私のスピリチュアル

2015-11-06 16:24:43 | 霊性
私のスピリチュアルは、寄せ集めのいいとこ取りだ。
方法は、一つにしぼって一貫させた方がいいらしい。
思いがどっちに向かって飛んで行ったらいいかわからなくなるから。
でも神様は、どんな道を通ってもOKを出してくださるらしいから、回り道をしたって大丈夫だろう。
自分の信じた道、納得できるやり方を進んで行く。

確かに矛盾することもある。
こっちのやり方も、あっちのやり方も、素晴らしいと思うけど、これって、考え方かみ合わないよなって。
でも、密度の高い物理的世界に生きる私には、理解できないことっていっぱいある。
矛盾したように見えても、あちらの世界に行ったら同じってこともあると思う。
とにかく自分がいいと思うことを日々精進していく。

もしかしたら、こんな私でも、
「産まれてきて良かった」って、心から思える日がくるかもしれない。
これからも、神様からたくさんプレゼントをもらえるかもしれない。
でも、神様からのプレゼントの取り扱いは要注意である。肝に銘じる。

あ、こう書くと、まるで私が毎日有意義な日々を過ごしているように聞こえるかもしれないけど…。
全くそんなことはない。
いつも自分にがっかりだ。
生まれ持ったもの、今までに身につけてきたものは、ちっとやそっとじゃ変わらないと思い知らされる日々。
だけど、昨日も言った。
少なくともここ何日かは、毎日がちょっと楽しい。

家族

2015-11-06 12:16:46 | 生い立ち・家族
祖母は私が11歳のとき、祖父は私が16歳のときに亡くなった。
我が家は、母と姉と3人家族になった。

女3人、一つ屋根の下、バラバラに暮らしていた。
バラバラと言っても、ちゃんと3人とも朝出かけて行って、夜帰ってくる。
バラバラなのは心だ。

私と姉はものすごく仲が悪かったし。
私は、母とも姉とも心の中のことを語り合ったことがほとんどない。
私にとって、家族とはそういうもの。それは今も同じ。
心の中のことは、友達に話すもの。
でも、逆の人もいるよね。
心の中のことは、家族の中で解決すべき!他人に話すことじゃない!
と怒られたことがあった。

でも、一度だけ母に感情をぶつけたことがあった。
「薬」のところで書いた耳鼻科で抗生物質をもらって薬疹が出た事件のきっかけになったときだ。
外耳炎、ものすごく痛くて、
夜中に目が覚めて、痛くて痛くて、ただひたすら朝を待って耳鼻科に駆け込む。
そんな日が何度もあって、私も心身疲れていたのだろう。
耳鼻科に通っていたことは、母には言ってなかった。
昔から病気をしても大して心配してもらえない、そんな思いもあったけど、
あのときは、外耳炎は、自分が耳掃除をし過ぎたのが原因。
それはわかりきっていたから、後ろめたさから言えなかったのが大きい。

母の方は、姉が結婚しないので、そろそろ矛先を私の方に向けてきた、そんな時だった。
耳鼻科の話が先だったか後だったか、
多分私が、「耳が痛いから、うるさいこと言わないで」くらいのことを言ったんだと思う。
「病院には行ったのか?」「何の病気か?」と母。
「中耳炎」と答えると、「大変な病気じゃないの?」と。
あ、心配してもらえた。と思った。

本題の方は、私が特定の彼氏もなく、何人かの男友達と会ったりしていたことを、
どういうつもりなのかと問い詰められたような感じだったけど。
母は何て言ったんだろう?
とにかく私は、泣きながら「好きなのは一人だけだ!」と叫んだ。
母は泣きじゃくる私に、一言「IGUちゃんか?」と聞き、涙を流した。
「何で泣くの?」と聞くと、
「みなみがあんまり哀しそうに泣くから」と。

姉とはほとんど口もきかなかった。
ケンカして、1年くらい話さなかったこともある。
私が買って冷蔵庫に入れておいたプリンを勝手に食べるので、
プリンに大きく「みなみの」と書いておいた。
そしたらやっぱり食べられた。
そんなこともあったな。(笑)

一度だけ母の顔をたててお見合いをしたことがある。
お見合いと言っても、正式なものではなく、
喫茶店のようなところで、母とか話を持ってきた伯母とか同席して顔を合わせたあと、
2人でちょっとお茶を飲み、送ってもらって帰った。
相手の方は、あまりに見た目のお悪い方だった。
話しててもちっとも楽しくない。
帰ってすぐに、「お断りしてください」
母は、「どうしてもいや?」と聞き返してくる。
私は茫然として母を見つめた。

昔語り

2015-11-06 10:37:03 | 日記
昨夜はなかなか眠れなかった。
夜の時間帯に入るころに、私にとってちょっとした事件があり、アドレナリンがあがっていたせいもある。
眠れないでいるうちに、ここに書きたいことが次々と浮かんできて…。
こうしてパソコンに向かっているのだけれど、
夜はやっぱり魔物だな。
眠れないでいたときほどの熱意はない。
ならば、起き出して書いていた方が良かったかと言えば、
夜は魔物だから、そんなときに言葉を紡ぐのはやめた方がいいと思う。

まず、こんな風に昔話ばかり書いている私は「今」を生きていないのだろうなと思った。
でも、昔話を書くのは、過去に浸りたいからじゃなくて、手放したいからだという気がしていた。
本当かな?元々私は過去に浸るのが好きだったからな。
書いたものを読み返して、浸ってしまうこともあるし。
まあ、本当のところはよくわからないけれど、とにかく書きたいから書いている。

そんな風に思っていたのだけれど、眠れないでいるうちに感じたことがある。
「手放す」、そう、これは私にとってデトックス。
前に進むための、今を生きるための準備。
他人に話せなかったことや、話すまでもないと思ってきたことが、
私の中で、渦巻いているような…。
それらを、「書く」という行為で手放す。ほどいていく。


亡霊探しは、もうやめた方がいいのかな?
今という時代は、便利になって、情報を手に入れる方法も増えて、
昔だったら、知りたいと思ってもちっとやそっとで知ることのできなかったことが、
あれこれやっているうちにわかってしまったりする。
昔だったら、もどかしい思いをして諦めて、でも、それはそれで良かったのかもしれない。
知り過ぎることは、必ずしも良いことではないだろう。
知らないままの方がいいことだってある。
痛い思いをするかもしれない。
それでもやっぱり知りたいと思うのは、…何?

子どもの頃の旺盛な好奇心を、私は意識的に封じ込めてきたところがある。
何でも知りたがるのは浅ましい?みたいな気がして。
知るための行動を起こすのが面倒だったせいもあるだろう。
だから、私はそんなことには興味ありませんというふりをして。
だんだんそれが普通になって。
何にも興味の持てない人間になった。

これは戯言。