死に様

2017-09-23 11:24:01 | 日記
先日ブログに書いたこと。
若い頃に比べたら、気楽に生きていられると。
本当にその通りなのである。
言葉にすると再認識できることってある。

「早く歳をとって死にたい」ずっとそう思ってきた。
若い頃には、この先の人生がとてつもなく長いものに感じられた。
それはかなりの憂鬱の種だった。
今は本当に気楽だ。
あと20年頑張ればいい。
その20年が、30年とかもう少し長くなるかもしれないという不安はあるが、
それはあまり考えないようにしている。


職場の40代の友人のお友達が亡くなったそうだ。
私も知っている人。
と言うか、集金のお客さん。40代、男性。
そう言えば、先月の集金の時はみえなかったなあと思う。
末期癌で、手のほどこしようがなかったのだそうだ。
でもずっと元気にしていて、
先月一度入院して危篤状態に陥ったそうだが、持ち直して退院した。
その後もずっと元気にしていて、マックのバーガー食べたり、
ご飯おごってあげると言えば、「かつ丼食べたい」と言っていたそうだ。
亡くなる当日も、理髪店をしているお店に顔を出して、
お友達の髪をセットしてあげていたとか。
まだ義務教育のお子さんが3人みえて、残された家族は大変な思いをしてみえるだろう。

でも、ご本人にとっては、倖せな死に方だなあと思う。
死への恐怖はあっただろう。
葛藤もたくさんあっただろう。
でも、無くなる直前まで好きな仕事して、好きなもの食べて。

自転車屋のおじさんも、先月集金に行ったら写真になっていた。
町中でよく出会った。そのたびに明るく声をかけてくださっていた。
つい最近まで。
どのように亡くなったのかは聞かなかったけれど、
長いこと寝こんでいたとか、そういうことはなさそうだ。


私もお二人のように、いい死に方ができればなあと思う。
私はやっぱり冷たいのだろう。
自分勝手だろう。
残される家族のことよりも、自分が少しでも楽に死ねることを望む。

この先の20年は、これまでの20年とは違うのだろうなと思う。
体がどんどん悲鳴をあげるようになるのだろう。
せめて心がこれ以上悲鳴をあげることのないように、
それを心がけて生きていきたいなと思う。


気弱になる

2017-09-20 11:48:34 | 日記
気弱になった。
頑張って、頑張って、開き直って頑張って、
とうとうここまできた。あと一歩。そんなところで。
その一歩を踏み出すのを躊躇したことで、
それまで頑張ってきたことのすべてがリセットされて、
振り出しに戻ってしまうこともある。

目指してきたものがすぐ近くに感じられて、
そんな時に、それを掴むことへの不安や恐怖に襲われる。
誰にだってあることだろう。
そこで心の目指す方向が揺れることで、結果は遠ざかる。

そこでもうひと頑張りして手を延ばせるか、
手を離してしまうかは選択。

少し後戻りはしただろう。
でも大丈夫。
タイミングを見定めているだけだ。
私が、ではなく、私の中の神様の欠片が、ベストなタイミングを図っている。

まだ歩ける。
大丈夫。


言葉を吟味する

2017-09-19 15:02:07 | 戯言
言葉は思いの全てを語ることはできない。
それにどうしても照れやごまかしが混じるから、
言葉から相手の本当の思いを読み取るのは難しい。
難しいどころか、不可能と言ってもいいかもしれない。
でも時には、その不可能にこだわってしまうことがある。
ひとつひとつの言葉の意味をあれこれ考えてみる。

違和感を感じる。
その原因は?
それって、他にどんなケースがあるんだろう?
こっちの言葉がメインなのかな?

そんなことを考えていて大切なことを見落とした。
ただの感謝で、そんなことは言わないよね?




そうか。
あちらも私と同じなのかもしれない。
ストレートに言葉を伝えるには、不安が伴うから。
だから、一言付け加える。
もしそうなら、
あちらも私の言葉の意味を吟味するだろうか?
なんとなくそんなことはないような気がしていた。
そういうのが、私の悪い癖なのかもしれない。

誕生

2017-09-15 11:02:22 | 生い立ち・家族
久しぶりに一人でカラオケに行った。
特別行きたいと思ったわけではない。
ちょっと前にお店のお姉さんに、「最近カラオケ行ってる?」て聞かれて、
ああ、そう言えば最近行ってないなあと思って。
忙しかったせいもあるけれど、特に行く必要もなかったのだ。

昨日は、予定がキャンセルになって一日暇になった。
まあ、配り物の仕事はあったのだけれど。
それで久しぶりに行ってみようかなと思った。

最初は軽く、誰かと行った時にも唄えそうな唄を練習のつもりで何曲か唄った。
そして一人できたなら唄っておかなきゃと思うみゆきさんの重い唄を…。

「誕生」は、今日はいいかなという気分だったけれど、
最後の方で唄っておこうと思った。
「誕生」を初めて聴いた時、ACの人に向けた唄だと思った。
えりかさんに贈りたいと思った。

でも今回は…。
唄っていたら、今までにない想いが湧きあがってきた。

私は父に会ったことがないのかもしれない。
そう思ってから、父に対する興味が薄れてしまったのを感じていた。
少しはあった「会ってみたい」という思いが、無くなってしまったような。

昨日は思った。
もしも、私がお腹の中にいた時に、母が離婚を決めていたとしたら。
母にとってお腹の中の私の存在は、一体どんなものだったのだろう?
そんな風に考えたことはなかった。
でも、離婚して乳飲み子を抱えて生きるということに不安を感じなかったはずはないのではないか?
そこが原点なのかもしれない。
私は胎児の時に、母の不安や憂鬱や、そういったネガティブな思いを受け取っていた。
私が産まれた時に、母は心から「welcome」と思えただろうか?
心から思ってくれたとしても、それだけだっただろうか?

母と離れて暮らした2年間、
私がいなかったなら、母は頻繁に実家に帰る必要はなかったはずだ。
交通事情があまりよくない場所と時代。
その中で、母は私のために幼かった姉を連れて実家と職場のある町を行き来した。
それは、母の私への義務であり、愛だった。