傷心旅行

2015-11-11 14:38:07 | あれこれ
大阪IGUちゃんのことを書いたら、思い出したことがあった。

あるとき、私はIGUちゃんを温泉だか旅行に誘ったのだけれど、
(そんな誘いをしたのは多分初めて)
その日は都合が悪いとあっさり断られた。
それで私は、何か意地になって、「それなら一人で行く!!」と宣言して、
本当に一人で関西方面へ旅行に行った。

初日は、姫路にいた友達に声をかけて、一日案内してもらった。
翌日は、源氏物語の舞台である明石・須磨方面へ散策に行こうと思っていた。
朝、と言っても一人だし、ゆっくりと駅に向かう。
ところが、電車の本数の少ないのにびっくり!!
次の電車までずいぶん時間があったので、駅前にいくつか建っていたデパートの一つに入っていく。
着物屋さんの呼び込みさんに声をかけられ、普段なら絶対に相手にしたりしないのに、
旅先で着物を買うなんて無理だし、時間潰しにはちょうどいいやと思い、中へ。

ところが甘かったー!!!
何人かの店員さんに取り囲まれ、体に反物をかけられ、軽く帯を結ばれ、飾りなどもいくつか付けられ、
そんなぐるぐる巻きの状態で、
「うちは名古屋にも店があるので、大丈夫!名古屋で受け取れますよー」
「内金だけ入れていただければ…」
「名古屋は、どこそことCPに店があります」
(CPって何だよ!?ああ、セントラルパークのことか。
 店舗案内にはCPって略してあったんだろうけど、名古屋人はセントラルパークのことを
 CPなんて略したりしないぞ!!)
「結婚準備のために、着物の一枚くらい、親に頼らず自分で用意しなきゃ…」等々。

ぐるぐる巻きの状態では、逃げるに逃げられない。
これはもう泣くしかない!!と決心する。
一生懸命に悲しい気分を思い出し、無理矢理涙を絞り出す。
そして一言。
「着物なんか買ったって、私なんて結婚できないかもしれんじゃん!!」

効果てき面!!
店員さんたちは、ぐるぐる巻きをほどきにかかり…。
「傷心旅行だったの?」と。私に同情の目を向ける。
私は無事に解放された。

私も女の端くれだから、ほんのたまには、こんな風に、涙を有効的に使う。

大阪進出

2015-11-11 14:16:32 | IGUちゃんとのこと
IGUちゃんが、私との関係を面倒臭いと思ったりだとか、
私に対しての罪悪感みたいなものを募らせていっただとかで、
引っ越しを機会に、私との関係を絶とうと考える?
無い無い!!あいつに限って絶対そんなこと考えやしないわ!

と、本当に考えたのか考えなかったのかは、私の知るよしもないが、
しばらくすると、IGUちゃんからはちゃんと電話がかかってくる。

私はと言えば、もう連絡はこないかもしれないと思えば、寂しかったし不安もあったけれど、
それほど落ち込むこともなく過ごしていたように思う。
そのうち電話してくるだろうという気楽な気持ちもあったかもしれないが、
かかってこなければ、かかってこないで、それはそれでいいという思いもあったと思う。
これ以上関係を続けても、2人の間は何も進展しないことはわかりきっていたから。

でも、電話がかかってきたときにはやっぱりほっとして、私は、今度は大阪へ通うことになる。
東京より近い分、交通費も安くすむし。

最初に会ったときには、アメリカのお土産に、ピーターラビットのかわいい手帳をもらった。
「余り物?」
「失礼な!あんたが喜ぶと思って、一生懸命選んだのに」
「嘘ばっかし!」

一度、大阪まで車で行ったことがあった。
名神高速道路で、どこまで行ったんだっけ?
とにかく、名神を降りて、そのまま都市高速?環状線?みたいなのに入った。
土地勘なんてまるきりないので、料金所でおじさんに
どこそこまで行きたいんだけど、どう行ったらいい?と聞くと、路線図をくれて、
ここのインターで降りなさいと教えてくれた。

初めて乗った大阪の高速道路は怖かった。
6車線だか7車線だかあって、交通量も多くて、高速だからみんなビュンビュン!!
そして教えられた降りなきゃいけないインターチェンジの標示が現れる。
私は怖いので、一番左側の車線を走っていたのだが、なんと!出口は右側にあったのだ!!
どうしようどうしよう!?でも、ここで降りなかったら、私は露頭に迷うことになる。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」と心の中で唱えながら、
6車線だか7車線だかある道を、左から右へと横切っていく。
なんとか降りることができた。

よくやったなあ。
若いからできたんだよなあ。
今だったら…、ナビがあるから何とかなるかあ!


母と

2015-11-10 15:05:03 | 生い立ち・家族
母に感情をぶつけたことは一度しかないと言ったけれど、
母を責めたことは何度かあった。
母は辛かっただろうなと思う。
(でもまあ、大抵はあちらさんがこちらを責めたことにたいして言い返したという成り行きだったと思うけれど)
幸いにも、私は子供たちからそんな風に責められたことはない。
何て倖せなんだろうと思う。
自分がしたマイナスの行為が、返ってこない。
有り難いことではあるが、それはそれでちょっと申し訳ないような、そんな気がする。

母は、何と言うか、妙に自分の生き方に自信のある人だった。
娘の私たちも、自分のように生きれば大丈夫!と思っていたようだ。
公務員である学校の先生が一番いい職業だと思っていたようだし。
離婚したことも、なかなか結婚しようとしない姉に向かって、
「一度結婚して、子ども連れて帰って来ればいい」というようなことを言っていた。
何でそんなに自信が持てるのか?
AC傾向のある私にはよくわからない。

子どものころ、漫画家になりたかった私だが、
「大人になったら何になりたい?」と聞かれて、
「うーん…、二つあってねぇ、漫画家か、学校の先生」と答えた。
明らかに、母に遠慮しての発言だった。

成長するにつれ、学校の先生にだけはなりたくないと思うようになった私だったが、
大学では、教職を取り、採用試験も受けた。
先生にはなりたくなかったので、もちろんろくに勉強もせずに受けたのだが。
それで、もちろん不合格だったのだが。
それは、この反抗的な娘のせめてもの母への恩返しだった。
ちなみに、姉が教員になったのは、単に母の意にそったわけではなく、
第一希望の薬学部に受からなかったので、第二希望の教育大に行ったからである。

結婚して、実家を出て、母と距離を置いた。
元々、べたべたした親子関係はなかったので、電話とかも本当に用のあるときにしかしなかった。
そのあたりは、母も同じで、本当に用のあるときにしか連絡してこない。
(まあ、退職後も別の仕事についていたせいもあるとは思うが)
電話してきても、用件がすめばさっさと電話を切る。
母はそんな人だった。
夫などは、別にマザコンではないけれど、暑くなった寒くなったで義母に電話している。

そんなだから、子育てで母を頼るということもまずなかった。
実家に帰ったときだけは世話になったと思っているけれど。

そうして年月を過ごすうちには、母へのわだかまりのようなものも次第に消えていった。
距離を置いたことが良かったと思っているけれど、
もう一つ、
私は、母に愛してほしいと思うやり方では愛してもらえなかったと思っていたのだが、
私の子どもたちには、
こんなおばあちゃんでいてほしいと思うようなおばあちゃんでいてくれたからだと思う。

私も、いい娘ではなかったかもしれないけれど、
孫を3人も見せてやったのだから、それだけでも親孝行はできたと思っている。

若いころには苦労もしただろうけど、母は倖せだったんじゃないかと思う。
何年か前には自分で言っていた。
「お金に困っているわけでもないし、
 なんだかんだ言っても、実の娘と暮らすのは嫁さんと暮らすのとは違うし。
 倖せだなあと思う」
母がそんな風に思っていることが、私も嬉しかった。

ああ、それと、
姉とは仲の悪かった私だけれど、
母の病床で、姉といろいろと昔話などをした晩があった。
そのときは、もう母は意識が戻らない状態だったけれど。
その様子に、母はきっと安心してくれただろうと思っている。

ひとり遊び

2015-11-10 14:09:02 | あれこれ
寂しがり屋の私のはずだが…。
気がついてみると、なかなかひとり遊びなるものが好きなのである。
こうしてブログ書いてるのもひとり遊びだよね?
尤も、人と繋がるためにブログ書いてる人もいらっしゃるだろうけど、
私の場合は、ひとり遊びの要素が強いな。
繋がったら繋がったで、もちろん嬉しいけれど。

世の中、アウトドアが流行りというか、
アウトドア派の方が、受け入れられやすいというか、
うまく言えないけれど、そんな風潮がある気がする。
たとえば中学の部活。
私のころはそれほどでもなかったとは思うけれど。
文化部より、運動部の方が主流。
子どもが通っていた中学でも、吹奏楽以外の文化部は、あまり認められていないというか、
帰宅部扱い?
ちょっと横着な子たちが籍を置いているだけのような感があった。

まあ、私の高校時代には、いろいろとユニークな文化部があったけれどね。

私は、絶対的にインドア派の人間だ。
好きなこと、読書とか、手芸とか、まあ、ゲームも好きです。
以前には、心が苦しくてひきこもり気味になっていたこともあるけれど、
今は、結構楽しくひきこもり生活をしていることが多い。

刺繍のクロスステッチが好きだったのだけれど、実用性がない。
壁掛けなど作ったりもしたけれど、たくさん作っても、飾るところがない。
独創性がないので、図案から自分で作ることとかできないので、
キットを買うと結構なお値段だったりして、なかなかできなかった。
でも、去年もう開き直ってやりたいことしようと思い、
amazonで、お値打ちなキットを買った。
これがものすごい大作!!
何マスあるんだったかな?
とにかく1年はかかるだろうと思って始めた。
1年たってもまだ完成しない。
でも、気が向くと、ちゃちゃっと手にして楽しんでいる。
さすがにこんな大きいのを作ったら、しばらくはいいと思うかな?というところだが、
次は何を作ろうかな?などと考えてもいる。

編み物も好き。
今年もまた帽子を作ろうかな?

学生時代は、よく友達と連れ立って、地下街をうろついてお買い物とかしたけれど、
私は、流行り物とかに疎いし、好きな服とか結構みんなとギャップがあった。
(なんか、今の時代の方が、好きなジャンルの服を自由に選べるような気がする)
「今から、あんな服買ったらだめかなあ?」と友達に相談したとき、
「だめ!!」と言われたので、
それ以来、一人で買い物に行くことが多くなった。

喫茶店にも一人で平気で入っていたのだけれど、
それを聞いた(あまり好感をもっていない)友達に、
「みなみ、すごぉ~い!!」と言われたので、バッカじゃないの!?と思った。

でも、正直言って、特に結婚してからは、誘える友達があまりいないので、
一人で出かけることに慣れてしまった面もある。

今は、映画は一人で行くものと思っている。
誰かに誘われれば、あまり興味のない作品でも観に行くこともあるが、
ちゃんと観たい映画は、一人で行きたい。
いつか、「あの映画観ようと思って出かけたんだけど、ああだこうだで観そびれちゃった」
と友達に言ったら、
「私も観たかったから、一緒に行こうよ」と言われてしまった。
本当は、一人で行きたかったけれど、断る理由もないので、一緒に行った。
でも、私と一緒に過ごす時間を作れるのなら、
映画じゃなくて、おしゃべりして過ごせる時間を作ってほしかった。

今一番、一人で行きたいのはカラオケ!
私は、皆が知っている歌は得意じゃないので、本当に自分の歌いたい歌を思いっきり歌いたい。
一人カラオケ愛好者は結構いるらしいので、そういう意味では問題ないのだけれど、
カラオケボックスには、何年かに一度くらいしか行ったことがないので、
システムとかよくわからなくて、ハードルが高い。
そう思って、夏に一度娘と2人で、カラオケに行き、会員カードも作った。
でも、まだ「ひとカラ」実行できていない。
やっぱり初めてのときは、少しがんばらないと。
それに今は、こうしてブログを書くこととか、やりたいことがいろいろあるので。

こうして、ひとり遊びに慣れ過ぎてしまうのも、問題有りかもしれないけれど。
一人にしろ、誰かと一緒にしろ、人生楽しく過ごしたいものである。



私のスピリチュアル

2015-11-06 16:24:43 | 霊性
私のスピリチュアルは、寄せ集めのいいとこ取りだ。
方法は、一つにしぼって一貫させた方がいいらしい。
思いがどっちに向かって飛んで行ったらいいかわからなくなるから。
でも神様は、どんな道を通ってもOKを出してくださるらしいから、回り道をしたって大丈夫だろう。
自分の信じた道、納得できるやり方を進んで行く。

確かに矛盾することもある。
こっちのやり方も、あっちのやり方も、素晴らしいと思うけど、これって、考え方かみ合わないよなって。
でも、密度の高い物理的世界に生きる私には、理解できないことっていっぱいある。
矛盾したように見えても、あちらの世界に行ったら同じってこともあると思う。
とにかく自分がいいと思うことを日々精進していく。

もしかしたら、こんな私でも、
「産まれてきて良かった」って、心から思える日がくるかもしれない。
これからも、神様からたくさんプレゼントをもらえるかもしれない。
でも、神様からのプレゼントの取り扱いは要注意である。肝に銘じる。

あ、こう書くと、まるで私が毎日有意義な日々を過ごしているように聞こえるかもしれないけど…。
全くそんなことはない。
いつも自分にがっかりだ。
生まれ持ったもの、今までに身につけてきたものは、ちっとやそっとじゃ変わらないと思い知らされる日々。
だけど、昨日も言った。
少なくともここ何日かは、毎日がちょっと楽しい。