
石榴を見ながら森鴎外。鴎外と私はちょうど100歳違い(笑)
森鴎外といえば、母校(国立国際医療研究センター)を思い出します。
鴎外が、軍医になって勤務した陸軍病院が前進です。
母校での喜怒哀楽が走馬灯のように流れてきました。
陸軍病院だったからなのか、国立だからか、規律が厳しくて、食事時間、入浴時間、掃除時間、消灯も
すべて決められていました。
門限は22時。
真面目を絵に描いたような私は、忠実に守っていましたが、みんな真面目でしたわ。
その頃は。
160名ぐらい寮で暮らしていたので、ホール、食堂、トイレ、浴室、談話室など
すべての場所の掃除当番がありました。
電話は3分。電話当番もありました。
通学生が羨ましかったです。
実習と、レポートに追われて、国家試験までに70種類のテストがありました。確か。
夏休みなどは寮をだされるので、5900円の切符で急行八甲田に乗って実家に
帰りました。
出稼ぎのおじさんたちに混じって、ただずっと12時間座ってました。
そんなことが数分の間に廻った秋の日。
石榴の色は綺麗です。