甘え上手

2016-01-29 18:17:12 | あれこれ
ある人が私のことを「甘え上手」だと言った。
その人は長子だけれど、私は末っ子だから。
その時私は反発した。
私が甘え上手だったなら、もっとうまく世の中を渡ってこられたはずだ。

でも、こうして過去のことをいろいろと振り返ってふと思う。
私は確かに甘え上手だと。
あろうことか、息子ほどの歳のMくんにまで、私は間違いなく甘えていた。
そのことに気付いた。


時には昔の話を

2016-01-29 15:05:10 | 日記
私は、加藤登紀子さんの『時には昔の話を』の世界観が好きだと言ったけれど、
実は、加藤登紀子さんが歌うこの唄を聴いたことがなかった。
あ、一度だけ、テレビの『紅の豚』のエンディングでさらっと聴いただけだ。

この唄は、コーラスで覚えた。
ジブリの曲を集めた楽譜があって、その中に入っていた。
一応練習をしたが、ステージなどで歌ったことはなかったと思う。
私は、この唄がとても気に入って、ピアノで伴奏譜を弾きながら一人歌っていた。
それももうずいぶん昔のことのような気がする。

今日、カラオケに行って歌ってみた。
元歌を聴いたことがないので、大丈夫かな?と思ったけど、
歌い出したときに感じた。「歌いやすい!!」
音も私の声に合ってると思う。
なんだか嬉しくなった。
思わず2回繰り返して歌ってしまった。

そう言えば、明日は職場の新年会。
あそこの店にはカラオケがあったな。
私はみんなが知っているような唄が歌えなくて、いつも困るのだけど、
これなら歌えるかな?
よーし!がんばろっ!!


弱音

2016-01-29 10:46:13 | 日記
仔猫のチビコと出会ってから、私の人生は変わった。
それまでの苦しさが、いつの間にか体から抜けていった。
「正論」が大嫌いだった私が、素直に「正論」を受け入れることができるようになった。
ほんのちっぽけなことに「倖せ」を感じることができるようになった。
いろいろなことに「感謝」の念を持つことができるようになった。
少しだけだけれど、前を向いて歩くことができるようになった。

それは本当なのだけれど、
それでも、私の本質は変わっていないといつもどこかで思っていた。
「人生が楽しい。長生きしたい」とは一度も思えないでいた。
なんとか75歳まではがんばろう。
あと20年、少しでも楽しい日々が送れるようにがんばろう。
そんな風に思ってきた。

ちょっと行き詰った。
本当は、今すぐにも死んでしまえたらどんなにいいだろうと思っている。
夜眠って、そのまま朝目が覚めなかったらどんなにラクかと思っている。

いまだに私が何のために生まれてきたのかわからない。

写真うつり

2016-01-28 12:22:48 | あれこれ
IGUちゃんは写真うつりが悪かった。
みなみ「写真うつり悪いよね?」
IGU「うん。でも、最近ちょっとコツを覚えた」
卒業アルバムのIGUちゃんは爽やかな顔で笑っている。
クラブの写真など、なかなかきりっとしてかっこいい!
クラスの様子を写した写真にも何枚も登場していて、
髪型がちょと…、だけど彼らしい笑顔で写っている。
普通、卒業アルバムなんてあまり見ないものらしいけど、
私の高校の卒アルは表紙なんてボロボロ。
別にIGUちゃんばかり見ていたわけじゃなく、高校時代は本当に楽しかったから。

何年か前から、写真を撮ると歳を感じるようになった。
私は髪が多くて困っている方なのだけれど、
分け目のあたりが妙にペタンとして、気になるのである。
白髪が伸びてきていて薄く見えるせいなのか、老けて見えていやだなあと思っていた。

最近では、写真に写ると、めちゃくちゃ老け顔になる。
いつかも撮った写真を見てショックを受けて、
娘に「お母さん、こんなに老けてないよね!?」と聞いてしまった。
娘も同意してくれた。

娘の成人式の前に撮った家族写真。
はりきって手配して撮りにいったのだけど、できた写真を見てがっかり。
「もし今死んだら、この写真が遺影になってしまう」と思うと恐怖である!!

どうしたら老け顔にならずに写ることができるのだろう?
それまで自撮りなどしたことなかったけれど、携帯で自撮りして写り方を研究してみる。
自撮りだと余計変!!
あれこれ角度とか目線を変えてみる。

お正月の同期会で写した写真はそうでもない。
なかなかかわいく撮れていた。
どこが違うのだろう?
またまた研究してみる。
そうか、口角をあげて…。等々。

前もって遺影の写真を撮っておくのが流行りだという。
その気持ちはよくわかる。
私もがんばって遺影に使われても良さそうな写真をためておかなくちゃ!
と思っている今日この頃である。




結婚という名の逃げ道

2016-01-28 09:26:01 | 生い立ち・家族
私が若いころ、「結婚を逃げ道にしてはいけない」という言葉があった。
この言葉は今も語られることがあるのだろうか?
今の女の子たちは、結婚を「逃げ道」などとは考えていないのかもしれない。

私にとって結婚は、確かにいろいろなものからの逃げ道だった。
実家から出たくて仕方なかった私が、実家を出るには、結婚することが一番簡単な方法だった。
IGUちゃんを愛することをやめた私には、彼よりも先に結婚することが必要だった。
独り身で彼が結婚したという噂を聞くのは、私には耐えがたいことだと想像された。
仕事も辞めたかった。
もともとやりたいことがあって就職したわけではなく、
就職は、単に学校を卒業した後の「居場所」を求めただけのものだった。
それらからの「逃げ道」が結婚だった。

人は傷ついたらその分だけ強くなるというけれど、
私は、傷ついたらどんどん弱くなる一方だと思っていた。
また傷つくのが怖くて逃げてばかりだと思っていた。
でも、正直言って、そう思っていたことだけ覚えていて、
自分の中の何が「逃げる」ということだったのか、よく覚えていないのだけれど。
本当に時の流れって恐ろしい。いや、有り難いと言うべきか?

そんな逃げ道を私に提供してくれた夫には感謝している。

私は、結婚に期待するものが大してなかった。
私と同じように実家を逃げ出して結婚した友人を知っているが、
彼女は、実家という「家庭」が嫌いだったにもかかわらず、結婚に夢を持っていたようである。
そうか、実家では味わえなかった理想的な家庭らしさを、
新しく自分が築く家庭で味わいたかったんだろうな。
そう考えるのは普通かもしれない。
でも、自分が知らなかったものを作るというのは、
余程の覚悟とか、信念とか、よくわからないけど、ものすごく強い思いみたいなもの?
そんなものがいるんじゃないだろうか?

私は?
私はと言えば…。
なかなかうまくやったと思う。
父親のいない家庭に育った私が、ちゃんと父親の存在する家庭を作った。
それだけでも上出来だと思う。
子供たちがどう思っているのか、本当のところはわからないけれど、
まあまあうまくいってる家族だと思う。
あまり大きく夢を持ち過ぎなかったのが良かったんじゃないかと思う。

でも、時々思うんだよね。
本当に大好きで大好きで、どうしてもこの人と結婚したいと思える、
そんな相手と結婚できたなら、なんて倖せだろう!?って。
そんな結婚をした人はどれくらいいるんだろう?