8月が終わる。
先に私が想像したよりは、楽に過ぎていってくれた気がする。
最初の辛い時期が一段落して、他のことに目を向けるようになった。
私を助けてくれたのは、「希望」だと思う。
まだMくんに会える可能性はゼロではない。
今度会った時には、きっと笑顔で話してくれる。
そんな別れ方をしたと思った。
他のこと、断捨離もそうだけれど、
前から興味があったことをやってみることにした。
ずっと、やりたいことが何もないと思っていたけれど、これがやりたかったんじゃないか?と思った。
ずいぶん前から興味はあったのだけれど、行動力のない私には、できないだろうと思っていた。
やらないだろうと思っていた。
7月の初め、気まぐれで鑑定士さんと話した時に、「秋から何か始めなさい」と言われた。
その時はピンとこなかったけれど、だんだん思い始めた。
「あれかな?」
鑑定士さんは、秋からでいいと言った。
ちょっと余裕を持って、秋から始めようと思うようになった。
そしてMくんとのことがあって…、始めなきゃいけないと思った。
8月中に、段取りをつけようと思っていた。
そのうちにふと気付く。
それを始めることで、私は、近いうちにMくんに会えるかもしれないことに。
本当に会えるかどうかはわからない。
でも、そのためには、段取りは早くつけた方がいい。
そう思って、ある知らない人に連絡を取った。
本当に会えるかどうかはわからない。
もし会えなかったら、また落ち込むのかもしれない。
でも、それがなくても始めようと思っていたことだし。
少なくとも、今はそう思うことで元気でいられるんだと思う。
とにかく、最近の私は、本当に私らしくなく、いろいろとうまく立ち回れていると思うのだ。
その知らない人とのやり取りもそうだし、
職場でも、お客さんの前でも、特に気を張ることもなく自然体の会話ができていると思う。
何だか、すべてがうまく回り始めた、そんな気がする。
Mくんとの出逢いは、そのためのものだったのだろうか?
要するに、行動力も意気地もない私は、
Mくんという、あまりに大きなエサを目の前にぶら下げられなければ、
そして、それを取り上げられるということがなければ、
行動に移すということができなかったということだろうか?
今も、時々ふっと辛さがやってくる。
でも、不思議なことに、辛いのだけれど、そこでMくんの顔が思い浮かべば、
嬉しくなるのである。
思い出と呼ぶには、あまりに何もなかったMくんとの思い出が、とてもありがたく感じる。
そしてやっぱり、好きだなーと思う。
Mくんは恋愛上手だろうと思う。
Mくんが、私のことを少しだけ好きだったとしても、
こうして会えなくなって、私のように想いを引きずるなんてことはないだろうと思う。
引きずるどころか、元々それっぽっちの想いだったのだろう。
たとえそうでも、Mくんが私にいろいろ言ってくれたこと、
私に見せてくれた特別な視線、
それらは、確かにあったこと。
それだけでも、満足できると、今の私は思える。
1ヶ月後には、また泣いているかもしれないけれど。
Mくんにまた会えるのか、本当にこれっきり会うことはかなわないのか、
それはわからない。
でも、Mくんとのいろいろなことを運命だと思えた。
何年か、そういう「宇宙の仕組み」?みたいなことを勉強してきて、
直観も何も縁がないと思えるような私が、
それを本当に信じることができるようになりかけたところで、
Mくんとのことは、運命でも何もなかったのだということになったら、
またくじけてしまいそうだ。
運命も、宇宙も信じることなんてできなくなりそうだ。
だから、きっとまた会えると思う。
私たちに、一番ベストだと思える関係を築いていくことができると思う。
そう信じて生きて行く。
あと20年。
先に私が想像したよりは、楽に過ぎていってくれた気がする。
最初の辛い時期が一段落して、他のことに目を向けるようになった。
私を助けてくれたのは、「希望」だと思う。
まだMくんに会える可能性はゼロではない。
今度会った時には、きっと笑顔で話してくれる。
そんな別れ方をしたと思った。
他のこと、断捨離もそうだけれど、
前から興味があったことをやってみることにした。
ずっと、やりたいことが何もないと思っていたけれど、これがやりたかったんじゃないか?と思った。
ずいぶん前から興味はあったのだけれど、行動力のない私には、できないだろうと思っていた。
やらないだろうと思っていた。
7月の初め、気まぐれで鑑定士さんと話した時に、「秋から何か始めなさい」と言われた。
その時はピンとこなかったけれど、だんだん思い始めた。
「あれかな?」
鑑定士さんは、秋からでいいと言った。
ちょっと余裕を持って、秋から始めようと思うようになった。
そしてMくんとのことがあって…、始めなきゃいけないと思った。
8月中に、段取りをつけようと思っていた。
そのうちにふと気付く。
それを始めることで、私は、近いうちにMくんに会えるかもしれないことに。
本当に会えるかどうかはわからない。
でも、そのためには、段取りは早くつけた方がいい。
そう思って、ある知らない人に連絡を取った。
本当に会えるかどうかはわからない。
もし会えなかったら、また落ち込むのかもしれない。
でも、それがなくても始めようと思っていたことだし。
少なくとも、今はそう思うことで元気でいられるんだと思う。
とにかく、最近の私は、本当に私らしくなく、いろいろとうまく立ち回れていると思うのだ。
その知らない人とのやり取りもそうだし、
職場でも、お客さんの前でも、特に気を張ることもなく自然体の会話ができていると思う。
何だか、すべてがうまく回り始めた、そんな気がする。
Mくんとの出逢いは、そのためのものだったのだろうか?
要するに、行動力も意気地もない私は、
Mくんという、あまりに大きなエサを目の前にぶら下げられなければ、
そして、それを取り上げられるということがなければ、
行動に移すということができなかったということだろうか?
今も、時々ふっと辛さがやってくる。
でも、不思議なことに、辛いのだけれど、そこでMくんの顔が思い浮かべば、
嬉しくなるのである。
思い出と呼ぶには、あまりに何もなかったMくんとの思い出が、とてもありがたく感じる。
そしてやっぱり、好きだなーと思う。
Mくんは恋愛上手だろうと思う。
Mくんが、私のことを少しだけ好きだったとしても、
こうして会えなくなって、私のように想いを引きずるなんてことはないだろうと思う。
引きずるどころか、元々それっぽっちの想いだったのだろう。
たとえそうでも、Mくんが私にいろいろ言ってくれたこと、
私に見せてくれた特別な視線、
それらは、確かにあったこと。
それだけでも、満足できると、今の私は思える。
1ヶ月後には、また泣いているかもしれないけれど。
Mくんにまた会えるのか、本当にこれっきり会うことはかなわないのか、
それはわからない。
でも、Mくんとのいろいろなことを運命だと思えた。
何年か、そういう「宇宙の仕組み」?みたいなことを勉強してきて、
直観も何も縁がないと思えるような私が、
それを本当に信じることができるようになりかけたところで、
Mくんとのことは、運命でも何もなかったのだということになったら、
またくじけてしまいそうだ。
運命も、宇宙も信じることなんてできなくなりそうだ。
だから、きっとまた会えると思う。
私たちに、一番ベストだと思える関係を築いていくことができると思う。
そう信じて生きて行く。
あと20年。