に彼からの演出指導を受ける機会がなかったんですね。
すると突然、彼が椅子に座って、私がひざまずき、まるで、ヴォータンとブリュンヒルデのようですが(笑)、
彼がその状態で、ニワトコのモノローグのシーン
(注:第二幕第三場のザックスのモノローグ Was duftet doch der Flieder)を、
歌ではないですが、言葉で演じ始めたんですよ。
そのイントネーションや抑揚のつけ方の素晴らしさには、唖然とさせられました。
願わくば、いつか、私がまだ歌える間に、ぜひ、マイスタージンガーで彼と一緒に仕事をしてみたいです。
その様子はまたすごい絵面ですよね。
本当に、私もびっくりです。
約20年前に、彼と一緒にヴォータン役を作り上げて行ったときと、
今、演じられているヴォータンは同じですか?
そうですね。大体同じだと思います。舞台監督から少しずつ違うものを得はします。
この監督からはこれ、あの監督からはあれ、また別の監督からは何も(笑)といった具合に、、。
でも、シェンクと作り上げたものは、すべてにおいて辻褄が合っているんですね。
頭を使う必要がないんですよ。
他の演出みたいに、ブリュンヒルデに囁いているべきときに、
舞台上で走りまわっていなければならない、なんてこともありません。
すべて辻褄が合っているのは、それが各場面の事実と音楽とに基づいているからです。
なので、舞台上の動きを覚えるのも簡単なんですよ。
プロダクションによっては、一年ぶりに戻ってみると、前にやっていたことを忘れてしまっていることがあるんですね。
それは、辻褄が合っていないからなんだと思います。
おっしゃっていること、よくわかりますね。特にワーグナーはそうですよね。
すでに、言葉、音楽でもものすごい量のものを覚えなければならないですしね。
それはもうそうですよ(笑)
物語の論理から始まって、照明、音楽、リブレット、、
観客が考えるヴォータンの見せ場、期待する場面、楽しみにしている場面というのがありますが、
演じるあなたにとっても同じですか?あなたにとって、指環全作品を通して、
一番重要な場面というのはどこでしょう?
いくつかは共通しているでしょうね。『ワルキューレ』の最後の場面、
ブリュンヒルデに優しく語りかける場面、これは誰しもが心待ちにする場面でしょう。
でも、そのほかにも歌っていて、いいな、と思う言葉は色々あります。
”お?この台詞いいな。”という、、(笑)
細かい、もしかすると観客の方の注意をそれほどひかない場面だったりもするのですが、、
というわけで、決してこの作品に関しては飽きるということがないですね。
それ以外にどう説明していいかわかりません。
これはあなたの好きな台詞の一つかな、と思うのですが、
数年前に舞台をみていて、ヴォータンが『ラインの黄金』で虹をかけた後、
フリッカに、”folge mir Frau~ さあ、来て一緒に住まおう、妻よ”と声をかける場面なんですが、
あなたの歌い方がとても感動的で、突然気になるようになりました。
私もあの台詞は大好きです。すごく温かいですね。
ヴァルハラ城に大々的な挨拶の言葉を歌った後、彼女の方に振り向き、
folge mir Frauと歌う、、心が柔らかくなる瞬間です。
二人にとっては初めての住まいでもあるわけですからね。
ええ、でも残念なことに、『ワルキューレ』が始まる頃までには、、、(一同笑)。
二人の間の関係が少しばかり変わってしまっていますね。
夢のようなことはいつかは駄目になるものですからね。それでもいい場面に変わりはありません。
<後編に続く>
そうなんだ。この日の出待ちが楽しみだ。
花束抱えた常連さんがいそう。
モリスのサインはこないだ貰ったけど、最後の指環となると別格。
すごく大きく貫禄があって、神様や王侯貴族の役にぴったりきそうな感じの人でした。
はい、その日は出待ちはすごいことになるかも、ですね。
あの冬の時とは違って温かいのが救いですが。
このクラスの人となるとある程度言いたい放題いえることもあって、
すごく面白いインタビューでした。
私が観たあの『ワルキューレ』での、
彼のヴォータンの姿と歌声は一生心に刻まれることになりました。
鑑賞、楽しまれてくださいね。