墓参

2017-10-31 16:38:55 | 日記
命日からずいぶん過ぎてしまったが、チビコちゃんのお墓参りに行ってきた。
今年はちょうど10年になる。
もう10年かあ。

最初の1年は、毎月お参りに行って、
その後は、毎年10月にお参りに行っている。
何年目からは、ついつい忘れてしまうということもあり…。
そんな時は、な~んか落ち込むことがあって…。
ああ、チビコちゃんのところに行っていなかったと気付く。

今年は、命日のちょっと前には覚えていて、
その頃は忙しかったので、お参りに行くの遅れそうだなと思っていた。
その後、忙しくもあったけど、行けないことはなかったと思うから、
やっぱりちょっと忘れていたかも?

となると、やっぱり今回の落ち込みも、そのせいなのかな?
ごめんね。

いつもは、買い物のついでにお花を買って行くのだけれど、
今年は、庭の自生えの菊が咲きだしていたので、それを切って持って行った。
チビコちゃんとお話して帰ってくる。
帰り道の途中で思い出す。
(本当に私は呆けているのか?)
そうか。太郎ちゃんもここに眠っているんだった。
霊園の方を眺めながら、太郎ちゃんに「ごめん!」と謝る。
それから…。
もしかしたら、クマちゃんや、他のチビちゃんたちもチビコと一緒にいるのかもしれないなあと思う。

それにしても、母の墓参りにもろくに行っていないのに。
(全く行っていないわけではありませんぞ)
私は一体何なんだろう!?
私は、生前から母に会いたいと思ったことがあったろうか?

寒い一日

2017-10-30 20:20:32 | 日記
朝目覚めると、ものすごい風の音。
まだ台風の影響が残ってるのかな?と思うが、
今日は一日北風が強いのだという。

午前中に皮膚科に行って、帰ってくると、
娘がピザのチラシを見ていた。
それで、ピザをとって二人で食べた。

午後は、集金の仕事に出かけた。
金曜に、ものすごく頑張ったし、
土日にも、雨がこやみになった時に、ずいぶん回ったので、
今日は、そこそこにしておけば良かった。
でも、なんだか頑張ってしまった。

風が強いだけでなく、寒かった。
寒かったけど、回れるところは全部回った。

今夜は鍋にしようと思って、帰りにスーパーに寄った。
今日みたいな日は、みんな鍋にしようと思うだろうから、
鍋の材料なんて残ってないかな?と思った。
案の定、豆腐がない。
残っているのは、みんな絹ごし。
私は木綿派で、世の中の大勢は絹ごし派なのかな?と思っていたので、
ちょっと驚いた。
絹ごし派の人でも、鍋は木綿なのかな?
よーく見たら、ちょっとお高い木綿が残っていたので、それを買った。

帰ると、もういい時間。
娘も何か作ろうかと考えているところだったようだ。
娘に、食材の準備を頼む。
私がバタバタしていて、様子を見に行けないうちに、
チンゲン菜は、想像とは違う形に切られていた。

鍋が煮えるまでに、娘が見ていたアパートの資料を見て、夫が言う。
「もったいないなー。この家賃、うちに入れれば?」
私は、あれ以来何も言わないようにしていたが、
「うちが嫌いだとか、どうしても一人暮らしがしたいというのならともかく、
あんたが言うような理由なら、やめた方がいい」
娘は、夫は反対しないと思っていたのか、
目に見えてぶすっとして、食卓についた。

今日は寒かった。
寒かったけど、頑張って生きた。

ばななちゃん

2017-10-30 12:15:22 | あれこれ
ずっとずっと、神様の言葉が書かれた本を繰り返し読んでいた。
「神との対話」シリーズとか、
チョプラさんの本とか、
小池龍之介さんの仏道の本とか。
時には小説を読むこともあるけれど、
心がざわつく時には、神様の言葉しか入ってこない気がして。

ところがここのところ、無性に小説が読みたくなった。
選んだのは、吉本ばななさんの『哀しい予感』

何年も前に、ちばこちゃんと連絡を取り合うようになった頃、
彼女が、吉本ばなながものすごく好きだと言った。
吉本ばななって、スピリチュアルな人だよね?と思った私は、何冊か読んでみた。
図書館で借りたり、ブックオフで目についたものを買ったりした。
最初に選んだ本はなかなかおもしろかった。

でも、なんだか私には合わないなあと思ったものを続けて読んだので、
それ以来あまり読んでいなかった。

『哀しい予感』は、そのうち読み返してみたいと思っていた。
なんと言うか、ところどころにドキッとするような心に響く表現がある。
前に読んだ時には、感じたかどうかわからない。
いいなあと思って、2回繰り返して読んだ。
その後で、家にあった他の本も続けて読んでみた。

ちばこちゃんが好きだと言ったのが、どういうところなのかはわからないけれど。
私もなんだかいいなあと思った。
そのうちに中毒症状が出たみたいになって、
どうしても他の本も読みたくなって、久しぶりに図書館へ行った。
ばななさんの本を3冊借りた。

何て言えばいいのだろう?
味わい深い?
ストーリーを追う話じゃないと思う。
その時の心理状態によって、表現がビンビンと心に入ってくる。

今まで、そういう本の読み方をしたことはなかったような気がする。
私は本当に、芸術的感性に欠けるのである。
いつも先が気になって、落ち着いて読めないようなところがあった。
読み終わってから、気になるところを読み返して納得したりしていた。

でも、ばななさんの本は違う。
ストーリーを追う必要はない気がした。
最初から、一つ一つの言葉を、大切に味わいながら読んでいく。

その言葉たちは、本当にその時の心理状態によって、響き方が全然違う気がする。
昨日読んで付箋をつけた言葉が、
今日読んで、どうしてそこまで響いたのだろうと思ったりする。
手元に置いて、何度も何度も読み返すべき本だと思う。


S子ちゃん

2017-10-30 10:15:23 | あれこれ
『もうひとつのS子ちゃん事件』の方のS子ちゃん。
大学の時の友達。
仲良くなったのは、大学生活の後半だったと思う。

S子ちゃんは、背が高くて美人で、見た目はしっかり者のお姉さんという感じだったけれど、
なんだかほわ~んとしていて、ちょっと抜けているようなところがあって、
私は大好きだった。

S子ちゃんの実家は広島。
お父さまは会社を経営していたらしく、そこそこお嬢さまだったみたい。
名古屋で就職して、星が丘のワンルームマンションに住んでいた。
よく遊びに行った。

S子ちゃんは、結婚してしばらく私の実家からわりと近い所に住んでいて、
よく遊びに行った。

しばらくすると、ご主人の仕事で海外に行って…。
帰って来てからは、名古屋のわりと中心部に元々ご主人の家が持っていたという土地に家を建てた。
そこには一度も行ったことがなかった。
と言うか、S子ちゃんが海外から帰って来てからは一度も会ったことがない。
年賀状とか、メールで「会いたいね~」と話していた。

震災の後だったから、6年くらい前になるだろう。
やはり疎遠になっていた千葉に住むちばこちゃんと、しばしば連絡を取るようになった。
ちばこちゃんとS子ちゃんは、部活が一緒で、私よりもずっと仲が良かった。
そのちばこちゃんが言う。
「S子ちゃんがおかしい」
部活の仲間で定期的に会ったりしているのだが、
S子ちゃんは、そういうのに全く参加しなくなった。
いつもやんわりと断りを入れてくる。
他の誰とも会っていないようだ。

そう言われてみると、そのちばこちゃんと連絡を取ったのも、
久しぶりにみんなで会おうという計画を立てたからだった。
ちばこちゃんは遠方だから無理だろうけど、ダメ元でと声をかけたのがきっかけだった。
その時は、もちろんS子ちゃんにも声をかけた。
最初、考えておくというような返事をもらい、
その後何も言ってこないので、近くなってからもう一度聞いてみると、
「今回は都合が悪くて行けない」ということだった。

誰にだってそういう時期はあると思うからそっとしておいてあげようとちばこちゃんに言われた。

その後も一回か二回、声をかけたことがあったけど、
やはり返事はNGだった。

そのうち年賀状もこなくなった。
私は出し続けている。

S子ちゃん、どうしちゃったのかな?
本当は心配している。
でも、あれこれ突っ込んでおせっかいを焼くには、ちょっと疎遠になり過ぎた。
そんな感じでどうすることもできないでいる。

S子ちゃん、私は今でもS子ちゃんのことが大好きだよ!
寂しいな。