年末所感

2015-12-31 15:32:48 | 日記
「何もない毎日が倖せ」なんて、まだまだ思えなくて、
何か楽しいことがないかな?なんて思いながら過ごしてきた私だったけれど、
今年は、本当にいろんなことがあった。

私の時計は、5月から止まってしまったように感じるし、
私の時計は、30年ぶりに動き出したようにも感じる。

ただ、この7カ月間、そしてこの30年間にもさまざまなことが起きていて、
時は確実に流れているんだなと思う。

思い起こせば、今年の初め、初詣でで買ったのは、「吉報守り」。
「周りの人にいいことが起こるってことだよね?」って思った。
いいことは私に起こった。
母には「快気守り」を買って渡した。
こっちは利かなかったな。

来年はどんな年になるんだろう?
私は、良い方向に向かっているのか?それとも逆なのか?
良い悪いは表と裏。
解釈次第でどっちにも転ぶ。

来る2016年が、
私にとって、私の身近な人々にとって、
そして、今生きているすべての人々にとって、
どうか良い年でありますように。

私だったら…

2015-12-28 09:34:54 | 日記
32歳年上の内縁関係の女性を殺してしまった男性の事件をニュースで知った。
30年も一緒に暮らしていたらしい。
詳細はよく知らないが、25歳(多分)年下の男性に本気で恋している私は、
この事件を知って、不謹慎にもキュンキュンしてしまった。

最初は、ただ単純に「あるんだー!!」「30年も続いてたんだー!!」と思った。

それから思った。
私がこの殺された女性だったら・・・。

私だったら、80を過ぎて、ボケも始まって、体も悪くなって…。
これ以上彼に老いさらばえていく姿を見られたくないと思う。
介護などという重荷を背負わせたくないと思う。
だから、そんな時期に彼に殺されたなら本望だなと思う。

だから、彼の夢枕に立つのなら、ただ感謝の気持ちを伝えるのみだなあ。
ただ、彼に「殺人者」という今後を背負わせてしまうことは本意じゃないと思う。

もちろん、このお二人がどんな風に出逢って、お互いをどんな風に想って、
どんな30年を過ごしていたのか全く知らないので、
この女性がどんな思いで亡くなっていったのかはわからないけれど。

そうだなあ。
私の「運命の人」は、夫でもIGUちゃんでもなくて、
Mくんだっていう可能性だって、全くゼロというわけでもないよなあ…。
なんて、また妄想を始めてみる。

今の気持ち

2015-12-18 16:49:37 | IGUちゃんとのこと
15年前、IGUちゃんがまだ結婚していないと聞いたとき、
ちょっとだけ、
「もう少しがんばれば、IGUちゃんと結婚できたんだろうか?」と思ったのは否めない。
でも、そんなこと考えても仕方のないことだから。

そして先日、当時の日記の封印を解いたとき、
それまでは思いもよらなかったことが、頭に浮かんできた。
私が思っていたIGUちゃんと、本当のIGUちゃんは、
全く違っていたのではないだろうか!?
私は、悲劇のヒロインになっていたのかもしれない。

風化していく記憶の中で、IGUちゃんはどんどん冷たい人になっていた。
当時から ”He is as cool as cucumber.”
なんて思っていたからねぇ…。(スペルも文法も合ってるかな?)

でも、日記の中のIGUちゃんは、
優しいところもあり、楽しくて、時には私のわがままも聞いてくれて…。

IGUちゃんは、一体私のことをどんな風に思っていたのだろう?
私が思っていたよりも、私のことを好きでいてくれたのかもしれない。

思い起こせば、真剣につき合ってくれたという最初のあの時、
IGUちゃんはこんなことを言った。(と思う)
「君のことだけが好きなんじゃない。好きな女の子はたくさんいる。
 でも、今は君とつき合いたいと思う。それでもいいなら…」

これがIGUちゃんの真実なのかもしれない。
「好きな女の子はたくさんいる」
別れた後も、私はその「たくさんの好きな女の子」の一人だったんだろう。

そして、後で「遊び半分だった」と言った浪人生のときは、
「俺が京都に行ったら(彼は京大に行く予定だったので)、すぐに新しい男を探せよ」
と言ったあとで、私の手を握りしめて言ったのだという。
「でも、この1年は真剣だよ」

彼はいつもそうだった。
いつも私に「いい男を探せ」と言っていた。
私のことがちょっとだけ好きだったとしても、私との将来なんて考えられなかっただろう。
彼はまだまだ縛られたくなかった、遊んでいたかった。
だから、私が重かったのも事実だと思う。
「いつまでも待ってる」なんて絶対に言ってほしくなかっただろう。
(私、そんなこと言わなかったけどね!)

いつか結婚したくなったとき、その相手の候補の中に、もしかしたら私もいたかもしれない。
でも、そのときまで私を待たせておこうなんて、毛頭考えていなかったと思う。
それよりも、私が待っていて、そのとき自分が他の子を選んだらと、
そんなこと考えるのもいやだったんじゃないかな?
だから、私に早くあきらめさせて、ほっとしたいのも事実だったと思う。

でも、全く私のことが好きじゃなかったら?
だったら、さっさと私との関係を絶っていたと思うよね?

私は当時どう思っていたのか?
IGUちゃんは、私のことなんて、恋愛対象とはこれっぽっちも見ていないと思っていた。
ただの話していて楽しい女友達。
でも、私の方から会いに来るというのなら拒む必要もない、その程度の関係。

一度IGUちゃんに聞いたことがある。
「もう私のことを好きになってくれる可能性はないのかな?」
私は、あっさりと「ない」と言われると思っていた。
でも、「それを言ったら、あんたに悪いから」とIGUちゃんは言った。
私は、最初その言葉を、
「可能性はあるかもしれないけど、期待をもたせるわけにはいかない」というように、
自分に都合よく聞いた。
でも、後から思った。
本当は、「可能性はゼロだけど、自分のしてきたことを思えば、そんな残酷なことは言えない」
という意味だったんだと。
本当はどっちだったのかな?
私は、大阪で最後に会って以来、IGUちゃんの気持ちを考えるのをやめるように努めてきたので、
今となってはさっぱりわからないや。

でもね、もしかしたらね、IGUちゃんは心のどこかで、
「みなみなら、いつまでも待っていてくれる」と思っていたかもしれないよね?
私とのあのわけわからない関係が、心地よかったのかもしれないよね?

だから、裏切ったのは、私のほうだったのかもしれない。
挫折感に打ちのめされているときに、
彼女が妊娠したかもしれないと不安のある中で、
私は冷たい言葉を投げかけた。
そして多分、追い打ちをかけるようなことを言ったのだ。
私もIGUちゃんのことを傷つけたのかもしれない。

私は限界だった。
IGUちゃんのことが大切な自分と、自分のことがかわいい自分と、
そのギャップに苦しむのはもうたくさんだと思った。

IGUちゃんは、私が無理して嫌な女になったことをわかってくれていると思う。
その後、電話をしてこなかったのは、私への最後の思いやりだ。
もちろん、私のことを本当に嫌な女になったと思って話したくもないと思ったのかもしれない。

IGUちゃんが長いこと結婚しなかったのは、
私のことがひっかかっていたからじゃないか?なんて想像してみる。(ちょっと楽しい
私のように、自分のことを理解しようと思ってくれる相手に出逢えなかったから。

でも、たとえそうだったとしてもね、あそこで私とIGUちゃんの道は離れてしまった。
私は後悔していない。ぎりぎりまでがんばったもん!
結婚して、倖せになれたもん。
何よりも、子供たちがちゃんと育ったから。

別に今、IGUちゃんと話したいとか思わないけれど、
もし、もう一度話す機会があったとしたら、言ってみたいかも?
「次に産まれてくるときは、一緒に生きたい」って。
でも、多分そんな機会があったとしても、言わないと思うけどね。


後悔しない

2015-12-18 11:53:52 | あれこれ
私は、後悔はあまりしない人だと思う。
とは言っても、日々の小さな後悔ならいくらでもしているけれど。
「また余計なこと言っちゃったー!!」とか、
「あと5分早く家を出れば良かったー!!」とか。

でも、人生の分岐点?のようなところで、自分がしたこと、あるいはしなかったことを後悔はしていないと思う。
なんて言うか…、「それしかできなかった」と思ってしまうのである。
自分の努力が足りないとか、怠け癖が出てしまって…、という場合でも、
私にはあれ以上努力できなかったとか、怠けるしかできなかったと思うのである。

えりかさんには、「後悔しないあなたには、私の気持ちはわからない」と言われてしまったけど。

だから、「もしもあの時こうしていたら…」なんて考えたこともない。
「もしも」なんてあり得ないということがわかっていたから。
考えたって、そのころに戻ってやり直せるわけじゃないと思っていたから。
単に想像力が足りないだけかもしれないが。

(とか言いながら、この歳になって、妄想癖が現れてきたのは何なんじゃ!?とは思う。
 でも、「もしもあの時…」と思うのとはちょっと違うよね?と思うけれど、
 「あり得ない」という点では同じなんだよな…。)

後悔して、反省して、もう二度とあんな選択はしない!と考えて生きている人もいると思う。
確かに私は、20年も30年も停滞していて、あまり成長していないと感じる。
後悔しないせいなんだろうか?
でも、私はこんな私の生き方が嫌いじゃないと思える。
停滞しながらも、がんばって生きてきたと思うし。
トータルしてみれば、なかなかいい人生だったんじゃない?と思う。

そして、このごろちょっとだけ思う。
あと20年、なんとか生き延びようと思っているけれど。
(誤解のないように言っておくと、私はあと20年は生きたいと思っているわけじゃなくて、
 少なくとも、あと20年は生きていく覚悟を持たなきゃいけないと思っているということである。)
その20年のうちに、想像したこともないようなとんでもないことが起きるかもしれないと。
私はこれからどんな選択をしていくのだろう?
でも、どんな選択をしても、きっと後悔しないで生きていくんだろうなと思う。


必然

2015-12-16 17:13:32 | IGUちゃんとのこと
魂は、この世に産まれてくる前に人生の筋書きを書いてくるという。
出逢う人、巡り合う出来事、すべて産まれる前から決まっているのだという。

それを知ったときに、
「私とIGUちゃんが出逢ったのは、何かの間違いだったのじゃないかしらん?」
と思ってしまった。
あんなに求めたのに、どうしてもうまくいかなかったのは、
「間違い」だったから、どうあがいても同じ道の上を歩くことがないようにと、
修正が働いたのじゃないかというように感じたのである。

でも、すぐに思い直した。
あれが「間違い」だったなら、私はこんなにIGUちゃんから影響を受けたはずがないのだと。

私は、知らず知らずのうちに、考え方の傾向とか、IGUちゃんの真似をして生きてきたような気がする。

学生時代、占い好きの友達が、IGUちゃんの性格診断みたいなのをしてくれたことがある。
「命令や指示を嫌うが、反発するわけではなく、はいはいと頷きながら、自分の思い通りにする」
一緒にいたともだちは、「これ、怖いねー!?」って言ったけど、
私は「当たってる」と思った。
そして、今はまるで私のことみたい!と思う。

最後に大阪で会ったとき、IGUちゃんは言った。
「がんばってるころの自分を知っている人間にはそばにいてほしくない」
私も、「IGUちゃんを好きだった自分を知っている人とは結婚したくない」と思った。

中島みゆきさんを教えてくれたのもIGUちゃんだった。
「中島みゆき知ってる?俺、何枚もレコード買って聴いてる」
そのときの私は、みゆきさんと言えば、「わかれうた」しか知らなかったのだが、
みゆきさんのファンだった友達のところに行って、
「みゆきさんのレコード買おうと思うんだけど、お薦めは何ー?」と聞いてそのレコードを買い、
その後、また別のみゆきさんファンの友達からそれまでに出ていたアルバムを全部借りて録音して聴いていた。
そして今に至るまで、私はどれだけみゆきさんに支えられ、助けられてきたか…。

越智啓子さんの講演会に、えりかさんを誘って行った帰り道、
「私は私が大好き!」と言いながら、自分のことを抱きしめるというワークがあったのだが、
えりかさんは、どうしてもそれができなかったと言う。
私は驚いてしまったのだが、えりかさんは、同じような人間の私も、自分のことは嫌いだと思っていたようである。
「私は…、私は、自分のことはそんなに嫌いじゃない」と答える。
それが、私とえりかさんとの分岐点だったかもしれないけど。
後から思った。
私の中には、大好きなIGUちゃんに似たところがたくさんある。
そんな自分を嫌いになれるわけないじゃないか!?って。
だから、私がACにならなかったのも、IGUちゃんのおかげかもしれない。

私がIGUちゃんと出逢うことは、産まれる前から決まっていた。
そして多分、最後まで一緒に歩けないことも、産まれる前から決まっていた。
だから、最初にふとIGUちゃんの顔が目に留まってしまったのは、
前世からのメッセージ、あるいは未来の記憶?
私とIGUちゃんは、前世でどんな道を歩いていたのだろう?