森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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To err is human;安全とは何か、ミンチ偽装…
ワンマン社長「混ぜれば逆にうまくなる」 ミンチ偽装(朝日新聞6・25) - goo ニュース
「雲の上の人だから、何も反対できなかった」。ミートホープ社の工場長は、田中稔社長についてこう語った。創業社長のワンマン体制で、様々な偽装に手を出したミート社。その「錬金術」の解明に、道警が乗り出した。
ミート社の元役員らによると、幹部社員らが数年前、田中社長から肉の塊を食べさせられ、「何の肉か分かるか」と尋ねられたという。豚や鶏など様々な肉を混ぜて最後に牛脂を入れ込んだ肉だった。牛肉の味しかせず、素材を言い当てた社員はいなかった。田中社長は満面の笑みで「混ぜてしまえば逆にうまくなる」「発想力だよ、発想力」と言ったという。
そんな田中社長は、問題発覚後、言を左右にして事実や関与をなかなか認めなかった。自らの指示を認めたのは、4回目の会見。「本当のことを話して下さい。お願いします」。そばにいた長男の取締役に促されて、初めて「指示した」と認めた。
確かにテレビを観ていると、そんな雰囲気はうかがえるものでした。
この見方にそって考えると、事業者のモラル・ハザードということになるでしょうか。この際、では行政はそれを放置してきたのではないか、こんな疑問も沸いてくるのです。
高度成長期をふくめて消費者側からすれば幾多の消費者被害にみまわれ、その被害の根絶と消費者利益をどうやって擁護していくのかが課題となってきました。消費者保護基本法もこんな中で制定されてきたいきさつがあると理解するわけです。
しかし、BSE汚染牛やO157、雪印の食中毒事件、食品偽装表示、三菱自動車リコール隠しなど、生命や健康にかかわる多種多様な重大被害がその後も続発しています。
To err is human。これを前提にして考えないとならないのではないでしょうか。ようするに、過ちは世の常、人は過ちを犯すのです。今回のミンチ偽装の場合、社長の言葉が報道どおりだとすれば偽装を当然とみる「確信犯」ともいえるものでしょう。
これを決して弁護しようと思いませんが、事業者の安全管理責任をあいまいにしたまま放置する行政の責任はやはり厳しく問われる必要があると思うのです。
そして、事業者のモラル・ハザードに一因があるとすればなおさら、たとえば農業や食品の分野で規制緩和を推進するという今日の施策は、それを逆に後押し、アクセルを踏むものだと私には思えてなりません。
過ちは世の常といいました。人の安全にかかわる大事故や事件が起こるたびに「安全神話」について、繰り返し語られてきました。
医療行為は、この意味では人の安全に最も深くかかわるものでしょう。そして医療もまた、リスクをともなう。本来、不確実なものだと私は思います。
しかし、私たちの社会は医療にたいして過剰な期待を抱いているのではないでしょうか。だから、その期待が裏切られ、「神話」が崩れると、往々にして私たちは攻撃的になるのではないかと思うのです。
私たちは、医学は万能で、適切な治療を受ければ、死を免れる、医療にはリスクはあってはならず安全でないといけないと考えがちです。
おそらく、これは医師の考え方と異なるでしょう。
いま医療倫理の大事な考え方としてインフォームド・コンセントがありますが、患者と医師の考え方の違いをうめていく接点となるものだと考えるのです。
医療の現場からすれば、事故を防止するために、さまざまな安全対策をやっています。しかし、それでも事故は起こる。発生を高める最も大きな要因は、現場の多忙な実態でしょう。それを少しでもあらためるには医師をはじめ医療従事者の体制を厚くすることです。
医療の安全の点では、その責任が政府・厚労省にあるといえるのです。
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『悪魔の詩』事件、今だ覚めず;ラシュディ氏に懸賞金

パキスタンの英字紙デイリー・タイムズは23日付で、同国の有力モスク(イスラム教礼拝所)運営団体が、小説「悪魔の詩(うた)」の著者として知られるサルマン・ラシュディ氏の「首」に100万ドル(約1億2400万円)の懸賞金をかけたと報じた。
英政府は今月16日、「文学への貢献」を理由にラシュディ氏への爵位授与を発表し、イスラム諸国で反発が広がっていた。
懸賞金をかけたのは、北部ペシャワルのモハバート・カーン・モスク。運営団体トップのクレシ師は「ラシュディ殺害はイスラム教徒の義務だ」とした上で、「英政府が爵位を与えるなら、我々は(国際テロ組織アル・カーイダ指導者の)ウサマ・ビンラーデンにカリフ(イスラム国家の最高権威者)の称号を与える」とも語った。
この記事にあるように、ラシュディ氏にこのたび懸賞金が懸けられるハメになったのは、英政府が爵位を彼に与えるという知らせです。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/world/20070619i202-yol.html?fr=rk
たとえば、イスラム諸国は、
イラン外務省のホセイニ報道官は17日、「イスラム社会で憎悪の対象になっている人物への叙勲は、英国政府高官のイスラム敵視の姿勢を明確に示す一例だ」と激しく非難。18日には、政府系団体「文化イスラム普及機構」が爵位授与に抗議するよう国際社会に呼びかける声明を出した
のです。
ラシュディ氏の『悪魔の詩』が、イスラム教を冒涜するものとして指弾され、当時のイスラム教シーア派の最高指導者であったホメイニが宗教的見解・ファトワー(fatwa)によって、著者のラシュディおよび発行に関与したものにたいする死刑宣告をいい渡したのはご存知だと思います(1989年2月14日)。
英政府が同氏の文学的な実績をもとに爵位授与を判断したことは明らかでしょうし、それ以外の何らかの理由があったのかどうかは私には定かではありません。しかし、パキスタンのモスク運営団体の措置は、以前、イスラム諸国と西欧との確執、つまり双方が自ら「何かであること」、ようするに西欧的なものとイスラム的なものへのそれぞれの執着を表明していることにほかなりません。
以前に、『悪魔の詩』翻訳者殺害事件の時効が成立した際、エントリー;『悪魔の詩』翻訳者殺害事件の時効成立を公開しました。
『悪魔の詩』事件は日本でも犠牲者を生んだ。
その後、デンマークの『ユランズ・ポステン』(Jyllands‐Posten)紙が2005年9月30日の紙面にムハンマドの風刺画を掲載したことに端を発して、世界悪地で騒動が起こったのもみなさんはご承知かもしれません。
その時に、つぎのように私はのべました。
寛容と相互批判は、お互いが、お互いの「何かであること」を同時に措定してはじめて成立する。そして、「何かであること」を措定して、それを保持しておかなければならない。自己と他者が存在するだけでなく、対峙・対立しておかなくては寛容も相互批判もありえない。自己と他者が外的に対立することは、別の言葉でいえば、実際には普遍化しきれない、互いに独自の「普遍思想」をかかげることにほかならず、他者を自己に組み込もうとする意思を内在していることを示す。
自己と他者を共通に囲う真の普遍性、<普遍性>があるとすれば、それは、お互いが「何かであること」を根本から否定しなければならないのでないか。つまり、アイデンティティ、「何か」を主張することをやめることだ。このことによってのみ、われわれは解決の糸口にはじめて足を踏み入れることが可能だろう。
だが、こう記したものの、今回の懸賞金付与は、この普遍性追求のむずかしさをあらためて示したものでもあるでしょう。
互いが互いの価値観を尊重するには、一端、自らの「何かであること」を根本から否定しなければ成立しないのです。

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バンドワゴン;勝ち馬に乗る!?
- 支持層を固める
- 他党支持層の支持を奪う
- 「支持なし」層の支持を得る
以上のいずれも満たせば、前進は固いでしょうし、いずれかの要素だけでも、相手があることですから勝てないわけではないでしょう。
「支持なし」層とよびました。特定の政党を支持していない層。しばしば無党派層とよばれます。特定の支持政党を決めないのは日本的特徴だとする論調もあるようです。
近年、メディアでは無党派層とよぶことの多いこの層が拡大したといわれてきました。この拡大の要因を今さら、あれこれいってもはじまらない気がするのですが、従来の団体や労組の「衰退」あるいは帰属意識の衰退にもよるのでしょう。
一方で、既存の政党に飽き足らず、特定の政党を支持しない人もいる。とくに主義主張もなく、支持なしと考えている人を消極的支持層あるいは柔らかい支持なし層だとすれば、これは、積極的支持なし層、あるいは硬い支持なし層といえるかもしれません。
「支持なし」層が、世論調査の結果、いずれの政党より高い分布を占めているとなると、いきおいこの層獲得に選挙戦術上も向かっていくのも当然でしょう。
この「支持なし」層については、こんな分析もかつてありました(ここ)。余りにも9・11選挙のショックが大きくて、03年選挙はどうしてもかすむわけですが、民主党が前進した選挙でもありました。いずれにせよ、「支持なし」層は動くのです。加えて、はたして階層としてとらえられるのかという疑問もわいてくる。
バンドワゴン(bandwagon)。バンドワゴン効果ともいわれています。
あることが世の中の趨勢であるかのように情報を流し、あるいは宣伝して、同調しないと取り残されるかのような不安感を抱かせる効果を指します。
これを投票行動に置き換えれば、特定の政党や候補者を支持していない人は、どうせ投票するなら勝ち馬に乗ろうという心理が働く。バンドワゴン効果の影響を受けやすいといえる。
権力とメディアがつくりだす状況から抜け出すには、妙案が特別あるわけではないでしょう。まあ、しようがないと、ほどほどにという思考停止をまず止めることでしょうか。
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非寛容の世界;日本は排除型社会か
このゼロ・トレランスと同じものだと断定することには異論もあるでしょうが、日本政府のとる施策、提出する法案に相通じる思想性をしばしば感じないわけでもありません。
ゼロ・トレランス(zero tolerance)とは、微に入り細に入り規則を決め、それに反する場合は罰則をもうけ取りしまる教育方針だといってよいでしょう。不寛容主義ともいわれており、その対極には放任主義があるのでしょう。
『排除型社会』を著したジョック・ヤングは、ゼロ・トレランスを志向する心性をつぎのようにまとめています。
- 犯罪や逸脱にたいする寛容度の低下
- 目的達成のために懲罰を利用し、過激な手段を用いることも辞さない
- 礼儀や秩序、市民道徳の水準を、知られうるかぎりの過去まで戻す
- 市民道徳に反する行為と犯罪が連続したものとみなされ、「生活の質」を維持するための規則を破ることは、重大な犯罪とつながっているとみなされる
- 市民道徳に反する行為と犯罪は関係があり、市民道徳に反する行為を監視しておかなければ、さまざまな形で犯罪が増加すると信じられている
- そうした考えを広げるために、同じテキストが何度も繰り返し言及される。それは、1982年の『アトランティック・マンスリー』誌に掲載され、もはや古典として知られるようになった、ウィルソンとケリングによる「割れ窓(Broken Window)」という論文である
ヤングは犯罪学者なので、この6つの要素をそのまま他にあてはめるのは危険なのかもしれません。が、一つひとつをみてみると、先にのべた法案にも、日々起こる今日の社会的事象にもよくはてはまるように思えるのです。
社会が非寛容を許している。まさに全体からの特定の部分の排除です。
注目したいのは、ヤングは非寛容の背景に、失業者の増大、コミュニティの崩壊、伝統的な家族の解体、社会病理の拡大などをあげていることです。ヤングの言葉を借りれば、社会の衰退ということです。
たとえば、山口県光市の母子殺害事件では、高裁までの無期懲役という判決にたいする不満の声は決して少なくはありませんでした。そして最近、この事件に関して弁護士の懲戒請求の「運動化」が伝えられています。ここにも、通底するものを私は感じるのです。こうした風潮を、たとえば被害者保護の意識の発展とみることができないわけではないかもしれません。
けれど私は、先に非寛容を社会が許していると記しましたが、犯罪にかぎらず、勝ち組・負け組という言葉に象徴される思考にも、そしてニートやフリーターにたいするまなざしにも、同じような非寛容を感じるのです。
非寛容を熱望する声は一定の広がりをもっているように思えるのです。別の言葉でいえば、排除が広がっている。日本もまた排除型社会といえるのではないでしょうか。
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【関連エントリー】
分裂する「おれたちとあいつら」社会の統合
ネットカフェ難民という彷徨える者
ネットカフェ難民とはネットカフェで寝泊りをすることをさす言葉ですが、こんな実態が全国的にあちこちでみられ、いまや違和感なく受け止められるような気がしてなりません。
難民、そして最近では棄民という言葉も新聞紙上をにぎわすようになってきました。そして先日、NHKが特集を組みました(クローズアップ現代「街をさまよう若者たち ~新しい形のホームレス~」)。
こうしてクローズアップされるのも、所得の格差にみられるような、今日の日本社会の見過ごすことのできない一面をそれが端的に照らしているからでしょう。
居場所がなくなり、ネットカフェで「暮らす」若者。
いくつか教えることがありそうです。
いうまでもなく一つは、青年のなかに貧困が広がっているということです。
5月、青年の雇用を求める全国規模の集会が開かれましたが、その集会にむけてネットカフェ難民に焦点をあてたアンケートが集約されました。
私は福岡に住んでいるので、福岡の24歳の青年から寄せられたアンケートに寄せられた意見を紹介します。(のちに『賃金と社会保障』1442号で紹介されました)
1年半まで2年間、大学に通いながらネットカフェ暮らしをしていた。友達と同居していたが、個人的な理由で家を出ることになり、住むところがなく、とりあえずネットカフェに泊まったのがきっかけ。
深夜3時までセブンイレブンでバイトをして、ネットカフェで10時まで仮眠をとって大学へ行く生活を続けた。月11~12万円の収入でお金がないときは野外で寝ることもあった。ネットカフェは閉ざされた空間なので、人と関わるという気持ちがなくなってしまい、抜け出せなかった。いつもお金のことばかりが不
安で、生きていくだけで精一杯だったと思う。39度に熱を出したときは、布団で寝られないし、バイトを休んだらお金がなくなるので休めないし、本当に不安だった。そのときは、心の底から世の中を恨む気持ちになったし、「悲惨」という言葉では言いあらわせないほどつらかった。
明らかに外からの予期せぬ条件の変化によって、普通の青年がだれでもネットカフェ難民になりかねないことを示しています。
2つ目は、「非人間的な働きかた」がそこにあるということです。スーツを着た青年が宿泊しているということが調査で寄せられたそうです。上の青年も、仕事をし、ネットカフェに泊まり、そこから大学に行く生活でした。ひと昔前でも働いて大学にかよう苦学生はいたのでしょうし、私も貧乏学生だったと思うのですが、それでも下宿し、家庭教師でいくらの収入を得て、奨学金があればそれで何とか生活は成り立ったものでした。だから、私は勉学が学生の本分だと思うわけですが、この面でも学生はその条件する与えられていないということがいえるのではないでしょうか。

青年の貧困を解決するためには、やはり正規雇用をふやすことでしょう。正社員を大幅に減らし非正規雇用をふやしつづけた雇用環境を改めない限り、青年の雇用問題、貧困は解決しないように思うわけです。
青年向けの就業支援など、政府や行政の今すぐにでもやるべき仕事はたくさんあるのではないでしょうか。
放置すれば、NHKのいう「新しい形のホームレス」がいつでも本来のホームレスになりかねない事態に今、日本はあるということです。
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ネットカフェ難民;社会の縮図としてネットカフェ
タクシードライバー;弱者への転落
タクシードライバーの給料が月額手取り20万円という人なんて、聞いたことがありません。多くは10万円台前半。先日もタクシー業界の労働組合の人と話す機会がありましたが、少なくとも私の知る限りそうです。
タクシー労働者と男子常用労働者の労働条件比較(2004年)
ケーススタディにたまに顔を出すのですが、ここで紹介するのは、そこで検討されたケースの一つです。
Zさんは2カ月前にある病院にかかり、肺がんと診断されました。当然、入院が必要なのですが、仕事しないでは食っていけない。Zさんは、入院なんかできなくて、そのままタクシーの運転をつづけていました。
その後も病院から強く入院を勧められたZさん。2週間近く入院したが、医療費の問題がつきまといます。いったん退院し、会社に病気のことを伝えると、今度は退職を勧告された。住んでいた寮も追い出されました。
退職金なし。所持金はまったくありませんでした。たちまち食べるのに困りました。親族とも疎遠で、離婚し家族とも行き来のなかった彼が選んだのは路上生活者でした。
しかし、一週間で症状悪化。再び、入院となりました。
報告者はこのケースに以下の考察を加えて報告をまとめています。
- 国の規制緩和によるタクシー台数と乗客数減少による収入の低下
- 10年間で約100万円の収入減。他産業との格差が拡大した。タクシー労働者の8割が生活苦と答えたアンケートもある。
- 病気にかかるなどが、ホームレスになる引き金になる。
これは、日本社会のほんの一面を伝えるものでしかありません。が、決して特殊なケースでもないでしょう。この例のような事態がおそらくごろごろところがっていると思えてならないのです。なぜなら、この業界の人びとの多くが、アンケートにも示されるような意識を現にもっています。この業界は、ワーキングプアをかかえ、そしてその予備軍も多いのです。
先日、T大学学生らが酔って、ホームレスの住処を襲撃し、火をつけ、追い回したことがメディアによって報じられました。
女子学生もこの中にふくまれていたためセンセーショナルに取り上げられた気がしないでもないですが、しかし、この事象は、確実に私たちの日本社会が分裂していることを示しているようです。
分裂とは、いわゆる弱肉強食の世界のいいかえです。襲った彼らは自分たちを強者に置き換えているのです。それは自らの「弱者への転落」の可能性も認めなければ生きていけない社会のはずなのですが、それすら気づかぬ学生たちはある意味で最も哀れなのかもしれません。
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フィルタリングの罠
たとえば、ブログ間のやりとりがうまくいかないケースがたびたびあるようで、いろんなブログをうかがいますと、その旨、お断りの一文を掲載したものをしばしば見受けます。google八分という「概念」もブログをはじめて、そうなのかなと実感するようになりました。
#1
特定のイデオロギーや思想、あるいはその表現にたいして、従来はある種の機制が働いていました。歴史をさかのぼれば、日本では90年代、80年代から敗戦後あるいは戦前と、数えきれないほどの大小の思想差別がおこなわれ、これをめぐって裁判もおこなわれてきました。また表現の自由をめぐってたびたび法廷で争われました。ここで問われたものを、仮に権力による古典的排除とよぶとしましょう。
今日では、この古典的排除というとらえ方ではおさまらない排除があるという考え方があるようです(*)。それをここでは現代的排除とよぶことにします。
つまり、今日では、われわれが内面的にどのような思想、イデオロギーを持とうと許される、他人の安全や生活に直接踏み込み侵害しない限り、よほどのことがないと、たとえばしょっぴかれることなどないというわけです。たしかにそんな一面もある(私は依然として権力による古典的排除は存在すると思います)。
#2
先の「お断りの一文」は新しい排除にかかわっています。直裁にいえば、今日の権力による管理の方法の一つがゾーニング。1つの因子で、たとえば資格、成人IDをもつか否かでアクセスが許可されたり、拒否されるケースを思い浮かべてください。排除が規範とか、なんらかの価値をともなわないで、技術的根拠にもとづいておこなわれる。○○○カード、自動改札なども敷衍すれば同じことでしょう。
しかし、これは特定のサイトにアクセスできないときに私たちは排除されたと自覚することはできる。だから、この面で古典的排除にも近いといえるでしょう。
現代の権力は、フィルタリングという手法ももちいる。狡猾です。
サイトごとに得点を配分し、ユーザーが要求する得点のサイトのみを配信するというものです。これだと、排除されているという意識をもたない。逆に許容されていると考えるのが普通かもしれません。私たちにとって、権力がみえないのです。まさに自覚していないところで排除ははじまっていると考えなければなりません。
#3
この極致は何か。あなたが自身でフィルタリングすることです。
たとえば、ある情報だけ配信してほしいのでフィルタリングする場合。自分が行為を選択する。しかし、これもまた、本来選ぶことのできた選択肢をあらかじめ排除したといえないでしょうか。そこに権力が作用していないのかどうか、ここに権力が介在しているという考え方もある。ようするに外圧が知らず知らずのうちに私たちに選択させるのです。
このように考えていくと、たとえば情報やモノ、商品を自分で選ぶのではなく、自分の好みそうな選択肢を揃えるところに集中する。まさにここに権力が働いているといえなくもないでしょう。
#4
考えるのは、情報の世界でのこうした権力の「介入」のシステムが政治の世界でも形をかえてとられているということです。情報のフィルタリングを選挙制度と政党選択に置き換えて考えてもみるのです。
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*たとえば東浩紀
ワタミ参入で解決する??;コムスン不正問題
介護サービスを市場にまかせれば競争原理が働きサービスの質が向上するという政府のうたい文句は見事に打ち消されたといえるでしょう。まさに、社会保障分野に規制緩和と民間活力を導入するという新自由主義路線が破綻したといえそうです。
利用者には、国と自治体の責任で安心して介護が受け続けられるようにしなければなりません。
厚労省はコムスンを処分しましたが、それでは代替案を同省がもっているかといえば、そうではありません。政府の「無策」の片方では、受け皿となろうと意思表明をする企業がいくつか出てきました。
その一つワタミの渡邉美樹氏は、日曜日でしたかメディアに登場し、施設介護を引き受けてもいい旨をのべました。
グッドウィル、介護事業から撤退へ コムスン不正問題(朝日新聞6・11)
すでにワタミは「ワタミの介護株式会社」として介護事業を展開しており、コムスンの「撤退」を逆手にとって、新たな事業拡大をおこなおうというものでしょう。同社のホームページによれば、これまで27の有料老人ホームを開設、運営しています。有料ですから、入居するにはお金が必要です。料金表には1300万円というメニューもあり、最低でも350万円かかる。
コムスンの利益至上主義は各方面から指摘されています。グループの領袖・折口氏の思考は、介護分野をまさに自らの利潤追求のための市場とみなし、店舗展開し、一方ではヘルパーに過酷な労働条件をおしつけるものでした。事業が芳しくなくなると、店舗閉鎖を一挙におこなう始末でした。利用者の視点がコムスン経営から欠落していたことを強く指摘しないといけないでしょう。社会保障とは、それを受ける権利をもつ人の立場を第一に考えるところからはじまるのではないでしょうか。
政府はこの際、介護サービスを営利企業に依存する体質を抜本的に改める必要があります。なにより不正を働く企業のための介護事業であってはならないはずです。営利を追い求めるのが企業であるのならば、コムスンが教えてくれるように、介護事業は企業では担えないのです。
病院から地域、家庭へという考え方は必ずしもまちがっているとは私は思いません。けれど、「構造改革」のもとで地域の営業がなりたたなくなり、地方から人口が流出し、高齢化し、地域の介護力は極端に落ちているのが現状です。医療にしても病院を出た患者を地域で引き受けられる状況にはない。八方ふさがりの事態です。
地域や家庭を疲弊させたまま、介護を地域にゆだね、市場とする考えをただちにあらためるべきではないでしょうか。ワタミ・渡邉氏の思惑がどこにあるのかは定かではありませんが、コムスンの二の舞であってはなりません。だが、その保障は今のところまったくないといっても過言ではないようです。
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年金問題;被害者救済と国民の不安解消を急ぐべき
年金支給 是非判断する第三者委、総務省の各地方窓口に(朝日新聞電子版6・9)
政府は8日、年金の保険料を払った証拠が本人にも社会保険庁にもない場合に年金支給の是非を判断する第三者委員会を全都道府県にある総務省の行政相談窓口ごとに設置する方針を決めた。全体を統括する組織も総務省に置き、月内にも第1回会合を開く。
弁護士や社会保険労務士などでつくる第三者委員会について塩崎官房長官は、年金のずさんな管理を露呈している社保庁以外の組織に置くべきだと語っていた。公正・中立な立場で国の行政に対する国民の苦情や要望を受け付けるノウハウを持つ各地の行政相談窓口を活用することにした。
一方、柳沢厚生労働相は8日の衆院厚生労働委員会で「(本人の説明が)第三者委員会の委員を納得させる、説得力のある話」であれば、証拠がなくても保険料の納付の事実を認める場合が「全くないとは言わない」と語った 。
塩崎氏が語っていることから分かるように、年金問題での政府の責任のがれは一貫しているようです。
あたかも社会保険庁が政府と無関係といわんばかり、他人事のようなの口ぶりです。これが企業であれば、重大な組織事故として扱われ、全社をあげ原因究明にあたり、体制をとり、事故防止策と再発防止策の確立のために全力をあげるでしょう。そうでないと社会的信用をなくすからです。
「社会保険庁の責任は重大」といったのは安倍首相。自らの責任を認めようとしませんでした。後に柳澤厚労省は追及され政府に責任があると答弁しましたが。それでも塩崎氏の発言にあるとおりの態度です。
失笑するのは、自民、民主の両党が責任をなすりあう姿です。被害者と不安を抱く国民そっちのけの姿勢はどうみても批判されてしかるべきではないでしょうか。歴代の政府と厚労相の責任は免れないでしょう。
一方で、両党は社会保険庁解体では一致をしているのですから、おかしなものです。民主党は、社保庁解体、国税庁と合体させ、歳入庁をつくる法案をすでに提出しています。
これだけ大問題になっているのに監督庁を解体させること自体、最大の責任のがれかもしれません。6分割するわけですから、直接の責任の所在はまったくみえなくなってきます。
政府は、プログラム作成会社の「言質」もとって、消えた年金記録の照合を1年ですませるといっていますが、確証はありません。
年金支給は、希望する、あるいは申請の意思のある人はすべて受け入れるという姿勢が貫かれるべきです。政府が本人に年金記録を開示すべきでしょう。
受給資格の有無を示す証拠を提示すべきは政府だと思うのですが。

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「僕はパパを殺すことに決めた」;新しい学歴社会の果て
奈良県田原本町の医師宅で昨年6月、妻子3人が焼死した放火事件を巡り、殺人などの非行事実で中等少年院送致となった元私立高校1年の長男の供述調書を引用したとする本が出版された問題で、奈良家裁は5日、「非公開とされている少年審判に対する信頼を著しく損ない、関係者に多大な苦痛を与えかねない」として、著者と出版元の講談社に抗議文を郵送した。
この本は、フリージャーナリストの草薙厚子さんが執筆し、先月出版された「僕はパパを殺すことに決めた」。
講談社学芸図書出版部の話「事件の背景には虐待とも呼ぶべき勉強の強制や過熱する受験戦争があり、特殊事例として片づけられるものではなく、読者に真相を伝えるべきだと判断しました。
メディアが常に猟奇的な犯罪や事件に関心をよせるのは世の常なのでしょう。それにしても最近のメディアのとりあげかたは異様な感じさえします。
奈良県のこの事件も、しつこいほど取り上げられました。
この過剰な関心はどこからくるのか。
すでにデータをもとに論じられていますが、冷静にみると、青少年の犯罪件数は減っている。世界的にみても日本の青少年の犯罪は少ないといわれています。
私たちが平たく安全を脅かされているのではなく、今の社会のもつ一つの特徴にその要因があるのではないでしょうか。家裁の訴えは措くとして、この限りでは、講談社のコメントはうなずけるものもあります。
こんな犯罪の多くは、たとえば上記にあるような家族という閉じた関係のなかで生起するものでしょう。上の例でいえば、パパを殺そうと思った僕は、日ごろの父親からの過剰な「指導」をいつのまにかストレスに感じることになった。彼にとっては、どうしようもない閉塞感をそこに感じとり、彼の頭のなかには選ぶべき手段はほかになかったのでしょう。
尾木直樹氏の講演を聞く機会を得ました。
新しい形の学歴社会がはじまり、父親の少なくない部分が自らの子どものための受験競争のなかに組み込まれている姿を語っていました。パパのための受験雑誌の相次ぐ刊行。端的にこの事象に表れているように、子どもたちはもちろん、ここでは父親までが分断されているのです。この教育の現状に、尾木氏は格差社会をみたのでした。
この文脈で奈良の事件をふりかえるならば、この父親はまさに尾木氏の指摘する父親像でしょう。そして、そんな父親たちの多くが思うのは「下流だけにはしたくない」という思いだというのです。
これが知らず知らずのうちに格差社会を支えているといえなくもありません。
子どもたちのどうしようもない格差社会への「反乱」。
社会的な不安感をどんどん煽られ、過剰に反応する。それが視聴率を上げ、犯罪報道があふれる。この関係を断ち切ることも必要ではないでしょうか。
広がる格差感 -世帯所得は10年間で最低に
景気は回復したといわれながら、「必ずしも国民全体がそれを実感できず、正規社員か否かで、格差は今後も広がると見ている人が多かった」と読売記事は指摘しています。
一方、厚生省が発表した06年国民生活基礎調査でも、家計の苦しさを国民が実感していることを如実に示す結果になったのではないでしょうか。
同調査では、世帯当たりの05年の平均所得は前年より2.9%下がり、563万8000円。ピークだった94年の85%に下がったとされています。過去10年間で最低の数字です。この調査では家計が「苦しい」と答えた世帯の割合は56.3%を示しました。また、調査結果は母子家庭の増加も伝えています。
国民生活基礎調査をみる場合、調査が単独世帯をふくむ全世帯を対象にしていることを考慮しないといけません。だから、単独世帯にはたとえば若者一人とか、高齢者一人世帯が含まれているわけで、平均的な世帯と比較すればこれらは所得が低くなるでしょう。全体の中に単独世帯の全体に占める割合いかんが世帯所得を上げ下げするということです。ようするに、単独世帯の割合が増えると全体の所得は下方に動き、格差も広がるということです。この点に関連して、社会実情データ図録の本川裕氏は「かつては若者のひとり暮らし世帯が主であったが、最近では、その増加のほとんどは高齢者の単独世帯の増加で占められている」と指摘しています。
同氏が提供するデータは図のとおりです。図のなかの家計調査は、国民生活基礎調査と異なり、二人以上の世帯を対象としています。データは、5つの区分された階層のうち、最高位の層の所得が最低位のそれの何倍になるのかを示すものです。一定の幅があって判断しづらいのですが、家計調査によるかぎり、その倍率は4.5程度とみることができるのではないでしょうか。
そして、単独世帯の割合が、とくに高齢者の単独世帯増によって高くなっている分、世帯所得は10年間で最低になったという結果をもたらしているといえそうです。
若者を中心に非正規が広まり、高齢者単独世帯が増加する今日、働く人びとの意識にいっそうの格差感、貧困感を与え、それに拍車がかかっているといえるのでしょう。
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NEC・裏金のつくり方、中村勘三郎・所得の隠し方、そして事務所費問題
現行の法の枠組みでは認められないカネを、あたかも事業に供した経費として計上するやり口が一つ。もう一つは、自分の懐に入ったカネがあるのに、入ったカネを少なく申告するやり口。所得税が収入から経費を引いたものに課税されるというしくみであるのなら、形式的に税を逃れようとすれば大別すると以上の2つしかありません。
NECの裏金づくりは、一番目のやり口です。中村勘三郎さんは2番目でした。
NECの不正支出は22億円といわれています。これだけの大金を費用化するのは並大抵ではありません。よほどシステマティックでないと。したがって、NECは、費用を払ったものとして下請け会社などに経理処理を押しつけ、カネを還流させていたのです。巻き上げたカネは自社の裏金として、接待などに遣われていたとか。発注側の強みを最大限に利用して下請会社に負担を強いるという典型でしょう。日本には大企業のもとにたくさんの子会社や下請会社が存在して成り立っています。子会社、下請けは工賃でたたかれ、架空経費(子会社、下請けからみれば架空の収益)を押し付けられるのです。
しかも、これだけの不正なのに、過去の赤字は繰り越されるために追徴課税はなしという結末です。
中村勘三郎さんは、昨日までは強気でしたが、一転、所得隠しを認めざるをえませんでした。こちらは、収入として入ったはずの襲名に伴う祝儀などを隠していました。メディアでは申告漏れというそうですが、伝えられているのは、漏れにはあたらないほどの大きな金額でした。中村さんは多額の税金を当然、追徴されたのです。
さて、この1社、1人の不正は、所得税法・法人税法にからんでいますが、亡くなった松岡氏が最後まで明らかにしなかった事務所費は、政治資金規正法の届出内容にかかわるものです。
彼は超有名になった、ナントカ還元水という常人ではとても理解できない説明で、多額の事務所費を計上していたことをかわそうとしました。これはうやむやになりそうな気配がしないでもありません。
しかし、会計責任者はいる。この際、会計責任者に一切を語ってほしい。国会は真相究明を断固やってほしい、こう思うのです。
NECも中村さんもすぐに発注担当者や経理担当者の首を切りました。でも、とかげのしっぱ切りの印象を拭い去ることはできません。
松岡氏の会計担当者はいよいよ孤独感を味わっているのかもしれませんが、真相究明のために潔くふるまってほしいものです。
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消えた年金、高まる不安と反発
安倍首相は27日、公的年金の保険料の納付記録が誰のものか分からなくなっていたり、消えたりしている問題で、本来の受給額と実際の受給額との差額を受け取れる期間が過去5年分に限られている現行制度の時効を撤廃し、全額受け取れるようにする救済法案(議員立法)を今国会に提出するよう、自民党の中川秀直幹事長に電話で指示した。政府・与党は今国会での成立をめざす。
与党側は当初、秋に予定されている臨時国会に法案を提出する構えだった。だが、この問題への世論の反発が予想以上に強く、首相は今夏の参院選を控え、被害者救済策が後手に回れば野党側が勢いづき、選挙にマイナスになると判断したと見られる。
社会保険庁解体・民営化法案は25日、衆院厚生労働委員会で強行採決されました。
5千万件にのぼる年金記録ミスが国民の前に明らかにされて、反発が日に日に高まる中での強行でした。
解体・民営化法案で「消えた年金」問題も解決するのなら別ですが、問題を不問にし、むしろ予測されている、これから新たに発生する問題の解消策も提起できないままでは、いっそう不安は高まるばかりでしょう。
社会保険庁では、外部委託がすでに大規模にすすめられています。社保庁が解体・民営化されると個人情報漏えいや新たな年金記録ミスがいっそうを生まれることが国会論戦で指摘されました。
国民年金、健康保険・厚生年金などの届出書の入力業務はすべて派遣会社に委託し、不安定で、複雑な勤務シフトが避けられない派遣労働者には業務ミス・事故がついて回ることが予測されるわけです。個人情報がつねに漏洩の危険にさらされているのでは国民の信頼をかちとることなどできないでしょう。
22日の衆院厚労委・参考人質疑では、(政府案と民主党案に共通している管理運営の細分化・民間委託について)「「世界の潮流に反する非効率的な政策であり導入すべきでない」(立正大学・渡部記安教授)という発言がありました。
社会保障全体の運営管理を国が包括的一元的に行うのが世界の流れなのに、社会保障の監督庁の解体・民営化が世界の流れに逆行するという厳しい指摘です。
「消えた年金」問題では、国の責任で調査し、一人も不利益になる人を出さない対策が必要です。今回の安倍首相が打ち出した「年金支給漏れ救済法案」は国民の反発を前にあわてて指示をしたものでしょうが、あらためて国民の不利益が生じないよう確認させなければなりません。
何よりも、政府がその十分な対策を示さないまま、年金業務を民間委託しようとしていることを告発する必要があるのではないでしょうか。
政府は国民の財産を守るのが仕事の一つでしょう。
「消えた年金」は、今の政府が自らその責任を放棄しているともいえるものです。
社会保険庁の解体・民営化は、国会審議の大詰めをむかえていますが、「消えた年金」問題が浮上した今、あらためて政府の責任は重く、厳しく問われなければならないと思うのです。
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評判悪い自治体、よい自治体;企業からみれば
評判悪い自治体、ランキングは秘密 経産省(朝日新聞5・26)
「たらい回しランキング」は断念――。経済産業省は25日、国内に工場を建てる企業に、現地の役所の対応に対する満足度を聞いたアンケート結果を発表した。甘利経産相の発案で、問い合わせへの対応をたらい回しにするなど評価の低い自治体も含む番付にしようと狙ったが、結局は満足度の高い都道府県を並べた内容にとどまった。
低い評価の公表をやめたことについて、甘利経産相は同日の記者会見で「今の努力をなえさせてはいけない。改善途中の自治体もあるかもしれない」と説明。経産省は「自治体から聞かれれば順位を伝える」という。
企業の満足度が高いのは、北海道や北陸、山陰の各県など、景気回復が遅れる地域で目立った。同省は「補助金などで工場を誘致する力勝負より、対応の早さやきめ細かい気配りが重要」とみている
。これは企業の側から自治体の仕事ぶりを評価したものです。のどから手がでるほど企業誘致を実現したいと考えている自治体は多いわけで、だとすると企業を相手に懇切丁寧に応対すると考えられるのですが。
やはり企業の満足度の高かったのは、北海道や北陸、山陰の各県など、記事の言葉を借りれば「景気回復が遅れる地域」、つまり地方の自治体でした。
経産相は、補助金などで工場を誘致する力勝負より、対応の早さやきめ細かい気配りが重要とみている、と記事は伝えていますが、しかし企業の側はこの補助金をもらって地方に進出しているのが実態。けっして財政状況のよくない自治体であっても、莫大な金を出すのですから(図、単位;億円)。補助金の額はそれぞれの自治体の財政規模にもよるでしょうから、その大小だけでは判断できませんが、地方の自治体も結構の補助金を出していることが分かります。
このニュースにふれて感じるのは、地方の雇用創出をどうするのかを考えた場合、やはり地場の産業育成や地方の中小企業のための施策を充実させることが必要ではないかということです。もう一つは、医療や福祉に金を回して雇用を創出することも課題の一つになるのではないのでしょうか。厚労省も社会保障分野の経済波及効果をこれまで評価してきているのです。
ですから、今日膨大な利益をあげる大企業にわざわざ金をくれてやり工場を誘致することを一度考えなおして、地域の雇用も生み出し、消費も広げるような自治体の政策が不可欠なのだと考えるのです。この限りで、経産省がこんな調査を実施したことは、企業誘致を奨励する立場にたっているともいえるでしょう。
しかし、内閣府が発行した『地域の経済2005』も企業誘致制度の効果に疑問を投げかけています。
何よりも、事実が物語っています。たとえば神奈川県は日産に116億円も補助金を交付しましたが、新規採用はゼロでした。雇用の創出に結びつかないのです。
やはり自治体の仕事は、その地域の住民がきちんと評価しなければならないのでしょう。

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この「中国バッシング」は何だろうか?
日本人の感染率は高く、 40 歳以上の男女の 50 %以上に感染しているといわれています。こいつが高じると、胃の粘膜に炎症が起こり、慢性胃炎をきたすことがある。その結果、「ムカムカする」「脂っこいものが苦手」「しくしくと痛い」などの症状が出ます。また、胃潰瘍や十二指腸潰瘍を起こすこともあります 。
幸いに私はあまり胃が痛むことはないので、この苦しみがどんなものかは分かりません。
なぜ日本は感染率が高いのか。戦後しばらくの衛生事情が関係している。ピロリ菌は糞便中に排泄されますので、ナマ水を飲めるのと関係しているかもしれない。また、野菜の肥料に人糞を使っていたのも影響しているのでしょう。このようにとらえられてもいるようです。
ようするに日本は敗戦後も、糞便を農作物の肥料にしてきました。田舎育ちの私の小中学生の頃までは、あぜ道のあちこちで肥溜めがみられたものでした。その後、日本は高度成長を経験し、格段に社会の環境が変わり、生活環境、衛生事情も一変してきたのは事実でしょう。だが、最近まで、日本も多くの東アジア諸国と同じような環境のなかで生活してきたこともはっきりしているでしょう。
最近、気になっているのは、メディアが報じるアジア諸国のなかで、とくに中国の社会事情を報じるものが多いということだけではなく、その視点についてです。
独断でひろってみますと、つぎのようです。
中国産アンコウにフグ混入 米当局、患者発生で注意喚起(朝日新聞5・26)
偽食品、中国深刻 キクラゲ・粉ミルク……(朝日新聞5・21)
中国からの「危険食品」、米が107件差し押さえ(朝日新聞5・21)
中国新幹線、備品盗難はじめ「非文明的行動」相次ぐ(産経新聞電子版5・20)
情報隠し感染拡大? 手足口病 2人死亡 中国山東省 「謎の奇病」デマも(西日本新聞5・24夕刊)
伝えらている内容は事実なのでしょうが、異常なまでに集中していると感じられないでしょうか。中国のたとえば衛生環境の悪さ、マナーの悪さなどある意味でいえば無政府性を強調し、そして非文明的だと断定するものも中にはあって、中国をバッシングしているといえなくもない。これらのニュースは、おそらく見聞きした日本人に、中国にたいするある種の脅威や不安の感情をかきたてるものになるでしょう。
たしかに、中国国内のこうした事情は、国際的に報じられなければならないもの、我われが知っておくべきものはある。
その上で私が思うのは、当ブログでとりあげた「価値観外交」の押し出しとの関係です。安倍首相と、彼の考えに近い日本会議などのグループが何かと話題になっていますが、彼らを中心にうちだされている「価値観外交」とは、強硬な対中国姿勢をあらためて 確認したものといえるでしょう。同時に強調された真の保守主義とは、それと対になったものでしょう。
そこで、一連の中国関連の記事がこうした、価値観外交の強調と歩調をあわせるものになっていないかという思いが少なくとも私はするのです。
中国が急速な発展をとげ、そのことが日本の支配層にも脅威になっている。そして中国の国際的発言力が高まるにつれて、日本の国際的な立場、とくにアジアにおける立場が相対的に低くなっているともいえるかもしれません。高まる中国の評価と脅威が、支配層はもとより、マスメディアをもかきたて、その結果、こんな記事が連発されるのはいかがなものかと思うわけです。杞憂で終わればそれにこしたことはありませんが。
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