『君の膵臓をたべたい』

2017-01-26 10:06:52 | あれこれ
昨年の春、本屋さんで住野よるさんの、
『君の膵臓をたべたい』と『また同じ夢を見ていた』が、並んで平積みにされているのを見つけた。
本屋大賞の発表よりは少し前だったけれど、話題作だったのだろう。
でも私は、その時初めてこの本の存在を知った。

何というインパクトのあるタイトル。
誰だってそう思うよね?
でも、その時並んでいたのが、『キミスイ』の方だけだったら、
私はこの本を読むことはなかったと思う。
『キミスイ』のタイトルはどうしてもグロテスクなものを感じてしまう。
私が惹かれたのは、『また同じ夢を見ていた』の方だった。

家に帰って、ネットで図書館に貸出の予約をした。
かなりの数の人が、予約待ちをしていた。
『また同じ夢を見ていた』が、私の手元にやってきたのは、
Mくんとの『ストロベリークォーツ事件』があって間もないころのことだった。
(7月25日のあの出来事を、こう呼ぶことにしよう)。

おもしろかった。
本好きの私だけれど、あれこれ難しいことは考えない。
私の本の評価は、単純に「おもしろい」か「あまりおもしろくない」か「つまんない」くらい。
(たまには「くだらない」もある)。
それに、本当に本当にささいなことだけれど、
「この時期に、この本が私のもとにやってきたということは…」というような、
Mくんとの運命を感じさせてくれるものもあった。

すぐに『キミスイ』の方も図書館に予約を入れた。
そして、今週この本を読んだ。

やっぱりおもしろかった。
ただそれだけ。
いろんなことを考えたりもしたけれど、敢えてここに書くほどのこともない。
これではオチがない。
実に私らしい…。(笑)


言葉は往々にして、発信した方ではなく、受診した方の感受性に意味の全てがゆだねられている。

知らなかった、誰かに怒りを向けることが、こんなに誰かを傷つけるなんて。
こんなに自分を傷つけるなんて。

人を盲目にするのは恋だけではない、施行も人を盲目にする。

君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。
私達は、自分の意志で出会ったんだよ。

人間は相手が自分にとって何者かわからないから、友情も恋愛も面白いんだよ。

それにね、私達の関係をそんなありふれた名前で呼ぶのは嫌なの。
恋とか、友情とか。そういうのではないよね、私達は。

誰かと比べられて、初めて自分を見つけられる。


            『君の膵臓をたべたい』住野よる 双葉社


強いて言うならば、
「恋とか友情とか、そんなありふれた言葉で表現したくない」ということ。
それは、私がここ何ヵ月か探していたのと同じではないのかな?と思う。

楽しみなこと

2017-01-23 09:33:35 | 日記
楽しみなことは、早くやってきてほしいと思うけれど、

でも、待っている間も楽しいのである。

楽しみなことがやってきて、その時がどんなに楽しかったとしても、

その後に、次の楽しみが待っていなければ、

「終わってしまったなあ」って、寂しくなってしまう。

だから、楽しみなことを待っている今が、一番倖せなのかもしれない。

早くやってきてほしいなと思うけれど、

ずっとこの時間が続けばいいなと、少し思う。

ありがとうございます

2017-01-12 16:07:44 | ストロベリークォーツ
今はものすごく倖せで…。

でも、心はずっと同じ状態ではいられないから。

きっとすぐに今の倖せが物足りなくなる。

もっともっと上の倖せが欲しくなる。

でも、できることならば、

今の倖せがどんなに素晴らしいものなのか、

ずっと感じていられる心でいたい。

これ以上のものを望むことなんて、愚かなことだと、

そう思える心でいたい。

御神籤

2017-01-06 12:09:42 | 日記
正月2日に娘と熱田神宮に初詣に行った。
去年は喪中だったので、2年ぶりだ。

何年か前から、娘と二人熱田さんに初詣が恒例になっていた。
お守りを買って御神籤を引く。

一昨年の会話。
「何のお守り買おう?」
「そりゃ、縁結びでしょ?」
「そうだねえ…」。
と言いながら、直前になって娘は「仕事守り」を買った。
彼氏はできなくても困らないけど、仕事で何かあると困るから。

私は「吉報守り」を買った。
私の周りの人にいいことが起きるってことだよね?
そう思った。

今年も娘は「仕事守り」を買い、私は「吉報守り」を買った。

御神籤は「末吉」だった。
正月には凶が出ないようにしてあるなら、一番悪いってことだよね?
中を読んでも悪いことしか書いてない。
「待ち人 来ず」。
それを読んだ途端、もう見るのがいやになった。

私は御神籤は大吉でなくても、持って帰る主義だ。
特に初詣で引いた御神籤は、その年の間時々読み返す。
そして、翌年の初詣で木に結んでくる。
今年も持ち帰って来たけれど、後で思った。
結んでくれば良かった。

娘は「大吉」だった。
嬉しそうにところどころ読みあげる娘に、「いいなー」。
マジで娘の大吉が羨ましかった。

今年はどんな年になるだろうか?
今年もあっという間に過ぎていくのだろうか?
できるなら、もう少し前向きで一生懸命に生きたいなと思う。


お年玉

2017-01-04 22:04:02 | あれこれ
私は、自分の子供にお年玉をあげたことがなかった。
おばあちゃんや、親戚の人からもらうだけで、子供が自由に使うには多過ぎる額になる。
親があげるどころか、預かって子供の名前で貯金していた。

こちらとしては、クリスマスにお金を使った上、親戚の子供たちにお年玉を渡す。
それだけで精一杯で、自分の子供にまでお年玉をあげる余裕もなかった。
何かのテレビで、自分の子供には他所の子よりたくさんあげたいという親の話を聞いたけれど、
そんなものかなあ?と思っていた。

そんな私が、今年は子供たちにお年玉をあげようと思った。
あげたいと思った。
ちゃんと育ってくれた子供たちに感謝したい感じだった。
それに、母が少しお金を遺してくれたので、
母の代わりに渡すような気持ちもあった。

「お母さんは、あなたたちにお年玉をあげたことがなかったから」と言って渡すと、
みんな喜んで受け取ってくれた。
変な遠慮をしないで、受け取ってくれたことが嬉しかった。
東京から来てくれた次男の彼女にもあげた。
さすがに遠慮されたが、受け取ってくれた。

毎年渡すことができるかはわからないけれど。
ちょっと新鮮なお正月だった。