2015-11-18 16:38:25 | 日記
先日外回りの仕事の途中、ある家の前で知らないおばさんが柿をもいでいらっしゃった。
私は、柿が大好きで、この時期柿が安くなっていると、毎回のように買ってくる。
子どものころには、家に柿の木があってよく食べた。
固いものも、熟して柔らかくなったものも、それなりに好きだ。

そのおばさんが柿をもいでいるのを見て、心の中で「いいなー」と思った。
すると、そのおばさんが私に、「柿いらない?」と声をかけてくださる。
私は、「えー?寄ってちゃうぅぅ~!!」とつぶやきながら、
全く知らないそのおばさんの方へ…。

おばさんは、私の両腕にいっぱい柿を乗せてくださる。
私は、その柿を自転車のかごに入れると、
商売道具のゴミ袋を持って、
「これ良かったら使ってくださいー!!」とおばさんのそばに置く。
「ありがとうございますー。ごちそうさまですー。」と言ってその場を後にする。

こんな何でもないできごとが、とっても嬉しい。

関ヶ原

2015-11-16 13:07:25 | IGUちゃんとのこと
大阪まで車で行った、その年の暮れのこと。
IGUちゃんが言う。
「帰省するのに、今から切符買うの面倒だから、車で迎えに来てー!!」
呆れて物が言えないとはこのことだ。
「私は、冬の関ヶ原を車で越える勇気はありません」とソッコー却下!

翌日、会社で先輩のお姉さまに怒って報告する。
このお姉さまというのは、私より20歳くらい年上で、仕事ができて、とにかく真面目な人。
独身でいらっしゃったが、
詳しくは知らないけれど、若いころとても好きな男性がいらっしゃって、
でも、その人とは一緒になれず、多分自分に正直に独身を通していらっしゃったのではないかと思う。
「とても好きな男性とは一緒になれなかった」という部分では、
私とかぶるところがあるが、私とはエライ違いの立派な方である。

まあとにかく、そのお姉さまがおっしゃるのである。
「あら、どうして?行ってあげればいいのに」
私は、この発言にも呆れてしまったのだが…。
お姉さまにそう言われて、その気になってしまったバカな女である。

タイヤ屋さんに勤める友達のところに行って、チェーンを買い、
一人でチェーンの付け外しの練習をして、
暮れの帰省ラッシュで混雑する時期に、帰省する必要もない私が、
名古屋ー大阪間を往復したのである。

幸いにも、関ヶ原付近に積雪はなく、渋滞もほとんどなく無事に行って帰ってくることができた。

IGUちゃんをご自宅近くまで送って、
多分「ありがとう」くらいは言ってくれたと思うけれど、かなりあっさり帰された、という記憶である。
私は、アッシーか!?
このころのIGUちゃんの、私の扱い方はまあ、こんなもんである。

溜まり場

2015-11-13 16:35:42 | あれこれ
高校生のころ、男の子に多かったのだが、「溜まり場」を持っている子が結構いた。
学校の周りには、そんな我が校の生徒の溜まり場になっている喫茶店が何軒かあった。
(ちなみに、IGUちゃんが溜まっていた喫茶店には、私は怖くて足を踏み入れることができなかった)

私も、一時期帰りに友達としばしば通った喫茶店があった。
うちの高校の生徒が結構寄っていて、自由に書き込めるノートとか置いてあったんだけど、
しばらく行かないでいたら、店の前に、「高校生お断り」と張り紙がしてあった。
誰か素行の悪い人がいたのかなあ?

高校生のころは、どの程度思っていたかわからないけど、
私は、そんな溜まり場のある人が羨ましかった。
そこに行けば、お店の人を始め、誰か友達がいる。
そんな場所が私も欲しかった。
特に結婚してからは、密かに溜まり場にできそうなお店を物色したりもしたけど、
行動力もなければ、それなりにお金もかかるし(コーヒー代くらいは)
とうとう作れなかったなあ。

でも、一時期はあったんだよな。
大学4年生のとき、Tくんと別れた後、
高1のときのクラスメイトが溜まっていた喫茶店に思い切って行ってみた。
ノーアポで行ったんだけど、クラスメイトが何人かいたし、
1年後輩の男の子がバイトしてたし、2年後輩の子もいたりして、なかなか楽しかった。
それ以来毎週のように足しげく通い、
私はいつも携帯用のオセロゲームを持って行き、
オセロをやって、友達とご飯食べに行き、その後ゲーセンに…。
なんて生活を結婚直前までしていた。

結婚直前までと言っても、その喫茶店は、マスターが別の商業施設の中にお店を持つことができることになって、
閉店してしまったので、
その後は、マスターと離婚した奥さんのやっていたちょっと郊外の方の喫茶店に移ったのだけれど。
ちなみにそのママさんは、なかなかのやり手で、その後もいろいろと手広くお店を経営していた。
わりと私が住んでいるところに近いところを拠点にしていたので、
昔はちょくちょく行ったけれど、足しげく通うには距離があり、
私も子育てとかで忙しくなって、足が遠のいてしまった。
あちこちお店も変わっていたので、場所も不案内でなかなか行けなかったのだが、
先日、行き易いところにお店があるという情報を仕入れたので行ってみた。
「この雰囲気昔のまんま!!」と思ったのだけれど、
お店の人に「ここのママさんは○○コさんですよね?」と聞いてみたが、
不思議そうな顔で、「わかりかねます」と言われてしまった。
彼女は、私より一回りくらいは年上だろうから、経営は息子さんの方に移してしまわれたのかもしれないが、
たまには顔を出すとかいうことはないのだろうか?
彼女が、すっかり引退してしまったなんて考えにくいのだけれど…。
そのうち、知ってそうな人に聞いてみよう。

話がそれてしまったけれど…。
あのとき(大学4年のとき)、勇気を出して溜まり場に足を踏み入れたことで、
今の私にはちょっと嬉しいことがある。
あのころ、親しくしていた友達がいたことで、
大好きな高1のときのクラスの幹事グループみたいなメンバーになっている。
あのとにかく目立たないように地味に過ごしていた高1のクラスで!!

(中学の幹事グループには絶対入りたくないとか思っているのに勝手なものだよね!)

私にだって、ものすごく欲しくて欲しくてたまらなかったものはある。
どんなにがんばってがんばって手を伸ばしても、届かなかったものもあるけれど。
逆にそんなに欲しいと思わなくても、簡単に手に入ってしまったものもたくさんあると思う。
だけど、今のポジションは、
(幹事グループなどというわけのわからない造語をしてしまったが、
 まあ、幹事などどうでもよくて、このあたりの人間関係のこと)
私が、欲しくて欲しくてたまらなくて、一生懸命手を伸ばして、手に入れることができた、
数少ないものの一つだと思っている。

私の宝物の一つ。


苦労知らず 2

2015-11-13 15:21:46 | 日記
昨日は、友達と会っていた。
そのうちの一人は、元々それほど親しくしていなかった子なので、
あまり彼女の事情を知らなかったわけなのだが…。
お姑さんの介護などで苦労しているということは、なんとなく知っていた。

ご実家も嫁ぎ先もなかなか裕福なご家庭だとは思っていたのだが。
近頃新居を建てて、自分の母親を引き取り一緒に暮らしているとのこと。
ご主人は元々住んでいた家の方が通勤とかに都合がいいとのことで、別居状態らしい。
豪邸が2軒!?ということで羨ましいような気もしたが、
話を聞いてみると、裕福な家庭には裕福な家庭なりの大変なことも多いようで、
まあ、そんなことはなんとなくわかっていたこととはいえ、
実際にそういった話を聞いてみると、大変だなあと思う。

私も結構思っていることをぼろぼろと率直に話すことができ、
それなりに、楽しく有意義なおしゃべりタイムが過ごせたと思っている。

私は、長生きはしたくないと思っている人なのだが、
そんな私の発言に、彼女は心底驚いているようだった。
私の周りには、私ほどではなくても、
老後を楽しみにしているというようなことを言う友人はあまりいなくて、
「あまり子どもに迷惑をかけないうちには死にたいよね」などと言う声もしばしば聞いていたので、
彼女のようなこれからの人生を積極的に生きたいというような発言は、
なかなか新鮮だった。

彼女は、一人っ子で、結構ご両親の束縛もあったようで、
進学も、就職も、結婚も、親の意見を通すところが多く、自分のしたいようにはできなかったようである。
そして、嫁ぎ先での苦労もいろいろ…。
そんな過去があるからこそ、これからやりたいことがいっぱいあると言うのだ。

たとえば、私は姑よりも絶対に幸せになってやる!と言う。
お姑さんが旅行に行った場所は全部記録してあって、
「お義母さんが行った場所には、私は全部行く!!」と。
まだまだ行くところがたくさんあるらしい。

苦労したからこそ、やりたいことがたくさんあるんだなあと思った。
私にやりたいことがないのは、苦労知らずだからなのかな?と、
改めて自分の苦労知らずぶりを確認した日であった。

運動音痴

2015-11-11 17:58:59 | あれこれ
私は、インドア派というだけあって、運動はあまり得意ではない。
特に運動音痴というほどではないと思うが…。
小・中学校では、お勉強はなかなかよくできたのだけれど、
体育は大抵5段階評価の「3」だった。

小学校の5年生のときだったと思う。
2学期かな?と思うけど、体育の授業で、
ほとんど跳び箱とかマットとか、徒手体操と言われるものばかりをやっていた学期があって、
そのとき、私は実は徒手体操は結構得意だということを発見した。

台上前転というのを初めてやった。
すごい難しそうと思ったけれど、なかなかすんなりとできた。
台上前転というのは、ただ跳び箱の上で前転をすればいいというわけではなく、
踏み切り板のところで、しっかりジャンプしなければいけない。
周りの体育が得意な子たちでも、恐怖心があるのか、跳び箱の前でちょっと止まり気味になってしまう。
でも、私は上手にできていたと思う。
運動神経のいいあの子よりも、この子よりも、私の方が上手
そう思っていた。

テストがあって、一人ずつ飛んでいき、その場で先生が「A]とか「B]とか評価する。
女子で「A]をもらったのは、私一人だった。

徒手体操の授業の締めくくりに、
先生が、跳び箱とマットをたくさんずらーっと並べて、
ここではあれをやって、ここではあれをやって、とコースを作った。
そして一言。
「これ全部できたら、「5」をやるぞ!」
私は、見事に全部クリアした!!

学期末の成績表をもらうのが楽しみだった。
さすがに「5」はなくても、「4」はもらえるだろうと思っていた。
ところが、先生は「3」しかくれなかった。

当時の成績は、相対評価で、「5」の取れる子の数は決まっていた。
これは、当時の小学生の私が考えたことだが、
先生は、他の教科で「5」の取れる私よりも、
体育でしか「5」の取れない子にいい成績をあげたかったのだろう。
でも、いいの?それでいいの!?

時は流れて、高校の2年か3年のとき、
やはり体育で、体操ばかりやっていた学期があった。
平均台とか初めてやった。
あんな細い台の上で、前転とかできるわけないと思ったけれど、やってみるとできるものである。
そのときは、私が一番上手なんて思ってなかったけれど、
先生はちゃんと「5」をくれた。

中学のときは、筆記試験で点数を稼いだけれど、
高校のときは、実技と保健は別科目で、実技に筆記試験はなかった。
だから、正真正銘、実技だけで取った「5」である。

それにしても、大人になった私は体が硬すぎて…。
(笑える話もいろいろとあるのだけれど)
五十肩が治らないのも、そのせいもあるのだろう。
そんな私が、体操が得意だったなんて!?
わからないものである。