成長

2016-11-24 11:51:48 | あれこれ
自分の願い事を三つ、考えてみた。
以前の私なら、一つでも思いついただろうか?

一つ目はすぐに思い浮かぶ。
そして二つ目も。
三つ目は何だろう?
ちょっと考える。

ああそうか。あれだ!
ちゃんと三つみつかった。私の願い事。

普通の人なら「何それ?」と思ってしまうだろうけど、
そんなことに自分の成長を感じてしまう私である。

紅葉狩り

2016-11-17 11:31:43 | 日記
多分、紅葉狩りなんてものは、今までの人生で経験したことがないんじゃないかと思う。
とにかく混んでいるところに行くのが嫌いな私。
多少の人混みならいいのだけれど…。
駐車場に困るのが一番嫌だ。
元々感性も薄く、都会派の私は、自然にもあまり興味がなかったのだろう。

そんな私が、フェイスブックにアップされる紅葉の写真を見て、紅葉が見たくなった。
以前、そのうち遠出しましょうと声をかけてくれていた友達に連絡してみる。
運転は得意だからどこにでも行くよと言っていた彼女。
話はとんとんと進み、彼女は他の選択肢なんてないといった感じで、
この辺りで一番の紅葉の名所に行くことになった。

そこは、私の実家から夫の実家に直接行く時には通る場所で、
前のメイン道路もあまり広くなく、よく渋滞していて、
紅葉の時期には、とても通れたものじゃないというイメージ。
若い頃、誰かと行ったことがある。多分Tくん。
紅葉の季節ではなかったと思う。

昼間に出かけた人が帰り始める頃、そして夜来る人はまだちょっと早いかな?と思われる夕方に行くことにした。
大当たりで、渋滞にも会わず、駐車場にもまだまだ余裕があるという感じだった。

まだ時期がちょっと早いのかな?どうかな?と思って行ったのだけれど。
とても素晴らしかった。
同行の彼女は、毎年のように行っているらしいが、
こんないい時期に当たったのは久しぶりと言う。

自然はすごいなあ。
こんなに鮮やかな、様々な色を創り出してしまう。

思ったよりもずっと広くて、私は物珍しさに、あっちにもこっちにもと歩き回る。
日が落ちてきて、ライトアップが始まる。
自然の赤・緑・黄色…、それらの色はわからなくなるが、
ライトアップされた金色に輝く風景も、それはそれで素晴らしい。

分かれ道があるたびに、まだ行っていない方の道を選ぶ。
上り坂になっている道を見て、「行ってみる?」
小高い山の山頂に向かう道らしい。
それがなかなかキツい。
一応階段が造られているが、今の整備された疲れにくい段幅みたいのが考えられているようなものではない。
途中で心臓がバクバクになる。
ここで倒れても、病院に運んでもらえるだろうな、などと考えてしまう。
夏に行った伏見稲荷よりずっとキツい。

これで終わりかな?と思える開けた場所に出る。
そこでしばらくのんびりするが、まだ先に階段がある。
そこから先はライトもなく真っ暗。
まだ先がどれくらいあるのだろう?
取り敢えず角のところまで上って、様子を見てみる。
山頂はすぐだった。
休憩所のようなベンチを設えた建物がある。
そこに座る。
目の前の、下からの光に照らされた木を見ていると、不思議な気分になる。

これらの木々は、一体いつからここに立っているのだろう?
麓の神社に縁起が書いてあったけど、何年て書いてあったかな?
私が生まれるずっとずっと前から、ここに立っていて、
移りゆく世の中などものともせずに生きてきたんだろうな。
そして、私の何世代も前の時代の人たちが、この同じ木を眺めてきたのだろうな。
風もなく、そよとも動かない目の前の木を見ながらそう思う。

木を照らす光以外は真っ暗で、あまり話す人もなく、しーんと静かで、
そして、寒過ぎはしないけれど、空気がじーんと冷たい中、
自然と瞑想をしたい気分になる。
目を瞑ってしばらく過ごす。
気持ちが入る前に、隣の彼女に話しかけられて瞑想はできなかったけれど。
あんな気分には滅多になれるものじゃない気がする。

若い頃、暗かった頃、車で1時間くらいの名勝地と言われる場所に時々一人で出かけた。
行って何をするでもない。
ただぼーっと湖を眺めていた。
今後、そんな気分の時はここに来てみようかと思った。

とにかく素晴らしい時間を過ごせた。
連れて行ってくれた彼女に感謝である。
彼女と出逢えたことに感謝。
「知り合い」から、「友達」になってくれたことに感謝である。

言葉がみつからない

2016-11-14 10:08:59 | 戯言
言葉は難しい。
言葉は人の心に残る。
一度発した言葉は取り消せない。
心を言葉で表現するのは不可能だ。
心だけじゃない。何もかもすべて。

えりかさんという人は、とにかく言葉で相手に気持ちを伝えようとして、
少しでも正確に言葉を使おうとしていたように、私には感じられた。
少しでも正確に、辞書に載っている通りに。
でも、そんなことして何の意味がある?
あなたが自分が正しいと思っていても、受け取る側はその言葉を自分の感覚で自由に受け取る。

言葉で表現できないことがもどかしい。
心の中のもやもやを、自分自身に対してもうまく説明できないことがイライラに繋がる。
増してやそれを人に伝えることはできない。
そうやって、自分の中にひきこもりそうになる。


よりめちゃん

2016-11-11 23:41:47 | ねこ部
うちの子たちがまだ仔猫の頃から、よく見かける野良猫のよりめちゃん。
多分、うちの子たちより少し早く生まれたくらいだろう。
シャム系で、顔に茶色いブチがある。

よりめちゃんは、あまり人を怖がらない。
近づこうとすれば逃げるが、ある程度の距離があれば知らん顔をしている。
私が毎日猫散歩をしていた頃、
途中で出逢っても、うちの子たちはよりめちゃんを見て興奮するのに、
あちらは平気の平左である。
私はいつも、
「あの子は、あんたたちと違っておりこうだから、相手にしてくれないよ!」と言っていた。
よりめちゃんが、すごいスピードで道路を横断して行くのを見た。
おりこうだなあ。いつもそう思っていた。

よりめちゃんは子供を産んだ。
我が家の隣の市営住宅で子育てをしていた。
仔猫が5匹くらいいたと思う。
仔猫が親離れできそうになった頃、
住宅に住むおじさんが、遠くに棄ててきたと言っていた。
それ以来、よりめちゃんが子供を産んだ様子はない。
誰か避妊手術でもさせたのだろうか?

よりめちゃんは、時々うちの庭に遊びにくる。
何年か前から、エサをやるようになった。
よりめちゃんは小食である。
そんなにたくさんやるわけでもないのに、大抵いつも残してあった。
でも、よりめちゃんは他所でもエサをもらっていた。
うちの窓から玄関ドアの見える住宅の1階の部屋。
猫好きのおばあさんが住んでいる。
そのドアの前でよりめちゃんが鳴く。
するとドアが開く。よりめちゃんが中に入っていく。
そんな様子を何度か見かけた。
あのよりめちゃんが、中に入って行くなんて、あのおばさんはそんなによりめちゃんに信頼されているのか。
そう思うと、ちょっと羨ましかった。

よりめちゃんの餌場は他にもあるんじゃないか?
なんとなくそんな気がしていた。

時々エサをあげていたが、ある時ちっとも来なくなった。
死んじゃったんだろうか?
心配していたが、春になるとよりめちゃんは姿を現すようになった。
冬の間来なかったようだ。
どこで暮らしていたのだろう?
その次の年も、冬になるとよりめちゃんを見かけなくなった。
そして春になるとやってくる。

そのうちにマダラちゃんがうちに居つくようになって、
よりめちゃんはあまり来なくなった。
よりめちゃんとマダラちゃんが鉢合わせしたこともあった。
最近もうちの庭に遊びにはくる。

私も夫も、よりめちゃんのことが何だかとっても好きだ。
よりめちゃんはおりこうさんだと思っている。
野良猫の寿命は2―3年とも聞く。
うちの子が7歳だから、よりめちゃんもそれくらい。
よく長生きしてくれている。

人生は長過ぎる

2016-11-11 13:33:08 | 戯言
人の一生なんて短いものだとよく言われる。
確かに、宇宙の、魂の、長い歴史を考えれば、人の一生なんて短い。
でも、実際に生きている人間にとって、人生は短いだろうか?
そんなはずはない。

私たちの親の世代のことを考える。
親が生まれた時代。戦前である。
想像もできないような大昔である。
戦前、戦中、戦後を生きた母は偉大である。
時代の流れというものをどう感じていたのだろうか?

私が子供の頃だって、最早大昔である。
小学生が書いた未来の予想図みたいなのとはちょっと違うけれど、
当時は想像もできなかった世界が広がっている。
だから、ずっとずっと長生きをして、世の中の変化を見たいと思う人もいるかもしれない。

祖父は、死ぬことを怖がっていたと、母が言っていた。
そうだったのだろうか?
祖父も母も、90年近くも生きて。
何て長い時間だろう?

祖父は80歳になった時に、回顧録を書いた。
ずっと日記をつけていたので、それを見ながら書いたのだろう。
手書きで、コピーしたものを綴じたもの。
伯父たちが、祖父の願いをかなえるために試行錯誤して完成させたのを覚えている。
どこまでの親族や友人知人たちに配ったのか。
実家にに何部か残っていたはずだ。
何年か前に、それが読みたくなって、母に聞いたが、
探しておいてくれると言ったものの、どこにあるのかわからなかったのだろう。
私の手元にはなかなか来なかった。

先日、姉が見つけて渡してくれた。
一通り目を通す。
手書きで読みづらいし、全く興味のない内容もあるので、
全部は読んでいないが。

序文を読んで感じ入る。
身体は死とともに無となる。
それは良いが、ただ何となく未練の残るのは、折角此の世に生を受け、
80年以上永い間に、私の周囲に生じた様々の出来事、何らかの形で宇宙空間に投じた波紋、
それは一体どうなるのだろうということである。


『何らかの形で宇宙空間に投じた波紋』
そんな表現ができる祖父のことを思う。