2015-11-26 12:29:46 | IGUちゃんとのこと
こうしてIGUちゃんとのことを言葉にして綴ってみると、
なんだ、ただの「ずるい男とだらしない女の痴話話」じゃないかと思う。
でも、当時の私は、「まるでトレンディードラマのような恋」だと思っていたのである。
お笑い種だ。

IGUちゃんのことがあって、私は辛い思いをたくさんしたと思うし、
かなり長い人生を彼への思いにに引きずられてしまったと思う。
でも、IGUちゃんに出逢わなければ良かったなんて思ったことは一度もない。
(またお笑い種ネタが始まったとお思いでしょうか?)

あんなにも人を好きになることができた、
その思いは、私の中でものすごく強いものになっていたと思う。

確かに途中からは、私の方もただ純粋に彼の倖せだけを考えていたわけではなく、
なんとか自分の思いが報われることを望んでいたと思う。
でも、少なくとも高校生のころは。

少なくとも高校生のころは、
彼が純粋に、彼のままでいてくれることを望んでいた。
そして、そのままのIGUちゃんが大好きだった。
ずっと後になって思った。
どうして私は、誰に教えられたわけでもないのにあんなことができたのだろう?と。

愛は見返りを求めないものだという。
ただそこに存在していてくれればいいと思うことだという。
高校生のときの私の想いは、紛れもなく「愛」だったのではないか?

「愛」だなんておこがましくて考えたこともなかった。
ただずるずるとIGUちゃんにしがみついていただけだと思っていた。

人生の一番大きな目的が「愛」を知ることだとしたら、
私はそれをクリアできたんじゃないかと思った。
それまでは、そのことに自分で自信が持てなかった。
ずっと長いこと、周りのほとんどの人に間違っているという意味のことを言われていた。
自分でも間違っていたかもしれないと思っていた。
だから、倖せになれなくてずっと苦しんでいた。
でも、江原さんの本とかいろいろ読んで勉強して、間違ってなかったと確信できるようになった。
そしたら、すごく倖せになれて、この人生に満足できるなって思えるようになった。

「愛はただ相手の倖せを願うこと」
そんな意味のことを、本の中に見つけて、
「ああ、私にはまだIGUちゃんのためにできることがあった」と思って嬉しかった。
それ以来、IGUちゃんの倖せを願うようにした。
そうしたら、
そうしたら、不思議なことに、それまで私の中でしつこく燻っていたIGUちゃんへの微かな想いが、
綺麗に消えていった。
IGUちゃんのことを、私の中で、完全に過去のことにすることができた。

今から8年くらい前のことである。

嫌な女

2015-11-25 18:09:07 | IGUちゃんとのこと
大阪で、IGUちゃんといろいろな話をした。
彼女の妊娠については、何も話さなかった。
だから、私は今もそのときに彼女が本当に妊娠していたのかどうか知らない。

そのときに、IGUちゃんはある話をした。
一言で言うと、そのときにIGUちゃんがぶち当たっていた「挫折感」についての話だが、
それについては、また話す機会があると思う。
ただ、そのIGUちゃんの考え方は、どこか間違っていると感じたけれど、
私は敢えてそのことについて考えるのをやめようと思った。
そこで考えたら、またIGUちゃんへの想いに引きずり込まれてしまう、
そんな風に感じたからだ。

朝、私は大阪から名古屋の会社へ出勤する。

IGUちゃんはどう思っていたのか知らないが、
私は、もう本当にIGUちゃんとの関係を終わらせるつもりでいた。
「復讐してやる~!!」と思った。
でも、私の復讐とは、とてもかわいらしいもので、
一生、IGUちゃんには、私がIGUちゃんのせいで不幸になったのだと思わせるというものだった。
IGUちゃんと縁を切ったなら、もうIGUちゃんと会うことはほぼ有り得ないというのに、
そんなことできるわけない。
でも、そう思った。

私のそんな決心がわからなかったのか、IGUちゃんはすぐに電話してきた。
私は、ものすごく冷たい言葉で、心にもない言葉で、IGUちゃんに応対した。
IGUちゃんは一言、「嫌な女になったな」と言い、電話を切った。
それきりIGUちゃんから電話がかかってくることはなかった。

「嫌な女になったな」、そう言われた私は、もちろん悲しかった。
でも、それでいいと思った。
19歳の私が、IGUちゃんに言った「悪い男にならなきゃいけないときもある」という言葉。
それを思い出していた。
私は、「嫌な女」になることでしかIGUちゃんを忘れることができなかったんだと思った。
そして、IGUちゃんもそんな私の気持ちをわかってくれていると思った。



修羅場のあと

2015-11-25 17:49:10 | IGUちゃんとのこと
あの修羅場の後も、私とIGUちゃんの関係は変わることはなかった。
IGUちゃんは、何事もなかったかのように電話してきた。多分。
もしかしたら、先に電話したのは私だったのかもしれないが。

でも正直に言って、このころのことはあまりはっきり覚えてはいない。
私は、いつごろまで大阪に通っていたのか?
この年の暮には、今の夫と結納を交わしたはずだから、そんなに長い間ではなかったはずだ。

大阪で一緒にいるときに、IGUちゃんは彼女ができたと言う。
それまで、「彼女」の話をはっきりとしたことはなかった。
「いいぞ。今の彼女は。俺が『お前だけや~』と言ってれば、それを信じて何でもはいはいって言うこと聞いてくれる」
「私だって、IGUちゃんに『お前だけや~』なんて言われたら、何だって言うこと聞くわ!!」
どうしようもない私とIGUちゃんだね?

それからしばらくして、IGUちゃんが電話で言う。
何て言ったんだっけ?はっきりと何を聞かれたのか覚えていない。
「生理はどれくらい遅れるとヤバイのか?」とか、そういう意味のことだった。
要するに、彼女に生理がこなくて心配しているという話。
でも、以前にもそういうことがあって用心していたから、そんなはずはないと。

「そんなこと、私に聞いたってわかるはずないじゃない!?」
何でだろう?私はものすごく動揺して、早々に電話を切った。
多分二度目の嫉妬。

でも、今回はもうだめだと思った。
それまで何度もIGUちゃんのことを諦めよう忘れようと思ってもできなかった。
でも、今回だけはもうこの関係にケリをつけなければ、と思った。

絶望。

別に彼女の妊娠が決定したわけでも、彼女と結婚すると言ったわけでもないのに、
どうしてそんな気持ちになったのか、自分でも全くわからない。
ただ悲しくて悲しくて、その夜はほとんど眠れなかった。
どうしてだかわからないけど、ある男友達に無性に会いたくなった。
その男友達は、別に好きな相手でも何でもない。
でも、なぜか彼に会いたくなって、私は朝を待って彼を呼び出す。
都合よく彼は予定もなく一日私に付き合ってくれて、話を聞いてくれた。
彼が私のことを同情的な目で見ていたのは忘れられない。

夕方になると、今度は溜まり場の仲間に会いたくなる。
そして一人溜まり場に行く。
そこでは、IGUちゃんの話はしなかったように思うけれど、
そこで見ていた女性週刊誌に、松田聖子の妊婦姿の写真が載っていた。
聖子ちゃんのマタニティ姿を見て、ものすごく悲しくなった。
「私もIGUちゃんの子供が産みたかった」そう、その場にいた男友達にもらす。
彼は、「俺だって、俺の子を産んでほしいと思う相手に産んでもらえるわけじゃない」と。

そして、私は考えていた。
仕事を辞めてわずかでも退職金をもらって、車を売ったら、大阪で一人暮らしをする軍資金になるだろうか?
一晩たつと、そんな考えは消えて無くなっていたけれど、
一晩だけ私はそんなことを真剣に考えていた。

そしてIGUちゃんに電話をかける。
「明日、仕事が終わったらそっちへ行くから」
会社で、お姉さまに「決着つけてくる」と宣言して、私は大阪へ行った。

宝探し

2015-11-24 15:53:57 | 日記
実家の倉庫の片づけを手伝ってきた。
母は、戦前生まれのせいもあり、何でももったいないと物を捨てることのできない人だった。
私も物を捨てられない方だが、レベルが違う。
まあ、昔の家なので、いらない物を仕舞い込んでおく場所がたくさんあるせいもあると思うが。
とにかく出てくる出てくる、いらない物の山である。
人の物だと結構さっさと捨てられるものだなあと、我ながら感心する。

もう使わない物だけれど、捨てられないものってあるよね?
うちの長男の場合は「ミニ四駆」。
引っ越しをしたときに、「捨てていい?」と聞くと、「それは取っておいてくれ」と。
今も押入れの天袋の隅に鎮座ましましている。

私は、何年くらい前だろう?きっと10年にはなると思うが、
実家に置いたままにしてあったものの中から、
捨てられたくないもの、そしてできれば見られたくないものを、
段ボール箱に入れて、ガムテープで封印して、「みなみ重要」と張り紙して、
実家の物置に積んでおいた。
夏に、その段ボールを探してみたが、
月日のたつうちに、他の荷物にまぎれてどこにあるかわからなかった。

母が亡くなって、いろいろと片付けをしていた姉に、そのことを話し、
「あったら取っておいてね」と頼んだ。
先日行ってみると、物置の目立つ場所にその段ボールは置かれていた。
ありがとう。

ガムテープも劣化してボロボロになったその箱を持ち帰る。
入れた物は大体は覚えているが、何か思いがけないものが出てくるかもしれない。
まるで、タイムカプセルだ。
まだ開けていない。
これから、仕事が忙しくなるので、一段落したら開けようと思っている。
ちょっとわくわくする。楽しみだ。

でも、あまり先延ばしにすると、夫のご機嫌が悪くなりそうだから…。
そして、家族に見られたくないものがいっぱいだと思うので、
新しい封印法もかんがえなきゃね!!


修羅場

2015-11-18 17:09:14 | IGUちゃんとのこと
暮れの混雑する中を、大阪までIGUちゃんを迎えに行った私。
さすがの私も今回ばかりは何かご褒美が欲しい。
でも、IGUちゃんからは何の連絡もない。

数えてみると、あれは1985年の大晦日だと思う。
その頃私は、毎年高1のときのクラスメイトと年越しをしていた。
夜、例の溜まり場の喫茶店に集まり、なんやかやと時間を潰して、
午前3時か4時ごろ、熱田神宮に初詣に行く。
その後、どこか見晴しのいい場所で初日の出を拝んで帰るのがパターンだった。

私は、その年越しにIGUちゃんを誘ってみようと考えた。
IGUちゃんは1年のときは違うクラスだったけれど、
メンバーのほとんどは、IGUちゃんのことをよく知っている。

夜、車で出かけて、途中道端の公衆電話でIGUちゃんの自宅に電話する。
あの、高校3年のときに、自宅への電話を禁じられてから初めてのことである。
禁じられた電話を深夜にかける。
私も思い切ったものである。

幸いにも、電話に出たのはお父様だった。
「夜分遅くに申し訳ありませんが、IGUちゃんいらっしゃいますか?」
「ああ、友達と年越しをすると言って出かけていきました」
「そうなんですか。私たちもみんなで年越しをするので、一緒にどうかなと思ってお電話してみました。
 ありがとうございました」
「そうですか。ごめんなさいね」
と、お父様は優しく応対してくださった。

まあ、IGUちゃんが別のメンバーで出かけているというのは想定内だったので、
私は特に落ち込むこともなく、いつもの年越しをすませる。
帰ったら、夕方まで爆睡!(だわね)
目が覚めると、時間がたつにつれ、だんだん腹が立ってくる。
IGUちゃんに会いに行きたいと思うが、翌日私は日帰りでスキーに行くことになっていた。
朝が早い。今夜出かけるのは無謀だと思って我慢するが、
とうとう我慢できなくなり、夜になってから出かける。(母は激怒した)

IGUちゃんの家のすぐそばまで行って、呼び出す。
(このときも電話をかけたはずだが、その電話のことは覚えていない。)
IGUちゃんはぶつぶつ文句を言いながらやってくる。
車の中で私は文句を言いまくる。
IGUちゃんは何とか話をそらそうとあれこれ言うが、私は負けてはいない。
修羅場である。
そのうち、近くに住んでいる「ちぃくん」を呼ぼうと言い出す。
当然、IGUちゃんはちぃくんを呼ぶことで修羅場を抜け出そうと考えたわけだが、
私は負けてはいない。
かわいそうなちぃくんは修羅場に巻き込まれることになる。

そんな風にして、どれくらいの時間を過ごしたのか覚えていないが、
私は深夜、多分3時か4時ごろ帰宅し、仮眠をとって、5時にはスキーに出かけた。

私は、ちぃくんとは年賀状のやり取りをしていたので(今も)、
それから、毎年のように年賀状に「ごめんなさい。お世話になりました」と書いたものである。
ちぃくん、本当にごめんなさい。