森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
カレンダー
2008年6月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | ||
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | ||
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | ||
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | ||
29 | 30 | |||||||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
ハケンの現状を我われは打開できるのか。
常に真摯な論評をものしている mahounofuefuki さんからコメントを頂戴した。
エントリーでそのコメントに応えたい。
労働者派遣法改正については、最近私はかなり悲観的になっています。ブログにも書きましたが、その原因は民主党の「裏切り」がおそらく進行していることです。来年の通常国会あたりに自民・民主・公明の談合で、一方で日雇い派遣の禁止とマージン率の制限で労働側に妥協しつつ、他方で貴ブログがご指摘の「2009年問題」に対応するために企業の直接雇用義務を撤廃する、いわば抱き合わせの「改正案」が成立するというシナリオがあるような気がしてなりません。もちろんそれでは根本的解決にはならず、「市民」と「奴隷」の溝を埋めることはできません。だいたい民主党はいまだに登録型派遣の廃止すら打ち出せないでいます。過去の例から言って民主党が労働者の声を聞くとはとうてい思えません。正直なところ困っています。 |
真面目な氏の態度が実によく表れている。
mahounofuefukiさんのコメントの要点はつぎの2点だと解釈する。
一つは、2009年問題の帰趨である。
率直にいって、氏の見立てはあたっているかもしれない。氏が指摘される可能性を否定することはできない。
けれど、私が思うのは、そのような可能性があるにしても、もう一つの可能性を想起させるような現在の状況である。そのことをむしろ強調することを、運動論(として)は求めていると考えている。つまり、大小の労働運動や反貧困の社会的運動がそうした地平を切り開いているという現実を直視することが、私は大事だと思っている。比喩的にいえば、財界・大企業を追いつめているということだ。そこまで大げさでなくても、彼らが窮地に立っているという事実をみるということだ。
だから、この見方にたてば、かつての労働運動にはなかった多様性を私は評価したいし、そのことは一種の、かつての人間が考えることさえ及ばなかった可能性をはらんでいると私はみたい。それが、たとえば組織的でなかったり、突発的・一揆的なものであるにせよ、である。考えてみると、組織性や系統性などはじめから存在するものではなく、まさにいわれてきたように、たたかいながら学び、学びながらたたかってきたのが労働者だったのかもしれないのだから。
私は、以上のようにかなりの程度、楽天的にものをみていて、その点が、真摯な
mahounofuefuki さんとの違いになっているように思う。
そこで、mahounofuefukiさんのコメントの要点の二つ目だが、いうまでもなく民主党にたいする評価である。
結論を先にいえば、当ブログの読者の皆さんならお分かりのように、私の民主党に対する評価はすでに明確だ。出自を問えというのが私の立場。したがって、もとより民主党に期待などしてはいない。極論すれば、同党がどのような表現方法を採ろうと、民主党というのは権力のスタビライザーにすぎない、これが結論。
安定装置なのだ。
ただし、そうはいっても、私は、今国会での、たとえば後期高齢者医療制度での共同を大いに支持する。野党共同の、同制度廃止法案の提出を明確に支持したい。その限りで民主党の態度を評価する。
大事なのは、その際の評価する側のスタンスだろう。
私は、労働者が真に主人公となる社会の誕生を展望するので、その展望にてらしていえば、民主党の出番などまったくない。民主党に仮にプログラムがあるとしても、労働者が主人公になる社会をなどと、同党は自らの社会的使命、あるいは要請などと考えもしないからである。
したがって、mahounofuefukiさんの見立てはまちがってはいない。
私は、派遣労働というのが、社会運動を視野に置いているならばお分かりのように、現在の局面での「運動の環」だと思う。それは、繰り返すと、2009年問題の解決という、資本の側ののっぴきならない大問題でもあるからである。だから、労働者の側からみると、それは、「虐げられつづけて」きた局面を質的に転換できる要素をはらむと一方で思えるからである。
今を少しでもかえようとする意思があれば、それに私は率直に同意したいし、そのための手をつなげる可能性をともに模索したい。考えるのは、ただそれだけである。
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
派遣労働を問え。。。
派遣労働制、見直し必要=町村官房長官
町村信孝官房長官は11日午後の記者会見で、東京・秋葉原の無差別殺傷事件に関して「(派遣社員だった加藤智大容疑者の)身分上の不安定さが犯行に駆り立てた理由であったのなら、できるだけ常用雇用化していくという問題意識で考えないといけない」と述べ、労働者派遣制度の在り方を見直す必要があるとの認識を示した。 町村長官はまた、同日開かれた再発防止策を協議する関係閣僚会合で、刃物を販売する際の身分確認の強化や、インターネット上の犯罪予告を検知する技術開発の促進を求める意見が出たことを明らかにした。 |
町村氏の発言を無条件にそのまま受け取る気は私にはありません。
が、このようにいわざるをえないところに、今現在の特徴がある。こう思うのです。
私が当ブログで強調してきたのは、財界・大企業の雇用政策、つまり戦略が暗礁に乗り上げているということでした。言い換えれば、ゆきづまりがあるということ。
端的にいえば、2009年問題に象徴されるような、解決をしなければならないのに、財界・大企業がこれを乗り切る術を見出すのはきわめて困難な状況に置かれているという現実があるということです。私は、ここをしっかりみなくてはならないと思うのです。
町村氏は、国民の強い批判を察知して、あるいは批判がこれ以上広がらないようにしていくために、記事にあるような発言をしたわけです。派遣労働のあり方を少なくとも改善する意向を政府がもっているそぶりをアピールせざるをえなかったのです。逆にいえば、派遣労働という「無法状態」を野放しにしている政治の責任を問う国民の厳しい批判が根底にあればこそ、町村氏は発言をしたわけです。つまり、派遣労働の蔓延が、たとえば今回の秋葉原の事件の引き金になる要素をはらんでいることを誰もが感じ取っているからにほかなりません。
ふりかえると、財界・大企業にとって、乗り越えなければならない難問、アポリアである2009年問題とは、端的にいえば、労働者派遣にある、同じ業務への派遣は最長3年までという「厳しい制限」でした。偽装請負を派遣労働で切り抜けたかに思えた財界・大企業の機転が、ここにきて逆襲に直面している、とみるべきだと私は思います。
派遣労働をまともにあらためて正規雇用に切り替えるという改善が要求されているのに、仮にそうすれば、莫大な費用がかさむわけだから、利潤のあくなき追求を柱とする資本の論理からすれば、是が非でも、この事態は回避しなければならないからです。
しかし、これが可能なのか。ねじれ状態の国会で、財界の意のままの国会運営を維持できるのか。民主党の対応がどこまでも頼りなく、先行きがはっきりしないというものであっても、財界・大企業の思惑どおりの運営は正直困難でしょう。財界にとって、その意味で単純ではない道筋を描かざるをえないのははっきりしているのではないでしょうか。
つまり、そんな道筋は財界・大企業にとって、資本の蓄積を図るどころか、むしろ資金の流出を予測せざるをえない、その可能性大という状況をかかえているのが現在ではないか。仮に派遣労働をやめ、正規雇用をふやせば確実に相当のダメージをこうむることになるわけです。
このような見方にたてば、経団連が最近、ことさら消費税増税を強く主張するわけも理解できるというもの。消費税増税に税源を求めることができれば、少しも財界は腹を痛める必要はないからです。すべて庶民が負担する。逆に消費税増税が国民に支持されず、税源をたとえば法人税増税に求めるなどの選択が現実のものになれば、ヒトにからむ人件費や業務委託費用がかさむ上に、税金で、資金は流出してしまう、これほど資本の論理に反する事態はありえないからです。
以上の変化はしかし、本格的に雇用環境があらたまるという変化を自動的にもらたすものでは、いうまでもなくありません。変化を本物にするには、反貧困という点で多様なとりくみと世論への働きかけが必要でしょう。そして、その想像力を私たちは着実に身につけているように思います。
(「世相を拾う」08102)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
【関連エントリー】
一部が苦しむ不平等か、全部が苦しむ平等かという問い。。
2009年問題が問うもの。
一部が苦しむ不平等か、全部が苦しむ平等かという問い。。
赤木智弘氏の「希望は戦争」というメッセージはさまざま議論の対象となってきた。あるいは、その直裁な表現において強烈なイメージで受け止めた人は多いだろう。
この赤木氏の主張を、東浩紀氏は解釈して、以下のように表現した(『思想地図』vol.1)。それにこたえて萱野稔人氏が発言している。
東氏はこのようにのべている。
中途半端は擬似敗戦状態では、間隔に世代間ギャップが生まれる。それなら、すべて燃えつくされたほうが、みんな敗戦体験ができるからいい。一部の人間が敗戦を体験し、ほかの人間は体験していないという不公正こそが最悪だ、と彼は言っている |
つまり、この文脈によれば、赤木氏の主張は、萱野稔人氏が端的にのべたように「一部が苦しむ不平等より全部が苦しむ平等を」というものに収斂される。
私は、たとえば派遣労働者の置かれている環境において今、彼らをただ戦力として最大限利用し尽くしてきた資本の論理が、その理不尽さゆえに国民の反発を買い、従来のやり方が通用しなくなっている事実、一方で自ら打開の方向を有効に見出しえない、ゆきづまりに直面していることをのべた。
この理解は、少なくとも赤木氏の主張の前提となる現状の把握とは、おそらく微妙に異なるものにちがいない。というよりも、より正確にいえば、現状の把握は仮に同じなのかもしれないけれど、そこから先の現状打開の方法論のちがいということになる。
「希望は戦争」という赤木氏の言説にかぎっていえば、他者との連帯の可能性をいったんは少なくとも否定するところからはじめなければならないし、はじまっている。だから、しかしと私は躊躇するし、とりあえずこれに同意することはできない。つまり、氏は、つきつめると戦争というものによってすべてが否定されてはじめてスタート時点にたつという理解になる。苦しみを同じくして、連帯は、あるいはその可能性がはじめてはじまるというわけだ。
けれど、戦争というものが今日、貧困ビジネスといわれる現実がとくに重要である。戦争によって、すべての者が同じ地点にたてるのではなく、同じように排除され、その他大勢というくくりで排除されるのがオチだ。全部が苦しむ平等ということではなくて、圧倒的多数が同じように「平等に苦しむ」だけにすぎない。また、戦争がビジネスである以上、少なくとも苦しまず、旨い汁を吸うごく一部がいる。
「一部が苦しむ不平等」という現象と、「全部が苦しむ平等」という現象が仮に異なるものだと区分したとしても、この2つの現象に共通する本質がそこには潜んでいて、それはごく一部の者が特権として他とは区別されているということである。
赤木氏の把握に違和を感じるのはこの点である。戦争というものによって、平等に分け隔てなく平等が構築されるというのは幻想にすぎない。不平等は貫かれる。あるいはもっと、極端な不平等がそこに存在する。
少し回り道をしたが、赤木氏の言説を参照して、あらためて思うのは、今の局面の理解である。
2009年問題を当ブログではとりあげた。
私がいいたかったのは、この問題が、今の資本の側の矛盾を表現しているということであった。具体的には財界・大企業が雇用戦略でゆきづまりに立ち至っているということであった。
だから、赤木氏の主張をふまえて私が考えるのは、彼のいう「希望は戦争」という主張を反転させるということだ。戦争というものが人・モノ・カネの最大の消費であって、それを商売にし、利益を確保しようする者が少なくともいるという現実がある以上、「希望は戦争」という主張を反転させなければならない。
一方で、日本国においては、2009年問題が資本の側の直面する、解決すべき重要問題としてたち現れている現実は、これを転回点として不平等のもとに大なり小なり置かれている圧倒的多数の国民に、連帯の希望を与えるものだと私は確信するのだが。少なくとも連帯の可能性を否定する条件は少ないと思える。
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
【関連エントリー】
2009年問題が問うもの。
原油高と世界経済の混乱-日本のイニシア発揮は。。
日本国ではいま、低賃金、重税・負担増、物価高と家計逼迫という三重の苦しみのただなかにある。
この三重苦から国民を解放するには、経済政策の軸足を財界・大企業から家計に移すことが不可欠ではないか。
賃金は伸びず、一連のエントリーで指摘したように税制では企業・財界を厚く優遇し、国民には増税を強いてきたのがこの間の経過だし、最近の原油高騰にともなう物価高が生活をいっそう厳しいものにしているのだから。
だとすると、国家の強力な介入によって、国民の生活危機の打開を図る、緊急な対応が必要になる。ところが、なんとも情けない話だが、わが日本国の首相のこんな言動がすでに伝えられたことは記憶に新しい。
福田首相また他人事発言…物価上昇「しようがない」
しかし、ここで原油の高騰は日本だけを襲っているのではもちろんなく、全世界を覆い尽くしている。
記事は、異常なこの事態と、具体的な被害をこうむってきた側の、もうどうにもならないという怒りの大きさを世界規模で伝えるものだ。
原油高、世界が悲鳴 デモ暴徒化・マグロ休漁…
痛みは、しだいに庶民の体力を奪ってしまう。自衛策で対処できるうちはまだしも、もともと自衛する術がなかったり、それができなくなってくると、明日の自分があるのかどうかさえ、自分には分からない不安が襲う。記事中の、学生の、運送業者や漁業者の、漁業者の行動はその不安の反映である。
記事が伝える原油高の要因が投機にあることは周知のところだ。
最近、日本の「エネルギー白書」もこれを認めた。
同白書は、1バレル=90ドル前後で推移した昨年末までの原油高騰の原因を分析している。それによれば、02年の20ドルから、イラク戦争を機に急騰し、6年で5倍以上になっている。とくに、07年以降は、原油市場への投機マネーの流入による影響が大きいと指摘する。07年末には、需給バランスによる価格は、50ドルから60ドル程度と分析。30ドルから40ドル程度がヘッジファンド(国際的投機基金)や年金資金などの流入による「プレミアム」(上乗せ分)だと指摘している。
この原油高騰に対処するには、記事にあるように「世界規模での対応」が必要になる。ようは、投機マネーの国際的規制をどのように協調し構築するのか、ということだ。
その上でわが日本国の福田首相には、つぎの点で緊急かつ具体的な対応策を望みたい。
物価高から家計を守るために、従来の金融・経済政策の見直しが抜本的に必要だ。円高差益を物価に反映させるよう大企業・財界にまず求めなければならない。
三重苦のなかで、新たに消費税の増税を採ろうとすることは、「消費者重視」という首相自身がかかげている言葉にてらしても不可解な路線である。消費者に負担を強いるのだから、国民を欺瞞するものにほかならない。
私は今日の原油高騰にみられる世界経済の混乱は、資本主義の対応の限界を示しているものだと考える。大きくいえば資本と労働の対立のなかでの、派生した問題なのだろうが、その際、これを生産者と消費者の対立としてすりかえる見方もあるように思う。福田氏の消費者の過剰な強調もそんな見方の一つだともいえなくもない。
ともかく日本国の首相、福田氏には、投機マネーへの国際的規制を実現するため、サミット議長国としての責任を果たすことが内外から求められている。
ここにきて、しようがないですますことはできない。
(「世相を拾う」08101)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
2009年問題が問うもの。
労働者派遣法が施行されたのは1986年である。そして、規制緩和の連続のなかで派遣労働者は320万人を超えるといわれている。
そのうちの多くは、いわゆる登録型の派遣だが、彼らは不安定な雇用形態、低賃金と無権利のなかに置かれている。最低限の生活すら保障されないという事実は、たとえば彼らにネットカフェ難民という貧困を強いてきたのだ。
こうした人間をまるでモノのように使い捨てにするような雇用のあり方がいま問われている。
財界・大企業の雇用戦略が矛盾に陥っているのである。それは、キヤノンやいすゞ、コマツなどの企業が製造現場から派遣労働をなくし、直接雇用の期間社員などに転換する方針を発表したことにも端的に表れている。
いうまでもなくこれは、使い捨ての働かせ方にたいする世論の強い批判の高まりが背景にある。
それだけではなく、いわゆる2009年問題の対応に財界・大企業は迫られているからである。
直接には、06年に偽装請負が大きな社会問題となったが、企業は、偽装請負を労働者派遣に切り替えることで乗り切ろうとした。
ところが、労働者派遣には、請負にはない制限がある。つまり、それは、同じ業務への派遣は最長3年までというものである。
だから、06年から3年後の09年に、大企業・財界にとっての問題が待ち受けているわけだ。
ご存知の方も多いだろうが、御手洗富士夫氏が請負法制をとりあげたり、「3年たったら正社員という派遣法は見直すべきだ」と発言してきたのはそのためである。氏は、派遣法などの規制緩和を求めているのだ。
現場の欠かせない戦力として派遣労働者を最大限活用してきた企業は、この難問に直面している。
以上の経過をみれば、批判をかわすためにその場かぎりの対応で終始してきた企業の「雇用戦略」がいよいよゆきづまっていることを示している。
この戦略のゆきづまり、2009年問題は、国民世論と運動が表出させたものだ。偽装請負、大企業の違法行為の国会内外での告発はこの点で情勢を動かしている。
おそらくこれら一連の世論と運動とあいまって、不安定雇用の境遇にある労働者のさまざまなとりくみの広がりがあり、連帯が形つくられつつあるのだろう。当ブログでとりあげた蟹工船ブームもこの延長線上に位置づけうるのではないか。
財界・大企業が2009年問題を乗り切ろうとするのは、規制緩和の方向によってのみである。
そうではなくて、労働者の側からみるならば、今日の派遣労働の劣悪な実態をつくりだした1999年の派遣法改悪を乗り越えて、派遣法の抜本的改正をなしとげることだろうと思う。
その基本方向は、派遣法に派遣労働者の生活と権利を保護する役割を明記することであるし、派遣労働は臨時的・一時的業務に限定することをはっきりと定めることだ。
99年改悪では、与党だけでなく、民主党も、社民党さえも賛成してしまった。その限りで、今日の事態を招いた責任がある。
非人間的な雇用環境をあらためようという意思があるのなら、いまこそ派遣労働者保護の立場を鮮明にすべきではないか。
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
消費税増税の大合唱で何をうたう…
さながら消費税増税の大合唱というところでしょうか。
「安定的財源の確保」という課題が、消費税増税にショートカットされることに強い疑念をもちます。
ですが、しょせんは社会保障国民会議も諮問機関。
財源をどこに求めるか、いよいよ、この対抗軸がはっきりしてきました。
当ブログではすでに消費税増税に反対する立場でキャンペーンをはっているつもりでいますが、冒頭の記事のように消費税増税不可避を強調する立場からだけでなく、対抗軸から国民の目をそらすための議論もまた現れています。
それが中川秀直氏らの議論です。そして、鳩山由紀夫氏の主張もこれに属するでしょう。
「たばこ」で煙にまくつもりか。 消費税論議。 法人税をあげよ。 |
消費税を導入する際も、そして税率を上げるときにも、私たちは社会保障を維持するためなどという口実をさんざん聞かされてきました。けれど、消費税の税率アップをはじめこの間の消費税による税収は、法人税減税による税収不足を補うものであった(「たばこ」で煙にまくつもりか。消費税論議。)のです。これが厳然たる事実でしょう。しかし、はたしてこれを元にもどすことは不可能なのでしょうか。私には、そうは思えないのです。
社会保障国民会議で5月、政府が説明した全額税方式(写真上)。基礎年金(満額で月6万6千円を支給)の財源は、現在は国庫負担が3分の1,残りは保険料負担です。その際、政府が明らかにした試算は、この保険料負担分をすべて消費税の増税でまかなうとどうなるかというものでした。
しかし、これも欺瞞に満ちています。
ただちに分かることは、保険料が使用者と労働者の折半という日本のしくみならば、企業の負担が減るということです。もちろん労働者の保険料負担分も減るのですが、一方で消費税負担分は増える。この方法では、保険料負担の軽減分を消費税負担分が上回るのです。差し引き増になる。
つまり、企業の負担していた保険料部分は、庶民の消費税増税分で少なくともまかなわないといけないからです。
企業がこうやって得する負担減を、「しんぶん赤旗」日曜版(08年6月8日号)が試算しています。それによると、トヨタは年114億円、キヤノンは年38億円という結果です。
消費税を大企業はもともと負担しません。仕入れるときに一時負担した消費税額はそのまま価格に上乗せできるからです(中小業者はこのようにはいかない)。
消費税を上げよ、上げよというのはここに理由があります。自ら負担することのない消費税。今度は、この消費税という大企業にとって旨いしくみをつかって、これまでの保険料の企業負担をへらそうという魂胆です。これまでの消費税が果たしてきた「役割」と同じように、消費税を活用し、大企業は負担をへらすことによって資金を留保することができるのです。
大合唱は、すなわちこんなふうに聞こえます。
富める者にはさらに富を、貧しき者にはさらに貧しさを、という具合に。この路線はしたがって、消費税というものが、貧しいものほど負担割合が高くなるというしくみをもつだけに、貧困の広がりこそが不可避の路線だといえるでしょう。
(「世相を拾う」08100)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
最近の消費税関連エントリー
消費税増税やむなしのレールが敷かれつつあるように思います。また、マスメディアも、税をどこからとるのかについて、ほとんど踏み込んだ報道をしていないのが現状です。
収益の多くを広告収入から得ている実情では、消費税増税の旗をふる財界・大企業相手にものをいえないということでしょうか。
「たばこ」で煙にまくつもりか。 消費税論議。
抜本改革をいうのなら、消費税増税を捨てよ。
法人税をあげよ。
税源は消費税以外にないのか。
全額税方式という欺瞞
御手洗氏の発言または税をどこからとるのか。
「たばこ」で煙にまくつもりか。 消費税論議。
合言葉は「たばこ1箱1000円」…超党派で議連発足
自民、民主両党など超党派の国会議員が近く、たばこ税の引き上げを目指した議員連盟を発足させる。自民党の中川秀直・元幹事長らが呼びかけている。 議連は「たばこ1箱1000円」をキャッチフレーズに活動を始める予定だ。 中川氏自身はヘビースモーカーだが、たばこ税増税を消費税増税の回避策として考えている。中川氏は福田首相にもたばこ税の増税を進言し、首相も前向きな考えを示しているという。議連とは別に、今月11日には、自民党の尾辻参院議員会長らが呼び掛け人となり、たばこ税に関する勉強会も発足する予定だ。 |
消費税増税を政府与党、財界がいっせいに主張しはじめ、財政審会長が念を押すように来年度予算編成の前提に消費税増税をすえるよう、注文をつけている。
冒頭の記事が伝える動きは、あたかもこのような事情にこたえるかのようにみえる。
だが、消費税増税の一方で法人税減税と所得税の累進性緩和という税制「改革」がこれまでつづいたわけで、問題は、この路線を今後とも踏襲するか否かという点に尽きる。
したがって、論点は、消費税を増税するのか、法人税減税を止め税率、所得税の税率を元に戻しすかどうか、と端的に表される。ようするに、税をどこからとるかという点での対抗軸はここにある。したがって、これをどのように考えるかは、すなわちどの階層の利益を代弁するかに接続していて、きわめて階級的な問題だといえる。
このように考えるならば、中川秀直氏が考えていることは、論点を意図的にずらしているといえるだろう。別の言葉でいえば、いうまでもなく法人税増税を回避するための主張である。
消費税の税率アップをはじめこの間の消費税による税収は、法人税減税による税収不足を補うものであった。それだけではなく、その法人税減税の恩恵を享受してきた、いわゆる大企業は、正規雇用を非正規に置き換えてきたし、これによる人件費削減、あるいは社会保険料負担軽減など法定福利費削減効果によって、確実に内部留保を蓄積してきた。
だから、たとえば消費税のように広く大衆的な課税によって、その結果、庶民の負担が相対的に増え、一方の企業は減税と人件費削減によって潤ってきたのがこの間の構図だろう。
こんな一連の経過を考えると、この間の税体系の抜本的改革の名のもとにとられてきた大衆課税路線を反転させ、もつものが負担するという直接税の累進性を高めることが今、必要なのだ。
中川氏らの動きは、だから欺瞞にみちたものだといえる。
(「世相を拾う」08099)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
coleoの日記;浮游空間のエントリー; 「たばこ」なのか、選択肢は を一部改変しています。
抵抗勢力ニッポン。。
クラスター弾廃棄に200億円(2008/06/04-11:07) 防衛省は4日午前の自民党国防関係合同会議で、自衛隊が保有するすべてのクラスター(集束)爆弾を廃棄するのに約200億円掛かるとの試算を明らかにした。 ダブリンでの国際会議で採択されたクラスター爆弾禁止条約が発効すれば、日本は8年以内にすべて廃棄する義務を負う。自衛隊は対戦車ロケット弾など4種類のクラスター弾を保有しており、その調達に約276億円掛けた。 |
この記事の前提には、5月末に、一部を除いてクラスター爆弾を禁止する条約案が国際会議で全会一致のもとで採択された事実がある。
その結果、廃棄費用が200億円という見込みということだ。
記事にもあるが、すでに4月、日本の保有するクラスター爆弾の調達費用は276億円だと防衛省は国会で明らかにしていた(*1、衆院外務委員会4・11)。だから調達費用には及ばないが、いずれにせよ多額な廃棄費用ということになる。
同爆弾は、陸自と空自が保有しており、たとえば米軍のもつ「CBU―87爆弾」(1発約170万円)に置き換えると1万3000発程度になる規模だ。
記事は、購入費用と同じくらいの多額な金が空費となることを伝えたものだろうが、国際会議での日本の立ち回りぶりは奇妙に思えた。
国際社会のなかの抵抗勢力。このように映った。
ロシアや中国とともに、米国もこの国際会議には出席しなかったが、いうまでもなく日本の態度は米国を慮るものだった。
上にのべた国会で、高村正彦外相は「主要な(武器)生産国の国際会議への参加がなければ、保有もしていない、生産もしていない国が小さな理想的なもの(条約)を作っても役に立つわけがない」などと米国を思い、うそぶいていたが、会議での日本は米国追随をあらためて示す姿勢をくりかえした。
クラスター爆弾の残虐性をここで繰り返すには及ばない。
「クラスター爆弾禁止国際会議」の条約案採択は結果的に全会一致だから、日本をふくめて一部に全面禁止に反対する動きがあったわけだから、国際人道機関やNGOなどの努力が評価されてよい。大きな一歩ではないか。
条約案によって99%のクラスター爆弾が禁止されるという。
一連の経過をふりかえって強く思うのは、平和をめざす国際的潮流に抵抗する日本の姿である。最後まで例外を拡大するよう要求したのはほかならぬ日本であって、非難が集中した。あえて情緒的に表現すれば、日本は醜態をさらした。
国際社会のなかでいよいよ孤立する日本国。米国に追随すればするほど、その傾向は深刻さを増している。
自国では貧困と無保険で米国民のいのちすら守れずにいながら、自由を守るためといって世界中にでかけ、人を殺すために戦争に血道をあげる国、米国。そして日本国は、この米国の後をまちがいなくすすんでいる。
(「世相を拾う」08098)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
*1;小川政府参考人 お答え申し上げます。
自衛隊の保有するクラスター弾でございますけれども、まず種類で申し上げますと、CBU87爆弾、これを航空自衛隊が保有しております。それから、MLRS用M26多目的ロケット弾、これは陸上自衛隊。あわせて、AH1S対戦車用七十ミリロケット弾、これも陸上自衛隊でございます。それから、百五十五ミリりゅう弾砲用多目的弾、これも陸上自衛隊でございます。そういう保有状況でございまして、調達総額につきましては、総額で約二百七十六億円でございます。
調達の数でございますけれども、大変恐縮でございますけれども、これを公にいたしますと自衛隊の装備の能力を推測させるということで、国の安全を害されるおそれがあるということで、従来からお答えを差し控えさせていただいているということを御理解いただきたいと思います。
追記;たまたま今朝、石原慎太郎都知事が五輪開催地選考にかかわってテレビに登場。開催めざして、意気込みを語っていました。
彼がのべたのは、日本の地位低下を嘆く片方で、五輪開催で国威発揚と地位向上をという主旨でしたでしょうか。
けれど、これは逆転しているわけで、この記事のような日本の態度の繰り返しが、国際社会からの孤立をいっそう深め、したがって地位も低下している要因になっていると思うのです。ここをあらためるべきでしょう。
ブックマークに open+ を追加しました。
プロフィールに、趣味は泳ぐことと絵を描くこと。モットーは「たっぷり働きたっぷり眠る」、と記した地方議員さんがブログの主。
働くことも、眠ることもこのように充実したと実感されるのが、まさに至福のときなのでしょうね。羨ましい限り!
ブログから管理人さんの人なつっこさがどことなく伝わってきます。
下記の画像をクリックすると、 open+ にとびます。
抜本改革をいうのなら、消費税増税を捨てよ。
どうやら資本の側にとっては、税体系の抜本改革とは消費税増税のことを指すようだ。
財政審会長が消費税増税をいい出した。
来年度予算編成の前提に消費税増税をすえよということだ。このところ消費税増税の世論づくりは周到に準備され、喧伝されている。
財政審、歳出圧力に強い危機感
財政審会長 “来年度予算審議で消費税増税決めよ”
御手洗氏の消費税増税発言にたいして、そして社会保障推進会議での政府の誘い水的な現状説明について当ブログは言及し、社会保障を支えるには消費税しかないのか、問うてきた。
これら消費税増税をアピールする主張を、とりあえず消費税増税やむなし論とよぶことにすると、やむなし論はつぎの点で欺瞞にみちている。
第一にやむなしとは、他に方法、選択肢がなく、いわば不承不承に、望まざる選択肢をとる以外に道がないことを指すのだろうが、ほんとうにそうだろうか。
実は、そうではないというのが私の考えだ。その点を、法人税をあげよ。で詳しくふれた。
第二に消費税増税は、つまるところ一方での法人税減税、所得税のフラット化(累進性の緩和)とセットされていて、税制度「改革」が実施されてきた。これがこの間の経過だろう。
したがって、税をどこからとるのか、で鋭い(階級的)対立がここにある。
やむなし論は、ようするに自らの負担には一切ふれず、大衆的収奪の便法ともいえる消費税に、この一点に照準をあてている。
と考えると、私が最近ふれた鳩山氏や山口次郎氏の言説は、この本質的な対立とは異なる位置からあえて的をはずしている。現下の対立軸をむしろ国民にみえにくくし、論点をずらす役割を果たすのではないか。
なので鳩山、山口両氏の主張は、本格的な、国民的議論にとっていい影響を与えはしない。しかし、彼らもまた国民の視線は怖いはずだ。
したがって、つぎの報道にあるような対応も実際には現れうる。
民主、消費税率上げに慎重 経団連との会合で 民主党は4日、日本経団連との政策意見交換会で消費税率引き上げに関し、行政の無駄をなくすことが先決だとの考えを示した。経団連側が税制抜本改革が急務だと指摘したのに対し、藤井税調会長は「税制は政治そのもの。大衆増税をして法人減税だけ実施することには説明が必要だ」と強調。「無駄の多い特別会計の見直しをしないまま、消費税率を引き上げるのは国民の理解を得られない」と述べた。 |
いま、制度の枠組みの根本、制度設計上の思想をめぐって、国民の怒りが沸騰している後期高齢者医療制度だが、同じように、税体系をどのように考えるのか、社会保障が常にやり玉にあげられるが、それでは社会保障制度を支えるには消費税以外にはないのか、この根本でその態度を問う点でも、本格的に国民が選択する時期にさしかかっている。
だから、もちろん私は、先の医療制度と同様に、国会のなかでは民意を反映した野党の結束を期待したいのだが、一方で、消費税をめぐって一歩も譲れないという姿勢の政府と支配層の立場には、そうではなく、この間の税制「改革」を反転させ、元に戻せという立場をはっきりと対峙させるべきだと考えている。
その条件はあるし、少なくとも消費税を増税せず、かわりに法人税減税をやめ、所得税の累進性を高める方が、今日の日本の実情にはむしろマッチする。
消費税増税は、国民の懐をなお冷え込ませ、深刻な事態をもたらすにちがいない。
消費税増税を捨てよ。税制の抜本改革にはそれこそふさわしい。
(「世相を拾う」08097)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
【関連エントリー】
民主政治が危機なのか。
法人税をあげよ。
堀内光雄氏の怒り- 後期高齢者医療制度を撤回せよ。
自民党元総務会長の堀内光雄氏が『文藝春秋』6月号に「『後期高齢者』は死ねというのか」という論文を寄せている。
いうまでもなく、4月からスタートした後期高齢者医療制度に反対する内容で、後期高齢者という名で自らもくくられてしまった氏の激しい憤りが行間から伝わってくる。
たとえば、つぎの表現はきわめて抑制的なものだと思うが、しかし、この制度の対象となる多くの高齢者の声をきわめて正確に示したものだと思われる。
私を含めた75歳以上の人たちはもはや用済みとばかりに、国が率先して“姥捨て山”を作ったかのような印象を受ける。 |
半世紀以上にわたって国のために働き続けた年配者を、尊敬させるのではなく厄介者のように思わせるのではないかと危惧している。 |
ようは、自らが社会的に排除された状態を想像してみたらよい。自らの意思とはまったく無関係に、有無をいわさず別建ての制度に移された状態だ。そこに差別を感じるだろう。自分の居場所がないと思うだろう。
堀内氏の言葉にまつまでもなく、厄介者としての扱いだ。
新しいこの制度は、堀内氏が的確にのべているように、保険制度ではない。氏の言葉を借りれば、保険とは、「本来、国民全体が一定の拠出金を出し合って、事故や災害、病気などの際に補填する」ものだ。まさに、「リスクの高い人と低い人を一緒にして全体」とするから保険なのである。
だから、この後期高齢者医療制度は75歳以上の人のみをくくる制度だから、保険ではないということになる。
したがって、容易に想像できるのは、リスクの高い人だけの制度だから、財政的に成り立たせるにはベースの保険料も徐々に値上げすることになるというわけだ。
設計上の、以上のような根本にかかわる問題点をはらんで出発した。
怒りの大きさを前に政府与党は手直しを再三せざるをえなかった経過はこれをそのまま表した格好だ。「この制度自体がうまく回っていくかも疑問」という堀内氏は、いっぽうでこうのべている。
日本は国民皆保険という、世界に誇るすばらしい保険制度をもっているた。しかし、75歳以上の人たちを別の制度に入れてしまうのならば、これはもう国民皆保険ではない。 |
このとおりだ。
後期高齢者医療制度のはらむ問題は、制度設計がややまずかったという程度のものではなく、社会保障の視点をおよそ欠いた、財政的側面で人を扱うという根本の思想が問われるものだ。
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
ワタミの無法と横暴勝手
「和民」で賃金未払い 217人に1200万円支払う 「ワタミ」(東京)のグループ会社で、居酒屋「和民」などを全国展開する外食大手「ワタミフードサービス」(同)がアルバイト店員の勤務時間を一部切り捨てていたとして北大阪労働基準監督署の是正勧告を受け、217人に計約1200万円の未払い賃金を支払った。一方で元店員の20代の男性が「内部告発への報復で解雇された」として、同社に慰謝料など約450万円の損害賠償を求める訴訟を2日にも大阪地裁に起こす考えだ。 ワタミによると、ワタミフードサービスは大阪府北部2店でアルバイト店員の勤務時間を1分単位で記録せずに30分単位などで端数を切り捨て、賃金の一部が未払いだとして06年秋に勧告を受けた。同労基署管内のほかの4店でも同様の事態が判明。同社は60人に計約400万円を支給した。 |
渡辺美樹氏は、以前にこんなことを語っていて、当ブログで言及しました(渡;が渡辺氏)。
いいたい放題とでもいえましょうか。自説を誇らしげにのべる姿が目に浮かびます。
問;安倍晋三首相も免許更新制の導入などで問題を抱える教師に退場を迫る方針のようだ。 渡;研修を受ければ済むような更新制はだめ。問題教師をクビにするぐらいでないと。私が経営する学校では教師に成果主義に基づく賃金体系を導入し、生徒や保護者、教師同士が評価する仕組みにしている。評価の高い教師の給料を増やすなど、教育現場にも競争原理を働かせるべきだ。教師も失業と向かい合う必要がある。 問;学校の選別が進みそうだ。 渡;だめな教師が集まっている学校はつぶれてもいい。そんな先生に教わる子供への悪影響こそ考えるべきだ。私は異論の多いバウチャー(利用券)制度の導入も訴えたい。各学校が「うちならこういう能力を伸ばす」とアピールし、各人が行きたい学校を選ぶ。金メダルを取れる学校、出来が悪いとされる子供の能力を育てる学校などが登場するのでは。 問;理想の教育システムとは。 渡;日本の教育は大学に入るための勉強がすべて。しかも受験しない子供の学力は相当落ちている。「教育再生」を掲げるということは、首相も今の教育は死んでいるという前提に立っているrのだろう。厳しい意見をいってもよいとのことなので、再生会議では今までの流れを断ち切る改革に取り組みたい。 (日経新聞06年10月13日) 閑話休題 -10 教育再生会議によせる和民社長の「夢」 |
しかし、現実はどうでしょう。
高邁な教育論を語る渡辺氏ですが、自らの会社の管理では、どうなのでしょう。
トヨタの労務管理の無法ぶりが法によって裁かれ、そして「名ばかり管理職」の実態が方々で告発され、この国の労働者酷使、無法な労務管理のあり方がいま問われています。だから、カムチャツカの厳しい気候をそのまま想像させるような労働現場、つまり1920年当時の貧しい労働者の生活実態を描いた『蟹工船』が人をひきつけるのでしょう。あまりにも、俺たちと似ている、べらぼうに安い賃金で働かされる当時の彼たちは、まさに今日の俺とおまえじゃないかというわけです。
だとすれば、ワタミの労働者の扱いぶりは、たとえると1920年代並みの無法のかぎりを尽くした結果だということになるでしょう。
上の記事でも露骨に渡辺氏はのべています。教師に成果主義に基づく賃金体系を導入すると。
成果主義賃金の是非はここで措くにしても、今ワタミで採用している賃金体系は少なくとも労働基準法に則ったものであるはずです。いや則ったものでなければなりません。
「勤務時間を一部切り捨てていた」、つまりただ働きの実態を労働基準法が目をつぶるわけがありません。
法にそむいていたのは、ほかならぬ渡辺美樹氏です。
私は、先にあげたエントリーでつぎのようにいわば揶揄的にふれました。
和民ではどんな労務管理がおこなわれているか。そして、郁文館とはどんな学校なのか、とても興味がわいてきた。さぞかし、円滑な労務管理が展開され、また、夢のような、理想的な教育がおこなわれているにちがいない。逆に、その対極にある企業社会と教育がそこにはある可能性もないわけではない。 渡辺美樹は、和民をふくむワタミ株式会社の創業者及びCEO。また、郁文館の理事長。ちなみに郁文館は学校法人郁文館夢学園が正式な名称。 |
あとで読み返してみると、今回の事態を暗示しているかのようで、むしろ気持ちが悪いほどです。
誇らしげに自らの「成功」を自ら持ち上げ、ほとんど独りよがりだとしか私には思えない渡辺氏ですが、その彼が居丈高にのべる「教育論」と、実際の経営者としての悪人ぶりの二面性。この二面性は乖離しているようで、実は内面で通じている。それは、他人を徹底して踏み台にして、自らがかけあがろうという自己中心主義です。氏のいう競争原理などという概念も、そのいいかえにすぎません。
そして、外見、紳士然としながら、傲岸不遜な態度を同時に私はみるのです。
ワタミの従業員のみなさん、いや労働者のみなさん、いまこそ団結すべきときでしょう。
泣き寝入りはいけません。自らのために、そして同じ立場の労働者のために-それは巡り巡って自らのためということでもありますが-、声をあげるべきでしょう。
「名ばかり管理職」という言葉が知られるようになってきたのも、最初は一人の行動からでした。おそらく今回の訴訟にたちあがった20代男性もこうした流れに励まされ、たちあがったのでしょう。
立て、万国の労働者諸君!!
(「世相を拾う」08096)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
民主政治が危機なのか。
山口二郎氏のブログから。
08年5月:いかなる意味の「民主政治の危機」か |
氏は、日本の民主政治の危機を語っている。
この場合の危機とは、つぎの2点に尽くされている。
私が考える政治危機の第一の意味は、いわば新聞の政治面と家庭面の乖離である。 |
民主政治の危機の第二の意味は、より根本的な政治や社会のルールに関する問題である。 |
つまるところ氏のいう第一の危機とは、人権というものが国民のさまざまな生活面で侵食されていることを指している。それを受け止めるべき政治の責任に氏は言及しているといえないわけでもない。氏の矛先はもちろん政府与党に向けられているが、それだけではない。
誰でもわかるように、参院選で大幅に議席を伸ばした民主党は、格差是正、生活重視をアピールした。山口氏もこれに期待をよせた一人であることはまちがいない。
その彼が、民主党も断罪している。つまり、こうだ。
同じ注文は、民主党の方により強く向けられるべきである。生活第一というスローガンで国民の期待を集めたまではよいが、通常国会の議論では、その中身がさっぱり具体化していない。 |
けれど、「ネットカフェ難民をなくすためにいくら、働く女性すべてに保育サービスを提供するためにいくらといった具合に具体的な政策の予算を積み上げていき、従来の他の支出からのシフトを計算し、その上でこれだけ足りないから国民の負担増を求める」ということを民主党がやっていないから、具体化していないわけではないだろう。
問題なのは、「従来の他の支出からのシフト」や「国民の負担増を求める」際の同党のスタンスがそうさせないのではないか。つまり、これまでの自民党の政策スタンスと差異はなく、新味のないものしか想定しえないということに尽きるのではないか。民主党の射程とはせいぜいそんなものだ。
現に、以上のように指摘する山口氏には、つぎのような主張が文章のなかにちりばめられている。
たとえば、
年金への国庫負担増のための財源をどうするかは差し迫った課題 |
国民が増税を受け容れることによって、人々が苦しんでいる医療や雇用の問題がどの程度改善されるされるのか、具体的な展望を示す |
という具合に。ようは、消費税増税を既定のものとしてとらえているわけだ。
これらの認識はもちろん氏のものであるが、民主党の認識とちがうところはない。すなわち、例にあげた2つの論点はまた、自民党と民主党を峻別できるような論点ではない。
以前に気脈を通じるという言葉を使って、ほとんど両党が同じ地点にたっていることをのべた。
この現実こそ、まさに山口氏のいう「民主政治の危機」を表現しているのではないか。
両党に根本的なちがいが見出せないということ、ようするに長年の自民党政治からの脱却を民主党もまた、もともと想定などしていないからだ。だからこそ、同じ立場に立つ氏にも、参院選後の政治を、国民が着実に動かし、自民党政治を追い込んでいきつつある事実は視野にまったく入らない(*1)。
「危機」にたち至っているとすれば、その自民党政治なのである。
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
*1;たとえば薬害肝炎訴訟、後期高齢者医療制度の再三にわたる制度設計上の修正など。
【関連エントリー】
「新党」や再編には期待できない。
立ちすくむのは、自民党と民主党。
山口二郎氏へ。税のあり方から今をみつめよ。
法人税をあげよ。
医療費財源、たばこ増税も=民主・鳩山氏 民主党の鳩山由紀夫幹事長は31日午後、横浜市で街頭演説し、高齢化で増加する医療費の財源対策について「例えばたばこの税金を増やして、その分で高齢者の保険料を高くしないよう、消費税をたやすく上げる前に考えていく必要がある」と述べ、たばこ税の引き上げなどを検討すべきだとの考えを示した。 |
政府や財界などが、年金を支えていくためには消費税以外にもはやその財源がないかのようにのべている。
鳩山氏の発言はこれに呼応したもの。だが、正直なところ視点がずれている。
「消費税をたやすく上げる前に考えていく必要がある」というのはよいとして、問題はその先だ。たばこという嗜好に着眼して、それに課税するものがたばこ税だろうけれど、少なくとも低所得者はたばこを吸わず、高額所得者は吸うものと区分することはできない。その逆の、低所得者は吸って、高額所得者は吸わないと結論づけることもまたできない。ようは吸うか、吸わないかで税を負担する、しないが分かれるにすぎない。
消費税増税が声高にさけばれるのは、広く税源を確保できるからというだけでなく、税負担を免れようという明確な意思がそこに働いていることを見逃してはならない。
鳩山氏の発言はこの点で、まったく的をはずしたものとなっている。
消費税は逆進的だといわれる。消費する時点で勤労所得に根こそぎ課税するものである。その一方で、消費されない資本所得(利潤、利子、配当など)にはまったく課税しないというものでもある。
この一点だけで、高額所得者が負担ぜずに、庶民、さらにいえば低所得者ほど、負担割合が高くなるという不公平が浮かび上がる。なぜなら、高額所得者のこれらの資本所得は、その大部分は消費に回らずに金融資産として投資されて新たな資本所得を生み、しだいに累積して遺産として相続されていくからだ。利潤、利子、配当を考え、それで暮らすことなど、低所得者には無縁だからだ。
消費税を考える前にやるべきこと、それは法人税を引き上げること、そして所得税の累進性を高めることだ。
法人税を例にとると、政府はこの間、法人税率を下げてきたが、それを10年前に戻せば、数兆円の財源を生み出すことができる(*1)。
私は、中小の企業もふくめて法人税率を一律に引き上げるべきだとは考えない。所得に応じた段階的税率をとれば、中、小の企業の負担軽減はいくらでも図ることができる。仮に、企業の税率を国税・地方税とも10年前の水準に戻したとすれば、資本金10億円以上の大企業だけで4兆円ともいわれている。
法人税についても、負担能力に応じて負担を求めることが必要だ。
鳩山氏の発言は、分かりやすくいえば、税の不公平をただそうとしたものではないということだ。
(「世相を拾う」08095)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
*1;10億円以上の資本金を持つ大企業が5年連続で増益、4年連続で過去最高益を更新しています。昨年度の経常利益は、バブル期の最高益の1.7倍にも達するほどなのです。
【関連エントリー】
全額税方式という欺瞞
消費税を考える
次ページ » |