花粉症

2016-03-28 17:01:00 | からだのこと
花粉症真っ盛りの時期。
私も花粉症にはずいぶん悩まされた。

高校生の頃、友達が「私、花粉症なので」と言うのを聞いた時には、
最近聞くようになった花粉症、この子そうなんだ、かわいそう。
くらいに思っていた。

いつ頃からだろう?
20年くらい前かなあ?
子供を医者に連れて行った時に、待合室で鼻がぐずぐずして堪らなかった。
元々、鼻風邪を引くたちだったので、
「私も診察してもらうべきだったろうか?」などと思った。
その後しばらくして、「これはもしかしたら花粉症というやつじゃないだろうか?」と思う。
そのままシーズンは終わり、次のシーズンにはそんなことはもう忘れている。
鼻がぐずぐずして、「そう言えば、去年花粉症かと思ったんだった」と思い出す。
そんな感じで何年かは自分が花粉症だという自覚がない。

そのうちに、内科で薬をもらった。
朝晩2回飲む薬で、「眠くなるようだったら、夜だけにしてください」と言われる。
眠い。眠いと言うか、一日頭がぼーっとしている感じ。
薬を1回にしても変わらない。
そう言うと、あまり眠くならない薬に変えてくれたが、やっぱり眠い。
当時は「アレルギーの薬は眠くなる」ものだった。(と思う)

山奥の夫の実家に行った時、いつもの道が工事で通れなくて、両側に杉の木が生い茂った山道を通ったことがあった。
杉の木が揺れて、大量の花粉が舞うのが見えた。
見た瞬間から鼻水が止まらなくなった。

その後、耳鼻科で薬をもらうようになる。
眼科で目薬ももらう。
その頃の薬は特に眠くなることもなかったが、1カ月以上飲み続けると、
なんとなく、「体に薬が溜まってきた」と感じる。
それで薬はやめた。

花粉症の人は、症状が出る前から薬を処方してもらいなさい、などということをよく聞くけれど、
薬に抵抗のある私には、それはできなかった。
耳鼻科に行くのもやめにして、症状のひどい時だけ市販の鼻炎薬を飲む。
目薬もとても良く効くものを見つけた。

何年か前まで、私は花粉に異常反応というか…、ものすごく警戒していた。
花粉が飛び始めた時期に、少し鼻がむずむずし出すと、
外に出る時は必ずマスク。
洗濯物を干すほんの短い時間でも、必ずマスク。
花粉症だと言いながら、マスクしないで出歩いている人を見ると、
見た目の方を優先するなんて、大した症状じゃないんだな、なんて批判的に思っていた。
5月の連休が明けるころまでは、マスクが手離せなかった。

暖かくなって、天気のいい日には、夫が家中の窓という窓を全部開け放つ。
気持ちはわかるが、花粉症の私に全く気を遣ってくれない。
溜息をつきながら、私は家の中でもマスクをしていた。

ところが、スピ系の本を読むようになって、
自分の意識に「花粉症」という言葉を刷り付けることが良くないらしいということがわかってくる。
心を入れ替えて、花粉症を意識しないようにする。
症状が出るまではマスクもしない。
少しの外出なら、マスクはしない。
そんな春を何回か過ごした。

そして去年、私の花粉症の症状はほとんど出なかった。
ちょっと目が痒くて目薬をさした日が2、3回あった。
鼻がむずむずした日も2,3日あった。
それだけ。
でも、去年は全国的に花粉の飛ぶ量が少なかったという。
症状が出なかったという人もちらほらと聞く。

そして今年。
今のところ、症状はほとんど出ていない。
冬の間、鼻をかむことがほとんどなかったのに対して、1日に1回か2回鼻をかむ程度。
私の花粉症は治ったのか!?

でも、人に聞かれると言っている。
「私の免疫細胞は、本当の敵と戦っていて、花粉なんか相手にしていられないんだと思う」。
本当にそうなんじゃないのかな?と思っているのだけれど…。
薬の副作用だってそうだ。
本当に薬を飲まなきゃいけない症状のあるうちは、副作用は出ないような気がする。

だけど、今日これだけ「花粉症、花粉症」と書いたので、
意識に刷り込まれてしまって、明日あたり症状が出るかも?と、ちょっと心配である。

ご飯がおいしい

2016-03-25 17:01:28 | あれこれ
私は元々大食いだった。
子供の頃から食べるのは大好きだったようである。
好き嫌いもほとんどない。
中学まではぽちゃぽちゃっとした体形だったが、
高校生になって、電車通学を始めると、みんなから「痩せた痩せた」と言われた。

だから私は「痩せの大食い」。
会社勤めをしていた頃は、支店長がよく食事に連れて行ってくれた。
社員5人ほどの小さな支店で、私以外は皆さん40代のおじさまとおばさまだった。
私の大食いは有名で、料理が多過ぎた時など私の前にズラーっと余った料理が並ぶ。
私は遠慮しながらも、「ごちそうさまー!」とそれをたいらげていた。
「みなみさんは、本当に気持ち良く食べるねー」と、上司に言われていた。

べーちゃんと仲良くしていた頃、体調でも悪かったのか、
「私、癌かもしれない」とつぶやいたことがあった。
医学生のべーちゃんは、
「癌に罹った人間が、あんたみたいにご飯をたくさん食べるはずがない」と答える。
それ以来、食欲は私の健康のバロメーターみたいに思っている。

基本的に、好き嫌いを主張する人は好きではない。
食事中に「おいしくない」を連発されるのが嫌い。
こっちまで食事がまずくなる。
よっぽどでない限り言わないでほしい。
ひどいのは、自分の嫌いなものを人が食べてるのを見て、
まるでゲテモノを食べているかのような目つきで見る人。
食事は楽しく食べたいものだ。

そんな私も年齢に従って、少しずつ食が細くなっていった。
ある時期からは意識してご飯の量を軽めにしたりもした。
無理に痩せたいとは思わないが、できることなら太りたくもない。

こんな私が、この頃ご飯をおいしく食べられなくなった。(ような気がする)
前から、ご飯を作るのに疲れて食がすすまないようなことはあったけれど。
特に去年の夏など、恋煩いのせいもあって、何も食べたくないと思っていた。
でも、何よりも自分の作るご飯がおいしくないのである。
男の子が家から出て行って、手の込んだ料理を作る気力が無くなった。
楽には楽なんだけれど…。
夫もあまり食べなくなって、娘が食べない時など我が家のご飯はまるで老人食である。
ちょっと寂しいかなー?と思って一品増やしたりすると、作り過ぎの結果になる。

こんな調子だと、いよいよ私も本当に何か病気かな?などと思えてくる。

エミコ

2016-03-24 17:55:03 | あれこれ
小学校の時の友達のエミコから久しぶりに連絡があり、電話で話した。

エミコとは、5-6年生の時同じクラスで親友だった。
エミコはハーフと間違われるような美人で、歳の離れたお姉さんがいたせいもあってか、
かなりのおませさんだった。
私の友達のことにはあまりあれこれ言わなかった母が、エミコのことだけは好ましく思っていなかったようだ。
エミコの家庭はちょっと複雑で、両親は再婚同士、2人のお姉さんとは父親が違うとか、
そういうこともあったのかもしれないが、
多分、エミコには小学生らしからぬ色気のようなものがあって、
それが気に入らなかったんじゃないかと思う。

確かにエミコは、次々といろんな男の子を好きになったり、
歳の離れたお姉さんのお下がりだという、大人っぽい服を着たりしていた。

エミコは足が悪かった。
常にびっこ(今は何と言うのだろう?)をひいていた。
走ると余計に肩が大きく揺れる。
それでも体育の授業には出ていたし、
太ももの横にかなり大きな手術の痕があったのだけれど、普通のスクール水着を着て水泳もしていた。

男子にはいつも「ダッチョ、ダッチョ」とからかわれていたが、
怒りはしても、慣れきったようにかわしていた。
「ダッチョ」とは、「脱腸」のこと。
エミコは、幼い頃に脱腸で手術をして足が悪いのだと聞いていた。
「脱腸って何?」と母に聞くと、
「腸が、外に出てくる病気」と言われ、
腸が足から出てくるのだろうか?と不思議に思ったが、それ以上は考えないのが私。

修学旅行の時、ぞろぞろと皆で歩いていろいろ見学していたのだが、
エミコは、かなり具合が悪そうで、保健の先生と一番後ろを歩いていた。
後ろからエミコの「はあはあ」という辛そうな息遣いが聞こえてくる。
心配そうに声をかける子もいたけれど、
どうしてだか、その時の私は、エミコに対して優しい気持ちになれなかった。
エミコとはとても仲良くしていたが、どこかエミコのことを快く思っていない部分があった。

中学に入ってからは、同じクラスになったことがなかったせいもあり、
エミコとはそれほど仲良くしてはいなかったが、会えば普通に親しく話す仲だった。

20歳くらいの頃だったか、町で偶然会ったエミコから結婚すると聞いた。
言ってみれば「男好き」のエミコが、こんなに早く結婚して大丈夫なんだろうか?
すぐに離婚なんてことになるんじゃないかと、ちょっと思った。

でも、そんな私の心配?に反して、エミコはちゃんとした家庭を築いていたようだ。
今は孫もいて、ご主人のご両親も未だ健在、がんばって主婦をしているらしい。

ずいぶん前に一度電話で話したんだと思うけど、エミコの子育てはかなり大変だったらしい。
赤ん坊をベビーベッドに寝かしておむつを替える。
その時、中腰になるのがものすごく辛かったという。
それで、2人目の子供を妊娠した時、中絶してしまったという。
「中絶までするかな?」と思ったけれど、相当に辛かったんだろう。

5年くらい前に、ものすごく久しぶりに会ってランチした。
その時に聞いた話。
エミコの誕生日は、1月1日なのだけれど、本当は半年くらい早く産まれたのだという。
事情はわからないけれど、エミコが産まれた頃、ご両親は山奥に住んでいて、
お母さんは医者にもかかっていなかったらしい。
エミコが産まれた時、お父さんは産婆さんを呼びにでも行っていたのか留守で、
隣のおじさんがエミコを取り上げてくれたと言う。
その時、逆子だったのを無理矢理足をひっぱって出したので、股関節を脱臼してしまったそうだ。
出生届を出したのも、足のことがわかって病院にかかったのも、
産まれてからずいぶん後のことだったらしい。
ご両親は、本当の誕生日を覚えていないと言ったという。

その頃、えりかさんとACの話ばかりしていた私にとって、それは衝撃的な話だった。
本当の誕生日を覚えてもいないという両親を責める様子もなく、あっけらかんと話すエミコ。
ご両親とは仲良くしていて、いろいろと病気の心配などしていた。
それに比べて、えりかさんのACも、私のACのなりそこねも、すごく贅沢な気がした。
もちろん、比較の問題ではないのだけれど。

今日、電話で話していて、話の流れから、
私がエミコが小学生の頃、足が悪いのを気にかけないかのように、体育をしていたことや、
傷跡を隠しもせずに水泳をしていたこと、今思うとすごいなあと思うということを話した。
今だったら、「かわいそうだから」とそんなことさせない親が多いんじゃないかと。
エミコは、そう言ってもらえると嬉しいけど、
当時は、本当は親には体育はやるなと止められていたのだと言う。
意地を張っていたとか、そういうことじゃなくて、ただ、自分がやりたいからやっていたと。

それを聞いて、私は一体エミコの何を見ていたんだろうと思った。
エミコは何て素敵な女の子だったんだろうと思った。
確かに、エミコが何も気にしない様子でいたので、私たちは、エミコを特別扱いすることもなかった。
でもきっと、私なんかが想像もできないほどの、辛さとか、葛藤とかを抱えていたんじゃないか。
もしかしたら、私が子供の頃父親がいないことを何とも思っていなかったように、
エミコも子供の頃には、あまり深刻に気にしてはいなかったのかもしれない。
でも、思春期とかにはいろいろと思い詰めたり、考えたりしたことはあっただろう。

私の知っているエミコは、明るくて元気な女の子。
次々と男の子を好きになっては、積極的に話しかける。
また近いうちに会って、ゆっくりといろんな話をしたいなあと思う。

ららら、ランチ

2016-03-23 15:31:58 | 日記
ここのところ、学生時代の友達じゃなくて、
結婚してから移り住んだこちらの地でできた友達とランチする機会が多くあった。
どれも、あちらからのお誘い。

ちょっと前まで、私は友達と会いたくてもこちらから積極的に誘わないと、
滅多に会えることがないと思っていた。
偶然、スーパーで会ったりした人に、
「今、何してるの?今度誘ってもいい?」
そんなことを聞きながら、お誘いをかける。
そうしておしゃべりすることができても、次の約束はない。
主婦同士の人間関係ってそんなものなのかな?と思って寂しかった。

楽しい時間を過ごすのに、他人に頼ってばかりではいけないと思って、
いろいろ一人でも楽しめることを見つけた。
元々ひきこもり体質の私は、最近では家の中で楽しく過ごす方法をいろいろ覚えた。
誰かからお誘いがかかれば、嬉しくて飛んで行くが、
誰からもお誘いがなければ、それはそれで一人で楽しめるようになった。
だから、こちらから無理にお誘いをかけることも少なくなった。

「人は追いかければ逃げるし、こちらが逃げれば追いかけて来る」
それは恋愛関係を言った言葉かもしれないが、友達もそういうものなのかもしれない。
まあ、私は逃げているわけじゃないが。

大人になってからの私は、「知り合い」はたくさんいても、「友達」にはなかなかなれない。
学生時代の友達のように、本音で語り合える人はいなかった。
かつての私は、いつも「本音で話せる友達が欲しい」と思っていた。

少し本音が話せるようになったと感じたのは、15年くらい前だろうか。
小学校のPTAの関係で、ちょっと私としてはつらい出来事があって、
その時に、どんなに友達だと思って気を遣っていても、
こういう時には、誰も助けてくれないんだみたいなことを感じて、
(別にそれはその人たちが悪かったわけではないのだけれど)
無理していたわけではないのだけれど、自然と変な人だと思われたくないとか、
嫌われたくないとか、そんな風に思いながら人とつき合っていたのを、
開き直ったみたいに、
「私がこんな言動をとったら、彼女はびっくりするかしら?」
「敬遠するなら、されてもいい」
と思って人と接するようになった。(まあ、相手にもよるが)
できるだけ自分の本音に近いことを言うようになった。

時間の経過もあると思う。
私もこちらに住んで28年くらいになるので、わりと早い時期からの友達とは、
学生時代の友達と話すような感覚になってしまう。
年齢による話題というのもあるんだろうな。
以前、話題に出してひかれた記憶があるようなことでも、楽しそうに話してくれる。

それと、恋をしてから感情が豊かになったのか、
今までなら、話題にしなかったようなことを自然に話すことができる。
友達とこんな風に過ごせる機会が増えると、なんだか私にも希望が見えてくる気がする。

掃除

2016-03-22 14:33:43 | あれこれ
私の弱点は掃除である。

どんな本を読んでも、掃除はものすごく大事なことらしい。
「散らかった部屋に住んでいる人は、心も散らかっている」
「身の回りを綺麗にしている人の所に、神様はやってくる」等々…。

掃除をしよう!!という気持ちはある。
ホームセンターに行った時には、ついついお掃除グッズを買ってしまったりもする。
でも、結局使わないことも多いので、最近では自重している。

テレビの「簡単お掃除」みたいな特集も見てみるが、
「それ、全然簡単じゃないじゃない?」と思う。

それでも、独身時代よりはマシである。
夫は綺麗好きなので、それなりにがんばった。
だから、実家へ行くと「汚いなあ」と思ったりする。
母は、何と言うか…。片づけ上手だった。
机の上とか、きちんと片づけて綺麗に見せるのはうまかった。
(歳をとってからはそうでもなかったようだが)
仕事をしていたせいもあって、毎日掃除機をかけるとか、箒で掃くとか、そういう習慣はなかった。
そう言えば、私が結婚する時に、伯母から、
「お母さんは仕事が大変だったから許されたけど、みなみちゃんはちゃんとお掃除しなきゃだめだよ」
という意味のことを言われた。

別に私が掃除できないのを、母のせいにするつもりはないが。

とにかく「掃除しよう!!」と思っても、体が動かない。
ほんの少しだけして一日が終わってしまう。
たまには頑張って、掃除するときもある。
でも、埃はすぐに溜まるし、家族は片付けたところにどんどん物を置く。

私だって、綺麗な部屋に住みたい。
友達が突然寄ってくれた時に、「上がって上がって!!」と言いたい。

毎日のように、「今日こそは、あそこを掃除しよう!」とか思うのだが、
…。
いつも一日は溜息で終わる。