ボッケニャンドリの思ったこと

思ったこと感じたことを書いているけど間違い、勘違い、思い込みも(^^;

桑 → 杉

2009年11月06日 08時09分52秒 | 思ったこと
 初めて霜が降りるような朝、桑の葉はまだ青いのに潔くバサバサと落下。木も葉も良く見なくても桑だなと分る、ってほどでもないけどこんな風に一度に葉が落ちるのってあまり無いと思う。


一斉に落ちた桑の葉



 佐久にある古い農家は何となく養蚕をしてたと思わせるのが多い。また極一部にまだ桑畑が残ってて、しかもそれが放置されてるって感じではない。もうとっくの昔に中国からの輸入品に対して値段で対抗出来なくなったので養蚕農家は絶滅したと思ったらそうでもないのか。

 山梨の家は40年近く前までは養蚕農家だった。爺さんと婆さんが葉の付いた桑の枝を山のようにまとめて畑から背負って家まで持って来た。それを蚕が食べる。ちなみに爺さんと婆さんの当時の歳は今の俺より少し上って感じだ。でも親の親だからそう呼ぶしかない。というより俺も爺ってわけか。

 蚕が葉を食べると残った枝は風呂と竈の燃料になる。薪ストーブを使ってる家のように1年乾燥させてからどうのなんてのはなく右から左にどんどん燃やしていった。まだ生なので切り口から泡を吹きながら燃えていく。その時桑特有の臭いがするんだけど、たまに何かの機会にその臭いを嗅ぐと当時を思い出す。そんな臭いを薪ストーブで体験出来るのかと思ったら炎は見えるものの音と臭いには無縁の物だった。


 養蚕をやらなくなったからといって他の農作物で生計を立てられるほど広い畑は無い。周囲にはお大尽と言われてる家もあったけど全国的に見れば持ってる畑は狭いもんだ。しかも山間地なので日影なところばかり。なので今は皆サラリーマンになってしまった。中には都心まで通勤する人も居る。

 ボッケ家先祖代代の畑、といっても爺さんは長男ではない。他所から来たので2代より前には畑の影も形も無い。しかも手にした桑畑は日影だったり傾斜地ばかり。それでも苦労の末手にした畑なのだろう。そんな桑畑も不要となった。そこで桑を切って代わりに杉だの栗だのが植えられた。多分当時の政策も関係してるのだろう。何処の家でも同じことをやっていた。

 杉が育ってても運ぶためのトラックが通れるような林道が無い。50年くらい前は馬が山から木を引き下ろしてた。だから道は狭くてもそれほど問題なかった。そんなわけで仮に材木にしようという需要があっても林道整備からしなくてはならないので大変だ。しかも下刈りなんてしてないから良質の材木になるとはとうてい思えない。

 杉は材木としてデビューする事は無さそうだけど花粉症流行の元となって活躍中だ。一般庶民として清く正しく生きて来たと思ってたらまさかこんなところで世間に迷惑をかけてたとは。で、この杉の有効利用は無いものか、ってそれが無いから山が荒れたままでどうたらって問題が解決しないんだろうな。
コメント (2)
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