ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

パーフェクト炒飯

2024年09月24日 | 食べ物のはなし

初めて自分でも合格点が出せるパラパラの美味しいチャーハンができました。

炒飯はありあわせの材料で簡単にできるので比較的よく作るのですが米粒がほぐれにくくてうまくいかない。
レシピ動画を何十本も見ていろんな方法を試すのですが、動画のようにはパラパラにはなりませんでした。
さっと炒めた玉子の上にご飯を乗せてそこから一気に混ぜて行く、という所でご飯同士のつながりが強過ぎててかたまりになる。
そのかたまりターナーの先端で必死に切り分けるのですが1人前のご飯でもやっててキリがない感じ。
生の玉子を最初からご飯と混ぜておくいうのもやりましたが、これだとパラパラにはなるのですが玉子の存在感がなくなってできあがりが炒飯っぽくない。

今回上手く言ったレシピは玉子を2個使います。
1個はボールの中でご飯とよーく混ぜておく。ご飯一粒一粒を玉子コーティングする感じ。
そしてご飯がパラパラに炒められたあたりでご飯を脇に寄せて、空いたところに2個目の玉子を入れてざっくりとスクランブルエッグを作る。
そして最後にご飯と玉子を一気に混ぜ合わせるというやり方です。これで気持ちいいくらいパラパラのご飯がフライパンの中で踊ります。

軽くスプーンを当てると一粒一粒のご飯がほろほろと崩れる。
完璧でした。もうこれで外に炒飯を食べに行くことはないな。
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お米サンバ

2024年09月22日 | 日記B

先週後半からお米がスーパーに戻ってきています。
生産量から考えてそもそもあるはずのなかった「令和の米騒動」もこれで終わったということになるんでしょうか。

茨木県産のあきたこまちが3,180円。
騒動以前は2,200~2,500円くらいのイメージでしたから価格的には2割ほど上がっているような感じです。
ただし、買い貯めをしてたくさんのお米がある家庭はこの先しばらくは米を買い足すこともないでしょうから末端の販売量は低下する。
そうなると卸し業者の新米在庫が膨らんで、それを流通させるために秋にかけて元の価格に戻って行くと思われます。
結局なんだったんでしょうね。緩やかなパニック現象の例の一つとして今後心理学の教材になったりするかもしれません。

ちなみにいくら販売価格が上がっていても生産農家さんへの買取価格は1円たりとも変わらないらしいです。
この機会に国民がお米の大切さを再確認して、お米を作ってくれている方たちがすこしでも潤えばいいなと思っていましたがなかなかそうはならないらしいです。
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セブンイレブンの金のディナー

2024年09月21日 | 食べ物のはなし

セブンイレブンの「金のハンバーグ」と「金のビーフシチュー」。
とある夕飯を作らない日に「セブンイレブンディナー」をするために買いました。
底を広げると電子禅師の中で自立する袋。800wで2分ほどで袋がパンパンに膨らみます。やけど注意。
ハンバーグ、ビーフシチュー、豆腐と枝豆とひじきのサラダ、後のベーコンチーズのパンも全部セブンイレブン。これで二人分の夕食です。
やちむんの村で買って来た器もいい仕事しています。
どれも美味しくて楽ちんでいい夕食になりました。ビーフシチューは予想を上回る大きさの肉がどーんと2個。

旅行中の沖縄のチャンネルが4つしか映らないホテルのテレビでこんな番組を見ました。
「熱狂マニアさん セブンイレブン徹底解剖 2時間スペシャル」
どこかの部屋の関取衆がセブンのビーフシチューとハンバーグと豚の角煮を無制限に食べ続けるような企画でした。
それを見ていたらどうしても食べたくなってしまったんですね。

千円ワインもセブンイレブンの物。
ワールドディスカバリーというシリーズは国別品種別にワインに番号を振って販売しています。これは3番。フランスのメルロー。
「ブラックベリーやブラックチェリーなどの果実香にスミレの花の香りや、バニラ、土を感じる香りなどが調和。
 味わいはまろやかでふくよかな果実味から、タンニンは滑らかに溶け込んでいます。」という説明でした。
充分美味しいワインでした。セブンディナーリーズナブルで満足度高いです。
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今帰仁村中央公民館 村と島の建物

2024年09月20日 | 建築&土木見物

名護市役所で知られる象設計集団。1971年に吉阪隆正の事務所にいた若手建築家5人で設立した設計事務所です。
設立から50年以上経っていますが手掛けた建物の数はさほど多くなく、関東にいて見られるものもほとんどありません。
そんな象設計集団が最初に世に知られるきっかけとなったのがこちらの今帰仁村中央公民館(1975)

赤く塗られたコンクリートブロックで化粧した277本の列柱が特徴的です。
柱と屋根だけで囲われた空間は建物の内側であって外側でもある。名護市役所にあったアザナと類似の空間です。
村の人が自由に使える公民館では結婚式、会議、飲み会、討論会、昼寝、展示会、大工仕事などあらゆる用途に解放されてきました。

日本に返還されて3年後の沖縄で、那覇からも離れている国東半島の先端の村がなぜこのような先進的な設計集団と「普通でない」公民館を建てたのか。
その辺りの経緯は菊地史彦の「岸本建男と象設計集団が遺したもの 第4回」に詳しく書かれています。



この建物も完成から50年が経過してかなり老朽化が進んでいました。
外から見える室内も長らく使われていないような廃墟の様な部屋も見受けられました。村の人口減少や高齢化で公民館の役割も変わっています。

今帰仁村の建物と風景もう少し。

波羅蜜の向かいも古民家カフェでした。soma cafeさん。

今帰仁のごくごく何気ない静かな村の午前。

上層階がオーバーハングしている4階建てのビル。よく見ると窓の外側の壁と本体の壁も若干ですが角度がつけられています。
その意味はわかりませんが凝っていて素敵。

3階建ての民家ですが、3階部分は屋根と柱だけで壁がありません。沖縄ではけっこう見かけるスタイルです。
とりあえず3階建てで作って、使うのは2階まで。将来住む人の数が増えて必要になったら3階も部屋にすればよい。なんくるない。
大型の木造住居。2階部分が広間のようです。何かの生産設備か、病院か、宿泊施設か。いろいろと想像してしまいます。

場所が変わって伊計島の集落を散歩中。
敷地を取り囲む石垣(グック)と建物正面に風除けと目隠しをかねた塀(マイヤシ)が供えられた琉球標準のお宅。

前のブログでグックだけが残った家の写真を使いましたが、こちらは逆にフーヤ(母屋)だけが残った廃屋。

湾曲したブロック塀は城(グスク)の石垣からの伝統。塀がそのまま小屋の壁面と共用されている家も複数見ました。

石垣塀(グック)は実に多様でなんでもありなんですが、中には精緻な切り込みハギも見られます。見た目の印象としてはインカとかマチュピチュとかそっち系統。

ちょっと変わったデザインの学校がありました。角川ドワンゴ学園のN高等学校。N高というのはイニシャルではなくて正式名称が「N高等学校」。
詳しくは知らないのですが、通信教育だけで高校卒業資格がとれるそうで、生徒数は3万人というマンモス学校。
立派な校舎はありますが、実際に登校するのは夏の7~9日間のスクーリングの日だけです。それ以外のほとんどの日は無人ってことか。
以上沖縄建築視点のお散歩記録でした。

伊計島共同売店のポーク。250g缶で350円。こっちで買うのとそんなに変わらないかな。
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あんこを炊く

2024年09月19日 | 食べ物のはなし

パルスイートを使ってカロリーオフのつぶあんを作りました。
小豆は一袋250g。袋の裏面のレシピに「家にある一番厚手の鍋を使う」と書かれていたのでストウブ登場。
水で軽く洗ってたっぷりの水を入れて沸騰させます。
今まで煮た豆は大豆でも金時豆でも水で一晩戻してから煮ましたが、小豆は乾いた豆をいきなり煮るところが違う。
小豆の皮は固いので水に漬けてもぜんぜん浸透しないんだそうです。

沸騰して出てきたあくを頭ですくって捨てて(あくはごく少量しか出なかった)4分ほど煮てから一度お湯を捨てます。
吹きこぼしというこの工程はレシピによって一度から数回と様々。豆の入っていた袋のレシピでは「旨味なのでお湯は捨てない」と書かれていました。
人によって言うことがバラバラ。そんな時は「どの方法でも大差ないからどれでもいいんだろう」と考えます。
「一度だけ吹きこぼす」を選択しました。ザルは使わないでお鍋を傾けてお湯を捨てるだけ。

そこから「豆がやわらかく指で軽く潰せるようになるまで」弱火でことこと似ます。水はひたひた基準で足りなくなったら足す。
少しでも内部の温度を上げつつお湯の蒸発も抑えるためにフタはしていました。
今回の豆では90分ほどで柔らかくなりました。他の煮豆と違ってどうせ半分は潰して食べるものなので豆が崩れても良いのが気楽です。
火を止めて豆の重量の80%くらいの砂糖と小さじ1/2の塩を加えます。
小豆が250gなので80%は200g。残っていた三温糖を40g入れてあと160g。パルスイートは砂糖の3倍の甘さなので160gの1/3で53g入れました。
小豆と豆の比率ですが、80%は甘さ少ない、100%が甘さ控えめ、120%で市販の甘いあんこの甘さくらいです。
何回かに分けて入れると書かれたレシピが多かったので上記の量を7分おきに3回に分けて入れました。
全体がやや乾いて見えたので水も50ccほど足しました。

弱火で20分ほど混ぜながら炊いたところ。
レシピによっては「途中で豆を半分取りだして潰してから鍋に戻す」というのもありましたが、ヘラで適当に潰しながら混ぜました。
「カムカムエヴリバディ」をイメージしながらここで「おいしくなあれ、おいしくなあれ」と唱えます。
木べらを立てても豆がくっついているくらいになれば完成です。

250gの豆から600gほどのつぶあんができました。3つに分けて二つは冷凍します。

少な目の夕食の後でRさんが三代目茂蔵のみつ豆につぶあんを乗せて食べました。
市販のあんだと100gで糖質が46gもありますが、パルスイートあんこだと糖質は17gとおよそ1/3に抑えられます。罪悪感のないあんこ。
私も一口食べてみましたが充分美味しい。大好きなのに糖質オフ中でなかなか食べられないRさんにぴったりです。

翌朝は名古屋風にトーストに乗せて。

食後のおやつに。クラッカーで挟んで。最近市販の甘いものが辛くなりかけている私にも美味しく食べられます。
あんこを作るのってすごい職人技なのかと思ってましたが、実はけっこう簡単でした。
またできることが一つ増えてうれしいまる。
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学芸大学 晴庵

2024年09月18日 | 食べ物のはなし

正月以外で一族4人が揃うのは3月と9月の「お誕生会」だけです。
かつて面倒だと思っていたこともありますが、高齢の母が楽しみにしているので近年は協力的です。
三宿で蟹か、三軒茶屋でイタリアンというのが基本だったのですが、店が閉店したりコロナになったりでここ数年はお店が毎回変わります。
今回は母が地元の友人に勧められたというお魚系和食の「晴庵」さん。学芸大学駅から5分程度です。

真っ赤な壁紙にゆったり置かれた白いテーブル。ステンレスのカウンターとぶら下がっているワイングラス。
和食店らしからぬ設えだったので、フランス料理店か何かの居抜きかと想像しましたが、そうではなくこの店が和食をするために作ったお店とのこと。

初めてだったのでお店の標準的なコースで予約しました。どれも美味しくて量も適切。お店の方の対応も気持のよいものでした。
いろんなお店に行ってもなかなか同じ店に2回というのは少ないのですが、ここは母も気に入って再訪ありです。
ちなみに学芸大学で2回以上行ったのは中華の「慶」と蕎麦の「いしおか」さんくらい。

外からすごく大きなお囃子の音が聞こえたので食事中でしたが飛び出して見物しました。

碑文谷八幡宮の例大祭でした。この日は私たちの地元でも神輿の声が聞こえました。日本中でお祭りの多い夜だったようです。

2時間でお食事終了。お兄からもらった花束を前かごに積んで母は自転車で帰って行きました。
最近あちこちで書き間違えていましたが正しい年齢は92歳だそうです。

近年は情報番組や雑誌で取り上げられることも多くなった学芸大学商店街。ホントにおしゃれなお店が増えました。
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名護市役所庁舎

2024年09月17日 | 建築&土木見物

名護市役所を初めて見たのは2002年。本部半島の北西部にある沖縄美ら海水族館に向かう車の中からでした。
まだ、それほど建築に興味がない頃で、つるっとした平面的な建物を見慣れた目にはとてもおどろおどろした一種不気味とも思える印象でした。
ガウディやジェフリー・バワや那覇市役所を見た印象にも近い物でした。20年後の今は素直にかっこいいと思えています。

2階、3階に上がるためのとんでもなく長いスロープ。郊外の歩道橋並みに傾斜が緩やかで車いすや自転車でも上がれます。
とは言え、これが建設された1980年当時は日本でバリアフリー法が施工された2006年の四半世紀前です。あくまでもデザインとしてのスロープだったと考えます。

市庁舎は名護湾から250mの場所に海岸と平行に建っています。象設計集団は様々な方法で建物内に海風を通す工夫を施しています。

名護市役所メインエントランス。

3階に上がって海と反対側の広場を眺めています。
各フロアの北面にアサギテラスと呼ばれるスペースが設けられています。屋根は隙間が開いたパーゴラのようなもので日差しは遮りますが風は通します。

外装として使われているのはコンクリートブロック。赤と白の2色遣いは首里城正殿前の御庭を連想します。
戦後にアメリカ軍が持ち込んだ技術を沖縄の素材で沖縄の風土気候に合わせて改良した結果、島内の建築でコンクリートブロックの使用が急速に拡大しました。

3階のアサギテラス。植物と建物を一体化させて季節によって日差しなどをコントロールする設計だっだようです。

宝形に組まれたコンクリートの中央も大きく開いています。この日もなんどか豪雨を見ましたがそんな時にこの建物はどうなっているのか気になります。

南方向に見るスロープ部。名護市庁舎は300組以上が参加したコンペで選ばれた設計ですが、コンペ案の時はスロープはここまで長くなかったそうです。
奥に名護湾が見えています。

執務フロア。建物内部を貫通する「風の道」と呼ばれるダクトによる自然通風システムが設置された庁舎内は、建設当時はエアコンがなかったそうです。
今ではありえないことですが、考えて見れば私が入社した1984年でも会社も学校も交通機関も、エアコンはあればラッキーという存在でした。

北外観。沖縄風というよりインカ帝国などの古代文明を再現したように見えます。柱上部の白い逆階段型のブロックのデザインが効いてます。

東面はフラット。こちらにも逆階段型のブロックが外に突き出すように設置されていますが、かつてはこの上に56体のシーサーが鎮座していました。

こちらがシーサーがあった頃の参考写真。2019年3月に安全性を考慮して全て撤去されました。シーサーのあるなしで印象がガラッとかわります。

芝生広場越しの那覇市庁舎。

高度成長期に建てられた他の多くの建物と同様に名護市役所も現在建て替える方向で検討が進んでいます。
午前中に見た同じく象設計集団による今帰仁村中央公民館は別記事にします。

設計:象設計集団
協力:アトリエモビル
構造・階数:RC造/3階
延床面積:6149㎡
竣工:1981年6月

受賞:1982年 日本建築学会賞
   2011年 第10回日本建築家協会25年賞


今から19年前になる2005年11月。名護市で開催されたツール・ド・おきなわという自転車の大会に参加しました。
私たちはレースではなく「恩納村70kmファミリーサイクリング」というみんなで楽しく走るイベントに出たのですが、それでも70kmはけっこう長いね。
スタート&ゴールは名護市役所の横にある名護市民会館駐車場。7時半過ぎにスタートして午後2時ころ無事に帰って来ました。
上の写真はゴール直前にガッツポーズをする私。後ろの黄色いシャツがRさん。そして左に少し写っているのが名護市役所です。
この写真で見るとシーサーはちゃんとありますね。
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2024夏ドラマ Netflixな夏

2024年09月16日 | 映画とテレビ
今年の夏は暑かった。昼間外に出かけらんない! そしてこの夏は見るべき新作のドラマもほとんどなかった。
そこにたまたまコメントでお勧めされた「アンメット」を見るという目的もあったのでNetflixを契約して配信ドラマ三昧の夏になりました。

最初に地上波で見た数少ないドラマ


エンジェルフライト
様々な事情で不幸にも海外で亡くなってしまった人のご遺体を日本に移送して遺族に引き渡し葬儀をする国際霊柩搬送業者の話。
存在すら知らなかった未知のお仕事の世界ということで楽しく見ました。脚本:古沢良太にも期待したし。
米倉涼子演じる主人公伊沢那美がものすごく頭脳明晰で優秀という設定なんですが、ごり押しと土下座で問題解決という流れが雑でした。
★★★


新宿野戦病院
宮藤官九郎オリジナル脚本の医療ドラマ。新宿歌舞伎町の赤ひげ専制的な小さな町の総合病院に米軍でドクターをしていた小池栄子がやってくる。
朝ドラの「虎に翼」と余りにも役者が重なることで話題になりましたが、実力のある人気俳優が大挙出演。
春に見た「季節のない街」と同様にクドカンテイスト満載ながらどっぷり社会派。すごく面白く見ました。
2年後の近未来にルミナウィルスという未知のウィルスが世界に蔓延するという設定には驚きました。近過去と近未来を捻り倒すさすがクドカン。
初回放送後からさんざん言われていましたが、英語ネイティブの設定の小池栄子の英語の発音がやはり残念でした。
鎌倉殿で強い信頼があったし実際よくやっていたのも分かるのですが、もう少し英語が違和感なければもっとドラマに入り込めたのに。残念。
ここは英語が得意で「侵入者たち」「鎌倉殿の13人」の好演も記憶に新しい菊地凛子で良かったんじゃないかなー。
★★★★

ここからNetflix


最愛(2021) 脚本: 奥寺佐渡子; 清水友佳子
放映時、悩んだんですが暗そうで敬遠しました。美しい吉高由里子を松下洸平と井浦新が何十年も全力でお支えするというお話。
最初から最後までとても面白く見たのですが、なぜ二人の男はあそこまで人生をかけてひとりの女性を守ったのか。
もし主人公の真田梨央が平均以下の外見だったら、男二人はあそこまでがんばったんだろうか。
この疑惑は、「アンメット」でも「愛の不時着」でも終始感じることになりますが、恋愛ドラマってある種のルッキズム的側面があります。
★★★★


アンメット(2024)  子鹿ゆずる(原作)/ 大槻閑人(漫画)の漫画を朝ドラ「まれ」の篠﨑絵里子脚本
放送時に見なかったのは主人公が記憶喪失という設定だったので。ドラマの紹介で「天才〇〇」「記憶喪失」「不治の病」という単語があると避けることが多い。
アンメットは主人公の脳外科医が一晩眠ると前日の記憶がなくなるというということで、ガッキーの「掟上今日子の備忘録」を連想しました。
こちらも杉咲花の主人公が困難に立ち向かいますが、三瓶先生始めほぼ全ての登場人物が一丸となって彼女を守ります。
若干メルヘンではありますがその温かさは心地よい。最後の手術のハラハラからラストシーンへの流れは秀逸でした。若葉竜也ナイス。
自宅で発作が起きて救急で担ぎ込まれてすぐに手術という場面にさっそうと現れた井浦新。その場の全員が驚いていたけど、これって誰がいつ井浦新に連絡したの?
★★★★


全裸監督(2019 シーズン1) 原作:本橋信宏
1980年代に社会現象となったAV監督村西とおると、腋毛と独特の語り口調で一世を風靡したAV女優黒木香をドラマ化したもの。
以前から見たいとは思っていましたが、配信のみで性描写も多いのでなかなか機会がありませんでした。
「虎に翼」の花江ちゃん森田望智の体当たり演技と伊藤沙莉との共演シーンも見たくて視聴。80年代が思い出されて面白かったです。
★★★


地面師たち(2024) 新庄耕の原作を「いだてん」「エルピス」の大根仁が脚本&監督
他人の土地を所有者に成りすまして売買する不動産詐欺師「地面師」のドラマ。8年前の積水ハウス地面師詐欺事件がモデルになっています。
こちらも暴力描写と性的描写が多かった。配信だとテレビの規制に引っかからない表現ができるのかな。無駄な過激シーンは興を削ぎます。
ドラマとしては最後まで面白く見ました。伝説の詐欺師・豊川悦司がもう少し知的で綿密な作戦を立てるものと期待しましたがそうでもない。
少なくとも現場の手下にまったく信用のおけないチンピラを多数使っている段階で普通ならもっと早く計画が綻びそうな気がします。
★★★


サンクチュアリ -聖域-(2023) 脚本:金沢知樹 監督:江口カン
崩壊した過程で粗暴に育った不良がスカウトされて大相撲の部屋に入門。様々なトラブルを巻き起こしつつも徐々に相撲の世界にはまっていく。
こちらも序盤に過度な暴力シーンなど満載ですが、どこかで相撲に本気になると分かっているのでそれを楽しみに見続けられます。
相撲協会、相撲部屋の格差、タニマチ、新聞記者など背景も魅力満載。特に新聞記者の忽那汐里は良い仕事していました。
素行の悪い相撲取りと言うとちばてつや「のたり松太郎」が思い出されますが、類似点が多かった。
土俵下に座っている敵役の協会役員に向けて相手力士を押し倒すというシーンはそのまま「のたり」のパクリでした。
ラストシーンが賛否両論でしたが私は好意的に受け止めました。あれでいい。かっこいい。これだけはネタバレしたくないので書かないけど。
★★★★


舞妓さんちのまかないさん(2023) 2016年から少年サンデーで連載中の小山愛子の漫画をドラマ化。
舞妓になるために青森から京都の屋形に入ったキヨちゃんとスーちゃん二人の少女が主人公。
キヨちゃんは才能の限界から舞妓をあきらめて裏方のまかないさんとして料理を作って暮らしていくことになります。
テレ東深夜でよくある食べ物系ミニドラマだろうとと軽い気持ちで見始めたのですが。
ラストのテロップに企画・川村元気 脚本・総合演出が是枝裕和、美術・種田陽平、音楽・菅野よう子と日本を代表するビッグネームがずらずらで驚きました。
暴力、性描写、いじわる、謀略など一切ありません。種田陽平が作る美しいセットの前で全ての役者がのびのび演技をします。
飯島奈美の作る美味しそうな料理も〇
★★★★


0.5の男 脚本・監督が沖田修一。
沖田修一は名前を見てもピンと来なかったけど過去に「南極料理人」「キツツキと雨」「横道世之介」「滝を見にいく」「さかなのこ」と5本も映画を見ていました。
どの作品も脚本と監督をやっていてゼロから自分の世界を作る人です。ひねった視点が面白く外れなしの監督です。
0.5の男は仕事上の人間関係から引きこもりになって家でゲームをしている40男(松田龍平)が主人公。
所沢の実家で親子3人でひっそり暮らしていましたが親が2世帯住宅に建て替えて妹家族と同居生活が始まります。
引きこもりを扱っていてもほとんど悲惨さはありません。のほほんとした40男が松田龍平にぴったりでした。全5話と短いのですが面白い。
★★★★

以上9本。これプラス朝ドラ「虎に翼」「オードリー」と大河「光る君へ」、先に途中で紹介してしまった「愛の不時着」というラインナップでした。
現在進行中で見ているのは「団地のふたり」と「振り返れば奴がいる」です。

暑くて家にいる時間が多かったけどNetflixのおかげで意外と充実しました。
現在はnetflixの「広告つきスタンダードプラン 790円/月」で契約しているのですが、これだけ長く見ていてただの一度もCMが出てきたことがありません。
ありがたいことですがなんか間違ってないかな。790円で100時間くらいは見た計算になるので1話あたりで7.9円で楽しんだということです。
お得ね。
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『特別支給の老齢厚生年金』を請求する

2024年09月15日 | 日記B

板橋年金事務所に行きました。
自分の用事で行くのは初めての様な気がします。

数か月前に年金事務所から届いた緑色の封筒で、自分が「特別支給の老齢厚生年金」を受け取る年齢になったことを知らされました。
特別支給というのはこういうことです。
昔は60歳になると年金をもらえていました。でも昭和60年の法律改正でそれが65歳からに引き上げられました。
60歳で年金をもらえるつもりでいた人が、いきなり5年間支給開始が遅くなるというのはさすがにまずい。
それで特別支給という形で減額になる分の金額を補填される訳ですが、生まれた年によって補填の時期や金額が変わります。

今考えれば60歳からくれよふざけんなよバカヤローという話なんですが、昭和60年といえば1985年で私は25歳。
会社に入ったばかりで長時間労働に追われながらも、バブル最盛期に向かう日本のトレンディなサラリーマンでした。
年金の支給年齢が変わることなんてまったく知りませんでした。自分が年金を払っているという自覚すらなかったかも。

それから40年近くが過ぎ、結局この年になっても年金のことはよく知らないまま老人になってしまいました。
ちなみに私の生まれ年が含まれる昭和34年4月から昭和36年4月生まれというのが、この補填分の金額を受け取れる最後のグループです。
64歳から1年間の支給ではありますが、もう1年生まれるのが遅かったらそれもなかったことになるので、ちょっとうれしい。

午前9時過ぎの年金事務所は私以外に誰もいなくて、書類を提出して10分ほど待っていたら書類に不備もなく無事に受理されました。
支給は来月から。若い頃から夢に見ていた年金生活がいよいよ始まるということか。
でも、その後に始まる本番の年金支給はちょっとだけ遅らせるつもりでいます。
支給開始時期を遅らせると、毎月もらえる金額が増えます。そのかわり死亡するのが早ければもらう総額は減ります。

「年金はいつからもらうのが得?」https://moneiro.jp/media/article/pension-timing#h85eed471e5という記事にシミュレーションをまとめた表がありました。

男性が85歳で亡くなるとした場合の計算です。なぜ日本人男性の平均寿命の81歳にしなかったのかは謎ですが、参考にはなります。
65歳で受給始めて85歳で亡くなった場合の総支給額は3800万円。
70歳で受給始めて85歳で亡くなった場合の総支給額は4000万円。
75歳で受給始めて85歳で亡くなった場合の総支給額は3500万円。
ということで、平均寿命通りの人生の場合は70歳で受給開始するのが一番「得」だということでした。
65歳を中心にしてマイナス300万~プラス200万の違い。パーセンテージで言えばマイナス7.8%~プラス5.2パーセント。
何を選んでもそれほどの差額ではないように感じてきました。そんなにがんばって考えるようなことじゃないですね。

沖縄旅行をいいお天気にしてくれた谷津観音様にお礼参り。
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台風11号Yagiに翻弄される

2024年09月14日 | 日記B
これを書いているのは9月3日の昼です。
2日後の9月5日から5年ぶりの沖縄旅行の予定です。これがアップされるのは旅行後になるので「予定でした」ということか。
春の滋賀旅行と同じようにRさんが女子ゴルフの試合を見に行きたいという事で企画が始まりました。
海辺のコテージ、一部屋が我が家より広いリゾートホテル、知らない島のプチホテル、とリサーチを重ねて宿選びにも凝りました。すごく楽しみです。

あとは、お天気さえ何とかなってくれれば。
YAHOOの天気予報は出発一週間前には快晴ではないものの、まずまずの旅行向きの予報でした。
夏の沖縄なので多少は雲があってくれた方が良い。

8月29日21時


その翌日に、フィリピン沖発生していた熱帯低気圧が台風11号になるかもという予報がでました。
日曜日に雨マークが。でもこれは帰る日だからまあいいや。

8月30日10時


8月31日になると雨マークの方が多くなってしまいました。やめてー。

8月31日5時


そして熱帯低気圧は台風11号となりました。日本が名前をつける順番で「Yagi(山羊)」と命名されました。ヤギとメェメェされましたってダジャレか。

9月1日15時


出発4日前。怒涛の大雨マーク。これはキャンセルも検討しなければならないか。
最近のキャンセル料は発生するのも早くて、この時点でキャンセルしても総額の50%程度は支払い義務が生じています。うみゅー。
休日だったので王子神社まで本気の晴乞いをしに行きました。

9月2日5時


翌朝の予報ではさらにひどいことになっていました。
この予報では旅行を断念せざるを得ないか。
でも私はまだ望みを捨ててはいませんでした。

9月2日5時


なぜなら気象庁がやっているTenki.jpの予報↑がまったく違っていたので。
台風11号も10号同様にかなり進路予想が難しかったようで、日本の方に向かってくるのか、西に大陸を目指すのかわかっていませんでした。
天気予報は普段はYAHOOを見ますが、大事な場面ではTenki.jpとWether Newsも併用して検討します。
いつもはYAHOOが楽観的予想でTenki.jpは雨が多めの悲観的な予報が多いのですが、今回はなぜか逆転している。
それに望みをかけて見ようと思ったのでした。

9月2日7時


翌朝見るとYAHOOの予報から大雨マークがなくなっていました。
ヤギの野郎は日本には向かわずにさっさと西向きになったようです。とりあえずよかった。
しかし勢力がかなり強いので沖縄に影響が出る可能性もうあると言われています。

というところで、この1週間あちこちの天気予報を見ながらヤキモキが続いていて本当にメンタルによくありません。
たかが夫婦旅行でこれだけドキドキするなら、天気と生活が密着している農家の方たちはどれだけ大変な毎日か。
願わくばRさんが喜瀬でゴルフ観戦する予定の6日だけでも雨が降らずにいてくれれば、他ははどうなってもかまいません。そんな気持ち。

でもきっと晴れるんじゃないかと思っています。
旅行時の晴れ率92%。どんなに雨の予報でも私たちが行く先々だけがなぜか晴れるという体験を数えきれないほどしてきた晴れ男の私です。
きっとうまくいく。そう信じてこれを旅行後に予約投稿しておきます。さて結果やいかに。

【後日談】
ということで、昨日までで4日間の旅行記を書き終わりましたが、結果としては好天に恵まれてすばらしい旅行になりました。
ありがたいことです。
「晴れ男」みたいな言葉を使うと「単なる確立と偶然によるもの」と言われることもあるのですが、その通りかもしれません。
実際に過去の統計による「旅行地ごとの昼間の雨が降らない確率」と私の旅行における雨に降られなかった率を比較してみたい気もします。
まあでもそんなのどうでもいいか。これからもマジメに生きてこの幸運が続くことを祈ろう。

帰りの飛行機から見た那覇空港。
この後、日~水と雨。木曜が晴れで、週末は次の台風の影響で大雨だそうです。
なんかすいません。
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