今日の言葉(3-4月)

2016-04-30 22:32:52 | 今日の言葉
何もないよりは古傷でもあった方がいい。(3月28日)

集中力ないから、私の念は弱いだろうな~。(3月29日)

さあ、あと今日一日がんばれば、明日は浜松!!(3月30日)

どうして恋に落ちたとき、ひとはそれを恋だとちゃんと把握できるのだろう。
      (三浦しをん『私たちがしたこと』 4月1日)

朝、布団の中で目が覚めて、起き出すまでの時間がいっちばん倖せ(4月2日)

やっぱり揚げ足取りをする人は嫌いだな。(4月3日)

僕がいる間は来てください。(4月4日)

目が覚めた時彼のことを考えてるってことは、彼の夢を見てたってことだろうな。(4月5日)

恋は心を豊かにしてくれる。(4月7日)

のどかで、おだやかな時間も必要だから、お茶しましょう。(4月10日)

考えてみれば、私は年齢に相応しい成長を全くしていない。(4月14日)

やっぱり言葉より態度。(4月15日)

甘え上手な部分と。不器用な部分と。割りきれない部分と。流されない部分と。(4月17日)

すねた感じの人?(4月19日)

私はやっぱり私のことが大好き!!(4月20日)

不思議な人。(最高の褒め言葉)(4月21日)

笑ってくれるだけでいいのに。(4月22日)

せめてお写真を一枚いただきたい。(4月28日)

性格はわかっているはず。(4月29日)

恋に障害は付き物。(4月30日)









GW

2016-04-29 10:11:40 | 日記
世間ではゴールデンウィークに入ったという。
私には、長期休暇の時期というのは、あまり嬉しくない。

熊本はどうなっているのだろう?
ニュースなど見ているだけではよくわからない。

子供が小さいころには、この時期は実家回りをしていた。
母や義母が子供の相手をしてくれるので、少し気が抜けて楽になれた。
子供たちもおばあちゃんに会えて喜んでいたし。
それなりに非日常を楽しんでいられた気がする。

今は…。

今は、休みが多いと仕事にも影響する。
休日には回れないところもあるし、留守の家も多い。
家族が家にいると、普段の生活ができなくて困る。
困るというほどではないが、落ち着かない。
私の指定席に娘が座っている。
息子が帰ってくると、ご飯のメニューに困る。
正直言って、家族は朝出かけて行って、夜帰ってくるのが一番いい。

混雑するところに出かけて行くのが嫌いなので、外に出る気にもなれない。
大体、みんな連休中は家族サービスで遊んでくれる人もいない。
でも、することもなくぼーっとしていると、どこかに行きたくなる。

贅沢な悩みには違いない。

連休が終わるころに誕生日がある。
一昨年は最悪な誕生日だった。
去年は、一昨年ほどじゃないけど、それなりに準最悪だった。
今年はどうだろう?

昨日は、夫も娘も休みだったので、もう連休に入った気分だった。
今日は娘は出勤。夫は私の実家に作業に出かけてくれた。
慌てて出かける用事もなくて、久しぶりにのんびりした時間を過ごす。
仕事には出かけなくてはならないが、いつもとリズムが違うので、
どうこなしていいのか自分でよくわかっていない。
風が強くて、外回りに出かけるのが少々億劫でもある。

こんな愚痴めいたことばかり言っていてはいけない。

こののんびりした時間をもう少し味わってから、今日を始めよう。

ストーカー体質

2016-04-28 15:58:06 | あれこれ
私はストーカー体質だと思う。
とは言っても、相手に知られてしまうのは恥ずかしいので、本当のストーカーにはなれないと思う。

子供のころ、好きな男の子の家を調べて、用もないのにその辺りをウロウロしたというような経験は、
誰でもしたことがあるんじゃないだろうか?
でも、これを大人がやったらストーカーなんだろうか?

本当のストーカーになっちゃう境目って何だろう?
結局は、いじめだってセクハラだってそうだけど、
相手がいやだと思うかどうかなんだろう。

たとえば、メールに返事をくれない人に何度もメールする。
ストーカーだと言われても仕方ない。
何だかいやだなあと思うけど、返って潔く諦めることができるのかなあとも思う。

好きな人に限らず、ちょっと気になる人のことは、すぐに実名検索しちゃう。
有名人でもない人を実名検索するようになったのは、いつからだろう?
息子が一部の人の間でちょっと有名人になったのがきっかけだろう。
別に有名人でなくても、facebookの候補とか、姓名判断とかいろいろ出てくる。
時には、思いがけない情報を得ることもある。

仕事の行き帰り、遠回りしてMくんの職場の近くを通る。
Mくんは、外に出てくる職種じゃないので、会えることを期待しているわけではないのだけれど、
そばを通るだけでちょっと嬉しい。
職員さんの駐車場と思える場所を横目で眺めて、どれが彼の車だろう?なんて考える。
若い男の子が乗ってそうな車はあまり見当たらない。
何台か気になる車がある。

朝目が覚めた時にふと頭に浮かんだ4桁のナンバー。
神様がMくんの車のナンバーを教えてくれたのかなと思う。
そんなことあるはずないと思いながら、何気なく眺めていると、
全く同じじゃないけど、その四つの数字のアナグラム。
ほんのちょっと順番が違うだけのナンバーの車があった。
まさかと思うけど、その車も気になる。

彼の出勤時間の頃に、その辺りを通ったこともある。
でも、彼の同僚さんにみつかるとヤバイと思って、あまりうろうろはできない。
彼の車が特定できたらちょっと嬉しい。
それくらいの気持ち。

この前、夕方買い物に行くのに、自転車でその辺りを通った。
気になっている車の一台がちょうど出てくるところで、
誰が乗っているのかと見ると、よく知っている彼の同僚さんだった。
目が合ったような気がするけれど、あちらも気付かないふりをしてくれたのか、
本当に気がつかなかったのか。
でも、ふと怖くなった。
もしも、その辺りをウロウロする私の行動をすべて見ている人がいたら…?
そこまで露骨にやってるわけじゃないから、そんな人はいないと思うけど、
自重しよう。

もしも、彼の住所を知っていたら、家の近くまで行ってしまうだろう。
でも、多分彼が仕事中とかのいない時に。
それともさすがにそれはやらないかなあ?
それやったら、自分でも間違いなくストーカーだと思う。


大人になれない

2016-04-21 10:55:07 | 日記
なんだか私一人が年相応に成長してない気がする。
本当はそうじゃない。
誰だってとは言わないが、みんな成長した部分と成長してない部分があるんだろうと思う。

「大人になる」ということは、必ずしもいい意味では使われない。
子供のままの心を持ち続けることができるのは素晴らしいと思う。
世の中に流されて、仕方なく大人になっていく部分ってあると思うから。
そう思って自己満足してきたけれど、たまにふと寂しくなる。
みんなちゃんと大人になって、社会生活を送っているのにって。

人間って変わらないものだなあって思う。
今の私は30年前と何も変わらない。

私は、私に対して好意を持ってくれた人には気を許してしまう。
ついつい甘えてしまう。

そういう意味では友情よりも恋愛感情の方がわかりやすい。
友情というのは、あまりに幅が広くて、
相手が自分に対して一体どの程度の好意を持ってくれているのかよくわからない。
こっちが「特別の友情」を感じている相手でも、
あっちにとっては、ただの普通の「ありきたりな友情?」にすぎないのかもしれないと、
ついつい疑ってしまう。
たとえお互いに「特別な友情」だと思っていたとしても、
考え方はそれぞれに違うものだから、自分の気持ちを受け入れてもらえる場合とそうでない場合とある。

恋愛感情は、やはり特別なものだとわかるから、
たとえ自分とは違う考え方でも、受け入れようとしてもらえるんじゃないかと、
きっとそんな風に思ってしまうんじゃないかな。

だから私は、私のことを好きだと言ってくれたことのある男性に対しては、
つい甘えたくなっててしまう。
それはしてはいけないことだとわかっていても、気がくじけて言葉を投げかけてしまったりする。
それがあちらからは思わせぶりな態度に感じてしまったりするものだろうとは思う。
若いころからそうだった。

最近では、そういう相手ともずっと疎遠になっていたので、何事もなく過ごしてきたわけだが。
ちょっと前から、メールの交換をしている男性がいる。
その人が昔、私に対してどの程度の好意を抱いていてくれたのかはよくわからない。
最初は少し警戒していた。なんだかすごくノスタルジックな感じだったから。
でも、彼はしっかり大人になっていて、
ただ懐かしく、少しばかり、心の中をくだけた感じで語り合える、
そんな感じの交流をしていた。
古い友達だから、結構きわどい会話なども楽しめて…。
でも、それがあちらにはどう受け取られていたのか?
私はうまく立ち回れるだろうか?

そんなことを思ってしまった。

この歳になって、恋の駆け引きなんて無理!
Mくんは…、
Mくんとの距離は全く縮まっていないけれど。
相手がこんなおばさんだということに、情け容赦なく仕掛けてくれる気がする。
嬉しいことだけれど、エネルギーもたない。

物申す!

2016-04-15 11:50:04 | あれこれ
世の中のことを批判しても仕方ないのだけれど。
こんな私でもいろいろとおかしいなあと思うことはある。

近頃、ワーキングプアだの、子供の貧困だののニュースをよく耳にする。
なんだかわかる気がする。

私が若い頃はそういう意味では良い時代だったなあと思う。
私のような何もできない人間でも、ほぼ座っているだけでお給料がもらえた。
支店長はよく食事に連れて行ってくれたし、帰りにはタクシー券をもらった。
接待費の詳細にもそれほどうるさく言われなかった。

ワーキングプアに関して言えば、友達に高校の先生をしている子がいるが、
彼女は最初は県の試験に受かって公立高校に行っていたようだが、
出産・子育ての時期に一度退職した。
愛知県では近頃では、子育てが終わった人のための採用枠というのがあるらしいが、
彼女の住む地ではないのか、本人が言うには、
たとえもう一度試験を受けたとしても、一度辞めた者にたいしては、
よほど優秀でなければ採用されないとのことだった。
それで彼女は私立高校で職を得たようだが。
正規の職員ではないため、給料はかなり安いようだ。
それで、講師のかけもちをしたり、塾でアルバイトしたり、いろいろ大変そうな話を聞いた。
(ちなみに彼女はご主人とうまくいっていないようで、ご主人からの生活費はあてにならにようである。)
その話を聞いた後で、テレビで同じような学校の先生が、
生徒が気軽に自販機でジュースを買っているのを見て羨ましいと言っているのを見た。
そういうことか、と思った。

子供の貧困ということについて言えば、これはちょっと違うのだけれど、
自分で実感したことを言えば、子供たちが高校に進学したときのこと。
高校の教材費というのはバカにならない。
一番思ったのは指定の体操服がものすごく高いのである。
普段、個人で買うジャージなどと比べて倍くらいの値段はする。
確かにデザインもおしゃれで、物もいいのだろうけど、
こんな高価なものを強制的に買わせるってどうなんだろう?って思った。
そのとき思ったのは、
きっとバブル以降、そういうのが当たり前になって、バブルが崩壊した後でもそのまま続いているんだろうなということ。
子供の貧困ということが言われている今でも変わっていないのだろうか?

それから教科書。
入学式の前に、教科書、参考書、その他、ドン!!と一揃えまとめてセットにして買わされる。
教科書自体は仕方ないとしても、
私が高校のころは、参考書などは姉の使っていたものを使っていた。
あるものは、学校は違っていたが、従兄が同じものを使っていたので、
それを姉が使い、また私が使った。
部分的に違う箇所もあったけれど、差支えがあるほどではなかった。

民主党政権時代に、「子ども手当」なるものがあって、
ニュースなどで、小さなお子さんを持つ親御さんたちは、あれに使うこれに使うなどいろいろおっしゃっていたが、
彼らは、高校・大学と進むとそれどころじゃないお金が必要になるということをわかっていないんだろうなと思っていた。
本当に、貧乏人は大学に行くなと言われているような気がした。

今の若い子は、就職するのにものすごいパワーを使う。
中学生の時から「職場体験」など、職業教育はすごいものがある。
いいところもあるとは思うけれど、そんな子供のころから職業に対する意識を植え付けられて、
プレッシャーをかけられているんじゃないかと思う。

そして、学校を出る時に就職できるかできないかで、人生は大きく変わってしまいそうだ。
大企業と言われるところに就職できた人は、仕事は大変だろうけど、
かなり裕福に暮らしていけるような気がする。

女性の社会進出のこともいろいろあるが、まず、毎年言われる就活の大変さ。
その大変な就活を乗り越えて就職したなら、ちっとやそっとで仕事を辞めようとは思わないだろう。
仕事を続けていくには、当面結婚・出産のことは考えないと思う。
(よほどの大恋愛でもしないかぎりはね!)
それで一方では「子供を産め」と言う。
この矛盾を偉い人たちはわかっているのだろうか!?

社会で活躍したい女性が活躍できるようになってきたのはいいことだと思う。
でも、一方で「子供は自分の手で育てたい」と思っている女性だっているはずである。
実際、そんな人たちが外で働かないことに罪悪感を持っているというような話も聞く。

フルタイムで仕事をしている友達の話など聞いても、細かいことにはこだわっていられないのだと言う。
家族が大病をして入院したりしても、
それがいつのことだったかなど、覚えていなくて当然だと言っていた。

いろんな人がいて、いろんなことを感じ、いろんなことを考えて、そして世の中は回っていく。
できることなら、全ての人が平穏で倖せに暮らしていけるならいいと思う。