Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

THAIS (Sat Mtn, Dec 20, 2008) 後編

2008-12-20 | メトロポリタン・オペラ
注:この公演はライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の収録日の公演です。
ライブ・イン・HDを鑑賞される予定の方は、読みすすめられる際、その点をご了承ください。

前編より続く>

幕前、およびセットの転換に伴う幕間の間に緞帳の変わりに置かれたスクリーンに
描かれているのは太陽の周りに猛烈な黒雲が巻き上がっている様子。
前編でふれたアーベル指揮フレミング、ハンプソン、サバティーニ共演のCD(米盤)に
入っているブックレットの、ミルンズ氏の解説文章はとても参考になり、
また、頷かされるところが多かったのですが、
そこで、彼は第三幕のオアシスのシーンが、タイスとアタナエルの辿る道が
一瞬交わってまた離れていく重要な場であることを指摘しています。
それでいうと、この太陽と黒雲の絵は、黒雲の間に射した太陽というタイス側の境遇を示唆する図、
また逆に太陽に覆いかぶさらんとしている黒雲というアタナエル側の境遇を示唆する図、
と見方によっていずれにも見え、興味深い。

同じ解説書の中で、氏はこの物語は紀元4世紀のエジプトの物語なのであり、
それは決して、ハリウッド的(時代考証に誤りだらけのちんぷんかんぷんな)
エジプトであってはならない!とおっしゃっていますが、
幕が上がった途端、びっくり仰天!
なんと、そのハリウッド風エジプト的匂いがぷんぷんと立ち込める舞台セットなのです。
あらららら。



というより、時代をどこかに移しているようでもあるのですが、
それがいつなのかもあまりよくわかりません。
もともとあまり頻繁に再演される演目ではない状況での新演出ということで、
経費をけちったらしい雰囲気が漂っているのもさることながら、
ブルーグリーンや金色の多用のされ方、エジプトを舞台にしたフランス・オペラだというのに、
舞台がすすむにつれて現れるウィーンっぽさ、、この不思議さは何?!と思っていたら、
この演出を担当したジョン・コックスは、今年のオープニング・ナイトのフレミング・ガラでも
一部上演された、『カプリッチョ』を担当した演出家でした。
絶対に『カプリッチョ』のセットから流用してきた材料、大道具、小道具がそこここあるに違いない!
と思わせるセットです。
(特にニシアスやタイスの家の内部。)
経費カットのために、道具を共用できるよう、
あえて『カプリッチョ』にあわせてウィーン風にしたのか?とすら疑ってしまいます。

一幕一場の、砂漠でアタナエルがパレモンや他の僧たちと語り合うシーンでは、
砂紋が出来た砂漠の上に巨大な遺跡のかけらが散らばってます。
一幕でのハンプソンは、私がCDで彼の歌を聴いた時と同じ、
また、これまで実演で聴いた時の印象と同じ、どこか気持ちが遠い、
ダイレクトに響いてこない感じの歌唱なうえに、
声もまだ本気が出てません、という風で、まじかよー!と思わされました。

僧たちを歌った歌手たちは一人一人のレベルでは、蚊が鳴くような声量の人もいたりしましたが、
全体としてはなかなか。ハーモニーも綺麗に出ていましたし、悪くありません。

アタナエルが幻影を見る場面で踊るタイスは、おそらくフレミング本人と思われ、
特に挑発的なポーズをとるでもなく、わりと上品です。
この、どんな演技をしていても、どこか少しのんびりとしていて憎めない感じがするのは、
彼女の強みの一つかも知れません。
実際、この役を、例えばネトレプコやゲオルギューのような歌手が歌ったなら、
ものすごい拒否反応を起こす観客が出ることが予想されますが、
(ただゲオルギューは声質的にこの役は向いていない、と以前、レクチャー・シリーズの
先生がおっしゃっていた
通り。)
フレミングの場合、女性にも好感を持って迎えられやすいような気がします。
実際、一幕後に近くの座席から聞こえた、おば様方のグループの、
”彼女ってば、本当にかわいいわー。”
という言葉にそれがあらわれていると思います。
歌じゃない部分で楽しんでしまおう、というこのおば様方のアプローチはある意味正しいのかも。
そう、このキャストでは、歌の細かいことを云々言うより、
一種のショーとして見てしまった方がいいのかもしれません。
大体、メト側も、フレミングの衣装をオープニング・ナイトに引き続きラクロワに担当させたり、と、
かなり確信犯的ですらあるような気がします。
(それに引き換えニシアスの衣装は、私の連れに
”あのヒュー・へフナーのナイトガウンみたいなのは何だ?”と問いただされた代物。
ヒュー・へフナーはご存知プレイボーイ誌の創始者で、
プレイボーイ・マンションといわれる屋敷で若い愛人たちに囲まれて暮らしているが、
なぜか、屋敷内では、真っ昼間の仕事中でもパジャマにナイトガウンといういでたちで歩き回っている。)

しかし、彼女は若い頃よりもどんどんスリムになっていっているような気すらするほどで、
そこそこの年齢で、このベリーダンスの衣装のような服を着て、全く見苦しくないどころか、
素敵に見えることは、評価されるべきです。



と、ビジュアルの面もさることながら、彼女の声が、
前述のCD(録音されたのは約10年前です)の時よりは、ずっと楽に出ている感じがしたのは
嬉しいことでした。
もちろん、彼女の歌唱はもともと個性的なところがあるので、
(特に低音域でのもがもがとした音。それに伴う、低音から高音に移る時の独特の母音の発音。
むしろストレートに入ったときの高音は割と綺麗な気がします。)
そこから生じる制約を越えられていないのは残念ですが、
それでも、あのCDの時の出来よりはずっと良くなっていますし、声量も十分です。
ビジュアルの面といい、歌で進歩がある面といい、努力家ではあるんだろうな、と思います。

楽しみにしていたのに肩食らわせだったのは、マイケル・シャードが歌ったニシアス。
CDでの、若さに溢れ、闊達な感じのするサバティーニのニシアスに比べると、
疲れたおっさんのようないやらしい声でがっくり。
もうちょっとからっとした感じの声の歌手の方がこの役には向いているように思います。
お金でタイスを引き止めているのは、それはそうなんですが、
だからといって、疲れた魅力のないおやじであっていいはずがありません。
もてなくて仕方なく金で女を引き止めるおやじ、なのではなく、
女性には苦労しないけど、あえて”タイス”をできる手段を使って引き止めることを選んだ若者、として、
魅力を保ちながらニシアスは描かれるべきです。
第二幕第二場で、タイスの気持ちを理解した彼が彼女を逃がしてやり、
その後、”金なんて、タイスがいなくなった今、意味がないのさ!”とばかりに、
金銀宝石(メトの舞台ではお金)をばら撒くシーンはなかなか格好いいではないですか!
世俗的ながら、このニシアスという人は、魅力的な人です。



この作品で特に私が苦手なのは、タイス以外の女性歌手が登場するシーンの薄っぺらさというのか、
ニシアスのもとで働く二人の奴隷や、第二幕第二場でのダンサー
(ただし、本来は歌いながら踊る同一人物を、このメトの公演では、
踊りを踊る人と、歌う人とにわけてしまっています。)が登場するシーン。
特に二人の奴隷が、”ハッハー!ハッハー!”と歌いながら、
アタナエルの着替えを手伝ってやる場面では、
わざわざ雪の中、メトに来て、かしこまって座ってこんな歌を聴いてる自分が信じられない!という
気すらしてくる、大嫌いなシーンです。
しかもこの二人の役を歌った歌手の声も下品で嫌。

第二幕。

冒頭のアリアはこの役の聴かせどころのひとつで、鏡に向かいながら、
”私は永遠に綺麗だと言って!”と、初めて、タイスの心の中の空虚さが明るみになる場面です。
グランド・ティアーにあるベルモント・ルームや、地下のクロークの側のスクリーンで、
ライブ・イン・HDと同じ映像を写してくれていますが、
幕間のインタビューで、ルネ・フレミングも、これがタイスの役を演じる際に一つの大事な
ポイントであるという風に語っていました。
ちなみに、このインタビューでも、相変わらず俺様なハンプソンはよく喋る、よく喋る。
もうちょっと、女性の主役に喋るチャンスを譲ってあげるものでしょうが!普通!と思いますが、
このあたりの無神経さは、アタナエルに通じるものがあります。
二人へのインタビュアーはドミンゴ。急に一層老けた感じがしてびっくりしました。



しかし、その大事な小道具である鏡のその安っぽいことよ!
メトとあろうものが、高級娼婦の部屋のシーンに、
こんなジャスコかニチイか西友で買ってきたような安っぽい鏡はどうなんでしょう!?
メトの大パトロン達の家にもっと素敵なのがあるでしょうから借りてくればいいのに。

このニ幕から俺様ハンプソンが、しかし、突然の馬鹿力を出してきます。
声が突然よく通るようになり、表現も濃くなりました。
どうしちゃったの?!突然に、、と度肝を抜かれますが、
最後まで、このテンションが持続し、彼の歌に関しては、今まで観た中で、
最も気持ちの入った歌になっていた気がします。
CDで聴いた印象では、リブレットにある感情表現に関する指示もシカトに近い、と書きましたが、
今日は、きちんとそのあたりの表現やニュアンスが的確に出されていて、
さすがにあのCDで自分の歌を聴いて、まずいと思ったに違いありません。



幕冒頭のタイスのアリアでも何度も使われている”永遠に eternellement ”
という言葉に象徴されているように、
彼女は、”永遠”という概念に非常に固執している人間です。
享楽的生活を送っていたときは、それゆえに死が恐ろしい存在であり、
改心したあとは、それゆえに死(死は”永遠の生”とも言い換えられる)を
喜んで受け止めて死んで行くわけですが、
それゆえに彼女の心に響いたのは、永遠の生を約束するアタナエルの改心を奨める言葉でした。
しかし、それまでの享楽的な生活から180度反対の生活態度を受け入れるのに、
もちろん抵抗はあって、心が大混乱を来たしたタイスは、
”ニシアスも、あなた(アタナエル)も、あなたの言う神も、もうどうでもいい!
私はタイス以外の何者でもないのよ!!”と叫び、その心の混乱を、
その後に続く笑い声(しかもたった二回しかない)で表現しなければならないわけです。
一度目はほとんどヒステリックに、馬鹿げたことに対して笑うように、
そして、二度目は泣きながら。
しかし、この二回の笑い声で、タイスの心を表現するのは簡単ではなく、
フェニーチェのメイも、また、このフレミングも、完全には説得力を持って笑えていません。
フレミングはわりと演技力はある方だと思いますが、それでも難しい。
観客にも、表現する側にも、ある感情やその流れを理解したり表現したりするのに
必要最低限の時間の長さというものがあると思うのですが、
この個所がうまく機能していないのは、
こうも短い笑いの時間しか与えなかった、この作品を作った側の責任だと思います。



この笑い声のあとに、このオペラの最も大切な折り返し地点ともいえる、
瞑想曲が入ります。
前編でふれたフェニーチェ歌劇場でのこの場面が非常に説得力があったので、
対するメトはどのような演出で来るのか、、と思いきや、
黄色の本緞帳が下がって、まったく舞台で何も行われないまま、
コンマスのデイヴィッド・チャン氏の演奏に。
そう来ましたか、、、。音楽だけで感じ取ってくださいね、というわけです。
美しい曲ですし、じっと耳を傾けるだけでもそれはそれで心地よいのですが、
ここは心地よがっているだけでいいんだろうか?
これでは、この曲の間に起こっていることの意味が、
果たして観客、特に初めてこの作品を鑑賞した人にどれほどきちんと伝わったか、微妙です。
フェニーチェ歌劇場の、ジュリアーニの踊り(振り付けがまた素晴らしい)からは、
肉欲が結局彼女自身の心の空虚さとなって自身を苦しめていたことを示唆しながら、
またその苦しみを、キリストが人々のために背負って死んだ罪の一つと重ね合わせて、
素晴らしい効果をあげています。
これ位のインパクトをもった演出をともなって初めてこのシーンは真に意味のあるものとなると思うので、
メトでのこの演出は、逃げないでもうちょっと冒険してほしいよなあ、、と私は思いました。

ブログに感想はあげていませんが、『タイス』の公演の初日がシリウスで生放送され、
その時のチャン氏のソロはそれは素晴らしいものでした。
メトの公演をここ数年ひっぱってきた二大コンマスは、以前の記事で紹介したエネット氏と、
このチャン氏なのですが、エネット氏が怪我をしてお休み中の今、
ハイ・プロフィールな公演のコンマスはもっぱらチャン氏が担当しているような気がします。
初日の公演以降、ソロが別の女性準コンマスに移り、チャン氏が全く演奏しないので、
これは、今日のライブ・イン・HDの演奏に備えているんだろうな、と予想していましたが、
その通り、今日は彼の演奏でした。
初日に比べると、やはりHDのせいもあって緊張もあったのか、
何度か微妙にピッチが下がった個所があったりして、
以前のメト・オケの演奏会の様子からも、本来はもっと完全無欠に弾ける人であるはずですが、
それでも魅力的な音が随所で聴かれ、観客からの拍手も大きかったです。
むしろ、彼の演奏は、そこが逆にやや堅苦しい感じに思われるときもあって、
エネット氏のおおらかさを感じさせる演奏が好きな私は、
もし怪我がなかったら、もしかしたらこのソロをエネット氏で聴けたのかも、ととても残念です。
実現していれば、彼のメトでの最後のシーズン、
彼にも観客にも良い思い出になったと思うのですが、、。
二場の後には、ライブ・イン・HD用にチャン氏へのインタビューがあり、
そこで、”この瞑想曲は、タイスの心の変化が起こる場面ですが
どのように考えながら弾いていますか?”という問いに、
”その場では、美しく弾くことしか頭にないんですが”と前置きしていたのは正直だと思いました。

二場で、ダンスをしながらah~と、中近東的雰囲気のメロディーを歌うシャルミューズの役は、
このメトの公演では、ベリーダンサーと歌手の二人にわけていたのは先にふれた通り。
このベリーダンサー、我々の美的感覚では人様の前に出るにはお腹のまわりに肉がつきすぎです。
踊りも全然官能的じゃないし、極端な話、歌手と独立させて雇うほどの意味があったか疑問です。
歌手の方の役を受け持ったのは、昨シーズン、『ピーター・グライムズ』の、
二人のニースたちの美人の方だったリア・パートリッジ。
難しい旋律をがんばっていたと思いますが、彼女の声も持ち味もこの役には少し明るすぎたか。
もう少し、スモーキーで怪しい雰囲気の声を持った歌手を連れてきた方がよかったのに、と思いました。

メトが力のあるバレエ団を持たないせいか、コスト削減のためか、
シャルミューズの歌の直前にある、ワルツなどの五曲からなるディヴェルティスマンは、
この公演ではカットされました。

第三幕。

一場は砂漠を歩きつかれた二人の前にとうとうあらわれる
女性のための改心の場所とそこにあるオアシス、、
という設定のはずなんですが、オアシスって川でしたっけ、、?



しかも、そこにいる女性たちはみんなすのこのような板を渡してこの川状のものを越え、
それを外すことが外部の人間の侵入を阻む手段となっているようなのですが、
女性たちが姿を消した後、アタナエルはいとも簡単に川をひとっとびし(すのこの意味なし、、)
一言の断りもなく、弱って砂漠で休んでいるタイスのために食べ物を失敬していくなど
(すのこが意味ないので、泥棒も入り放題?)
あいかわらずの傍若無人ぶりを発揮していて、つっこみどころ満載の演出になっています。

でも、このオアシス(メトでは川)のシーンはこの作品のもう一つのハイライトです。
足から血を流しているタイスを見たアタナエルが彼女のために果物と水を得て、心を通わせる場面、
また、アルビーヌに彼女を託した後、タイスの言葉から、
もう二度と自分が彼女と会うことがないかもしれないということの意味と、
その時に初めて実感する、彼女と精神的なつながりだけではなく、物理的に一緒に居たい、
肉体的にもつながっていたいという気持ちをはっきりとアタナエルが認識する場面は
ニ幕二場で頭が麻痺しそうになった私も、
これでやっとこの作品の曲による感情表現がオペラらしくなってきた!とほっとしました。



フレミングは、改心してからの方が役に説得力が出て、
顔の表情の一つ一つが見えるほど近いところに座っているわけではない私にも、
しおらしさが伝わってきます。
フレミングは歌の技術なんかより、こういう大事な場面で微妙な心の機微を出す
演技力に強みがあるような気がします。
彼女の歌を音だけ聴いて、えー?!と思っても、それなりに人気があるのは、
このあたりに原因があるように思います。




前編でも書いたとおり、この役には独特のある種の色気が必要だと思うのですが、
歌に欠陥があっても全体として役としてうまくこの作品にはまっているのは、
案外、メイよりもこのフレミングかも、という予感は、この実演を観て実感に変わりました。
ということで、歌の技術がいまいちでも違った面で機能してしまえるユニークなこの作品、
彼女向けではあるかもしれません。

どんなに技巧的に上手に歌っても、それが公演の出来に必ずしも反映しない、
また、作品自体に欠陥もある、という前編で書いた通りの前提をふまえたうえで、
その割には、意外やこの公演、全体としては予想以上の出来ではありましたし、
フレミング、ハンプソン二人も持てる力は発揮していたと思います。

指揮のロペス=コボスは、”今日はルネちゃんのワンマンショーでしょ?
ボク、あんまり関係ないし、それに、どうせ『タイス』でしょ?”と思ったか、
なんだか理由はよくわかりませんが、手堅くはあるものの、
なんだか熱気を感じさせないぬるま湯的演奏。



もう一度鑑賞したいか、、?と問われると、
あの二人の奴隷の”ハッハー”を思い浮かべて力が抜けますし、
歌手が持てる力を出しても、今日くらいの出来にしかならないこの『タイス』は、
実に舞台に乗せるのが難しい作品といわねばなりません。

Renee Fleming (Thais)
Thomas Hampson (Athanael)
Michael Schade (Nicias)
Alain Vernhes (Palemon)
Leah Partridge (La Charmeuse)
Alyson Cambridge (Crobyle)
Ginger Costa-Jackson (Myrtale)
Maria Zifchak (Albine)
Daniel Clark Smith, Roger Andrews, Kurt Phinney,
Richard Pearson, Craig Montgomery (Cenobite Monks)
Solo Dance: Zahra Hashemian
Conductor: Jesus Lopez-Cobos
Production: John Cox
Renee Fleming's Costumes: Christian Lacroix
Lighting Design: Duane Shucler
Choreography: Sara Jo Slate
Grand Tier D Odd
ON

*** マスネ タイス Massenet Thais ***

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17 コメント

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トリノでも (シャンティ)
2008-12-22 18:43:55
12月10日~21日に”タイス”の公演がありました。フリットリとアタネリ。そして、本来はフィリアノーティだったようです。
”タイス”の知識がまったくなかったので、興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。
返信する
想像つかないです (Madokakip)
2008-12-23 08:29:21
 シャンティさん、

メトではまる20年公演のなかった演目で、
その20年前の公演では、バブルスことビヴァリー・シルズがタイス、
シェリル・ミルンズがアタナエルでした。

でも世界規模ではこうしてわりとコンスタントに上演されているところを見ると、
しぶとく生き続けて行きそうなレパートリーですね。

トリノの、フリットリ、アタネリ、
変更前のフィリアノーティとは、
オール・イタリアン・キャストですね。
フリットリは、見た目も歌い方もクールな感じのイメージがずっとあったのですが、
メトの2006年シーズンの『三部作』での『修道女アンジェリカ』を聴いて、
こんなに熱い歌が歌える人なんだ!とびっくりしました。
なので、知的な感じのフリットリがタイスを歌うのは、一瞬アンマッチなような気がするも、
実はすごく面白い取り合わせな気がします。
聴いてみたいですね。
アタネリのアタナエルというのも想像つかないし、
フィリアノーティのニシアスも、、。
なんか、トリノはオペラファンの心をくすぐるものすごい微妙な配役をしてきますね。
上手い!
返信する
確かに (DHファン)
2008-12-24 12:07:17
ここでご紹介のフレミングの写真可愛いですね。
音ともにフレミングのことを「メトの女王だけど、なぜか日本ではそれほど人気がない」という記述がありました。私も彼女は上手いなあとは思うのですが、積極的に聞きたいとは思わないです。
メイのタイスもあまりぴんと来なかったのですが、確かに「色気」がないわねぇ。ただあれでタイスを初めて見たので、瞑想曲しかしらないあのオペラはどんなんだろうと興味はありました。
返信する
フレミングのファンはどこ? (Madokakip)
2008-12-24 14:33:51
 DHファンさん、

私も彼女はとっても可愛いと思います。
だし、驕ったところがなくて感じもいいですよね。
素敵な人だと思います。
演技力もあるんですが、やはり声、歌唱で好き嫌いが別れる人ですよね。
私も声と歌唱の面で好きかと言われたら、、。

でも、これが日本人だけかというと、
アメリカのオペラファンの間でも、”わしはフレミングの歌と声が好きだ!”と断言している人は、
少なくとも私はほとんど聞いたことがないんです。

ということで、私はフレミングが好きだー!!とこのブログで
大宣言してくださる方がいたなら、大歓迎なんですが。

でも普通、声や歌唱が好きになれなかったら嫌われそうなものなのに、
そこで嫌われないどころかどちらかというと好感を持って迎えられてしまうところ(現に私に、、)が
彼女の特異なところですよね。

メイが出演していたタイス、あれはとっても勉強になりました。
フレミングのタイスとは正反対にある役作りです。
また、ラ・フェニーチェの公演は演出も真摯でいいな、と思いました。あれを観た後では、
メトのこの安っぽい演出が悲しくなってきます。
返信する
ルネ様 (チャッピー)
2008-12-24 21:15:37
>ということで、私はフレミングが好きだー!!とこのブログで
>大宣言してくださる方がいたなら、大歓迎なんですが。

はーい、宣言しますよ。大晦日の歌舞伎座も絶対行くもんね。
演劇からオペラに入っていったので、ルネみたいに女優ちっくな人、好きですわ。
「声が好きか」って言われたら微妙だけどw
声はカバリエが良いねえ、絶対。

外見といえば、ハルテロス@椿姫見て思ったんだけど、
あの役は長身の美女がやれば、それだけで評価されそうな気がします。
ゲオルギュー@椿姫、容姿だけでもブラヴォーされそう。
まるで「氷の上に立っただけで点が出る」と言われたビット女王のようだ。

ルネは容姿的にも椿姫系じゃないなあ。
歌も駄目だったらしいけど。
ラブコメやらせたら合いそう。
オペレッタは歌わないのかな?
返信する
第一票 (Madokakip)
2008-12-25 12:11:19
 チャッピーさん、

>はーい、宣言しますよ。

第一票、ありがとうございます!

>演劇からオペラに入っていったので、ルネみたいに女優ちっくな人、好きですわ。

そうなんです。どこから入るかとか、
どういう媒体(CDなど音だけ、DVD,実演)で鑑賞することが多いか、によって評価は変わってきますよね。
ルネ・フレミングのような人は音だけだと評価されにくいと思います。
(それが多分日本での低い評価にもつながっているんじゃないかな、という気がします。)

『オテッロ』での彼女、すごかったですよ。
歌はやっぱり独自なんですが、オテッロに殺される場面での迫真の演技は思わず息をのみました。
レポートにも書きましたが、オテッロが首を締めきって手を離した後、
デズデーモナがベッドから床に落ちるんですが、その間一度も体をかばおうともしませんでしたからね、
根性入った人です。

椿姫の場合、歌われる頻度が多いせいもありますが、
歌は上手くてあたりまえ、で、
そこから容姿がいまいちだと、引き算されてしまう感じがあるように個人的には思います。
そういう意味で、

>長身の美女がやれば、それだけで評価されそうな

ところはあるかもしれないですね。
だいたい下手ならまずメジャー歌劇場では歌わせてもらえないはずの役ですから、、。
ゲオルギューにしてもハルテロスにしても、
好き嫌いを別にすれば、歌はやっぱり上手いですもの。

ちょっとルネ・フレミングは庶民的な感じがあるかな、、。
ヴィオレッタの凛とした感じが少し足りないかもしれないですね。
この『タイス』でも近寄りがたい美女、というよりは
(どちらかというと、ラ・フェニーチェのメイの方がその路線です)、
アイドルっぽいタイスでした、そういえば。

>ラブコメやらせたら合いそう。
>オペレッタは歌わないのかな?

歌舞伎座でご覧になるオープニング・ガラの最後の演目『カプリッチオ』は、
他のニ幕(『椿姫』、『マノン』)と比べても、
一番その路線に近いんですが、
これが、三つの演目の中で彼女に一番しっくり来ていて良いんですよ。
大晦日、お楽しみになってくださいね。
返信する
見て来ました (チャッピー)
2009-01-11 19:44:54
三連休の中日、新宿ピカデリーで見ました。
7~8割ほどの入り。大ヒットもないかわりに、そこそこの集客が見込める、劇場にとっては悪くない企画なのかも。尚、新宿ピカデリーでは「6回見ると7回目無料!」というサービスを実施中です。出来たばかりで場内も綺麗です。

一番印象に残ったのは「タイスの瞑想」を弾いたコンサートマスターのD・チャン。カーテンコールにも登場、団員も全員ピットに残って盛大な拍手。「椿姫」と時なんか、誰も残ってなかったのに@カーテンコール。これって指揮者との関係の悪さを示すのかな。小澤やレヴァインの時は大勢残ってたから。

エジプトがアラブ化されたのって何世紀でしたっけ?アレキサンドリアはコンスタンティノープル、エルサレム等と並ぶ東方正教会の重要な拠点だったのですが、トルコ人と違ってアラブ人は教会やイコンを破壊してしまい、中近東エリアで残ってるのはシナイ山などごく一部です。東方正教会の修道院は人里離れた不便な場所にあるのが普通ですので、タイスの修道院が砂漠の真ん中にあるという設定も自然です。

本場のベリーダンサーは肉付き良いですよ~。タイスに出てた人(アルメニア系の名前でした)はスリム過ぎます!アラブに行くとびっくりさせられる事沢山あります。物売りに「1つではなく2つ欲しい」と言うと、値段が上がるのもそのひとつ。「沢山欲しいのだから、お金も沢山払うべき」という理屈。彼ら、先進国の大量生産の理論は理解出来ないのでは?
返信する
私も (DHファン)
2009-01-11 22:04:27
川崎で見てきました。
かなりの入りでびっくり!私のお気に入りの席(一番後ろで両隣がいない)をとることはできませんでした。
衣装が時代設定を無視しているので、もうあまりこだわらずに見ましたが、全体に金ぴかで派手派手で、ミュージカルを見ているような錯覚に陥りました。いえ、非難しているのではなく、大変面白く、わかりやすかったのです。
フレミングのファッション・ショーも楽しかったし。
わが身を振り返って、あの体型を保っているフレミングに感服。
「これはやっぱり美人がやらないと説得力ないよな」と言っていたお隣のご夫婦の会話にひそかに頷いた私です。

ただ場面転換が多すぎて、舞台裏を見せてもらっている映画館の観衆はいいけど、メトで生舞台を見ていたら「またかい」という気になりませんかねぇ?

メイとペルトゥージの映像をもう一度見直してみましょう。もう記憶のかなたにとんでしまっているので。
なんだか別の作品のように思えました。
返信する
新宿も盛況/川崎も盛況 (Madokakip)
2009-01-12 06:37:18
頂いた順です。

 チャッピーさん、

新宿で7~8割の入りだなんてすごいじゃないですか!
DHファンさんのコメントから、川崎でも盛況だったようですが、
フレミング人気でしょうか?それとも滅多に見れない『タイス』という演目への興味かな?
両方かも知れませんね。
これらの点では、確かに、映画館で一度見てもらう、ということからすると、
いい企画かもしれないですね。
問題は、作品自体に力が不足しているので、
じゃ、何回も観に行く人がいるか?というと、
どうなんだろう、、?という点です。
オペラハウスでも、全回を満員にすることは出来なかったようですし、、。

>「椿姫」の時なんか、誰も残ってなかったのに

あの椿姫の指揮者は、演奏から判断するに、
ちょっとメト・オケと相性が良くなかったみたいですね。
でも、別に彼が特別嫌われているわけではなく、
団員がすぐに立ってしまう公演の方がほとんどです。
あと、ライブ・イン・HDのようなビジュアルを伴う録音が
ある場合は、ピットに残らなければならない、という
暗黙のルールがあるようで、HDの日に、
普通の夜の公演のようにさーっとオケがはけてしまうのは、
あまり見た事がないです。

録画のない普通の公演で、オケがピットに残って
指揮者と拍手をきちんとシェアするのは、
オケが指揮者をある程度以上、尊敬していたり、好きな場合のような気がします。
最近だと、名前をあげられたレヴァイン、小澤、
それからバレンボイム、ラニクルズあたりですね。
あと、アルミリアートも、団員の信頼が厚いように感じます。

そう、この話って、史実的に正しいのかな、?と
疑問に思いつつ、そのままにしてしまったのですが、
修道院の件については、そうすると妥当なようですね。

えー!!!あれよりも肉付きのいいベリーダンサーが普通なんですか、、?!
我々の感覚は全然通用しないですね。
あれでも私はびっくりしましたよ。
あの腹で人前に出てくるなんて度胸あるわあ、と。
でもアラブ人が観客にいたら、”こんな貧相なベリーダンサー、ベリーダンサーじゃないっ!”
と怒ってたかもしれない、ってことですね。
うーむ、カルチャー・ショック!

 DHファンさん、

川崎でも盛況とはすごいですね、タイス。
確かにおっしゃるとおり、”わかりやすい”タイスかもしれないですね。
メイ&ペルトゥージの公演の方が真正面から
まじめに取り組んだ公演とするなら、
このメトの公演は、ある程度わりきってショーとして消化しきったところに特徴があるかもしれませんね。

>ただ場面転換が多すぎて、舞台裏を見せてもらっている映画館の観衆はいいけど、メトで生舞台を見ていたら「またかい」という気になりませんかねぇ?

なりました、なりました(笑)。
書くのを忘れてましたが、確かにオペラハウスで、
”またかよーっ!”と何度も思ったのが記憶に蘇りました。
それにオペラハウスでは緞帳しか見えないので、
本当に退屈ですよ。
その割には若干セットがチープなんですよね。
返信する
やっと見てきました~ (娑羅)
2009-01-26 00:54:52
さすがにMadokakipさんのレポは読み応えあります!
しかし、私が一番ツボにハマったのは、こちらの文↓

>こんなジャスコかニチイか西友で買ってきたような安っぽい鏡はどうなんでしょう!?

PCの前で声を出して笑わせていただきました(笑)
本当に細かいところを御覧になってますね。私は、全然気にしてなかった・・というより、鏡なんて見てなかった

ニシアスは若いんですね!?
アタナエルの旧友で、アタナエルは“若いわねー”と奴隷の女性に言われてましたもんね。
私は、“おっさん”だと思って見ていたので、シャーデのニシアスに、またしてもなんの違和感も持ちませんでした

全く初めて「タイス」を見た私は、何の予備知識もなかったせいか、セットも「きれい~」と思って見ててましたが、チープだったのですね

今回、フレミングには感動しましたが、ハンプソンが・・・。
昔は「ハンプソン上手いなー」と思ってたんですけどね~。
私の好みが変わってきただけなのかもしれません。
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