ご就職

2015-11-05 15:49:47 | IGUちゃんとのこと
話が暗くなってきたので、IGUちゃんの話に戻そう。
って、IGUちゃんの話も充分暗いぞ!

大学4年生になっていたIGUちゃんは、一流企業と言えるところに就職を決めた。
勤務地の希望を聞かれて、
第一希望は通らないという噂を聞いていたらしく、
「第一希望を大阪にして、第二希望を東京にしたら、第一希望が通っちゃった」
と言っていた。

そして、IGUちゃんは卒業旅行なるものでアメリカへ行くという。
街中でビラ配っていた聞いたこともないような旅行社の格安ツアーで行くという。
「やめたら?もう帰って来れないかもしれないよ?」
「やっぱりぃー?」
などと言いながら、IGUちゃんはアメリカへ旅立って行った。
3月も終わりに近いころだったと思う。

IGUちゃんが帰国する日は聞いていたが、何か意地はってすぐ電話しなかったんだよね。
あっちからもかかってこないし、二日くらいしてかけてみた。
電話はもう繋がらなかった。
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」
全く予想していなかったわけじゃない。
入社前の手続きなどあって、慌てて引っ越して行ったんだろう。

これでもう、本当にIGUちゃんは私に連絡をしてこないかもしれない。
何年も続いたわけわかんない関係を切るには、いいチャンスだもんね。
本当にこれっきりなのかな?
帰国してすぐのころに電話すれば良かった。
私の心は寂しかった。

えりかさん

2015-11-05 14:46:42 | えりかさんとのこと
仔猫のチビコが、私の人生を変えてくれたと言ったけれど、
もう一人、私の人生を変える助けになってくれたと思える人がいる。
以前一緒にコーラスをしていたえりかさん(仮名)。
えりかさんとは、普通にお友達だったけれど、
ある時、何気ないメールを交わしていたときに、私に衝撃が走った。

前に書いたと思うけど、
私はものすごく暗い人間で、友達に暗い話をしても、
誰も私の言いたいことをわかってはくれないんだなと感じていた。
結婚して、この地に住むようになってからは、
普通の、暗くない人のふりをして生きていた。

でも、何でそういう話になったんだったか、
えりかさんの言葉は、私の隠してきた暗い部分と重なるものだった。
最初は、そっくりだと思った。
私は、えりかさんとの長文メールに夢中になった。
やっと探し求めていた人を見つけたと思った。
チビコが死んだときにも、電話でなぐさめてくれたのはえりかさん。

でも、えりかさんの心の闇は、私のものなんかよりずっと深かったようだ。
いろいろなことがあって、もう5年ほどえりかさんとは会っていない。
今も私は、えりかさんのことを大切な友達だと思っているし、
今ならもうえりかさんに会えるかなあ?と思ってもいる。

えりかさんという存在と出逢えたことで、私は救われた。
同じような人が他にもいるということは、それだけでありがたいことじゃないだろうか?
そんな私の思いを、えりかさんはわかってくれているだろうか?
できることなら、私もえりかさんにとってそんな存在でありたかったけれど、
えりかさんの心の闇が深い分、多分そうはなれなかったような気がする。
私は他の人たちと同じようにえりかさんをがっかりさせただけだったかもしれない。

えりかさん、
5年前に2人で確認したように、
いつかまたお互い笑い合って話せる日がくると、今も私は信じてるよ。

スピリチュアル?

2015-11-05 12:10:57 | 霊性
ペットロスから抜け出すために、スピリチュアルに走った私である。

最初は江原さんの本を何冊か買った。
(あのころは全盛期だったかなあ?)
図書館で借りるには、予約待ち状態だったので買っていたのだ。
最初は、結構厳しいこと書いてあるなとか思っていたけれど、
何冊か読むと、同じことしか書いてないなという感じになってきて。

今度は、図書館でいろいろ借りまくった。
最初のキーワードは、「魂」だった。
難しいものから、軽いものまで行くたびに5~10冊。

江原さんの次にハマったのは、越智啓子さん。
啓子先生は、講演会にも行ったけれど、
実は、講演会の当日には、
内心、私にはもうこの人は必要ないな。卒業だな。
なんて思っていた。

飯田史彦さんは、読んでいておもしろいと思ったけど、
すごい人だと思ったけど、
何か好きになれなかった。
好きになれないけど、何か気になる。
そんな存在で、何冊か読んだな。
(結局、大学は辞めてしまわれたんだよね。やっぱりすごい人だわ)

何度か名前を挙げた小林正観さんは、
最初、何か抵抗を感じた。
でも、前に「夢」という記事で書いたように、
夢も目標も、やりたいことも見つけられなかった私は、彼の言葉に救われた。

難しいことはできないけれど、
本に書いてあることで、簡単にできそうなことは、少しずつ実行するようになった。

アルボムッレ・スマナサーラ師の「慈しみの瞑想」
「生きとし生ける者がしあわせでありますように」というあれ。
これを唱え始めたときには、本当に気持ちが楽になったような気がする。

ある日気がつくと、私から苦しさというものが落ちてしまっていた。
それまでは、常に何か追い詰められたような苦しさがあったのだ。
それがいつの間にかなくなっていた。
悩みもなくなっていた。
それどころか、何がそんなに苦しかったのか、思い出すことすらできなくなっていた。
びっくりである。

その後も、本の読み漁りは続く。
中には「これはちょっと違うな…」と思う内容のものでも、
著者は、真剣に信じて書いてるんだろうなと思うと、
どこをどう解釈を間違えるとこういう考え方になるんだろう?
などと偉そうなことを思ったりしていた。

人並みに?というか、オーラ写真とか、過去生療法とかに興味のあった時期もあった。
スピマとか行ってみたいと思ったけど、ちょっと怖かったかな?

そして、たどりついたと思ったのが、玄侑宗久さん。
(玄侑さんの本をスピ本と言ったらいけないのだろう?)
玄侑さんの講演会にも二度出かけていった。
二度目などは、会場に早く着いてしまったので、
真ん中の一番前の席に座ってしまった。(^_^.)
でもこのころは、ご著書を読み漁り過ぎていたので、
やっぱり玄侑さんが次におっしゃることがわかってしまう状態になっていた。
(玄侑さん、ものすごく頭のいい人ですよねー!!)

そして、読み漁り状態というか、あれもこれも読みたいという時期が過ぎて、
今は、一部の本を何度も読み返して、理解したいという状態になっている。
『魂との対話』、『神との対話』シリーズ、玄侑さんの本、正観さんの本、等々…。

理解なんて到底できないだろうと思っているけれど。
生きるのが苦しいとは思わなくなった。
今でも、何も変わっていない部分も多いと思っているけれど。
それでも、なんて長い間足踏みしていたんだろうと思う。
昔は、正論が大嫌いだったけれど、今は正論にちゃんと頷ける。
何も起こらない平穏な毎日が倖せ、なんて思いきれなくて、
やっぱり楽しいことがないかな?と思っているけれど。
少なくともここ何日かは、毎日がちょっと楽しい。