運動音痴

2015-11-11 17:58:59 | あれこれ
私は、インドア派というだけあって、運動はあまり得意ではない。
特に運動音痴というほどではないと思うが…。
小・中学校では、お勉強はなかなかよくできたのだけれど、
体育は大抵5段階評価の「3」だった。

小学校の5年生のときだったと思う。
2学期かな?と思うけど、体育の授業で、
ほとんど跳び箱とかマットとか、徒手体操と言われるものばかりをやっていた学期があって、
そのとき、私は実は徒手体操は結構得意だということを発見した。

台上前転というのを初めてやった。
すごい難しそうと思ったけれど、なかなかすんなりとできた。
台上前転というのは、ただ跳び箱の上で前転をすればいいというわけではなく、
踏み切り板のところで、しっかりジャンプしなければいけない。
周りの体育が得意な子たちでも、恐怖心があるのか、跳び箱の前でちょっと止まり気味になってしまう。
でも、私は上手にできていたと思う。
運動神経のいいあの子よりも、この子よりも、私の方が上手
そう思っていた。

テストがあって、一人ずつ飛んでいき、その場で先生が「A]とか「B]とか評価する。
女子で「A]をもらったのは、私一人だった。

徒手体操の授業の締めくくりに、
先生が、跳び箱とマットをたくさんずらーっと並べて、
ここではあれをやって、ここではあれをやって、とコースを作った。
そして一言。
「これ全部できたら、「5」をやるぞ!」
私は、見事に全部クリアした!!

学期末の成績表をもらうのが楽しみだった。
さすがに「5」はなくても、「4」はもらえるだろうと思っていた。
ところが、先生は「3」しかくれなかった。

当時の成績は、相対評価で、「5」の取れる子の数は決まっていた。
これは、当時の小学生の私が考えたことだが、
先生は、他の教科で「5」の取れる私よりも、
体育でしか「5」の取れない子にいい成績をあげたかったのだろう。
でも、いいの?それでいいの!?

時は流れて、高校の2年か3年のとき、
やはり体育で、体操ばかりやっていた学期があった。
平均台とか初めてやった。
あんな細い台の上で、前転とかできるわけないと思ったけれど、やってみるとできるものである。
そのときは、私が一番上手なんて思ってなかったけれど、
先生はちゃんと「5」をくれた。

中学のときは、筆記試験で点数を稼いだけれど、
高校のときは、実技と保健は別科目で、実技に筆記試験はなかった。
だから、正真正銘、実技だけで取った「5」である。

それにしても、大人になった私は体が硬すぎて…。
(笑える話もいろいろとあるのだけれど)
五十肩が治らないのも、そのせいもあるのだろう。
そんな私が、体操が得意だったなんて!?
わからないものである。


傷心旅行

2015-11-11 14:38:07 | あれこれ
大阪IGUちゃんのことを書いたら、思い出したことがあった。

あるとき、私はIGUちゃんを温泉だか旅行に誘ったのだけれど、
(そんな誘いをしたのは多分初めて)
その日は都合が悪いとあっさり断られた。
それで私は、何か意地になって、「それなら一人で行く!!」と宣言して、
本当に一人で関西方面へ旅行に行った。

初日は、姫路にいた友達に声をかけて、一日案内してもらった。
翌日は、源氏物語の舞台である明石・須磨方面へ散策に行こうと思っていた。
朝、と言っても一人だし、ゆっくりと駅に向かう。
ところが、電車の本数の少ないのにびっくり!!
次の電車までずいぶん時間があったので、駅前にいくつか建っていたデパートの一つに入っていく。
着物屋さんの呼び込みさんに声をかけられ、普段なら絶対に相手にしたりしないのに、
旅先で着物を買うなんて無理だし、時間潰しにはちょうどいいやと思い、中へ。

ところが甘かったー!!!
何人かの店員さんに取り囲まれ、体に反物をかけられ、軽く帯を結ばれ、飾りなどもいくつか付けられ、
そんなぐるぐる巻きの状態で、
「うちは名古屋にも店があるので、大丈夫!名古屋で受け取れますよー」
「内金だけ入れていただければ…」
「名古屋は、どこそことCPに店があります」
(CPって何だよ!?ああ、セントラルパークのことか。
 店舗案内にはCPって略してあったんだろうけど、名古屋人はセントラルパークのことを
 CPなんて略したりしないぞ!!)
「結婚準備のために、着物の一枚くらい、親に頼らず自分で用意しなきゃ…」等々。

ぐるぐる巻きの状態では、逃げるに逃げられない。
これはもう泣くしかない!!と決心する。
一生懸命に悲しい気分を思い出し、無理矢理涙を絞り出す。
そして一言。
「着物なんか買ったって、私なんて結婚できないかもしれんじゃん!!」

効果てき面!!
店員さんたちは、ぐるぐる巻きをほどきにかかり…。
「傷心旅行だったの?」と。私に同情の目を向ける。
私は無事に解放された。

私も女の端くれだから、ほんのたまには、こんな風に、涙を有効的に使う。

大阪進出

2015-11-11 14:16:32 | IGUちゃんとのこと
IGUちゃんが、私との関係を面倒臭いと思ったりだとか、
私に対しての罪悪感みたいなものを募らせていっただとかで、
引っ越しを機会に、私との関係を絶とうと考える?
無い無い!!あいつに限って絶対そんなこと考えやしないわ!

と、本当に考えたのか考えなかったのかは、私の知るよしもないが、
しばらくすると、IGUちゃんからはちゃんと電話がかかってくる。

私はと言えば、もう連絡はこないかもしれないと思えば、寂しかったし不安もあったけれど、
それほど落ち込むこともなく過ごしていたように思う。
そのうち電話してくるだろうという気楽な気持ちもあったかもしれないが、
かかってこなければ、かかってこないで、それはそれでいいという思いもあったと思う。
これ以上関係を続けても、2人の間は何も進展しないことはわかりきっていたから。

でも、電話がかかってきたときにはやっぱりほっとして、私は、今度は大阪へ通うことになる。
東京より近い分、交通費も安くすむし。

最初に会ったときには、アメリカのお土産に、ピーターラビットのかわいい手帳をもらった。
「余り物?」
「失礼な!あんたが喜ぶと思って、一生懸命選んだのに」
「嘘ばっかし!」

一度、大阪まで車で行ったことがあった。
名神高速道路で、どこまで行ったんだっけ?
とにかく、名神を降りて、そのまま都市高速?環状線?みたいなのに入った。
土地勘なんてまるきりないので、料金所でおじさんに
どこそこまで行きたいんだけど、どう行ったらいい?と聞くと、路線図をくれて、
ここのインターで降りなさいと教えてくれた。

初めて乗った大阪の高速道路は怖かった。
6車線だか7車線だかあって、交通量も多くて、高速だからみんなビュンビュン!!
そして教えられた降りなきゃいけないインターチェンジの標示が現れる。
私は怖いので、一番左側の車線を走っていたのだが、なんと!出口は右側にあったのだ!!
どうしようどうしよう!?でも、ここで降りなかったら、私は露頭に迷うことになる。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」と心の中で唱えながら、
6車線だか7車線だかある道を、左から右へと横切っていく。
なんとか降りることができた。

よくやったなあ。
若いからできたんだよなあ。
今だったら…、ナビがあるから何とかなるかあ!