goo blog サービス終了のお知らせ 

私が居る理由

~私が今ここに居る理由を探して生きている・・・~ とは言ってみたが、書いていることは超カルい、日々の雑記帳。

百ケ日

2009-05-30 08:04:43 | 家族・・・
昨日は、妹の百ケ日だった。
仏壇には、羽衣あられが供えられていた。
「おかあさんが、好きだったから。。よう隠れて食べよったわ」って、ダンナさん。

甥っ子の配属先も近い所に決まり、頑張ってるって。
スポ少の時から一緒だった子は、六大学の優勝に貢献してたし、みんな頑張ってるな。

甥っ子の売り上げ(ノルマ)に貢献するため、もっと旅行しなくっちゃ!?

誕生日&母の日

2009-05-10 19:41:52 | 家族・・・
マー君がはりきって「HAPPY BIRTHDAY!」を歌って、ローソクを消してました。

5/9は、母の71回目の誕生日。みんなが揃う日曜日にケーキを。

マー君は、2歳と9ヶ月。ひいばあちゃんが大好きです。

かなちゃんは、9ヶ月。みんながケーキを食べていると、「まんま、まんま」ってうるさかったです。

母には、花の寄せ植えというか、5種類の花のポットを籠に盛ったものをプレゼントしました。

長男夫婦からは、小ぶりのフェミニンな帽子を母に、ツバの広い帽子を私に。

娘は、私にルピシアのティーバッグの詰め合わせを。

ありがとう。

GWも終わり

2009-05-06 18:40:20 | 家族・・・
なんか、名古屋が遠い昔みたい。。。

ロイスー総集編でもまとめようかと思っていたけど、

昨日、今日は、ネットとかなちゃんのお守りで終わったかな。

曜日の感覚がなくなって、ANNを聞き逃してしまった。。。残念。

紅茶にはっさくマーマレードを一匙落として、休憩中。

子どもって、パソコンに興味津々ですよね。

寝起きのかなちゃんをひざに乗せると、キーボードを片手で打つ私を「なあに?」って見上げるかなちゃん。

寝起き

2009-05-05 19:48:59 | 家族・・・
みんなが食べている間に、汗をかきながら寝ていたかなちゃん。

だいぶしっかりしてきました。
「ちょちちょちちょち」って言うと、拍手をしたり、何かをとって貰おうと思ったり時は、「あー」って意思をしめしたり。
膝に抱っこして絵本を読んでやっていると、時々「おもしろいね」っていうみたいににっこりしながら私の顔を見上げたり。

でも、マー君と比べると、1,2ヶ月遅れているカンジ。その子なりに成長しているから、いいんですけどね。

一鶴

2009-05-05 19:47:58 | 家族・・・
こどもの日、みんなで一鶴へ。16,010円也。

買ってもらった仮面ライダーベルトを付けたマー君は、おりこうさんで、いっぱいとり飯を食べて、おとなしく座っていました。

お座敷だったので、食べ終わったら、ねーねのカメラで撮影会!?
キメポーズも、なぜか変な顔ばかりして、吉本系になるマー君でした。。。

とくしま動物園

2009-05-04 10:45:08 | 家族・・・
今日は、GW中、ダンナの予定が唯一空いている日なので、マー君達とのレジャーの日に。
ダンナと母とマー君たち家族の計7人でやって来ました。

昨晩23時10分発の深夜バスで6時半頃家に帰って、2時間半前に通った高速の反対車線を走って、開園前から並んで入場。
タフだな、私。

疲れた

2009-04-05 20:53:59 | 家族・・・
今日も娘の部屋へ引越し後の手伝いに行ってきました。

先月の14日に転任先がわからないままに、1週間後だと物件が少なくなるし、引越しトラックは28日を押さえているから、その日に入居できないと困るので、中心部に近いところだったら、どこへ向いても行けるだろうと、街中の便利なところの1Kの部屋を契約。19日に内示があって、けっこう行きやすいところに決まってホッ。

21日は、今住んでいる部屋の片付けを手伝いに行ったけど、全然片付いていない。。。押入れの中の大量の服。確かに、服を買うのが好きな子だとは思っていたけど、毎日着替えても余るぐらいの服の多さにびっくり。。。大阪時代の古着なんか、着ないまま3年間放置。その上に、3年かけて買ったものが、、、。
絶対に着ない服をより分けてダンボール(大3箱)に詰め、その他のいらないものを運び出すために、22日に急遽、ダンナを呼んで、車に積み込んで帰った。

そして、引越し当日の28日は、朝早くからダンナと二人で娘の所へ。でも、肝心の娘は、連日の残業でも、年度末&引継ぎの仕事が全然進んでなくて、28日も仕事に行くっていう、状態。おまけに、1週間前からの風邪の上に前々日は結膜炎になって、マスクに眼鏡で咳をして、疲労と寝不足で哀れな姿。。。
あれほど、計画的にして、優先順位をつけながら仕事をしないといけないと言っていたのに。。。

朝早くから3人で荷造りして、午後に引越し業者さんが来たときは、娘は仕事へ行き、私たち夫婦が立ち会って、引越し先へも私たちだけが行って荷物を引き取ることに。娘は、布団と着替えとストーブだけの部屋に残り、次の日も仕事に行って、夜に引越し先に行く事になった。

ICを降りたところが渋滞で、不動産会社で鍵をもらって新しい部屋に着いたのが5時半頃。エレベーターのない4階の部屋のせいか、最初3人だった引越し業者さんの人数が倍以上に増えていたのにびっくり。大量のダンボールを運び上げ、ベッドを組み立てたり、家具の配置を終えたのが7時過ぎ。お礼を言って8万円を支払った。。。

出窓のカーテンだけでも買いたかったけど、出かけるのが遅くなって、8時に閉まるお店が多くて、買えなかった。ダンナは帰って夕飯を食べるというので、私だけ近くのホカ弁を買って部屋に帰り、一服していると、娘から電話が。

乾いた変な咳が止まらないから、マイコプラズマ肺炎かもしれないと、職場の方に言われたとのこと。電話口でもずーっと咳をしている。それじゃ、明日の朝、6時頃の電車でそっちへ行くから、休日当番医を探して、レントゲンを撮ってもらうことにしようと、電話を切る。
その晩は、掛け布団がないから、こたつ布団をかぶってベッドで寝て、5時に目覚ましをかけて、初めての部屋で寝る。そういや、私、一人暮らしをしたことがないから、ホテル以外では、一人の部屋(家)で寝るって初めてかも。ドキドキ。

30日は、山歩きの格好をした、元気な(中)高年のおじ様やおば様でいっぱいの電車に乗って、昨日、もうここへは来ることもないな、あの電車も乗ることはないな、とダンナと言っていた、娘が3年間暮らしたところへと戻る。運良く一番近い総合病院が休日当番だったので、診察を受け、レントゲンを撮ってもらい、異常なしとわかって、一安心。咳止めの薬をもらって、娘は仕事に、私は神戸へ。(最初は、3時頃まで娘の新しい部屋の片づけをして、10時前に神戸から戻ってきたら、駅の近くで待ち合わせて娘に部屋の鍵を渡す予定だったんだけどね)
日曜日、娘がむこうをでたのは9時過ぎだって。。。

月曜日の午前は、新任地での引き継ぎがあって、また午後には2時間かけて戻って、31日、仕事やあいさつ回りなどを済ませ、部屋に戻って、片づけを済ませ、部屋の鍵を返したのが8時過ぎ。最後までバタバタした娘でした。

1日は、新任地での仕事の後、役所への届けもできたみたいだけど、2日、3日は、8時過ぎまで残業。だから、今日行った娘の部屋は、29日の朝とあまり変わらない状態でした。。。もっとも、部屋の片付けは後回しにして、身体を第一に、睡眠と食事やで、って言っていたから。

だから、昨日は、IHコンロになったら、今まで使っていたフライパンや片手なべが使えなくなったというので、駅まで迎えに来てもらって、まずは、ホームセンターへ行って鍋やフライパンを買って、美味しいイタリアンでゆっくり食事をして、文房具屋さんへ寄ってボールペンやのりを買ってから、娘の部屋へ。

ダンボールを一つずつ空けて、片付けていったけど、台所回りも狭くなったし、作り付けの棚も少ないし、クローゼットは押入れより奥行きが狭くて物が入らないから、なかなか片付かない。お風呂場の前に目隠しカーテンも欲しいし、、、。昨日は、あまり片付かないままに、おしまい。。。

今日は、100円ショップやニトリに行って、収納小物や整理棚を買ったけど、クローゼットに入りきらない洋服のための簡易クローゼットは、カタログで買うことに。
帰りに寄ったデパートでは、お世話になった方々の一人ひとりの顔を思い浮かべながら、感謝の品々じっくりと選ぶ娘。「転勤は、物入りやわ。引越しも転勤も当分、したくない!」って言ってます。10日にはまた、あの村へ帰って、最後のお別れがあります。

納骨

2009-03-27 21:46:34 | 家族・・・
昨日、三十五日を済ませたら、すぐ納骨。
立派なお墓にもう妹の名前が彫られていた。

会食の時、ダンナさんが妹の写真がいっぱい入った箱を持ってきた。
3,4ヶ月の頃のうつぶせになっている妹の顔が今のかなちゃんにそっくりって、驚いていた。

中学、高校、そして甥っ子がお腹にいる頃の妹の顔は、ほんとうにおだやかで、いつも優しそうににっこりしている。
本当にのんびりさんで、人と争うのが嫌いで一歩引いているような子だった。

いつからだろう、芯の強い、絶対に譲らない子になったのは。。
環境が人を変えてしまうのだろうか。

長男が、着物を着て並んで写っている3歳と7歳ぐらいの私たちの写真を見て、「やっぱり、小さい時もおかんは気の強そうな感じで、○○子ちゃんは優しそうなわ」って。。。
小さい時から私はショートカットで妹はおかっぱ。私は青い服で、妹は赤い服。
顔も気性も全然ちがっていたな。

妹のふんわりした笑顔が消えたんのは、いつからだろう。。。
気がついてやれなかった。
がまんしなくてもよかったのに。
通帳など全財産を一つのかばんに入れて、いつも持ち歩いているんだ、って言ってた時に、もっと話を聞いてやればよかった。

アウェイのような雰囲気の昨日の台所。コーヒーひとつ運ぶのにも小姑の攻撃。あんな中で闘っていたんだね。。。
もう、あの家には行きたくない。ダンナさんは、いい人だけど。

ごめんね。家にはお参りに行かないかもしれないけど、お墓さんへは、こっそり行くからね。

おくりびと

2009-03-20 13:32:07 | 家族・・・
“おくりびと”の手によって化粧された妹は、本当に綺麗だった。

何週間ぶりにお風呂に入って(とはいっても、ネットの上に寝たままのシャワーだったけど)、髪を洗ってもらい、ドライヤーをかけて、髪をセット。
ステロイドの影響でムーンフェイスになっていた顔も食べられなくなって痩せてきていたし、黄疸も濃い目のファンデーションで隠され、ピンクの口紅を塗った口元は口角があがり、微笑んでいるようだった。
ダンナさんが、「お母さん、こんな顔していたな」ってポツリ。最後の最後が微笑んでいる顔だったのが、姉として、とても嬉しかった。

ピンクのマニキュアを塗ってもらった手を組み、白装束の上に、しつけがかかったままのグレーの付け下げを掛け、いつもかばんの中の手帳に入れ、病院へも持っていっていた、5,6ヶ月頃の甥っ子を抱くダンナさんの写真と、幼稚園に入る前ぐらいの甥っ子とピンクの訪問着を着た妹の写真を顔の両脇に置いた、お棺の中の妹。

最後のお別れのときは、たくさんの花であの子の周りを飾り立て、顔の横に少しでも綺麗な色の花を置いてやりたくて、花を入れることに夢中になっていた私。蓋がしまらないぐらいのいっぱいの花にうずもれた妹。

病気を抱えながらも、もう少し生きられると、妹自身も回りの者も思っていた。
1/18の44回目の誕生日に合わせてダンナさんが贈った石釜焼きオーブンの箱が封を切らないまま玄関横の間の隅に置かれていた。25年勤めた職場を9月末でやめ、これからは、今までできなかったことをしようと思っていた妹。

亡くなるその直前まで意識がしっかりしていて、自分でペットボトルから水を飲み、点滴の残量や時計を確認し、決して痛いと言わなかった妹。

亡くなる直前の大きく目を見開いた姿を見たのは、私だけだった。。。みんな、病室で居たけれど、息も落ち着いてきたからと安心して、少しだけうたた寝をしていた、明け方5時過ぎ。あっという間の出来事だった。
3年余りお世話になった主治医の先生も髪の後ろをはねらせたまま駆けつけてくれ、5分以上前には息をするのをやめていた妹の脈を取り、「5時25分、ご臨終です」と告げた。

「何も言わんと逝ってしまった」という、ダンナさんに、「まだ、死ぬ気でなかったからやわ」としか言えなかった私。「言ったほうがよかったんやろうか」「いや、言わんほうがよかった。これでよかったと思う」

最後まで弱音をはかず、本心を言わずに、いろんな想いをかかえたまま逝ったのかな。
でも、この最後の入院の時、2月初めに、面会時間も過ぎた夜遅く、仕事を終えた親友が大部屋の妹の所へお見舞いにきてくれていたそう。通夜の日に、「どうしても行っとかないとと思ったんです」って。。いろんな話をできていたんだったら、よかった。苦しくてもメールはしていたようやし。。

妹が(変わった自分を見られたくないからと)あまり会いたがらなかったし、みんなが急に押しかけると気づかれるといけないからと、私の子どもたちもお見舞いを遠慮していたんだけど、妹が亡くなる前日の午後、代休をとっていた長男が、何を思ったか、お見舞いに寄っていた。病室番号を知らないから、適当に3階、4階、5階と行って居ないないから、1階で病室を聞いて、6階へ行ったら、聞いた番号が間違っていて西へ行ってしまい、最期に探し当てた妹の病室。その日の朝から酸素マスクをつけ始め、息が苦しそうだったけど、長男が帰るときにニコッと笑った妹は「いつもの○○子ちゃんやった」って、後から長男がポツリ。生まれた時から6年間ずーっと一緒に過ごしたからね、長男は。。

4世代が住む農家の跡取りへ嫁ぎ、家に居るより仕事へ行くほうがいいと、病気になってからも休暇をもらいながら仕事を続けた妹。跡取り娘のお姑さんは、悪い人ではないんだろうけれど、妹とは合わなかった。。
やさしいダンナさんと可愛い息子には恵まれたけれど、結婚して20年足らず、心から休まる日は少なかったんだろうな、って思う。完璧主義で生真面目。小さい時はいつもにこにこ、おっとりした妹だったんだけどな。

妹が亡くなって、早1ヶ月。来週は、三十五日の法要があります。

もっと歳をとって、子ども達も巣立って暇になったら、いっしょに旅行へ行ったりしたかったなあ。
あの子と二人っきりでどこかへ行ったのって、2,3年前の今頃の季節に、近くの山へハイキングに行っただけかも。その時も、コーヒーを作ってきてくれていたり、準備がよかったなあ。

離乳食

2009-02-15 18:43:35 | 家族・・・
かなちゃんも今月10日で満6ヶ月になって、ようやく10日ぐらい前から離乳食を始めた。
先週は、まだ始めたばかりだったけど、この1週間、離乳食をしっかり食べて、顔が丸々として、ほっぺたがおっこちそうになっている。
おかゆやコーンポタージュを催促しながら、がっついて食べて、ミルクを100飲んでも、足らないと大泣き。
本当にこの子は、食がよい。

この前の風邪の後、右目が二重になったのに、太ったらまた一重に戻っちゃった。。。
生まれてしばらくは、両目とも二重だったのにね。

思い出のアルバム

2009-02-11 17:10:31 | 家族・・・
お昼に妹の病室へ行くと、昨日とそんなに変わりがない様子。
でも、お昼ご飯の雑炊は、見ただけで食欲をなくすと、食べず。。
ダンナさんが持ってくるという、おうどんを待つ。
12:45頃、「遅いな、1時までには来るわな」「麺を打っちょるんかな」と言っているところに、甥っ子といっしょにやってきた。
出来立ての麺を熱湯でさばいて、まずは醤油をかけて食べてみる。でも、固すぎてのどを通らないって。。
だから、おだしの中に入れて食べてみるけど、やっぱり無理って。。。
食べないと元気がでないからと雑炊を一口、二口。
ゼリーなら、とパックに入ったのを飲んでみるけど、ヨーグルト味のは、キツイって。なかなか、食べられるものがない。
今朝、体重を計ると、7,8キロ減っていたって。
顔が丸くなっている(ムーンフェイス)から、あまりわからないけど、足は細くなったなって、見ていたばかり。
ステロイドの影響でかなり太っていたから、減り代はあったんだけど、、、。っていうか、あってよかった。

身体と時間をもてあます、って言ってたけど、今朝は、ダンナさんが甥っ子の写真や少年野球の思い出文集を持ってきてくれたから、それを見ていたって。
母が言うところには、楽しそうだったて。よかった。
私もそれを見ながら、はしゃぐ。

ちょうど7年前の3月、肘を痛めて野球ができない数ヶ月間に、家族3人で山歩きに行っている写真と6年生の時の運動会のミニアルバムだった。
山の頂上でコーヒーを飲む妹。
お腹を押さえながらしんどそうに歩いている甥っ子。
甥っ子と二人で写っている写真なんか、姉弟のように見える。
ダンナさんと二人の写真は、甥っ子がシャッターを押したんだな。
組み立て体操でなぜか満面の笑みの甥っ子。
あの頃はやったパノラマ写真が、家族の幸せを写している。

文集では、県大会ベスト4で出場権を得て、行った高野山大会の思い出をみんな書いていた。
「1回戦は僕が打った2安打で3打点をあげ勝ったけど、2回戦は全然打てなくて負けて、悔しくて泣きました。」って。
寄せ書きには、「甲子園で優勝する」って。

やってきた甥っ子にそのことを言うと、懐かしそうに写真や文集をみながら、ニコニコ。
月曜日に入院して初めて病室に行き、帰った後、泣いていたという甥っ子は、今日は最初から笑顔。彼も大人になりました。

朝の写真で嬉しそうな妹をみたダンナさんは、はりきって、昼からは、写真やアルバムの入った箱を二箱持ってきていました。
幼稚園のお遊戯会の甥っ子の可愛いこと。

3時には、義父母と義弟夫婦が来るそうで、「長いことおるから、、、。しんどいんよな」ってポツリ。

家族3人を病室に残し、母を連れて帰りました。

写真って、やっぱりいいものですね。
全然、整理してないな。。。