バルトーク:弦楽四重奏曲第1番/第2番
弦楽四重奏:バルトーク四重奏団
発売:1975年
LP:RVC(ΣRATO) ERA‐2050(STU‐70396)
これは、バルトーク四重奏団によるバルトーク:弦楽四重奏曲全集(3枚組)の中から、第1集目のLPレコードである。弦楽四重奏曲第1番は、1907年―08年に作曲され、3つの楽章が切れ目なく続けて演奏される。バルトークが教職にあったブダペスト音楽アカデミーで女学生マルタ・ツィーグラーと出会い、結婚した頃の作品。バルトークの作品においては、「オーケストラのための二つの肖像」「ピアノのためのバガテル」「二つのルーマニア舞曲」などと、「四つの悲歌」の間に当たる作品で、歌劇「青ひげ公の城」に3年先んじている。曲全体は、ドイツ・ロマン派の影響を強く受けていた時代の作品であり、美しい旋律が印象的で、バルトークの弦楽四重奏曲の中では、とっつきやすい作品に仕上がっている。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番作品131との類似性を指摘されることもある。ドイツ・ロマン派的な土台に立って、さらに一部分マジャールやルーマニアの民族音楽的要素も導入されており、バルトークとしては、過渡期的な曲と位置づけられている。ここでのバルトーク四重奏団の演奏は、美しさが際立つ名演を聴かせる。ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を思わせるような濃密さを込めた演奏内容だ。一方、弦楽四重奏曲第2番は、1915年から17年の間に作曲された。この頃になるとバルトークは、民族音楽をさらに広範囲に追い求め、スロヴァキア、ルーマニア、ウクライナ、アラブにまで及び始めたいたが、第2楽章にはアラブ的な要素が取り入れられていると指摘されている。曲は、モデラート、アレグロ・モルト・カプリッチョーソ、レントの3つの楽章からなっている。このような構成をバルトーク自身は「第1楽章は、通常のソナタ形式であり、第2楽章は、中心部に綿密に構成された部分がある一種のロンド形式である。最終楽章は、一番定義しにくいが、要するに拡張化されたA-B-A形式とも言うべきものだ」と語っている。3つの楽章の構成は、中庸-急-緩となっており、伝統的な構成とは逆になっている。緊張が次第に高まり、悲痛な暗い性格を持ったレントで終わる。つまり、最初は上昇し、次いで下降する曲線を描く。一方の岸から別の岸へと導くようだ。ここでのバルトーク四重奏団の演奏は、精緻を極め、この曲以降に出てくるバルトークらしいデリケートで、ぐいぐいと食い込むような内向的な傾向を、巧みに表現することに成功している。これらの表現は、優れた録音技術が大いに貢献しているようだ。(LPC)。