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安倍晋三と「爆笑問題」太田光の落差
![](https://ecx.images-amazon.com/images/I/41PXTZE7N6L._SL160_.jpg)
中沢新一は、憲法9条を世界遺産にと提唱するいわば根拠をこう説いている。つまり、日本という国家は中沢の言葉を借りれば尋常でないというわけだ。「爆笑問題」太田光との対談でこのあたりのことが縦横無尽に語られている。
対談が学問的かそうでないかに関係なく、二人の対談を日常の生活にてらすとわれわれ国民を強くひきつけ、言葉の一つひとつが響いてくるのだ。
太田光はこういう。
戦争していた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。時代の流れからして、日本もアメリカもあの無垢な理想に向かい合えたのは、あの瞬間しかなかったんじゃないか。日本人の、15年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとでてきた。これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだし、国の境すら越境した合作だし、奇蹟的な成立の仕方だと感じたんです。
この太田の想像力豊かな把握と、わが安倍晋三・総理大臣候補の貧相な-と管理人は考える-認識とを比較願いたいと思う。
再三の引用で恐縮してしまうが、あの『美しい国へ』から引用しておこう。
安倍の日本国憲法にたいする認識の立脚点はここにあると考えている。「憲法前文に示されたアメリカの意思」という項でそれは語られている。
占領軍のマッカーサー最高司令官は、敗戦国日本の憲法を制定するにあたって、天皇の存置、封建制を廃止すること、戦争を永久に放棄させることの三つを原則にした。
とりわけ当時のアメリカの日本にたいする姿勢が色濃くあらわれているのが、憲法9条の「戦争の放棄」の条項だ。アメリカは、自らと連合国側の国益を守るために、代表して、日本が二度と欧米中心の秩序に挑戦することのないよう、強い意志をもって憲法草案の作成にあたらせた。
このように考える安倍は、(アメリカは)「『自国の安全を守るための戦争』まで放棄させようとしたのである。また、戦力を保持することはもちろん、交戦権すら認めるべきでないと考えた」とつづけていう。そして、例の“詫び証文”発言に結びつけてしまう。
安倍にとっては要するに、占領時代の刻み込まれた記憶は強烈なようで、「占領時代の残滓を払拭することが必要です。占領時代につくられた教育基本法、憲法をつくり変えていくこと、それは精神的にも占領を終わらせることになる」(「自由民主」2006年1月4、11日号)といってはばからない。
憲法と教育基本法は、耐えがたいアメリカの日本占領の刻印が残された、この残りかすであって消し去るのみだと安倍はいうのだ。
先の太田の発言と比べてみたらよい。この2つにはとてつもない開きがある。デリケートな、しかも太田がいう奇蹟的な歴史の瞬間に-ということは他にかえることができないことを示しており、そこが世界遺産となる根拠でもあるが-、生まれでたものにたいする-、あるいは「つくられたもの」とあえていってよいと管理人は考える-強い信頼を感じ取る太田。一方でまさに自虐的な安倍の史観。いうまでもなく管理人は太田に賛成する。
こんなアメリカの占領にたいして敵意を剥き出しにする安倍だが、アメリカを目の前にしたらどうだろう。アメリカからすると、最も御しやすい首相になるかもしれない。
小泉の政権のもとで、いっそうアメリカの傘の下におさまり、盟主にひれふしてきたが、安倍はそれを今度は自慢気にいうのだから始末が悪い。
たとえば『美しい国へ』で安倍が「お金だけの援助だけでは世界に評価されない」とぬけぬけといってのけ、紙幅をさいてのべる自衛隊の海外派兵はまさにアメリカの日本政府への強い要求にほかならなかった。いうまでもないが、この線上で憲法改定もあるではないか。まさにゆがんだナショナリストとは安倍のことをいう。対米追随はいっそう深みに入ることを想像することにかたくない。安倍の強がりはアメリカの後押しで成り立っている。
これが、太田光・中沢新一『憲法9条を世界遺産に』を読んで思ったことだ。太田光のこの本はむろん安倍を題材にしたものではないが、太田が安倍を語れば、われわれはおそらく爆笑するにちがいない。安倍は爆笑するに足る「政治家」である。
――――――――――――――――――――
太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)
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「憲法九条を世界遺産に」は、私も読みました。ブログにレビューの記事を載せようと思いながら、なかなか記事を書く時間をとれずにいました。安倍の「恥書」(by美爾依さん)と比較しながらのレビューとは、面白い着想だと思います。
この本の79ページに、こんな記述があります。
(中沢)「日本国憲法の文言をそのまま守っていると、現実の国際政治はとてもやっていけないよ、というのはほんとうです。北朝鮮が日本人を拉致した。こんな国家的な暴力にどう対処するんだと憲法に問いかけても、憲法は沈黙するばかりです。いつだって神々は沈黙するんですよ。イエス・キリストだって十字架の上で、このまま私を見殺しにするんですか、と神に向かって訴えたけれど、神は沈黙したままでした」(後略)
こういう文言を見ると、遠藤周作の「沈黙」を思い出すのですが、昨日本屋に行ったら、ナナナナナント!安倍の恥書が「沈黙」に言及しているそうですね。「沈黙」のどこをどう解釈したら、安倍の政策に都合の良い結論なんて出てくるんだろうか、って私には信じられなかったんですけど。
それでも、昨日は買いたい本がたくさんあったんで、安倍の恥書なんか買ってやりませんでした(笑)。
恥本を、私は読みました。といっても自慢にまったくなりませんが。
くだらなさには呆れかえるばかり。これが総理本命です。
出馬表明の内容も、これに劣らぬくらいのバカさかげんでしたね。記者のつっこみにまともに答えずに恥ずかしい限りです。
引用された「沈黙」の箇所、ご指摘のとおりですね。まさに日本国憲法が拠り所であればこそ、「沈黙」が訪れるんですよね。
因みに、われらが安倍晋三先生は高校三年生のときに『沈黙』を読まれたそうです。そのとき先生は宗教への帰属というテーマを深くお考えになった。(笑)
その結果、到達されたのはナント郷土愛ということなのだそうです。なんたる緻密な論理構成か。私はただただ、おどろくばかりでした。(恥本93頁)
何も分からないがゆえに狂気じみた行動に出ることを警戒しないといけないでしょう。が、一方でもろさは隠せません。
「美しい国」などみないうちにつみとりましょう。
私も「憲法九条を世界遺産に」読んだところですが、太田氏のところどころおもしろい言葉に比して中沢氏のものはちょっとよけいなことを言っていると感じました。
この太田光の本を読んで、あらためて太田の想像力に少し驚きました。稀有な存在の「お笑いタレント」ですね。感心しました。
それにしても、私は安倍「政治」がどうなるのか注目せざるをえない。
言論でできることは言論でうんとやっていきたいと思っています。
気がむいたときにお立ち寄りいただければ幸いです。
戦争終結と同時の開放感を基盤にした真空地帯こそ、人間の無垢な姿と無垢な理想を表現させた。
今のアメリカや日本からは想像も付かないことがこの時起きた,と大田は感じたのだろう。
優れたお笑い芸人が感じたままに語れる社会が続きますように。
唖然として固まってしまいました。同じくAbEnd(じゃなかった、「安倍晋三 - トラックバック・ピープル」だっけ)にTBされている「雑木帖」の記事に書かれている滝川クリステルさんみたいな反応といえるかな。
私のところにも、「渡部昇一」がなんたらかんたらとかいう記事がTBされてきました。
渡部昇一というのは、統一協会系の極右文化人で、大嫌いな人物(当然、安倍を支持しているはず)なんで、当然TB返しなんてしてやりませんでしたが、誹謗中傷のTBではなかったので、TB削除だけは勘弁してあげましたけど。
おっしゃるように太田光は面白い! そう率直に思いました。
安倍なんか感性において足元にも及ばない感じです。
『美しい国へ』を読むかぎり、太田ならずとも、安倍の滑稽さ、理解力・表現力などなど、大爆笑してもしすぎることはないようです。
kojitakenさん、おはようございます。
極右の渡部昇一は、一時期はなばなしく論壇にも登場していましたね。あの眼鏡男をあちこちでみかけましたが、いまはどうでしょう? でも安倍で勢いづくのでしょうね。
私なんか、いまどき渡部、って正直思いますが.......
なるほど♪ママともうします。
今日は、メロディさんの所から、お伺いいたしました。
実は、少し前から、何度か、お邪魔しておりました。(S氏さんの所で、おみかけして…)
政治オンチの普通のママですが、この夏の、靖国問題から、憲法改正への危機感を強めています。
拙いブログですが、普通のママ達にも、ひとりでも多く、今の状況での、憲法改正のこわさを、伝えたくて、一生懸命記事を書いています。
そこで、こちらの、記事を、私のブログでも、ご紹介させて頂きたいのですが…。どうぞ、宜しく、お願いいたします。(もしOKでしたら、近いうちに、エントリー記事にして、TBさせて頂きます。どうぞ、宜しくお願いいたします。)
どうぞ、どうぞ。宜しくお願いします。
つたないブログですが、気がむいたらお立ち寄りいただければ幸いです。
今後ともどうぞ宜しく。
事前検閲が行なわれ、全てのマスコミがGHQの意向でしか記事を書けなかった占領下で「日本人の世論」なんぞが反映されたとでも?
「世論」を知る方法として残っているのは、世論調査と投書しかないが、GHQに届いた投書の9割は、日本国憲法への徹底的な批判でしたよ。
耳障りの良い物語をありがたがるのもいいが、それは「物語」としてのみ受け取るべきです。太田も太田ファンも、他ならぬ日本人の歴史に無知。
なるほどそんな捉え方もあるのですね。
一言だけいえば、帝国憲法のもとであれほど「従順な日本臣民」が、日本国憲法を契機にして切断されて、今度はにわかに自分の意思を表出するとはとても私には思えません。
むろん私はGHQが去ったあとも、真の意味で日本が独立しているかどうか、疑う必要があると思うのです。
GHQの占領下では、アメリカなど戦勝国への批判の封殺、日本国憲法への封殺など、36項目以上の言論統制が行なわれていました。
戦時中の日本にも、言論統制はあったのですが、これは「事後検閲」つまり手紙なら、墨で塗りつぶされていて、検閲されたこと、検閲の存在がある事は分かります。
GHQの場合は「事前検閲」で、最初にGHQが全てをチェックし、意に沿わない言論を発表せず、検閲された物だけを報道していたため、国民には、検閲の存在すら分からず、GHQ製作の「真相箱」という、日本軍悪玉史観の放送を、NHK製作と発表してゴールデンタイムに放送し続けるなど、言論統制ここに極まれりという状況でした。
連合国への声なき批判はなかったのか、日本国憲法への批判はなかったのか、本当に「ギブミーチョコレート」だったのか。そこは疑ってみる必要があると思います。
で、もちろん九条がある限り、独立してないと言っていいでしょう。
あれは「平和を愛する諸外国」の判断に、戦争の全てを委ねる、という物でしょう。
「日本人もバカだし、諸外国もバカであるから、共に考えていこう」ではなく、
「日本人だけがバカであり、諸外国は正しい戦争しかしないから、判断を任せます」という意味になると思っています。
国防の問題や米国追従の問題を抜きにしても、ありがたがる物じゃないかと。
GHQは文字どおり占領してたのですから、ご指摘の点は多かれ少なかれあったと私も理解します。
独立という概念が、仮に植民地支配を離れた国家を指すとすれば、9条の存在がそれを妨げているとはならないでしょう。支配・被支配の関係はどうなるのでしょう。「平和を愛する諸外国」が日本を支配しているとでも。
問題は、貴兄がいわれる今日の「独立」ですが、そこに着目するのなら安保条約、日米軍事同盟を抜きに考えるわけにはいかない。
いまの局面は、集団的自衛権を具体化しようというところですから、よりアメリカの世界戦略に組み込まれる過程にあると私は思いますがね。
その意味で、軍事的に、政治的に、そして精神的にアメリカに従属しているのでは。
9条の存在と「独立」の問題をリンクさせる必要はまったくないでしょう。
愛国心教育はなされなければなりません。しかしそれこそ「憲法教育」というべきものであるべきです。
愛国心は「現行」憲法によってこそ養われるべきものであって、現在の右傾化傾向はこの点を否定し、愛国心の基礎であるはずの憲法を否定せんとしているので本末転倒なのです。
最も日本人が「日本人らしかった」瞬間は、終戦のときではなかったでしょうか。その記憶をたたえる現行憲法にこそ、
民族が一丸となって戦った経験を、また、
民族が一丸となって罪を犯した経験を、
民族が一丸となって殺された経験を、
内包することにこそ、本当の自民族を愛する愛国心の意味があるように思われます。憲法に誇りが持てた時代こそ、世界のひれ伏す「名誉ある地位」であるとの自負があったように思われます。世界は日本を前に、自国の歴史を問わざるを得ないほどのものだったと思います。
日本が新たな憲法を作っても国際社会が価値あるものと見るかどうかは、全くわかりません。日本の価値がなくなった瞬間、日本の平和への精神的主導的地位は転落します。当然経済的な地位も、転落の憂き目を追うでしょう。結局、日本を滅ぼすだけのことでしょう。
少なくとも、マッカーサー自身は日本に来る前と後では、かなり日本観が違っていると思います。これはとても大きいと思いますよ。日本に来てさまざまな人とであったことが、彼の認識を変えたのではないでしょうか。(ちなみに最初のマッカーサーと天皇との会見の直後に、マッカーサーが憲法起草の命令を出しています。その会見の内容は全く持って秘密のベールに包まれています。)
憲法の作成過程におけるGHQとの関係もそのようなダイナミズムの中に見るべきだと、私なら思います。
そんなことどこに書いていますか? 勝手に読み込んではいけませんよ。