竹藪

2017-07-31 17:33:12 | あれこれ
実家には竹藪があった。
その昔、祖父が孟宗竹を植えたらしい。
毎年筍を掘って食べていた。
その竹藪には、私がこの世で一番嫌いなドクダミが繁っていて、
私は、いつ頃からか、その竹藪に足を踏み入れたことがなかった。

竹藪は、祖父が亡くなった時に、母のすぐ上の伯母の名義になったと思っていた。
でも、母が亡くなった時に、そうではなかったことを知った。
竹藪は母の名義になっていた。

姉がその竹藪を私の名義にするかと聞いてきた。
今では、竹はそれほど残っていなくて、母が他の作物を植えたりしていた。
ドクダミは相変わらずというか、私の印象に残っているほどではないが、たくさん生えている。
私は決してその竹藪が欲しくなんてなかった。
「いらない」ということもできた。
でも、土地に執着していた母のことを想い、
そして、固定資産税を姉だけに負担させることは悪いと思い、
その竹藪を私の名義にした。

若い頃に母に言ったことがある。
「私は土地なんていらない」
母は、「歳をとれば欲しくなる」。
この歳になっても、私は特に土地が欲しいとは思わない。
今住んでいる家の土地だけで充分である。
せめて息子が帰って来た時に、車を停めるスペースがあればいいなと思うくらい。

社宅を出なくてはいけなくなって、家を探していた時には、
実家の敷地内に家を建てることのできる人はいいなと思った。
でも、私だって実家に戻ればそれはできる。
そんな選択肢はなかったけれど。
だから、特別羨ましかったわけではなかったけれど。

さて、その私の名義になった竹藪。
どうしたものか?
姉も、私の名義になったのだからと、その土地のことを私任せにしているわけではない。
姉も真剣に考えているようだ。
何しろ、結婚をしなかった彼女は、自分が死んだ後のことも考えなければならないのだから。
隣に住む従兄のところに無償で譲ってもいいとも考えていたようだ。
でも母は、元々祖父のものであった従兄の持っている土地が、半分奥さまの名義になっているということを嘆いていた。
そう思うとそれも憚られる。
一番良いのは、私の子供たちの誰かが家を建てて住むことだが、
将来的にはわからないけれど、今のところそういうこともありそうにない。

さて、その私の名義になった竹藪。
なかなかやっかいな土地である。
竹はしっかり根を張っているので、宅地とかにするのも大変そうだ。
(実際にはそれほどでもないのかな?)
面している公道は、本当に公道なのかと思われるくらいの細い道。
抜け道にもならない細い道。
通る車は、反対側の隣の家のものくらい。我が家でも今はその道はつかっていない。
その道沿いに、母がしっかりとブロック塀を築いてしまったので、
人に貸すにしても、出入りできるようにするには工事が必要である。
アパートを建てたり、駐車場にするにも、不向きなのである。

しかも、母は、祖父が土地を親族が家を建てる以外に使ってはいけないと言い遺したのを頑固に守ってきた。
それを思うとおいそれと売るわけにもいかない。

竹藪は夏になると、あっという間にジャングルになる。
姉も教師をしているので、そうそう庭仕事にかまっている暇もない。
年に何度か夫が草刈りに行ってくれる。
でも、何の目的もない土地なのである。

一体母は、どうしてあんなに土地に執着したのか?
母の世代はそうなのだろうか?
親から受け継いだものだからだろうか?

眠眠くん

2017-07-31 09:58:22 | あれこれ
眠眠くんは、静岡県民。
地元の田舎町に敷地の広い豪邸を購入されたようだが…。
息子さんが、名古屋の某有名私立高校に行っていたので、
その時に、奥さまと子供さん2人は名古屋に居を構えるという、言わば逆単身赴任状態。
その後、お坊っちゃまは京都の大学に進学されて、奥さまと下の娘さんも今は京都にお住まいとのこと。
そのご家族が名古屋にいた3年間に、クラスの飲み会によく参加していた。
私は、高校時代は眠眠くんとは特に親しくしていなかったのだが、
その3年間でそこそこ親しくなった。

その眠眠くん、旅行初日の上高地を散策しているあたりから、Mちゃんにからむからむ。
そのからみっぷりは半端ない。
でも全然嫌みがない。
ものすごいはしゃぎようだ。

眠眠くんは、高校時代にMちゃんのことが好きだったのかなあ?
そんなことがあったような気もする。
まあ、Mちゃんはシゲルくんに、
「クラスの男子でMちゃんのことを好きじゃなかった人はいない」と言わせるほどの人気者だった。

以前の私なら僻んだかもしれない。
「ああ、この人もMちゃんの崇拝者か」って。
もうずいぶん昔だけれど、飲み会の帰りに、ある男性とMちゃんと3人になったことがあった。
その彼は、見るからにMちゃんのことが好きで、
(高校時代に、という話ではなくて、その時点で)
3人でいてもMちゃんだけに話しかける。
私が口を挟んでも生返事。
私の存在は無視されてるなあってとても不愉快だった。
でも、眠眠くんの場合は、そんなことはなかった。
みんなを巻き込んでのからみようだった。

それから…、ついでに話すと、
私は、シゲルくんとはそこそこに仲が良いけれど。
シゲルくんのいいところの一つは、Mちゃんのことを特別扱いしないことだった。
同窓生の男性は、ほとんど皆Mちゃんのことを特別扱いするのだ。
でも、シゲルくんからはそんな印象を受けなかった。

眠眠くんに話を戻そう。
きっと眠眠くんは、40年前にMちゃんのことが好きで、
でも、Mちゃんが中学からつき合っていた彼氏がいることは誰もが知っていた。
その彼のことをMちゃんがものすごく好きなことも誰もが知っていた。
それでも、眠眠くんはMちゃんのことが本当に好きだったんだろうな。
40年たって、その気持ちを開放した。
そんな印象を受けた。
きっと、今回の旅行は、眠眠くんにとって、人生で最高に倖せな出来事の一つだったんだろう。
(でもちょっと調子に乗り過ぎー!!)
そう思うと、周りにいる私たちまで何だか嬉しいような、倖せなような…。
そんな気持ちになった。

40年前にタイムスリップしたこの旅行は異常空間。
旅が終わればみんな日常に帰って行く。
私に至っては、翌日の朝、いつものようにMくんのことを思って運だめしのようにしているゲームをする。
その時に、これが私の日常だなあと思ったのがちょっぴり不思議だった。

眠眠くんも日常に帰って、この週末は京都のご家族の元に行っていたらしい。

上高地

2017-07-29 11:26:01 | 日記
もう一週間になる。
先週の今ごろ、私は松本駅にいた。(午前10時半現在)

高校1年の時に行った林間学校。
その時のクラスの人たちと、林間学校で宿泊した施設に泊まる計画を立てた。
本当は多分10年以上も前からあった話だ。
みんなの都合を合わせることも難しく、企画が進展することはなかった。
今年は高校1年から40周年。
今年は絶対行こうと少々強引に計画を立てた。

メンバーは6人。
女性は私とMちゃんの2人。
男性は、成り行き幹事に奔走してくれたシゲルくんと、結婚前の大親友だったべーちゃんと、
クラスで成績トップだったアキラくん(東京在住)。
そして静岡県民である脳外科医の眠眠くん。

初日は上高地に行った。
40年前、愛すべき我がクラスは、大正池でおバカなことをやった。
(別に特別人に迷惑をかけるようなことではないはず)
実は、その時のクラスは、6月に林間学校に行くまで、あまり盛り上がりのない地味なクラスだった。
それが林間学校で爆発した。
その後は、他のクラスからやっかまれるほどの、めちゃくちゃ楽しい仲の良いクラスになった。
上高地での出来事は、その象徴のようなものだった。

今回は大正池とは反対の明神方面に向かって歩いた。
時間の都合で、明神池までは行けず、半分くらいで引き返してきた。

夕方宿泊施設に着く。
みんな「変わってない、変わってない」の連発!!
でも、私は、
私は、その施設には多分高校時代に3回、大学生の時に1回行っているはずだが、
よく覚えていなかったのである。
部屋の中の様子などは覚えているが、外観に至っては全然!!
「昔からこんな色だっけー?」

上高地のこともそうだ。
大正池での出来事があまりに象徴的で、他のことはあまり覚えていない。
「上高地って、こういう場所だったんだー!」

夜は楽しかった。
お部屋は、20人くらい入れる部屋で、男女同室にした。
お風呂は、源泉かけ流しの温泉。でも、熱湯風呂だった。
その熱湯の湯船の向こうに大きな窓がある。
窓は開いていて、よしずが立てかけてあるのだが、その2枚のよしずの間が大きく空いている。
外は裏山で、誰もいそうにはないけれど、行こうと思えば行ける場所(多分)。
熱湯を渡って窓を閉めに行くこともできない。
ちょっと躊躇した後、Mちゃんの頼もしいお言葉。
「よぉ~しっ!!見せたるわぁ~!!!」

何度か外にたばこを吸いに行く。
一人で行くこともあれば、シゲルくんやべーちゃんと一緒のことも。
べーちゃんと2人の時に、結婚後初めて、べーちゃんが私のことを想っていてくれた時のことを話した。
そしてその後のべーちゃんの女性遍歴の話には少々びっくりした。

日付も変わった頃、みんな寝ることにしたのだが…。
そこからがべーちゃんのワンマンショーだった。
酔っ払いのべーちゃんが、延々と独り言を話し続けるのだ。
それがおかしくておかしくてたまらない。
特にMちゃんがその一言一言に笑い転げる。
私は、Mちゃんの笑いに弱いらしく、Mちゃんの笑いが伝染する。
真っ暗な中で、べーちゃんの独り言は、仕込んだ缶ビールが尽きるまで続いた。

翌日は朝から雨だった。
予定では新穂高ロープウェイに乗るつもりだったが諦める。
「雨だったら温泉三昧!」その計画通り、温泉のはしごをする。

白骨温泉の泡の湯というところに混浴の露天風呂がある。
企画段階で半分ジョークでシゲルくんが持ちかけてきた話。
私もMちゃんも「いいよー。おもしろそう」と乗ってしまったので、
持ちかけたシゲルくんの方がびっくりしていた。
だって、お湯は白濁していて1メートル先も見えない。
男女入口は別々で、中も広いから、他の客に会うことも滅多にない。
女性にも安心の混浴!ってHPに謳ってあったんだもん!!
ところが、行ってみたら、「広くて会えない」だけは大嘘だった。
でも面白かった。
若いカップルさんとかもいたし。

本当に楽しい二日間だった。
でも、企画途中で私はちょっとだけ不安があった。
去年行った、楽しみにしていた学生時代の友達との30年ぶりの旅行が、
私的には少々悲惨に終わった。
そのことが頭を過ったのである。
30年、いや40年という年月はあまりに長いから…。
また何か嫌な思いをするんじゃないかと。
でもそれは全くの杞憂だった。
そうだ!あのクラスでそんな思いをするはずがなかったのだ!
多分私の人生で一番楽しかった一年だったのだから。

お疲れ 2

2017-07-29 10:32:47 | からだのこと
耳鼻科に行った翌日の木曜日の朝。
もう本当に体がだるかった。
家族を送り出してすぐに二度寝した。
そういうことは滅多にない。

この日は、月に一度のボランティアの集まりがあった。
別に行かなくてもいいのだが、今月はちょっと楽しいプログラムが予定されていた。
ちょうど一番仕事の忙しい日だけれど行こうと思っていた。

でも、今月は疲れのせいで仕事がちっともはかどらない。
幸い今月は月末の曜日の並びなどから、日程に余裕がある。
でも、少し休みたい。この集まりに行こうかどうしようか迷っていた。
前日にはやめておこうと思った。
当日の朝も、それだけ体がだるくてもまだ迷っていた。
でも結局やめた。
二度寝からはほどなく起きたけれど、特に何をするでもなくぼーっとしていた。
午後からは仕事に出かけた。

今週は皮膚科に行く週だ。
大抵は木曜日に行っている。
木曜日の午前中の予定をキャンセルしたのだから、行こうと思えば行けた。
でも、書いた通りぼーっとして過ごしたので行かなかった。
木曜日に行けない時は金曜日に行く。
金曜日の午前中は、溜まっていた仕事を一つ片づけた。
午後からは、体に気を遣いながらも集金の仕事をがんばった。
ちょっとだけ、旅行に出かける前のただ疲れが溜まっているだけの状態に戻ったような気がしていた。

ふと思った。
頑張り過ぎたのかなあ?
こだわりを持ち過ぎたのかなあ?

「あれをやらなきゃいけない」
「ああいう風にやらなきゃいけない」
そんな思いに支配されていたのかなと思った。
でも、よくよく考えてみればそんなことはないのである。
私はずっと無理しないことを信条にしてきたし、手を抜くのがとてもうまいのである。
こだわっている部分も、その時々で、こだわりを緩めてきた。
自分に甘いから。

それでもやっぱり、理屈じゃなくて、
どこかで頑張り過ぎていた。こだわっていた。
あの人もこの人も、あんな風に生きている。
私にだってできるはずだ。
それは、無理と言うより、どちらかと言うと「希望」。

旅行から帰ったら、Mくんにメールをしようと思っていた。
最後に連絡してから2ヵ月以上たつ。
そろそろメール入れてもいいだろうと思う。
まだできていない。
伝えたい言葉は、次々と頭に浮かんでくるけれど、
Mくんへのメールは、やるべきことがいっぱい溜まっている中で、
疲れた頭ではできない。
週明けにしよう。
その頃には、落ち着いているだろう。
疲れは抜けていないだろうけど。

今日は月末の土曜日。
いつもなら、午前中から一回り集金に行く。
(でも、実は、この午前中の一回りというのは、すごく疲れるのである)
幸いにも、どうしても午前中というお客さんもいないので、すべて午後からにまわそう。
そしてやりたかった仕事以外のことをしようと思う。

お疲れ 1

2017-07-28 16:19:20 | からだのこと
体調は絶不調である。
絶不調は言い過ぎである。
ただの夏バテと言うべきかもしれない。
特別食欲がないというわけでもないので、「ひどい夏バテ」というのともちょっと違う。

この疲れが取れない感じはいつからだろう?
「今月は忙しい」と書いた5月の末くらいからだろうか?

ずっと「忙しい」「疲れがとれない」と思ってきたけれど、
先週末の旅行の後でどっときた感がある。
旅行は、本当に本当に楽しくて楽しくて、めちゃくちゃ楽しかったんだけれど。

旅行の一日目の夜、微かに頭が痛くなった。
ずっと痛いんじゃなくて、間欠的にピキンピキンとくる。
(ズキンズキンの手前のやつだと思う)
同行者の脳外科の医師が「僕肩揉むの得意だよ」と言って肩から背中を押してくれる。
(脳外科というところは、頭痛を訴えて来院する患者さんが多く、その大半は肩懲りが原因だそうである。
 それで肩懲りについては詳しくなったのだそうだ)
五十肩がひどかった頃に、カチカチに固まって痛かったある場所が、
少し押されただけでものすごく痛かった。
ここのところ肩の調子はものすごくいいと感じていたので少々ショックではあった。

二日目は朝から頭が痛かった。(夜中中痛かった気がする)
朝食後に鎮痛剤を飲んでおく。
午後になると、鎮痛剤が切れてきたかなという感じでまた痛み出す。
Mちゃんは、高地に来たので、気圧の関係があるんじゃないかと心配してくれる。
もう一度鎮痛剤を飲む。
普段あまり感じないが、薬を飲む時にほんの少し、薬の臭い?のようなものを感じて不快感がある。
道の駅での休憩タイムだった。
前の晩の脳外科の先生に言うと、肩を押さえて、
「昨夜よりすごく固くなってる。頭痛は肩からきてる」とかけていたショルダーバックをおろすように言われる。
その時は、薬はあまり効かなかった気がする。

翌日はそれほどひどくはないが、まだ少し痛かった。
そのまた翌日はまたひどくなった。
ああ、これは耳からきているんじゃないかなと思う。
私の耳は、いわゆる耳掃除のし過ぎというやつで、耳の中は多分傷だらけじゃないかと思う。
(「私の耳は腐っている」と表現している)
時々耳が原因と思われる頭痛を感じることもあるし、
特に左の耳を下にして寝ると、起きてからしばらく痛みが続くこともある。
一度耳鼻科できちんと診てもらった方がいいかなと思っていた。
そのまた翌日になっても朝起きた時痛かったので、鎮痛剤を飲んで、チラシの仕事が早く終わったら耳鼻科に行こうと思った。
そして行った。

もう10年以上も前に花粉症を診てもらっていた医院。
「今日は先生に叱られることを覚悟して来ました」
最初にそう伝える。
医師は、昔のカルテも見ながら、
アレルゲンがあれもこれもある。
年中花粉症の状態だと思われる。
花粉症の症状があまりひどくないと思うのは、年中花粉症だから気にならないだけ。
耳掃除がしたくなるのもアレルギーのせいで耳がかゆいからじゃないか。
そう言ってアレルギーの薬を処方してくれる。
毎日飲んでも、一日おきでもいいから、しばらく飲んで感想を聞かせてくださいと。

何か違うんだよなあ…。
一応耳の中に薬を塗ってくれたので、頭痛は治まってきたようだが。
私は、耳の中の傷を治してほしくて医者に行ったのである。
たとえ年中花粉症でも、自分が辛くなければ良いのである。
たとえ年中花粉症でも、生活に困っているわけではない。

一応その日は薬を飲んだが、翌日特に朝、ものすごく体がだるかったので、
もしかしたら薬のせいもあるのかもしれないと思って、しばらくはやめておこうと思う。