夢と現実 2

2016-02-27 14:12:34 | 日記
恋をして以来、自分の中にあった違和感のようなものを、
やっと言葉で理解できるようになった。

恋をして以来、私は何をしていても彼のことを考えていた。
仕事をしている時、「彼は私がこんなことをしているなんて知らないんだな」と思う。
家事には身が入らない。
若い時は、恋をしたらその分他のこともがんばろうと思った。
恋のエネルギーで勉強もがんばろう!とか。
恋をしたせいで成績が落ちたなんてことには絶対にしたくないと思っていた。

今は、そのエネルギーをつぎ込むものが何もないような気がしていた。
大体成就させてはいけない想いなのだから、頑張る気力なんて持てなかった。
そうやって何カ月…。

少しわかってきた。
彼は、私の夢の中の住人なのである。
だから、仕事とか家事とかの私の現実の世界では、彼の存在を感じることができなくて、
それで虚しかったり、哀しかったりするのである。
実際に彼の存在を感じることができるのは、
彼に会えるあの特別な場所と、
あとは、こうして彼のことを書いているときだけ。
だから私は、彼のことを書くことで夢の中に逃げ込む。
現実を生きていない。

だから、彼を現実の世界に引きずり込みたいと思った。
何か、現実の世界での繋がりを持ちたいと思った。
(決して真剣に不倫とかを考えていたわけではない)
でも、そんなちっぽけな繋がりでも持つのはきっと不可能なのだろうと思うと、
どうしようもないほど心が不安定になったのだと思う。

もう何か月も夢の世界に生きてきた。
そろそろ現実に戻らなくてはならないのかもしれない。
そろそろ真剣に考えなくてはならないのかもしれない。

喧嘩するほど仲良くない

2016-02-24 15:03:21 | 生い立ち・家族
100組の夫婦がいれば、100通りの夫婦の形があるという。
それは確かにその通り。
だから、私たち夫婦が特殊な夫婦だなんて思ってはいない。

私が夫との夫婦関係を語るときに好んで使う表現は、「私たちは喧嘩するほど仲が良くない」である。
特別仲が悪いとは思わない。
ある意味、お互いに信頼し合っていると思う。
夫はどう思っているのか?

結婚して夫婦になるということは、それまでの恋愛とは違って、嫌いになってもそう簡単には別れられないということ。
長いこと一緒に暮していれば、相手の嫌なところもいろいろ見えてくる。
相手の嫌なところは、大抵は些細なこと。
そんな些細なことに一々こだわっていては、夫婦としてはやっていけない。
だんだん慣れっこになる。抵抗力もついてくる。
そう思うと、若いころつき合っていた人の「嫌なところ」なんて、きっと大したことじゃなかったんだろうなと思う。
若いころは潔癖で、許せなかったことも、今だったらどうってことないんじゃないだろうかと。
だから結婚は、やっぱりタイミング、そしてやっぱり「運命」なのかな。

クラス会のときに男の子が奥さまのことを言う。
「うるさいことばっかり言う」
「理屈じゃ勝てん!」
それを聞いた女の子が言う。
「そうだなー。私もついつい理責めにしちゃうなあ」
ドラマなど観ていても、そんな風に描かれる夫婦って多いと思う。

我が家の場合はそれはないと思う。
「理責め」というと、昔の私はそうだったような気がする。
つき合っていた人に対してはどうだったか覚えていないけれど、
多分、母とか姉に対しては、いつも私が理屈では勝っていたような気がする。
(理屈で勝てない姉はヒステリーを起こす)
でも、夫に対してそういう態度を取ったことはほとんどないと思う。

第一に、私は夫は「気が短い」と思っていた。
私が何か「口ごたえ」すれば、夫は本気で怒りだすと思っていた。
(子供たちに対してそうでもない様子を見て驚いた)
今でも、私がちょっと言い返すとキレるので、それは間違いないと思う。
(まあ、お互いそこでセーブするので、それ以上ひどい状態になることは滅多にないが)

私は夫とは本音で話したことがほとんどない。
「本音」と言ってもいろいろな解釈があると思うので、一概には言えないかもしれないが。
元々の私の性格もあるとは思うが、そんな風になってしまったのには心当たりもある。

一つは、結婚前、私はある友達のことで悩んでいたことがあった。
その友達とは夫も良く知っている子だった。
彼女とは仲良くしていたが、私は彼女に対して以前からいろいろな思いを抱いていた。
私は、「夫になる相手」にはこういう思いは話すべきかと思って、そのとき悩んでいたことを話し出した。
でも、夫には私が彼女の悪口を言っているようにしか聞こえなかったのだろう、
「そういう話は聞きたくない」と言われ、私も納得して途中で話をやめた。
こういう話は彼にはしちゃいけないんだなと思った。

もう一つは、私が仕事を辞めて間もないころ、近所に知人のいなかった私は、日ごろ話をする相手もいない。
夫が帰宅すると、待っていたようにいろいろと話をする。
夫はそんな私の話を「ふんふん」と相槌を打つだけで、テレビに見入っている。
「私の話を聞いてくれない」と怒った。
それから、何日かは夫は私が話し出すと、こっちを見て聞いてくれていたが、すぐに態度は元に戻ってしまった。
私は「チャンスは一度しか与えない」と思って、それ以来必要なこと以外夫に話すのをやめた。
たまに夫の方が、私にはわからない話を長々と話すことがあるが、
そんな時には、私は冷めた気持ちで聞き流している。

こんな私たちはあまり喧嘩したことがない。
30年近く一緒に暮らしていて、10回喧嘩しただろうか?
だから、「喧嘩するほど仲良くない」

本当に仲良くない人は喧嘩ばかりしているだろうが、
周りを見て仲がいい夫婦だなーと思っている人は、喧嘩の話もよく聞く気がする。
「喧嘩するほど仲がいい」は本当だなと思う。

どの程度真実味のあることかわからないが、世間ではよく奥さまの方が旦那さまに愛想をつかすような話を聞く。
熟年離婚とか、夫在宅症候群とか(これはとてもよくわかる)、「夫とは同じ墓に入りたくない」とか。
(私は別に墓なんかどうでもいいと思っているけれど)
大好きだった人と結婚して、長年一緒に暮らして、そしてその相手を嫌いになってしまったとしたら、
それはとても哀しいだろうなと思う。
その点、私は夫のことがそこまで「大好き」だったわけではないので、そういう思いをすることがなくて有難いと思う。
私は本当に罰当たりな人間だ。

これが私だ!!

2016-02-24 14:03:30 | 日記
ちょっと探したい言葉があって、また昔の日記を開く。
探しながらページをめくっているうちにこんな文章を見つける。

<1986年8月9日>
Y子ちゃんは言った。
「みなみちゃんは偉いね。IGUちゃんのことあれ以来何も言わないもんね」って。
私、本当にやめる決心がつくまでは「やめる」って口にしなかっただけ。
別れる決心もできてないのに、一時的な感情で「別れる」って言うのが嫌いなのと同じ。

はっとした。
昔の日記を読んでいると、時々昔の自分に感心することがある。
この時も少しそんな感じ。

そうかぁ!私は確かに何かを決心するのにぐずぐずと時間をかけて心を決められないでいるけれど、
決めるときには、本当に決めるのだ。
そういう人だったのだ。
だから、今の不安も…。
Mくんのところに、まだ行っていていいのかどうか思いが定まらないでいるけれど。
まだまだもうこれっきり会えないという現実に向き合う決心をつけられないでいるけれど。
今はまだそのままでいいんだと思えた。
今の中途半端な気持ちでもう少し時間を過ごしたら、そしたら私はちゃんと自分で決めるだろう。
決めたら、ちゃんとその通りに実行するだろう。
それが私だと思う。
そんな自分を信じて、もう少しもう少し、今の大切な時を過ごしてみよう。

ストレス

2016-02-24 13:42:44 | 日記
2月22日、Mちゃんと名古屋駅でランチ。
Mちゃんとは年が明けてから2回会っているが、その時は2人でゆっくり話せる状況ではなかった。
本当は2週間前の8日に約束していたのだが、私が体調を崩してドタキャンする。
その埋め合わせにやっとこの日会うことができた。

2人とも朝少し用事があって、会ったのはお昼を少し過ぎたころだった。
私は、年が明けてから気持ちのジェットコースターの反復が大き過ぎて、
ランチするお店が決まらないうちから、歩きながら話し続けた。
食事の間も話し続ける。
私とMちゃんの会話は、いつも話があちこち飛ぶので、もちろん私一人が話しっぱなしというわけでなく、
Mちゃんの側の話もするのだが。
この日は、Mちゃんにも私の気分が伝わっていたのか、何度も途切れた私の話の方にふってくれる。
本当にMちゃんは有難い友達である。

ランチの時間が終わり、休憩所のようなところで座って話す。
そろそろ帰る時間を気にするころになる。
Mちゃんは、この日は今は2人暮らしの娘さんが仕事で遅くなりご飯も食べてくるので時間に余裕があると言う。
私は、娘は棚卸で遅くなるとは言っていたが、「棚卸で遅くなる」ということは、「家でご飯を食べる」ということ。
夫はいつものように定時に帰ってくるはずである。
でも、この日の私はなかなか帰る気分になれなかった。
ついつい地下街の喫茶店に誘う。
しばらく話して夫より先に帰宅するにはタイムリミットになる。
それでも、どうしても帰りたくない。
このままずっとMちゃんと話していたい気分。

「どーしよー。帰りたくない。夫にメールするね。Mちゃんのせいにしていい?」
「いいよー。」
「Mちゃんが泣いてて放っておけなかったことにしていい?」
「いいよー」

そしてそのままずるずると9時近くまで。
「私、今日どうしちゃったんだろう?きっとストレス溜まってたんだよね?」
「うんうん」

Mくんへのやり場のない想いと、最近感じる夫へのささいなイライラ。
それがものすごいストレスになっていた気がする。

「今日はものすごくいい日だったはずなのに、どうしてこんなにヘコんでるんだろう?」
自分でその理由がわかっていることを口にする。
Mちゃんは、私が自分でわかりきっている理由を答える。
ああ、本当に今日のMちゃんは私の気持ちをわかってくれているんだなと思って嬉しくなる。
本当に本当にMちゃんは有難い友達だ。

電車を降りると娘に会う。同じ電車だったようだ。
帰ると、夫は簡単なご飯を用意してくれていた。
夫は本当にいい人だと思う。

赤い車

2016-02-23 14:51:05 | あれこれ
就職した年、私が初めて買った車は、スプリンター・トレノ・リセ。
赤い女性仕様車である。
車のことは全然わからない私だが、この車を買うことは学生時代から決めていた。
きっかけは、Tくんに奨められたことだったと思う。
「みなみ、これ買いなよ」と雑誌に載っている写真を見せてくれた。
単純な私はなんとなくその車が気に入り、「買うならトレノ!」と思っていた。
従兄が以前トレノに乗っていたこともあり、彼が乗っていた車なら間違いないみたいな気持もあった。

車のことは全然わからない私、男の子に聞いてみる。
「カローラとスプリンター(レビンとトレノ)ってどう違うの?」
車のことが全然わからない私が理解したのは、次のようなことだった。
①販売店が違う。
②デザインが少し違う。
③需要が多い分、カローラの方が少し安い。

実は私は、「カローラは嫌い」と言っている人だった。
カローラ=大衆車=「おじさん」が乗っている車。そんなイメージだった。
同じ車でも、スプリンターなら許せたというわけのわからない人。

晴れて社会人になって、車を買おうと思ったが、母に反対された。
「車で通勤するなら、買ってあげるけど」。私は電車通勤だった。
自力で買うしかない。(尤も、全額母に出してもらうつもりなど毛頭なかったが)
私は学生時代、バイトをしまくっていたので、小金を持っていた。
貯金をすべておろし、就職して最初のボーナスをすべてつぎ込む。
就職した年の夏のボーナスというのは、普通ゼロか、1万円ももらえればいい方だったのだけれど、
私が就職した会社は、1カ月分くれた。すごい!!なんていい会社!!
(今はもう存在しないのだけれど…)
それでも10万円くらい足りなかった。
母に頼む。母は「それくらいなら…」と出してくれた。(本当にありがたい)

Hちゃんという友達が車の販売店に就職していた。
「車買ってよ」と言われていたが、彼女の務める店ではスプリンターを売っていなかったので断る。
そのうち、「車種は何でもいい」と言う。
なんでも、系列の中古車販売店を通せば、どんな車種でも新車で買えるということらしい。
それで、私はHちゃんを通してトレノを買った。
(Hちゃんは、その年教員採用試験を受けて合格したので、その会社は1年で辞める。
 今も立派に高校教師をしている優秀な友達である)

私の愛車、スプリンター・トレノ・リセ。
リセは私の宝物だった。そして、何だろう?私にとって…、
私にとって、「自由」の象徴のようなもの?
「自由」かなあ?「青春」?…違うなあ。うまい言葉がみつからないけど。
とにかく大切な大切なものだった。

リセとさよならしたのは、最初の子供が産まれたとき。
子供を産んで、里帰りしている間に売られてしまった。
もちろん、売ることには納得していたわけだが。
電車通勤していた夫と、専業主婦の私に車は2台いらないということで、2台売って、新車を1台買った。
当時は納得していた。現実しか見ていなかった。
今だったら、あの大切な思い入れのある愛車を4年乗っただけで手離したりしないだろうと思う。

それ以来、我が家の車は白っぽい車ばかりだ。
白は無難だし、夫と私の2人の満足のいく色だったのだろう。
でも、友達が乗ってる赤い車が本当は羨ましかったし、
姉妹2人で暮らしているお客さんの家に、赤い車が2台並んでいるのを見ると、なんだかいいなあと思う。

夏までに、車を買い替えることにしている。
私は結婚して初めて自分を主張できるようになったようだ。
「赤がいいなー」。
夫はいやがるだろうことを想像しながら言ってみる。(はっきり「ダメ」とは言わなかった)
「もう白飽きたもん。赤がだめならオレンジかなー?黄色はいやだなー」

車のグレードとかは私にはわからないので、夫の満足いくものを買えばいいと思うけど、
色くらい私が決めてもいいよね?